むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

7、女の子の育て方 ③

2022年07月12日 08時14分53秒 | 田辺聖子・エッセー集










・この頃の親は、男の子はむろん、
女の子も使わないのには驚倒させられる。

知人の娘、高校二年だが、
母親が不在のとき、たまたま私が訪れ、
食事どきになっても母親が帰って来なかった。

下の子供たちがお腹が空いたというので、
「ご飯でも炊きなさいよ」と私は彼女に言った。

おかずがなくても、
ご飯をおにぎりにすれば、
子供たちはいっときの虫おさえになるかと思ったのだ。

ところが彼女は米櫃のありかさえわからない。

その家はガス炊飯器だったが、
その使い方も知らない。

台所でまごまごしていた。

また別の知人の娘、
これはもう勤めているのだが、
帰宅して、ちゃんと食事の用意が出来ていないと、
むくれて怒るのだそうだ。

「お母ちゃん、一日家にいて何してんのん」

といって怒ります、
と知人の夫人は苦笑していた。

こういう女の子も困ったものだ。
そんなでは共働きなど出来はしない。

まして共働きで子供を育てる、
などという大事業は望むべくもない。

生活能力を叩きこんでやるというのは、
親の慈悲と情愛である。

だから女の子にも、簡単な大工仕事、
電気製品の、素人でも手に負える範囲の、
修理のイロハぐらいは教えたい。

私の夫の叔母は、体格も大きかったが、
大工仕事のうまい人だった。

棚とか犬小屋ぐらいは上手に作ってくれた。

ああいうのを見ると、
女の子の中に眠っているたくさんの才能を、
いまの教育は、充分ひきだしていないんじゃないか、
と思った。

学校へ行くようになると、
女の子には、他人との間での協調性を育ててやりたい。
もちろんこれは男の子も同じ。

いいウチの息子で、
いい大学を出て、
いい会社へ入った、
非の打ち所のない青年が、
往々にして会社で溶け込めず、
馴染めず、脱落してゆくことがある。

成績や学業に気を取られすぎて、
他人と協調する、という、
人間の暮らしにいちばん大事な訓練を、
されていなかったからである。

女の子の教育方針として、
かなり多くの男女が、

「誰にもかわいがられるように、素直に明るく、
かわいい性質に育てたいと思います。
女の子は将来、家庭に入って、
舅や姑、夫の兄弟たちとも馴染まないといけないのだから」

というのを何度も聞いた。

協調性はたしかに大事だが、
女の子は「素直で明るければ」いいってもんじゃない。

人にかわいがられる、ということは、
男・女ともに幸福な徳性だが、
かわいがられるだけでは、
人生の幸せは半分しか味わえない。

自分が他の人をかわいがることが出来なければいけない。

女が子供を産み、その子をかわいがるのは、生物的な必然で、
そういうものも幸せの一つであろうが、
社会に生きている以上、
女がかわいがるのは子供だけであってはならない。

なぜ女の子を「誰にもかわいがられるように」
という一点だけに押し込んでしまうのだろう。

人をかわいがることの出来る女の子に、
なぜ育てようとしないのだろう。

異性を愛するのは、
その時期がくれば誰にも訪れる感情だが、
同性のよさを認め、それを愛する心の発達も、
促してもらいたい。

男には友情があるが、
女には同性間の友情は存在しない、
というのは、従来の性差別教育の歪曲による結果である。

女の子を友人や仲間の間に抛り出して、
自我の発達、成熟を促すこと。

女の子は往々両親のペットになりやすいが、
女の子ほど突き放して育てないといけない。

依存的な女の子をつくるのは、
廻り廻って両親の苦悩を増すことである。

一人ぼっちに堪える、困難に堪える、
という女の子をつくるのは、いまや、
男の子のそれをつくるより、
緊急、最重要課題である。

極言すれば、この男性社会では、
むしろ男の子はボンクラでも何とかやっていける、
しかし女の子がボンクラでは、
もうやっていけない社会になってしまった。

しっかりと一人立ちできる女の子に育てようではないか。






          


(次回へ)

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