2001年(平成13年)
・8月17日(金)
今朝九時ごろ、パパは口から血を出した。
Y夫人の知らせで私とミドちゃんはびっくりして飛んで行ったが、
しばらくして血は止った。
パパは例によってまじまじとしている。
「気分悪いの?」と言うと、ハッキリ、
「いや、気持ち悪いだけ」と言い、
血はすぐ止ったようだった。
顔色も普通で歯ぐきからの出血かと思われた。
しかし、夜六時になって食事しようという間際、
また口中、血だらけ。
この時間なら、大阪の歯科医院に勤めている姪のマリが、
帰るころだろうと思い、連絡する。
待つほどもなく来てくれた。
パパはイスに坐らされ、マリちゃんの持ってきた機械で、
口の中を照らされ、のぞかれ、さわられ、おとなしくしている。
いつもなら、わがままの限り、
「もうええ!」と振り払うところを、
マリちゃんだからおとなしくしている。
パパは若い女の子が好きになっている。
マリだってそんなに若くなく、
お医者のご主人もいるのだけれど、
子供がいないから、いくつになっても若々しい。
「伯父さんのこれ、
少なくとも内臓疾患じゃないと思うわ、口の中の血やわ。
詳しく診ないとわからないけど、血止めだけしておきますね」
といって処置してくれた。
明日、パパはショートスティなので、
帰ってから歯医者さんに連れていき、診てもらうことにする。
明日から私の休日である。
パパをショートスティにやって、
私とミドちゃんで一宮の別荘で夏の休暇を楽しもう、というのだ。
ここ二、三年、気の休まるヒマがなかったから。
・8月18日(土)
迎えに来た人に、パパの歯の疾患で血が出ます、
ということを伝える。
パパは気の進まぬ風で、しょうことなしにというか、
運命を甘受するというか、痛みに耐えるような顔つきで、
車イスのままバスに乗せられて出かけた。
そのあと、一宮町(兵庫県の奥)からお迎えの車、
これは一宮町の住人で、別荘を管理してくれているNさんが、
愛車を駆って来てくれたのだった。
銀色のカブト虫のような、小回りのききそうな車。
「ワシはもうちいと大きい車(の)がエエんじゃけどの、
ウチのが、大きい車はよう運転しきらん、いうでの」
とのこと。奥さんも別荘の清掃を引き受けて下さって、
共々お世話になっている。
宝塚から高速へ入り、山崎で下りるが、
この中国縦貫自動車道、山間部はいつも曇って時雨れがち、
通過すると雲が切れて陽がさしてくる。
二時間近くで村に近づく。
左へ行くと鳥取、右へ取って揖保川をさかのぼると、
播磨の奥、宍粟郡(今は市)、伊和一族の守り神だった、
伊和神社のうっそうたる森が見える。
この播磨一宮の名から一宮町。
更に支流をさかのぼり、やっと小屋に着く。
小屋のまわり、一面の黄色コスモス・・・
タネをまいてくれたのもNさん。
小屋は黄花の中に浮かんで絵本のよう。
この時ばかりは、「パパに見せてやりたい!」と強く思った。
しかし、しばらくすると、
やっぱりパパを連れて来なくてよかった、と思う。
昔の彼なら、
田舎の風光も、渓流の瀬音も、空気も、土の色も、
山荘のたたずまいも、いかにも気に入った、という風情だったが、
近年は着くなり、「もう帰ろう」と言い出すようになっていた。
どこか精神の根太が抜け落ち、
自分でもそれに慣れず、当惑している、というところがあり、
私は同行者や村人たちに気を遣うこと多かった。
夜はお隣の民宿から食べ物を運んでくれる。
Nさんが大きい火鉢に炭をおこしてくれて、
牛肉(宍粟牛)やヤマメ、野菜などを焼く。
民宿のご主人も加わり、楽しい話。
それにしても、お隣に民宿、というより旅館が出来てよかった。
ベランダに出たら渓流の音が高く、
星々はごく近間に見える。
・8月19日(日)
夕べは夢も見ず、ぐっすり眠った。
朝食はまたお隣から運んでくれる。
Nさんに、もっと奥の御方(みかた)神社へ連れていってもらった。
こんな山深い里に、美麗な彩色の神社である。
昔、ここの秋祭りをパパと見に来たことがあった。
その頃はパパも元気で、ハンドルを握っていた。
午後、私は黄色コスモスの咲き乱れる小屋のまわりを、
写生して彩色した。やっぱりパパに見せたくて。
ミドちゃんは渓流の中の大石に寝転んで読書。
彼女はこの大石を「私の専用」といっている。
そこへ行くには、
飛び石伝いに渓流を渡らなければならないので、
私は行ったことがない。
今夜もNさんが来てくれて三人で夕食。
お酒もほどほど、Nさんはおしゃべりの方が酒より好きらしい。
ともかく、いい夏休みだった。
(次回へ)