むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

97番、権中納言定家

2023年07月07日 08時56分45秒 | 「百人一首」田辺聖子訳










<来ぬ人を まつほの浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ>


(待っても来ないあの人を
わたしは待っています
松帆の浦の夕凪のなか
藻塩焼く火に
さながら わが身も
じりじりと焦がれるばかり
恋に悶えながら・・・)






・定家五十五歳のときの作。

『新勅撰集』巻十三の恋に、
「健保六年 内裏の歌合わせ、恋歌」
として見えるがこれは誤りで、
「健保四年閏 六月内裏歌合わせ」
のときの作、という。

定家はこれを自信作と見ていた。

この歌には本歌がある。
『万葉集』巻六の、笠金村の長歌である。

この歌は、松帆の浦に、
藻塩焼くあまの乙女が待っていると聞くが、
逢いにゆく方法もなくて、
男らしい心もなく自分は思い屈して、
ゆきつ戻りつ恋うている、
というような意味の歌。

この金村の歌を承けて、
定家は男を待っている女の相聞に仕立てている。

定家は女の気持ちになって歌った。

松帆の浦は淡路島の北端の歌枕、
この歌では「待つ」にかけている。

藻塩を焼くと恋に焦がれる、
をダブらせるのも古来からの歌の常套句。

定家は万葉から本歌を拉っし来て、
優艶な彼一流の歌の風土を作り上げた。

定家のことは前に何度も触れた。
俊成の子で、応保二年(1162)生まれ、
仁治二年(1241)に八十歳で死んでいる。

正二位権中納言。
『新古今集』『新勅撰集』の撰者で、
和歌史の巨魁的存在である。

和歌を社交の道具から、
芸術として自立させるべく、
古典の書写や校訂にいそしんだ。

定家は『古今集』の歌風を尊重し、
その上に父の俊成の唱えた幽玄をあわせつつ、
自身はまた「有心」の美を説く。

有心は定家の作歌上の理念である。
歌に深い心があること。
高い風姿が歌にはあるべきこと。

定家は、才能も自負もありあまり、
信念に忠実な芸術家であったから、
傲然としていて、
時に人との折り合いが悪いのも、
よんどころないことであった。

一時は蜜月のごとくであった、
後鳥羽院との確執も前に述べた通り。

しかし、定家は後鳥羽院への敬慕を、
終生、心に秘めていた。






          


(次回へ)

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