阪急の池田駅から真っ直ぐに北に延びる道は、中世には城に関係したかも知れぬが、近世以降は愛宕社への道として意識されていたと思われる。山にぶつかる所の道標もそれを示している。
昭和中期、商店街を抜けた所にある写真店は玩具商であったようで、そのショーケースは、野球盤やバンカース、行軍将棋等が並び、ガラスにいつも悪童達の鼻や手が張り付いていた。その先に古い家が続いていた。
呉春の酒蔵は今も栄えているが、寄席(後に映画館)や近くの赤線は大昔の話となった。
人々の
歩みし道に
歩を重ね
愛宕に参る
月初めかな
歩みし道に
歩を重ね
愛宕に参る
月初めかな