物心つて初めて見た映画は、なんと黒澤明監督、志村喬主演の(生きる)でした。 多分5歳くらいでなかっかかと思います。
何故父が幼い私を連れて行ったのか、今となっては確かめるすべもありませんが、母が出かける用があり、自分はどうしても観たい映画があり、やむなく
私に飴玉の2つや3つ与え「おとなしくするんやで」と連れて行ったのでしょう。
もちろん、この時は何の思い出もなかったのです。
ところが数十年たち、40歳代くらいになっていたころでしょうか~
何気なく見ていた(昭和の名画)というTV番組に、
定年を前にした市役所の課長が、癌を宣告されそれからの考え方の移り変わり、行動の変化を描いた映画。。。あぁ、これが有名な(生きる)なんだとわかり見続けていると、公園のブランコに乗り
🎵 命 短し恋せよ乙女~
と歌いだされたとき、父が横にいて暗い映画の上映、畳敷きの会場。。。
一気に私の胸に去来し、懐かしい人に出会ったようで涙があふれて止まりませんでした。
志村さん演じる定年前の課長さんのブランコに乗り、つぶやくように歌う
(ゴンドラの唄)がモノクロの一枚の写真になり心のどこかに残り続けていたのですね。
そういえば父は、黒沢作品の大ファンであったことも晩年知ったことでした。
小学校に入ると、年に何度か、会館で催される映画会が楽しみでした。
最初に見た映画は、(赤銅鈴之助)
一番大好きになった映画は、鰐淵晴子さん主演の(ノンちゃん雲に乗る)
これは、父がその本を買ってきてくれたので、余計に心に残った作品でしたが、歳月は残酷で内容のかけらさえ思い出せません。
ただ、ハードカバーの絵がうっすらと残っている程度です(´;ω;`)ウゥゥ
高学年に入り観た中で、浅丘ルリ子さん主演の(緑はるかに)
この映画は、浅丘ルリ子さんの美しさに
子供心に(世の中にこんなにも美しい人がいるんや!)という驚きでした。
今でも時々TVに出ていらっしゃいますね。
中学、高校時代は、父の会社からの家族パス)で、
結構新しい映画、殆ど日活でしたが・・・見放題でした。
石原裕次郎、浜田光男、吉永小百合、和泉雅子。。。
そうそ、舟木一夫の(高校3年生)(仲間たち)等々にも通いました。
大阪の出てからは、宝塚歌劇に通いつめ( ´艸`)
ミュージカルや洋画にも興味が広がっていき、フェステバル、梅田コマ
毎日ホール思い出せないくらいたくさんの作品とも出会いながら、
これらも殆どが記憶のかなたです( ´艸`)
梅雨明け宣言はなされていませんが、
昔から、祖母が「梅雨が明けたら蝉が鳴きだすんやで」と聞き育ちましたので、3日前に初ゼミの声を聞きました。
今朝は曇り空の中ですが、蝉があちこちで鳴いています。
私の中では梅雨明けです( ´艸`)
同じイルカで表情を変え^^背景を雫にしたり、シャボン玉にしたり、
またまたたくさんのハガキの上で遊びました。
少しずつ投函します。
お友達からの夏便りです
気持ちのシャキッとする絵手紙たちですね。
お子様向きの映画を観るより 黒沢映画がいいに決まってます。
黒沢映画は劇場で観た記憶はなく「羅生門」「生きる」「野良犬」「七人の侍」
まだまだあったと思いますが すぐに浮かぶだけでもこれらBSPで観ました。
「生きる」はguさんが書かれているように末期のがんに侵された
役場の課長が 背広に山高帽の当時のサラリーマンの姿のままで
あ 寒い時期だったのかオーバーも着てましたね。
公園のブランコに乗り ♬ 命短し 恋せよ乙女~~ ♬とうたった姿が
目に焼き付いています。白黒映画の良さも出ていました。
この映画で役所に陳情に来るおばちゃん連中のなかに 菅井きんさんがいます。
当時はずいぶん若いはずですが 婿どの!の時と見かけは同じようなものです。
日活の 吉永小百合さんの青春映画を胸ときめかせて観た 若き日を思い出します。
今現在こちらは雷が鳴っています 梅雨明けですね。
今年は3週間早い梅雨入りでしたがあまり降らなかったですね。
3日前から蒸し暑くてクーラーなしではおられません。
guuchanさんは小さい時からお父さんと映画を観られたのですね。
私が記憶しているのは小学校高学年だったかなぁ、近所のお姉さんたちと電車に乗って街の映画館で観たのが美空ひばりの「東京キッド」でした。
小学校の講堂で時々映画をやっていましたね。
石原裕次郎の「嵐を呼ぶ男」「俺は待ってるぜ」
「狂った果実」など。
かすかに記憶があるくらいですね。
近頃映画観てないなぁ。
イルカちゃん可愛いわぁ!
イルカちゃんが飛び跳ねているの、涼をよんで
暑中お見舞いにぴったりね!
皆さんの夏だよりイイねっ!
父は、家ではそのころでは珍しく、ジャズとタンゴが好きで
レコードを鳴らし続け、子供にとってはうるさくて・・・^
映画も音楽も、戦時中かなわなかったことができて嬉しかったみたいですよ。
それより、くりまんじゅうさんの記憶力の良さ、
ブログの文章力、構成力のすばらしさにいつも感服しています。
私は昔のこともですが、近々のことでも
記憶は霞がかかっていたのですが、この頃では
暗雲が立ち込めています('◇')ゞ
子供のころの記憶では、凄いおじいさん!って感じでしたが、
今から思うに、定年前のことですから、
しかも昔の定年って55歳だったから、50代前半だということですよね。
時代により、全体の雰囲気も服装も変わるものですね~
こちらは今まで殆ど雷ってならなかったのです。
この辺は、雷ってならない土地なんだって、ずっと思っていましたが、
今日は子供のころ聞いたような凄い雷(◎_◎;)
思わず、電源抜いて回りました( ´艸`)
あまり雨の降らないこの地ですので、珍しく怖いくらいでした。
でも、スマホのレーダーを見ると、西側が今
大雨なので、今からも続きそう~~
暴れ梅雨ですね。
企業の街に育ちましたので、
時代が時代でしたし、田舎でしたが、
文化面には恵まれていたなぁ~ って今気づきます。
映画だけでなく、活劇って言っていましたが、
今でいう演劇でしょうか?
それに歌手も次々きて・・・
殆ど忘れましたが('◇')ゞ
イルカ描くのが楽しくて・・・
今の処 イルカのみです( ´艸`)
明日くらい 泳いでいくかな~~?
買い物に出かけていなくて良かったわ
のんちゃん雲に乗る・・・なつかしいわ
何となくあの映画は覚えています
私が子供の頃は
学校から授業の一環で並んで映画館に行きました。
我が家は映画にさほど興味は無かったのでしょうね
あまり見に行った思いではありませんが
祖母が演劇好きで 芝居小屋によく連れて行ってくれました。
家に友達のおばぁさんを呼んで見た芝居を再演してたわ。
小学6年生の時、鰐淵春子さんの親戚の人が同じクラスに居ました。
遠いはるかな昔話も
ひょんな話題からふつふつとよみがえってくるものですね
後、消防自動車が走っていましたから、落雷があったのかも・・・
瞬間だけ停電しました。
鰐淵晴子さんは、美人の妹さんもいらっしゃいましたね。
ご両親のどちらかがフランスの方で・・・
そうなんですよね。
すっかり忘れていたことでも、どなたかのブログ記事やコメントの一言で、
自分の思い出が広がることって多々ありますね。
>家に友達のおばぁさんを呼んで見た芝居を再演してたわ
ってすごい~~
でもそういえば、昔は数人集まって(劇遊び)って良くしました。
ちゃんと筋を作り、配役を決め・・・
あぁ、またたくさんのことを思い出しましたぁ\(^o^)/
主人も色々な事を覚えていてビックリしますが
私は本当に何も覚えてなくて
あちこち引っ越しをしたので
何歳の時にどこにいたのかも今となっては定かでないです(^^;)
映画で覚えている一番最初のは中学生の時に
クラスのみんなで見に行った「ジョーズ」で
私は怖くてほとんど見ることが出来なかったのに
横で友達は平気で見ていて
後に彼女が看護師になったと聞いた時
昔から血が平気だったもんなあと妙に納得したものでした(爆
可愛いイルカが届きました!
夏らしくていいですね🐬
私の記憶はすべてジグソーパズルの一片に過ぎません。 何ともつながりません。
私の一番初めの記憶は、1歳過ぎころのこと、
砂場で遊んでいたら、大きなトラックがバックしてきて
タイヤが目の前に・・・
ずっと長い間、夢だったんだと思っていましたが、
大人になってから、話の流れで母に話すと、
親戚のしている小さな会社の横に、子供一人が遊べるくらいの砂場があり、危うく・・・
だったそうです。子供心に恐ろしかったのでしょうね。
今でも、その場面は写真を切り取ったように覚えています。白黒でね^^
昨夜の食事の内容は覚えていませんが( ´艸`)
今も記憶に残る優しい飴玉、懐かしい想い出ですね。
「ゴンドラの唄」「赤銅鈴之助」「ノンちゃん雲に乗る」「緑はるかに」、
そして「高校3年生」「仲間たち」。
昭和映画ポスターは、人の手で直接描かれたステキなものでしたね。
そうですね~~
映画ポスターってありました、手書きの・・・
そんな専門職があったのですね。
映画の話、流行歌の話をすると、年代がわかるとは昔から言われていますが、
Shizuoさんは ひと世お若い方だと思っていましたが・・・