・年あけて二月、
東宮はご元服になった。
おん年十一歳、
お年のわりに大きく、
お美しくて源氏と瓜二つ、
といっていいくらい似ていられる。
母君・藤壺入道の宮は、
そのことでひそかにお心をいためていらした。
帝は東宮のご成長を頼もしく思われ、
世を譲られることなど、
やさしく東宮にお教えになる。
二月二十日、譲位のことがあった。
帝の母君・大后はおどろかれ、
あわてられた。
世の人は位をおりたもうた君を、
「朱雀院」とお呼び申し上げた。
東宮には承香殿の女御のおん子が立たれた。
世の中の一切はあらたまり、
花やかににぎわった。
源氏は大納言から内大臣になった。
左右大臣の座はすでに占められていたから。
そのまま摂政として、
政治をみるのであろうと世人は思ったが、
源氏は、
「そんな繁忙な重責には堪えられない」
として引退した大臣にゆずった。
亡き妻・葵の上の父君である。
大臣はすでに官を辞した上に、
老齢だからと否まれたが、
乞われてついに太政大臣になられた。
お年は六十三歳。
子息たちも沈んでいたのが、
打ってかわって花やぎ、
浮かび上がった。
かの葵の上の兄君、
かつての宰相の中将は、
権大納言に昇進した。
彼の北の方は、
もとの右大臣の四の姫である。
その腹の姫君が十二になったので、
今の帝に入内させようと大切に育てている。
若君は元服させ、
数多い子女で邸内はにぎわっているのを、
源氏はうらやましく思った。
源氏は親友・権中納言にくらべ、
子供は葵の上にできた夕霧一人である。
夕霧は人目を引く美しい少年に育って、
童殿上をしていた。
(行儀見習いに貴族の子弟が、
御所で仕えること)
それを見るにつけても、
母の葵の上が亡くなったのを、
父大臣や、母の大宮は嘆いていられた。
源氏は今も昔に変わらぬ心ばえで、
大臣の邸をよく訪れ、
夕霧の乳母をはじめ、
古い女房たちにも、
いろいろよく計らうのであった。
私邸の二條院に仕えて、
源氏の帰邸をひたすら待っていた者たちにも、
源氏は厚く報いた。
それぞれに応じて心くばりをするので、
外出するひまさえないのである。
源氏は愛人たちを集めようと思った。
二條院の東にある邸を改築して、
(花散里のような、
心もとない人々をここへ引き取って、
住まわせよう)
という構想のもとに、
修理をはじめた。
(次回へ)