少し間が取れて「いざ大和へ!」と思っていると大雨、そういう点では大阪市内の徘徊はいつでもやめたい時にやめることができるのでいいですね。
本日は「こぬか雨」ならぬ時々「大雨」の御堂筋から、いつぞや流行った歌の如く「南へ歩」きます。淀屋橋の向こうに大阪市役所、橋下市長の誕生以来、魔物退治が急速に進んでいますが、まだまだ伏魔殿。
ちょっと行くと「御堂筋50年の碑」、銀杏はまだまだ蒼いままです。
西に御霊神社、紅葉が綺麗だったので参拝しました。折角の七五三なのに本日は誰もいません。巫女さんも手持ちぶさたな感じでした。
備後町で東に折れ、後はギザギザと南東を目指します。この通りのみプラタナスが並木になっており、綺麗に紅葉しています。
東横堀川の本町橋を渡ります。「碁盤の目」というと京都の町並がよく知られますが、大阪もなかなかです。
谷町筋まで出て、そのまま南下します。着いたところは空堀の商店街。東から入ったところにたこ焼き屋があります。先ずはここでたこ焼きとビール。たこ焼きはちょっとべたついていましたが、安いから黙って食おう。たこ焼きが出てからビールが出るまで5分かかるという超良心的な(笑)店でした。もおけようという気が無い?
ここでトイレを借りたら、「はい」といってカギを渡されました。外に出てしばらく歩いたところにあるビルのトイレのカギです。なかなか珍しい趣向なので特に記します。
もう既に食べているところがイヤシイ。
この空堀はかの釣鐘山慈光会の教祖であった空覚さんも住んでおられたことがあり、そのころの建物かなというのも多く残っていますが、具体的にここ!ということは分かりません。
道標でもないし、何か分からぬ石標がありました。また師匠にじっくりと観察してもらいます。
空堀を出て、北に戻ると末吉橋、この欄干だけで橋名が分かる人は相当のプロ(何の?)ですね。
住友家の撞球場は銅の製錬所の跡地、そのまま西に向かい心斎橋に出ました。ここは天候は関係なく本日もエライ人出です。難波に出てお好み焼きを食うつもりでしたが、人の海を渡りきる自信がないので、反転して北を目指し、船場のうどん屋に入りました。ここは昔カッターシャツを買っていた店の跡です。スーツを買っていた向かいの服屋も既に無くなっていました。やれやれ感もあったのか、写真を撮るのは忘れました。
山行きや街道歩きとは異なり、いつでも止められる浪速徘徊、豪雨や台風の日にはお奨めです。
本日は「こぬか雨」ならぬ時々「大雨」の御堂筋から、いつぞや流行った歌の如く「南へ歩」きます。淀屋橋の向こうに大阪市役所、橋下市長の誕生以来、魔物退治が急速に進んでいますが、まだまだ伏魔殿。
ちょっと行くと「御堂筋50年の碑」、銀杏はまだまだ蒼いままです。
西に御霊神社、紅葉が綺麗だったので参拝しました。折角の七五三なのに本日は誰もいません。巫女さんも手持ちぶさたな感じでした。
備後町で東に折れ、後はギザギザと南東を目指します。この通りのみプラタナスが並木になっており、綺麗に紅葉しています。
東横堀川の本町橋を渡ります。「碁盤の目」というと京都の町並がよく知られますが、大阪もなかなかです。
谷町筋まで出て、そのまま南下します。着いたところは空堀の商店街。東から入ったところにたこ焼き屋があります。先ずはここでたこ焼きとビール。たこ焼きはちょっとべたついていましたが、安いから黙って食おう。たこ焼きが出てからビールが出るまで5分かかるという超良心的な(笑)店でした。もおけようという気が無い?
ここでトイレを借りたら、「はい」といってカギを渡されました。外に出てしばらく歩いたところにあるビルのトイレのカギです。なかなか珍しい趣向なので特に記します。
もう既に食べているところがイヤシイ。
この空堀はかの釣鐘山慈光会の教祖であった空覚さんも住んでおられたことがあり、そのころの建物かなというのも多く残っていますが、具体的にここ!ということは分かりません。
道標でもないし、何か分からぬ石標がありました。また師匠にじっくりと観察してもらいます。
空堀を出て、北に戻ると末吉橋、この欄干だけで橋名が分かる人は相当のプロ(何の?)ですね。
住友家の撞球場は銅の製錬所の跡地、そのまま西に向かい心斎橋に出ました。ここは天候は関係なく本日もエライ人出です。難波に出てお好み焼きを食うつもりでしたが、人の海を渡りきる自信がないので、反転して北を目指し、船場のうどん屋に入りました。ここは昔カッターシャツを買っていた店の跡です。スーツを買っていた向かいの服屋も既に無くなっていました。やれやれ感もあったのか、写真を撮るのは忘れました。
山行きや街道歩きとは異なり、いつでも止められる浪速徘徊、豪雨や台風の日にはお奨めです。
ねぎ焼きもおいしいですね。既に行かれたように承っていますが、北大路堀川上がるの「喜代」がよく知られていますね。今の季節に歩くのは狂気の世界ですが、「嵐山のむら」ももういっておられますね。いっちょ大阪でねぎ焼きのウマイ店を開拓しておきますね。
中之島線、考えてみたら(考えなくても)、終点の中之島以外は全部「~橋」ですね。しかも「~ばし」。
gunkanatagoさんは本当にたこ焼きとお好み焼がお好きなんですね。私も大好きです^^特にねぎ焼が好きです。
物語や歌の歌詞に憧れて見にいく所はけっこうあります。大都会の御堂筋や銀座もそうでした。新地や歌舞伎町は行きたくてもよう行きませんけれど。
御堂筋線と谷町線の本町界隈は長年仕事で月一程度通いましたが橋には縁がなく、最近になってようやく水辺に行くように心がけています。京阪中之島線の○○橋駅○○橋駅と橋駅がいくつあるのかそのたんびに降りたことあります。ほんと面白かったです(笑)
考えてみれば、小生は空堀の平日の宵を知りません。いつもはどんななのか機会があればウロウロしてみたいと思います。
雨の空堀、本当にしっとりとします。昔は外れにてかけさんなどを住まわしている人も多かったようです。まだまだ知るべきところが多い地だと思います。
鍵を渡されてのトイレ、これは阿倍野にもありました。友人達と集まった寿司屋で、何軒かの店の客が利用するスタイルで、店で鍵を渡されて利用しました。一つの智慧と言えるでしょう。
空堀には6人ほどしか入れない屋台の寿司屋がありまして、ここは完全予約制で、1月先だったか3月先だったかでないと予約がとれませんでした。玩具や人形の店で有名な松屋町(まっちゃまち)を通り、堺筋本町近くから仕事をそうそうに切り上げてワクワク気分で歩いて行ったことを思い出します。あ、立ち呑み屋も一軒ありましたね。
玩具店は松屋町筋にたくさん並んでいます。人形もさることながら花火を扱う店も多かったのですが、なんとなく減っている感じがします。いつも思うのですが、ここらの人形店に客が入っているのを一度も見たことがありません。
空堀のトイレはビルの中にあります。店からトイレまで30メートルぐらいです。そのトイレに鍵がかけてあって関係者しか使えぬようになっていました。最初に鍵を渡された時には何のこっちゃ分かりませんでした。
白い建物は住友家の撞球場です。うどん屋の写真はありません。
本町界隈はビジネス街だけあって、街並みもかなり整然と整備されたのでしょうか。それとも、昔からこんな様相だったのか・・・。谷町へは滅多に行きませんでしたが、玩具の問屋が多いとの記憶があります。鍵付きのトイレがあるのですか。たこ焼きはイマイチの感とか・・・。
末吉橋とやらの末広がりみたいな欄干は、やはりその言葉を表現したものですか。何処かの寺から持って来たのか、と思いました。船場と言えばF氏の縄張りと聞いておりますが、最近はかなり様変わりしているのでしょうか。この白い建物は、うどん屋には見えませんが・・・。
ただ、豪雨や台風の日に徘徊されるgunkanatagoはさすがにプロです。