・則光は、
「お前なら乞食をしてでも、
都がいいというだろう」
と書いていたが、
そういえばこの間うちから、
愉快な乞食がいて、
私たちにおかしい話題を、
提供してくれた
定子中宮のおわす、
職の御曹司では、
このところ西の廂の間で、
不断の御読経が行われている
中宮の母君の三周忌に近く、
それに祖父君のためともあって、
僧が詰めており、
あまたのお供え物や灯明があるのは、
いうまでもない
不断経がはじまって、
二日ぐらいしたころ、
縁先で何かもめているようだった
「そのお供え物を、
私めに下しおかれませ」
と頼んでいるのへ、
「とんでもない
まだご法事はすんでいないのだ
お下がりは早いぞ」
と僧たちが叱っている
あつかましい、
誰だろうと私が端へ出てみると、
年とった尼だったが、
それも乞食尼というべきか、
汚らしく煤けた衣をまとい、
まるで猿のよう、
しかも垢ぶとりに肥満している
「何をいってるの、あれ」
と私が女房たちに聞いたのが、
尼の耳に入ったのか、
尼は身をそらせ、
声も気取って、
「私めも仏の御弟子で、
ございますもの、
お供えのお下がりを頂こうと、
存じますのに、
このお坊さまたちが、
お惜しみあそばして」
と気取った上流言葉も、
面にくいのであった
おまけに、
袖かきあわせ、
どこかつやっぽい身ごなし、
いかにもわざとらしく、
気取っていておかしい
汚ない身なりを物ともせず、
花やいでいる
こんな乞食尼は、
いっそ、しおらしく、
しょんぼりしていれば、
同情を引くのに、
あまりにも調子がよすぎる、
と私は思い、
「へえ
仏さまのお下がりしか食べないの?
ほかのものは食べない、
というの
ずいぶん尊いお気持ちだこと」
とひやかすと、
尼は大げさに手をふり、
「どうしてほかのものを、
頂かないことが、
ございましょう
それがございませんから、
こうして仏さまのお下がりを、
お願いしているので、
ございます」
私は笑いながら、
果物や餅やら昆布を、
器に入れてやった
尼は喜んで、
なれなれしく世間話などして、
あつかましいったらない
仏の御弟子というものの、
それは姿形だけで、
口先一つで食いつなぐ、
渡り芸人にちがいない
小兵衛の君や小弁の君、
といった若い人まで出てきて、
面白がって、
「お前、子供はいるの?」
「夫は?」
などと聞いたりする
「子供はおりませんですよ、
はい、夫はございます
はい、
みなさまと同じでございます」
尼は口軽にべらべらしゃべり、
小弁の君はまだ相手になって、
「歌は歌うの?」
「踊りも見せるの?」
尼は野放図もない声を張り上げ、
「夜は誰と寝よかいな・・・」
小弁の君たちは、
赤くなって、
「もう止しなさい、
いいから・・・」
というが尼はいっそう、
声を張り上げ歌い出す
「男山のもみじ葉、
浮名に立ってどうしようぞいの
なんとお前も立つぞいの」
「いやだ、
もうお帰りったら」
小兵衛の君は、
尼の歌を必死に止めて、
追い返そうとする
「誰か、
この者を追い払って・・・」
「かわいそうじゃないの、
何かやって帰せば」
と私がいっていると、
中宮がお聞きになったらしく、
奥から仰せがある
「聞かれないような歌を、
なぜ歌わせるの、
私はとても聞いていられなくて、
耳をふさいでいたわ
そこの巻絹を一つやって、
早く帰しなさい」
そこで私が、
仏供の巻絹をおろして、
「これは下されものよ
この白いのを着なさい
衣が汚れているから」
と投げ与えると、
尼は作法通り、
うやうやしく肩にうちかけ、
拝舞する
それがかえって、
人を喰っていて、
みな、笑いながら、
「なまいきだわ」
というが・・・
私はふと、
尼の姿に則光の言葉を、
重ねてしまう
則光からみれば、
都で生きている私もまた、
この乞食尼の生態と、
変らぬものに見えて、
いるのであろうか
なぜこう、
則光の言葉に、
私は拘泥するのであろうか
則光が私の知らぬ世界で、
のびやかに人生を楽しんでいる、
ということが私に、
(しゃらくさい、
生意気な)
という嫉妬めいた気持ちを、
起こさせるのかも、
しれなかった
私は本音をいうと、
誰からもほめられ、
注目されたいという気があり、
私のことよりほかに、
関心を持つ人間が、
許せないのかもしれない
このごろ、もう一つ、
私は発見したことがある
いやそれは、
自分で発見したというより、
発見させられたというべき、
かもしれない
それもほかならぬ、
棟世によって
藤原棟世にはじめて会ったのは、
彼が四十五、六のころであった
いまはもう五十を越えている
私の父・元輔と親交があった、
というこの中年男は、
私のことを、
よそながらゆかしく思いつづけて、
いたというが、
私の好きだった亡き父のことを、
共通の話題にして、
何とはない話相手として、
つきあいはじめた
季節の折々に、
贈り物をしてくれて、
それも富裕な官吏というより、
世故長けて物のあわれを知る、
教養人の顔をほの見せる、
やり方だった
そうして数年を経、
たがいの気心もわかり、
かなりうちとけるようになった
私も棟世の手紙や、
昼間の訪問を心まちに、
するようになった
棟世は楽しく世間話をし、
私に会えたのを、
心から喜ぶ風だった
私ははじめのころ、
中宮側近の私から、
何か政治的情報を引き出すため、
とか、
中宮を通じて利権や利得を、
手に入れようとするのだろうか、
などと警戒したものであるが、
棟世にはそういう臭みはなかった
(次回へ)