流山市は千葉県の北西部にある人口約15万3千人の市。
市の西境には江戸川が南北に流れています。
群馬県内の市町村とは特に姉妹都市関係もなく、群馬とは一見、なんのつながりもないように思えます。
しか~し、流山市と群馬県には意外な接点があったのです。
それは、群馬のシンボル赤城山。
流山市にも赤城山が存在していたのです!
流山市の赤城山は江戸川のすぐ横にあるこんもりとした小さな山。標高は15m。(ちなみに赤城山最高峰の黒檜山は標高1,828m)
写真の手前は江戸川河川敷
赤城山と言えば、赤城神社。赤城神社の末社は群馬県内に118社、県外に73社、合計191社(合併や廃社による減少分を含めると、334社)にのぼりますが、なんと、流山市の赤城山にも赤城神社が鎮座されております!
群馬県外でベイシアやヤマダ電機を見かけると、なんとなく嬉しくなってしまいますが、千葉県で赤城神社を目の前にすると、その何百倍も嬉しいですねぇ (^^)
立派なしめ縄
流山市の赤城山は、昔々、大洪水で赤城山の崩れた土塊が流れ着いたものという話が伝わっています。山が流れ着いたことから、流山という地名になったということです。
また、一説には、ここに赤城山のお札が流れ着いたとも言われています。
実際に山が流れてくるなんてことがあり得るのでしょうか?
赤城山周辺には、実際に赤城山がつくった「流れ山地形」が残っています。
渋川市や前橋市、伊勢崎市などに点在する孤立丘群がそうです。
橘山、箱田山、十二山などは約20万年前に赤城山が大噴火を起こし、山頂部が吹き飛んだときに発生した岩屑雪崩が赤城の斜面を利根川まで流れ下り堆積してできた山(流れ山)です。
さすがに、赤城山から直線距離で約100㎞も離れた流山市まで、岩屑雪崩が到達したとは考えられませんが、大きな岩の一つくらいは洪水でここまで転がってくる可能性も否定できないと思います。(てか、思いたい・・・)
さらに、流山のこの地まで転がってきた岩を、なぜ、ここの人たちは赤城山からのものだと考えたのでしょうか?
昔、この地に住んでいた人たちは赤城山と何か深いつながりのある人たちだったのではないでしょうか。
わくわくする歴史ミステリーです (^^)
赤城神社 Wikipedia
赤城神社 (流山市) Wikipedia
赤城神社 大しめ縄行事 流山市
赤城神社 前橋まるごとガイド
ウェブ紙芝居【赤城山の成り立ち】 群馬大学教育学部早川由紀夫研究室
市の西境には江戸川が南北に流れています。
群馬県内の市町村とは特に姉妹都市関係もなく、群馬とは一見、なんのつながりもないように思えます。
しか~し、流山市と群馬県には意外な接点があったのです。
それは、群馬のシンボル赤城山。
流山市にも赤城山が存在していたのです!
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写真の手前は江戸川河川敷
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流山市の赤城山は、昔々、大洪水で赤城山の崩れた土塊が流れ着いたものという話が伝わっています。山が流れ着いたことから、流山という地名になったということです。
また、一説には、ここに赤城山のお札が流れ着いたとも言われています。
実際に山が流れてくるなんてことがあり得るのでしょうか?
赤城山周辺には、実際に赤城山がつくった「流れ山地形」が残っています。
渋川市や前橋市、伊勢崎市などに点在する孤立丘群がそうです。
橘山、箱田山、十二山などは約20万年前に赤城山が大噴火を起こし、山頂部が吹き飛んだときに発生した岩屑雪崩が赤城の斜面を利根川まで流れ下り堆積してできた山(流れ山)です。
さすがに、赤城山から直線距離で約100㎞も離れた流山市まで、岩屑雪崩が到達したとは考えられませんが、大きな岩の一つくらいは洪水でここまで転がってくる可能性も否定できないと思います。(てか、思いたい・・・)
さらに、流山のこの地まで転がってきた岩を、なぜ、ここの人たちは赤城山からのものだと考えたのでしょうか?
昔、この地に住んでいた人たちは赤城山と何か深いつながりのある人たちだったのではないでしょうか。
わくわくする歴史ミステリーです (^^)
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ウェブ紙芝居【赤城山の成り立ち】 群馬大学教育学部早川由紀夫研究室
…というより、赤城神社が100単位であったことすら、知りませんでした☆
まだまだ知らないことが多すぎる…(^^;
千葉県の赤城山はこじんまり。
群馬の雄大な赤城山とは全然違います…が、群馬県民は嬉しいですよね(^^)
(詳しくはすずきさんちの群馬弁講座を)
その後も福島、新潟、神楽坂と取材を。
赤城の神様は本当に偉大なんですよね。
県内はともかく、県外にそんなにあるなんて
本当にビックリです。↑え?宮城まであるの??
偉大で、とっても綺麗な赤城山・・
群馬の誇りです。
こないだまでぐんま県民だった千葉県民として興味深く読ませて頂きました。
「流山」の由来が赤城山とは意外です。
きっと、他にもぐんま所縁の地名などが各地に多く存在するのでしょうね。
でもこんなに可愛い赤城山が流山に存在していたとは知りませんでした。
他にも赤城神社が沢山あるようで、訪ね歩くことができたら楽しいでしょうね~。
この江戸川は利根川が東京湾に注いでいた時の利根川なのですね。(江戸川と聞いてすぐには上流が利根川とは出てきませんでした...)
標高15mということはその一帯の標高10m近辺のようですから標高差数m程度ですね。
江戸川がほんの少し角度を持って曲がっている所に流山市があるので、大きな洪水の跡には土砂が積もって低い丘のようになる場所もあったのかも知れないと想像は膨らみます。神社の場所のほうは赤城神社の神札が流れ着いた言い伝えに1票かな。
PS
深山 茜、新しいハンドルかと思いました。(嘘です)
流山市の赤城山って古墳じゃないのね?
赤城山の一部が流れ着いた、流山の赤城山。
どうして、そんな伝説ができたのか、興味津々です(^^)
赤城神社の歴史を勉強するのも面白いですね。
色々と興味深いことがありますよね(^^)
まさか、赤城山まであるとは私も驚きました。
(通称ですけど)
群馬県民には、ちょっと嬉しいですよね(^^)
でも、流山市と群馬の市町村との姉妹都市は一つもないんです(^^;)
なんでだろう?
それぞれを訪ね歩く旅は、面白そうですよね。
それぞれ、由来も調べたら、面白い話がたくさん見つかりそう(^^)
赤城山の岩がここに流れ着く可能性も・・・(^^;)
それにしても、赤城山から遠く離れたこの場所に
赤城神社が鎮座し、赤城山と深く関係する伝説が残されていることが面白いです。
この伝説を知った時は、ホント、びっくりでした(^^)
小さな赤城山は、古墳ではないようです。
やっぱり、赤城山の一部が流れて来たんですよ。