カパライのあと、KKで1泊。
そして、3月22日から5泊6日の日程でラヤンラヤンへ。
狙いはもちろんハンマーヘッドシャーク。
それも、群れ。
群れでなければ、意味がない。
ラヤンラヤンはこれで3回目。
過去2回は、ここでの最大のウリであるハンマーの群れに遭えずじまいで、リベンジなのだ。
ラヤンラヤンは、滑走路と、リゾートと、鳥の巣と、マレーシア海軍のベースしかない人工島。
そして海は・・・
「ラヤンラヤンは、ハンマーが出ないと、何もいませんよ。」
これは、ボルネオ専門の旅行会社のオヤジの言葉だ。
クレームにならないよう、ラヤンラヤンにどうしても申し込みたい人がいたら、あらかじめ、そう断っておくんだそうだ。
そんな言葉に耳も傾けず、はじめてラヤンラヤンに行ってみたのが2000年9月のこと。
近年のラヤンラヤンは、8月末でクローズしているくらいだから、9月は完全にオフシーズンなわけだ。
確かにボートは1パイしか出ておらず、ダイバーの数より、アマチュア無線に来ていた人数の方が多かった。
私は、アマチュア無線のことはまったく知らないが、この島からだと、どこと交信しても、ラヤンラヤンがとても不思議な場所としてとらえられ、無線的に最高らしい。
ラヤンラヤンでのハンマーヘッドが見られるシーズンは2月~5月といわれているが、わざわざ9月のラヤンラヤンに行ったのは、どちらかというとボルネオのダイブサイトを網羅したかったから。
噂どおりのなにもいない海に、ふむふむ、と思っただけで完結。
もちろん、何もいないといっても、レアもの・大物がいなかっただけで、魚影はまあまあ、しょっちゅうイルカの鳴き声は聞こえてくるし、広大なリーフのコーラルはとてもキレイで、手つかずの海な感じはあった。
ただ、そのときは、またこなくちゃ、という気持ちにはならなかった。
2度めは去年で、2005年5月。
GWの後半で、多くの日本人が帰ってゆくのと入れ替わりで島に入った。
GW中は、ハンマーヘッドの群れが大当たりだったらしいが、私たちが着いた時には、時すでに遅し。
初日の1本目にハンマーの単体が現れた、それがすべてだった。
ハンマーの群れに過剰な期待を抱いてのトリップだったので、ハズレ感が大きく、その時は、ラヤンラヤンに来ることはもうないだろう、くらいの勢いだった。
それが、喉もとすぎれば、、、で、冬になると、ラヤンラヤン、リベンジしようかな~、と思うようになった。
そして3度目の今回。
ラヤンラヤンは、リゾートチャーターのミニ飛行機も、宿泊代も高いので、なんとしてもはずしたくない。
いや、はずせない!?
ハンマーのピークは3月下旬からGWまでだそうで、今回は、シーズンも万全を期して臨んだ。
日本を出発するまで、日々、ラヤンラヤンのブログのハンマー出没状況に、一喜一憂していた。
2006年3月22日
この期におよんで、どうにも気の進まないラヤンラヤン。
ゆうべ、KKのアンジュン・センジャの屋台で、元SDCやら、去年ラヤンラヤンで働いていた人々とごはんを食べ、彼らの話によると、KKの海には、いま、ジンベイが回っているという。
さらにマンタナニには、ジュゴンがいるという。
一か八かのラヤンラヤンなんて行ってる場合じゃないじゃん。
ハンマーリバーは、シパダンで見たしぃ~。
KKでジンベイ見たいしぃ~。
ジュゴンはもっと見たいしぃ~。
ラヤンラヤンを全額捨てても、KKに残ろうかなー!?という思いが頭をよぎる。
まあ、友だちになだめられて、ラヤンラヤンへ飛ぶ。
もひとつ、気乗り薄なのは、ラヤンラヤンゆきの小型機が憂鬱。
1回目は、飛行機の形はしていたけれど、旧式なプロペラ機に、超臭うロシア人パイロット二人。
機内の表示はロシア語オンリー。
時々計器を見て、首をかしげるのが不安だった。
字は読めないは、臭いは、不安なフライトでハンマーゼロ。
2回目は、箱フグ型の、これ飛べるの?って形の飛行機。
パイロットは、マレーシア人。
におわないが、後ろから見ると、頭の大きさと首の太さが一緒で、首の肉が気になる。
操縦席には、おもちゃの(?)扇風機がついていた。
ハンマーは1。
ところが、今回は、空港に来てみたら、サバ航空のチャーター機だ。
超マイナーな、ローカルのチャーター会社だけど、なんとなくほっとする。
飛行機が高度を下げるにつれ、海面をくいいるよに見つめ、今年こそは!と祈るような気持ち。
サバ航空のミニミニ航空でやって来たラヤンラヤン。
さて、今回のハンマーRESULTはいかに!?
1日め
なんもなし。
ラヤンラヤンでのダイビングは、午前2ダイブ、午後1ダイブ。
チェックインの日には、午前と午後各1ダイブずつのみで、午前11時のボートが、最初のダイビングとなる。
エントリー早々、水深40mをどんどん外洋に泳ぐが、ホワイトチップをリーフ寄りで1匹見ただけ。
ハンマーもいなければ、リーフも見失った。
そして、ダイブマスター(誰とは言わないけど、元ボルネオ・ダイバーズ)は、皆をリーフに導くこともできず、わずか26分で浮上。
幸先悪いスタートだ。
2日め
ラヤンラヤン事情に詳しいリピーターの友達のすすめで、ミケル(マイク)というデンマーク人のダイブマスターをリクエスト。
彼は、前日、リゾートのプールサイドでスナックをつまむ私たちのところにやってきて、「明日からガイドするミケル」と挨拶しにきてくれた。
そして「約束はできないけれど、ハンマー探しにベストを尽くす」と。
ミケルのブリーフィングでは、「ハンマーヘッドやら、なにか特別なものが出たら、Stay cool! Ice cool!絶対追いかけるな。」とのことで、大物への期待大だったが、この日はハズレ。
3日め
1本目は何事もなく、さすがに、私はよくよくラヤンラヤンの神様に見放されているのではと、なんとなくあせりが…。
2本目、ミケルと同じ深度を保ちつつ、リーフから離れて泳ぎはじめたら、
ほどなくハンマーが単体で登場した。
そいつは、貫禄たっぷり、ふてぶてしく私たちの前をゆうゆうと泳いでいった。
威風堂々。
そのあと、ただただ青い世界をガイドを信じて泳いで行くと、突然、水が冷たくなった。
サーモクラインで、局地的に透明度が悪い。
そのサーモクラインがゆらめくむこうに、壁のようにそびえるハンマーの群れが、浮かび上がってきた。
壁は、数分間、途切れることなく、ゆっくりと動いて行った。
よかった。
コンデジをのぞきこんでも、きれいには撮れないから、ちょびっとだけ撮って、しっかり見とく。
ハンマーって、単体だとクラシックが聞こえるけど、群れだとハードロックが聞こえる。
4日め
コンデジの調子が悪く、水中でちゃんと動作してくれないので、手ぶらでダイビング。
ハンマーはいなかったが、なんと予想外のニタリに遭遇。
珍客大歓迎。
何人かのダイバーは、ミケルのいうことを聞けなかった=「cool」でいられなかったため、ニタリは、さっさと消えてしまい、同じボートでも見られない人がでてしまった。
エキジット後、ミケルはみんなに、「何か出たら、とにかくcoolに、ice coolで」と、釘をさした。
そのミケル、今年のラヤンラヤンでのパートタイム最終日とのことで、翌朝の便で、リゾートを出るという。
そして2本めからは、クアラルンプールのダイビングショップのオーナー、クリスティという、チャイニーズ系のジェントルなおじ様がガイドになった。
細いし、おじさんだし、どうみても、ダイビングを仕事にしてそうは見えない。
リゾートのダイビングスタッフっぽくない人だ。
大丈夫かな?
でも、まあ、よさそうな人だ。
5日め
私たちのラヤンラヤン最終日。
翌朝のフライトにそなえて、ボートダイブは1本だけ。
この日もまず手始めに、巨大なハンマーが単体で登場。
ここでクリスティは、みんなに動かないよう指示。
追いかけたい気持ちを押さえてじっとしていると、そのハンマーは、しばらくわれわれのことを偵察するかのようにうろうろしていた。
そのままじっと待ち続けていると、水深35mくらいの深さで長くとどまっていたため、ダイブコンピュータはDECOが出る寸前。
もう浮上をはじめないとやばい。
ぎりぎりのタイミングのところで、再びハンマーの壁が、カーテンのように目の前に現れた。
ここもダッシュしたい気持ちを押さえ、じっと動かずにいると、かなり長い間、壁は私たちの前に漂っていた。じっと待つ時間が多かったので、あまり泳いだ感はないが、リーフはまったく見えないところに流されていた。
ハンマーの群れも見たし、ここで上がってもよいのでは、と思ったが、クリスティは、しばらくコンパスをチェックしたあと、ただただブルーの世界を何分も泳いだ結果、しっかりわれわれをリーフに導いた。
リーフに帰り着くと、そこでは、美しいヒメイトマキエイの編隊が舞っていた。
これもまた、クリスティの「待て」、のサインで、みんな忠実にその指示を守っていたら、一度去って行った彼らは再びヒラヒラと戻ってきた。
シパダンでは、ハンマーやマンタが出ると、ダイブマスターが、「行け~っ!」というノリだったので、シパダン育ちのわれわれはどうしても、大物みると一緒にガンガン泳ぎたくなってしまう。
ミケルやクリスティの言うとおり、何か特別なものが出たら、追わずに待つは鉄則で、ハンマーといい、ヒメイトマキエイといい、確かに、追わないときは、彼らは、みんなしっかり舞い戻ってきてくれたわけだ。
そして、ラヤンラヤンではハンマーを探すうちに、流れに乗って、どんどんアウターへ流されてしまうが、ここで頼りになるのが、ガイドのナビゲーション・テク。
はぐれた時のことを考えて、エントリーしたときに自分でもコンパスをセットして潜るべきかも。
ラヤンラヤンは、営業期間が1年のうち7ヶ月と限られているので、ガイドの多くはパートタイマーで、繁忙期には、本当に数日~数週間で帰ってしまうスタッフもいる。
初日のガイド以外は、皆、ちゃんとカレントチェックをしてたし、何もないブルー一色の世界で、いかにハンマーを探すか、そして待つかを心得ていた。
ミケルは、エンターテイン度満点の人で、ハンマーを見るまでも、そして見た後も、その盛り上げっぷりはたいしたもの。
また、クアラルンプールのクリスティも、短期間のヘルプで来ているらしかったが、とってもスマートなガイディングだった。
もちろん、相手は野生の生き物だし、タイミングも運もあるから、仕方がないことだけれど、他のボートでハンマーを見られないチームがあったことから、どのガイドにあたるかも、運のうちかも。
ハンマーパレードに遭遇できてよかった!と、手放しで喜ぶよりは、むしろ、ほっとした。
帰りは、さらに安心な、マレーシア航空のチャータープロペラ機でKKへと帰った。
ハンマーあり、ニタリありで、当たりだったことには間違いない。
まさに3度目の正直。
でも、ラヤンラヤンは、どうも好きになれない。
ホテルタイプというわりには、部屋もたいしたことなく、汚水管が臭う。
高いのに、ごはんもおいしくない。
ガイドにも海にも当たり外れがありすぎて、賭けすぎるのだ。
そして、3月22日から5泊6日の日程でラヤンラヤンへ。
狙いはもちろんハンマーヘッドシャーク。
それも、群れ。
群れでなければ、意味がない。
ラヤンラヤンはこれで3回目。
過去2回は、ここでの最大のウリであるハンマーの群れに遭えずじまいで、リベンジなのだ。
ラヤンラヤンは、滑走路と、リゾートと、鳥の巣と、マレーシア海軍のベースしかない人工島。
そして海は・・・
「ラヤンラヤンは、ハンマーが出ないと、何もいませんよ。」
これは、ボルネオ専門の旅行会社のオヤジの言葉だ。
クレームにならないよう、ラヤンラヤンにどうしても申し込みたい人がいたら、あらかじめ、そう断っておくんだそうだ。
そんな言葉に耳も傾けず、はじめてラヤンラヤンに行ってみたのが2000年9月のこと。
近年のラヤンラヤンは、8月末でクローズしているくらいだから、9月は完全にオフシーズンなわけだ。
確かにボートは1パイしか出ておらず、ダイバーの数より、アマチュア無線に来ていた人数の方が多かった。
私は、アマチュア無線のことはまったく知らないが、この島からだと、どこと交信しても、ラヤンラヤンがとても不思議な場所としてとらえられ、無線的に最高らしい。
ラヤンラヤンでのハンマーヘッドが見られるシーズンは2月~5月といわれているが、わざわざ9月のラヤンラヤンに行ったのは、どちらかというとボルネオのダイブサイトを網羅したかったから。
噂どおりのなにもいない海に、ふむふむ、と思っただけで完結。
もちろん、何もいないといっても、レアもの・大物がいなかっただけで、魚影はまあまあ、しょっちゅうイルカの鳴き声は聞こえてくるし、広大なリーフのコーラルはとてもキレイで、手つかずの海な感じはあった。
ただ、そのときは、またこなくちゃ、という気持ちにはならなかった。
2度めは去年で、2005年5月。
GWの後半で、多くの日本人が帰ってゆくのと入れ替わりで島に入った。
GW中は、ハンマーヘッドの群れが大当たりだったらしいが、私たちが着いた時には、時すでに遅し。
初日の1本目にハンマーの単体が現れた、それがすべてだった。
ハンマーの群れに過剰な期待を抱いてのトリップだったので、ハズレ感が大きく、その時は、ラヤンラヤンに来ることはもうないだろう、くらいの勢いだった。
それが、喉もとすぎれば、、、で、冬になると、ラヤンラヤン、リベンジしようかな~、と思うようになった。
そして3度目の今回。
ラヤンラヤンは、リゾートチャーターのミニ飛行機も、宿泊代も高いので、なんとしてもはずしたくない。
いや、はずせない!?
ハンマーのピークは3月下旬からGWまでだそうで、今回は、シーズンも万全を期して臨んだ。
日本を出発するまで、日々、ラヤンラヤンのブログのハンマー出没状況に、一喜一憂していた。
2006年3月22日
この期におよんで、どうにも気の進まないラヤンラヤン。
ゆうべ、KKのアンジュン・センジャの屋台で、元SDCやら、去年ラヤンラヤンで働いていた人々とごはんを食べ、彼らの話によると、KKの海には、いま、ジンベイが回っているという。
さらにマンタナニには、ジュゴンがいるという。
一か八かのラヤンラヤンなんて行ってる場合じゃないじゃん。
ハンマーリバーは、シパダンで見たしぃ~。
KKでジンベイ見たいしぃ~。
ジュゴンはもっと見たいしぃ~。
ラヤンラヤンを全額捨てても、KKに残ろうかなー!?という思いが頭をよぎる。
まあ、友だちになだめられて、ラヤンラヤンへ飛ぶ。
もひとつ、気乗り薄なのは、ラヤンラヤンゆきの小型機が憂鬱。
1回目は、飛行機の形はしていたけれど、旧式なプロペラ機に、超臭うロシア人パイロット二人。
機内の表示はロシア語オンリー。
時々計器を見て、首をかしげるのが不安だった。
字は読めないは、臭いは、不安なフライトでハンマーゼロ。
2回目は、箱フグ型の、これ飛べるの?って形の飛行機。
パイロットは、マレーシア人。
におわないが、後ろから見ると、頭の大きさと首の太さが一緒で、首の肉が気になる。
操縦席には、おもちゃの(?)扇風機がついていた。
ハンマーは1。
ところが、今回は、空港に来てみたら、サバ航空のチャーター機だ。
超マイナーな、ローカルのチャーター会社だけど、なんとなくほっとする。
飛行機が高度を下げるにつれ、海面をくいいるよに見つめ、今年こそは!と祈るような気持ち。
サバ航空のミニミニ航空でやって来たラヤンラヤン。
さて、今回のハンマーRESULTはいかに!?
1日め
なんもなし。
ラヤンラヤンでのダイビングは、午前2ダイブ、午後1ダイブ。
チェックインの日には、午前と午後各1ダイブずつのみで、午前11時のボートが、最初のダイビングとなる。
エントリー早々、水深40mをどんどん外洋に泳ぐが、ホワイトチップをリーフ寄りで1匹見ただけ。
ハンマーもいなければ、リーフも見失った。
そして、ダイブマスター(誰とは言わないけど、元ボルネオ・ダイバーズ)は、皆をリーフに導くこともできず、わずか26分で浮上。
幸先悪いスタートだ。
2日め
ラヤンラヤン事情に詳しいリピーターの友達のすすめで、ミケル(マイク)というデンマーク人のダイブマスターをリクエスト。
彼は、前日、リゾートのプールサイドでスナックをつまむ私たちのところにやってきて、「明日からガイドするミケル」と挨拶しにきてくれた。
そして「約束はできないけれど、ハンマー探しにベストを尽くす」と。
ミケルのブリーフィングでは、「ハンマーヘッドやら、なにか特別なものが出たら、Stay cool! Ice cool!絶対追いかけるな。」とのことで、大物への期待大だったが、この日はハズレ。
3日め
1本目は何事もなく、さすがに、私はよくよくラヤンラヤンの神様に見放されているのではと、なんとなくあせりが…。
2本目、ミケルと同じ深度を保ちつつ、リーフから離れて泳ぎはじめたら、
ほどなくハンマーが単体で登場した。
そいつは、貫禄たっぷり、ふてぶてしく私たちの前をゆうゆうと泳いでいった。
威風堂々。
そのあと、ただただ青い世界をガイドを信じて泳いで行くと、突然、水が冷たくなった。
サーモクラインで、局地的に透明度が悪い。
そのサーモクラインがゆらめくむこうに、壁のようにそびえるハンマーの群れが、浮かび上がってきた。
壁は、数分間、途切れることなく、ゆっくりと動いて行った。
よかった。
コンデジをのぞきこんでも、きれいには撮れないから、ちょびっとだけ撮って、しっかり見とく。
ハンマーって、単体だとクラシックが聞こえるけど、群れだとハードロックが聞こえる。
4日め
コンデジの調子が悪く、水中でちゃんと動作してくれないので、手ぶらでダイビング。
ハンマーはいなかったが、なんと予想外のニタリに遭遇。
珍客大歓迎。
何人かのダイバーは、ミケルのいうことを聞けなかった=「cool」でいられなかったため、ニタリは、さっさと消えてしまい、同じボートでも見られない人がでてしまった。
エキジット後、ミケルはみんなに、「何か出たら、とにかくcoolに、ice coolで」と、釘をさした。
そのミケル、今年のラヤンラヤンでのパートタイム最終日とのことで、翌朝の便で、リゾートを出るという。
そして2本めからは、クアラルンプールのダイビングショップのオーナー、クリスティという、チャイニーズ系のジェントルなおじ様がガイドになった。
細いし、おじさんだし、どうみても、ダイビングを仕事にしてそうは見えない。
リゾートのダイビングスタッフっぽくない人だ。
大丈夫かな?
でも、まあ、よさそうな人だ。
5日め
私たちのラヤンラヤン最終日。
翌朝のフライトにそなえて、ボートダイブは1本だけ。
この日もまず手始めに、巨大なハンマーが単体で登場。
ここでクリスティは、みんなに動かないよう指示。
追いかけたい気持ちを押さえてじっとしていると、そのハンマーは、しばらくわれわれのことを偵察するかのようにうろうろしていた。
そのままじっと待ち続けていると、水深35mくらいの深さで長くとどまっていたため、ダイブコンピュータはDECOが出る寸前。
もう浮上をはじめないとやばい。
ぎりぎりのタイミングのところで、再びハンマーの壁が、カーテンのように目の前に現れた。
ここもダッシュしたい気持ちを押さえ、じっと動かずにいると、かなり長い間、壁は私たちの前に漂っていた。じっと待つ時間が多かったので、あまり泳いだ感はないが、リーフはまったく見えないところに流されていた。
ハンマーの群れも見たし、ここで上がってもよいのでは、と思ったが、クリスティは、しばらくコンパスをチェックしたあと、ただただブルーの世界を何分も泳いだ結果、しっかりわれわれをリーフに導いた。
リーフに帰り着くと、そこでは、美しいヒメイトマキエイの編隊が舞っていた。
これもまた、クリスティの「待て」、のサインで、みんな忠実にその指示を守っていたら、一度去って行った彼らは再びヒラヒラと戻ってきた。
シパダンでは、ハンマーやマンタが出ると、ダイブマスターが、「行け~っ!」というノリだったので、シパダン育ちのわれわれはどうしても、大物みると一緒にガンガン泳ぎたくなってしまう。
ミケルやクリスティの言うとおり、何か特別なものが出たら、追わずに待つは鉄則で、ハンマーといい、ヒメイトマキエイといい、確かに、追わないときは、彼らは、みんなしっかり舞い戻ってきてくれたわけだ。
そして、ラヤンラヤンではハンマーを探すうちに、流れに乗って、どんどんアウターへ流されてしまうが、ここで頼りになるのが、ガイドのナビゲーション・テク。
はぐれた時のことを考えて、エントリーしたときに自分でもコンパスをセットして潜るべきかも。
ラヤンラヤンは、営業期間が1年のうち7ヶ月と限られているので、ガイドの多くはパートタイマーで、繁忙期には、本当に数日~数週間で帰ってしまうスタッフもいる。
初日のガイド以外は、皆、ちゃんとカレントチェックをしてたし、何もないブルー一色の世界で、いかにハンマーを探すか、そして待つかを心得ていた。
ミケルは、エンターテイン度満点の人で、ハンマーを見るまでも、そして見た後も、その盛り上げっぷりはたいしたもの。
また、クアラルンプールのクリスティも、短期間のヘルプで来ているらしかったが、とってもスマートなガイディングだった。
もちろん、相手は野生の生き物だし、タイミングも運もあるから、仕方がないことだけれど、他のボートでハンマーを見られないチームがあったことから、どのガイドにあたるかも、運のうちかも。
ハンマーパレードに遭遇できてよかった!と、手放しで喜ぶよりは、むしろ、ほっとした。
帰りは、さらに安心な、マレーシア航空のチャータープロペラ機でKKへと帰った。
ハンマーあり、ニタリありで、当たりだったことには間違いない。
まさに3度目の正直。
でも、ラヤンラヤンは、どうも好きになれない。
ホテルタイプというわりには、部屋もたいしたことなく、汚水管が臭う。
高いのに、ごはんもおいしくない。
ガイドにも海にも当たり外れがありすぎて、賭けすぎるのだ。