今日は久しぶりにカラッと晴れました。
雨の休日に読んでいた本の紹介です。
講談社現代新書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著
著者の内山節氏は、1970年代から東京と群馬県上野村を行き来する生活をしている哲学者。渓流釣りが好きで「山里の釣りから」という著書もあります。
昔はキツネにだまされたという話は、珍しい話ではなかった。しかし、ある時を境にして日本人はキツネにだまされなくなった。それはナゼか?
という疑問から、この本は始まります。
日本人がキツネにだまされなくなったのは1965年から。この時代に何があったのか?
著者の問いかけについては、様々な答えが返ってきます。
それらと上野村での生活から得られた話が絡み合い、キツネにだまされるという事象を通じて、後半は歴史哲学の話に入っていきます。
後半の歴史哲学の部分は私にはちょっと難しくて、さらっと読んだだけでは頭に入って来ませんでしたが、なんとなく分かるくらいでも面白いです (^^;)
昔に比べ“進んでいる”現代社会で、私たち日本人はどうして「キツネにだまされる“能力”」を失ってしまったのか?
様々なことを考えさせられる内容です。お薦めの一冊。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか/講談社
哲学者・内山節オフィシャルサイト
ところで、私が生まれたのは1963年。日本人がそろそろキツネにだまされなくなってきた頃です。
残念ながら、私はキツネにだまされたことはないのですが、亡くなった祖父からは妖怪に遭遇した話を聞いたことがあります。
祖父は新潟県長岡市の郊外で暮らしていました。現在では住宅も増えてきましたが、祖父が若かった頃は、周りは田畑や森で夜は真っ暗でした。
雨がしとしとと降るある夜のこと。
祖父はワラで作った蓑(みの)を着て、一人暗い夜道を歩いていいました。
すると、蓑にポッ、ポッと青白い火が点いているのが見えたそうです。「蓑火」と呼ばれる怪奇現象の一つです。
昔はキツネに限らず、妖怪もよく出没していたようですが、今では見ることができなくなりました。少し寂しい気もします。
蓑火 Wikipedia
雨の休日に読んでいた本の紹介です。
講談社現代新書「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」内山節著
著者の内山節氏は、1970年代から東京と群馬県上野村を行き来する生活をしている哲学者。渓流釣りが好きで「山里の釣りから」という著書もあります。
昔はキツネにだまされたという話は、珍しい話ではなかった。しかし、ある時を境にして日本人はキツネにだまされなくなった。それはナゼか?
という疑問から、この本は始まります。
日本人がキツネにだまされなくなったのは1965年から。この時代に何があったのか?
著者の問いかけについては、様々な答えが返ってきます。
それらと上野村での生活から得られた話が絡み合い、キツネにだまされるという事象を通じて、後半は歴史哲学の話に入っていきます。
後半の歴史哲学の部分は私にはちょっと難しくて、さらっと読んだだけでは頭に入って来ませんでしたが、なんとなく分かるくらいでも面白いです (^^;)
昔に比べ“進んでいる”現代社会で、私たち日本人はどうして「キツネにだまされる“能力”」を失ってしまったのか?
様々なことを考えさせられる内容です。お薦めの一冊。
日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか/講談社
哲学者・内山節オフィシャルサイト
ところで、私が生まれたのは1963年。日本人がそろそろキツネにだまされなくなってきた頃です。
残念ながら、私はキツネにだまされたことはないのですが、亡くなった祖父からは妖怪に遭遇した話を聞いたことがあります。
祖父は新潟県長岡市の郊外で暮らしていました。現在では住宅も増えてきましたが、祖父が若かった頃は、周りは田畑や森で夜は真っ暗でした。
雨がしとしとと降るある夜のこと。
祖父はワラで作った蓑(みの)を着て、一人暗い夜道を歩いていいました。
すると、蓑にポッ、ポッと青白い火が点いているのが見えたそうです。「蓑火」と呼ばれる怪奇現象の一つです。
昔はキツネに限らず、妖怪もよく出没していたようですが、今では見ることができなくなりました。少し寂しい気もします。
蓑火 Wikipedia