聖なる書物を読んで

現役JW29年目

洗足式と記念式

2018-10-17 | エホバの証人
洗足式とは、ヨハネ13章1~17節に基づく、多くのキリスト教で行なわれている儀式で、聖餐式と共に行われることもある。(byウィキ)

エホバの証人は行わない。イエスが制定されたという記念式(聖餐式とは違う)だけを行なう。
エホバの証人(組織)は記念式をとても重要視しているけど・・・どうなんだろう。

最後の過ぎ越しのとき、ヨハネは洗足のことは書いたけど、記念式のことは書かなかった。

なぜ書かなかったのか。

そのころにはそれがもう確立していたので書く必要がなかったのか、あるいは後代の弟子たちに、形だけになってしまった儀式よりも大事なことを伝えたいと思って洗足のことを書いたのか。(洗足には、愛をもって謙遜に仕え合うこととイエスの贖いをもって日々犯す罪を覆ってもらう必要があることを教える意図があった・・・と思う) もしくは記念式の制定なんてなかったのか。

自分が今の時点で考えているのは、イエスは記念式の制定なんてしなかったこと。イエスが記念式みたいな式典を行なわせる方だとは、どうしても思えないんだよね。
たぶん弟子たちが、この時のイエスのことを思い出したり記念したりするために、主の晩さんと称して度々(特に日にちを決めないで)行なってただけなんじゃないかなぁと思う。
でも人って、そういうものを形式化したがるから、そうならないようにヨハネはあえて、パンとぶどう酒のことは6章で書き、過ぎ越しでは洗足のことを書いたんじゃないかなぁと。

というわけで、エホバの証人が行なってる記念式は、イエスに喜ばれてるとは思えない。


さて。

興味深いことに、日本語にも「足を洗う」という言葉がある。

仏教から出た言葉で、裸足で修行に歩いた僧が寺に帰り、泥足を洗うことで俗界の煩悩を洗い清めて仏業に入ったことから、悪い行ないをやめる意味で用いられるようになった。(by語源由来辞典)

イエスが行なったこととは関係ないけど、なんとなく繋がりを感じるなぁと思いました。