まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

ようやくに もみじ染めにし 山の寺

2015年10月31日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は大陸からの高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度から18度、湿度は68%から50%。風は2mから4mの木の風が少しばかり。それでも風が吹くと肌寒さを覚えるようになった。明日の11月1日は、高気圧に覆われて概ね晴れるらしいが、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がり、夜遅くには雨の降る所がある見込みらしい。

 

 朝の8時半のフェリー「しわく丸」に乗って島を出た。丸亀港には9時10分に到着。約1時間半ほど走ってさぬき市に戻ると11時前。

 

 ついでだからと、みろく自然公園内で行われている「みろく菊花展」をのぞいてみた。ここには通称「みろく池」という池がある。本当は「奥池」というのだが、この池の改修工事中に「石仏」が出た。このことから、このあたりの地名を「いしぼとけ」といい、その石仏から「みろく池」というようになったというらしい・・・。で、このあたりの公園を「みろく自然公園」と呼び習わしている。

 

 この真ん中の判然としない石仏が「弥勒菩薩」らしい・・・と言い伝えられている。

 

 ご覧のように、「弥勒」とは書かずに、全て「みろく」と書いてある。で、これが菊花展の会場である。

 

 厚物は三本仕立てで、一本の茎から三本の茎を伸ばし、奥の一本を背を高くして、前の二本を同じ高さに育てるという基本形だが、なかなかに、そうは言っても揃わない。で、前に置く菊は背が低く、奥に行くほど背が高く仕上げてある。中にはブロックなんぞを置いて調整してあるものもたまにあるのだけれど。

 

 で、花もだけれど、この葉っぱのツヤとか色合いとかを褒めると喜ばれるのである。

 

 こちらは「管物(くだもの)」である。これも全体のバランスを見る。自然のものだから、簡単には背丈の調整が難しい。

 

 で、そのまま走って、さぬき市の奥の奥にある、四国霊場88番札所の大窪寺にやってきた。この黄色くなっているのが境内にあるイチョウの木である。イチョウなんだが、ここにギンナンが落ちているのは見たことがない。手前の赤色は紅葉したモミジ。

 

 もう一部の先端部は真っ赤になっているが、全体的には紅葉はまだまだ・・・。

 

 先っぽだけが色づいて、少し黄色みがかったりしているが、バックのように緑色が7割から8割ほどに。

 

 境内に進むと、イチョウの下の方はきれいに色づいている。お遍路さん達が「わぁ、きれい・・」とか、「わぁ、すごい・・」と歓声を上げているが、もう、少しばかりだろうかね。

 

 あ、こうしてみるときれいになった。

 

 このお遍路さん、「結願(けちがん)証」を手にしてじっと感慨深そう・・・。何度も見直したり、スマホで何枚も撮影したり・・・。

 

 こういうものらしい・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「秋の紅葉は美しいけれど 光があるから目に映える」というもの。雨の日や曇った日に、大窪寺の紅葉を見ても少しも美しくは見えない。同じものなのに、晴れていれば美しいと感じ、曇っていれば少しも美しいとは感じられない。まさに光があるからこそ、目に映えるのである。真っ暗な闇夜に紅葉を見ても、紅葉は見えない。真っ白な濃霧の中や朝霧に立ちこめるあさぼらけの中でも紅葉は見られない。そこに闇夜を切り裂くような光が 差し込んできたとき、ものごとの姿が現れて輝き、秋の紅葉が浮かび上がる。それこそが真実であり、それこそがまことである。私たちの生きるという誠は美し いけれど、さらに、それを照らし出す「光」があるからこそ、輝いて見えるいのちなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


つわぶきは 自分の時間を 生きている

2015年10月30日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 丸亀市地方は気圧の谷や寒気の影響で雲が広がっていた。気温は13度から20度、湿度は70%から56%、風は1mから3mの西北西の風が少しばかり。明日の31日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 台所の流しの下をごそごそやっていたら出てきた、このウィスキー・・。物珍しくて、おいしくて・・・朝になって気が付けば半分ほどになっていた。だから・・・眠たくて、頭が重くて、胃がむかむかして・・・。目が覚めたのは7時半だった。

 

 眠気覚ましに島を散歩してみた。このしわく広島は「採石の島」。「青木石」という花崗岩を産出する。石材以外の産業はない。農家が数件。稲作農家は三軒になった。島の広報誌を見ると、この広島だけで、275人の180世帯。20年前の平成7年に私が移住したときは642人。この2人が私と奥方のけいこばぁだった。20年で半分以下の43%になっている。

 

 柿は実っても、それを採る人は居ない。

 

 空き家は屋根が崩れ、草に呑み込まれてしまった。大きくて立派なおうちが、こうして草や竹藪に呑み込まれてしまっている。

 

 30分ほどの散歩から戻って来たわが家。ここもいつまであるかわからない。この、茶色い葉っぱの木がケヤキの木。小指ほどの太さの木を山の家から移植したのが、こんなに大きくなった。この木も、屋根の高さまでに切ってしまいたいのだが、今日は手足が痛くてどうにもならない。

 

 さて、私が島に帰っているのに気が付いて、こんなお手紙を持って来てくれた。

 

 こんな絵本と一緒にである。

 

 この絵本には、「坊主屋敷」と「宮島さん」という二つのお話が掲載されていて、美大生が絵を描いている。

 

 そして、もう一冊。この島歩きマップである。このしわく広島は「瀬戸芸」には参加していないが、毎年、「ホット・サンダル」というプロジェクトが動いており、各地の美大生が夏休みにやってきて、それぞれの島に泊まり込んで作品を作り上げている。この冊子は、それとは関係ないが、これら三つの島の島歩きのための地図である。

 

 中身はこのようなもの。広島の7つの集落と、手島、小手島の島歩きの案内用の地図である。これがあれば、島歩きは完璧だ。

 

 このマップを参考にして島を回ってみた。ここは島の東部にある「立石」という集落。

 

 このお姉さんに野菜をいただいたりするが、今日はみかんをいただいた。

 

 島のどことも草と竹と柿の実が印象的だった。

 

 島の家には掲示板のデータは持って来ていないので、まだ、少しばかり早いのだが、これ。「形見とて何か残さん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」という良寛さんの言葉から。「私の形見に何か残しましょう。春は桜が満開になったらそれは私です。夏にほととぎすが渡ってきて鳴いたらそれが私です。秋になってもみじが美しく色づいたらそこに私の心があります。みなさん、それらを私の形見にいたしましょう。 」ということだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


すっかりと 秋一色に 塗った空

2015年10月29日 | 今日はすっかりと俳句の世界

 香川県地方は寒気や気圧の谷の影響で雲の広がっている所があったが、高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は11度から21度、湿度は72%から46%、風は1mから3mの西南西の風が一時は強かった。明日の30日は、気圧の谷や寒気の影響で雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 朝ドラが終わるとすぐに家を出て、丸亀港には10時過ぎに到着。食材や缶ビールなんぞを仕入れて11時10分の高速艇「ニュービサン」に乗る。降りる乗客は十数名で乗る乗客は6名。

 

 これが高速艇のニュービサン。ニュービサンは19総トン、航海速力20トン、旅客定員は74名。丸亀港としわく広島の江の浦港とを海上20分で結んでいる。

 

 定刻どおりに丸亀港を出港してしわく広島に向かう・・・。

 

 この日は西風が強かったのだが、船は東へ東へと進んで、塩飽本島方向に進んで行く・・・。右の島が牛島、左側は本島(ほんじま)。あれれのれ・・・。

 

 すると急に転舵(てんだ)・・。そうか、この船を交わすために牛島方向に進んで、この船の船尾を抜けて広島に向かうのか・・。それにしても、なんだ、この船は・・。「広島丸」とは何なんだ・・・。

 

 国立広島商船高等専門学校 練習船広島丸・・・。そんな海員学校があったのか・・・。 練習船広島丸は、商船学科学生の航海実習・実験実習や学術研究(教員・企業・大学などの研究機関との共同研究)に使われているらしい・また、地元の人たち との交流及び海や船に関心を持ってもらうために、この船を活用した公開講座や瀬戸内海各地での海上教室・体験航海・一般航海を行っているとのこと。

 

 この船と並走したのち、ニュービサンは江の浦港に入港した。

 

 これが、その、練習船広島丸である。

 

 で、挨拶代わりに島一周のドライブに出た。これはお隣の島の「佐柳(さなぎ)島」である。今月上旬にお邪魔したしたところ。

 

 で、茂浦という集落にできたという「ひるねこ」という宿泊所をのぞいてみた。空き家になっていた民家を修理してオープンさせたところらしい。

http://nozomikobayashi.com/archives/38126403.html

https://www.facebook.com/%E3%81%B2%E3%82%8B%E3%81%AD%E3%81%93-786366944803509/

 

 一方、こちらは、甲路(こうろ)という地区にできたという、「ココカラ・ハウス」。地域の家とか、塩飽広島秘密基地とか、よくわからない団体さんの基地らしい。

https://www.facebook.com/cocokarahouse/photos

 

 夕方からは庭木の剪定作業。ケヤキの木が大きくなりすぎたので枝を切り詰めようと思ったのだが、ケヤキというのは樹木の密度が高くて硬くて硬くて・・・。すぐに腕や足が痛くなって、このくらいの剪定で一次はおしまい。大きなノコが必要だし、靴底の硬いものでないと足が痛い。

 

 これが、今回、運んできた帆船模型。ここの自治会長さんのお孫さん(小学生)が作った、紙の咸臨丸を、島の文化祭に出す・・というので、うちの孫が小学生のときに作った・・・という、ダンボール製の咸臨丸も並べたい・・・ということで運んできたもの。一応、「中黒長旗」も付いている。

 

 今日の掲示板は意味もなくこれ。「金をつかむ者は人を見ず 鹿をおう者は山を見ず」という中国の古い言葉から。大金をつかもうと一生懸命になっている日とは、そばに人が居るのに少しも目には入らない。それと同じように鹿を追いかけている漁師はあたりの山がどうであるかを見ている余裕がない。欲に目がくらんでしまうと、たちまちにして洞察力が失われるという教えである。とかく自分のことに打ち込むとき、周囲のことを忘れるものである。常に全体の姿を見ることが大切である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あくびする 口の中まで 秋日さす

2015年10月28日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は瀬戸内側では寒気の影響で雲の広がっている所があったが、太平洋側では高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から22度、湿度は72%から48%、風は3mから5mの西北西の風がやや強くなった。明日の29日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 で、これまた恒例になった香川県立図書館への出勤(?)である。あれだけうるさかった蝉の声がまるで夢であったかのようなアキニレの林。あっという間に紅葉が進み、落ち葉が舞うようになってきた。気が付けば10月も今週でおしまいになる。

 

 昨年は山頭火の句碑を探して歩いたし、病気遍路や職業遍路についての研究もやったけれど、今年はそんな研究には手が届かなかった。

 

 今年は何を調べようか・・・というばかりで、ちっとも目標が定まらなかった。というか、今までの研究の成果発表みたいなことで、「向山周慶」とか「英国士官レキ」とかの講演会があったし、この秋には、「軒原庄蔵」のガイド役が予定されている。

 

 これが先日に送られてきたパンフレットである。ここの③にある「さぬき市の偉人めぐり」である。

 

 これの資料は既に出来上がっている。

 

 で、少しばかりお手伝いをしている、この「納め札」を私なりに整理してみようか・・・とは考えている。「おへんろつかさの会」では、どのようにまとめようとしているのかは聞いていないが、当面は来年のあたま当たりに展示会を行う予定らしい。本や論文にまとめるのは更に先になるらしい。

 

 それまでに、納め札についての研究をすればいいかなぁと考えているところ。それと、「真宗門徒とお遍路に関する社会仏教学的考察」も、そろそろまとめたいものだと・・・。

 

 すっかりと失念していたのだが、このイベントの告知を、ホームページでやっていないことに気がついた。この「彫像会」のスケジュールだけは告知してあったが、内容についての案内を忘れていたのだった。

 

 原形は左端のゴツゴツしたもの。それを数時間ほどで、右端のような「わらべ地蔵」に仕上げるというもの。講師は、京都の仏師の「冨田睦海」師で、他にお弟子さんが二・三名おいでになって指導してくれるというもの。

 

 この方が仏師の「冨田睦海」師で、1978年生まれ。高校卒業後、家業である仏像彫刻に従事するため父親に師事。その後、兄と共に独立し、数々の寺院彫刻や仏像修復、皇室位牌修復などを手がけ、 2010年、その彫刻技術を生かしたシルバージュエリーブランド「睦海」を立ち上げた。現在、若手職人が育つ環境が成り立っていないという現状。海外製造など、流通の変化などにより衰退傾向にある工芸会を目指すこれからの人たちに伝えたい。手に技術を付けた時、やる気さえあればそこからの能性は無限大だよと。

 

 昨年に私の彫ったものはこんなだった。

 

 この船の模型や資料を一足先に島へ運ぶために、明日から二泊三日の予定で行ってくる予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「どんな難局にあっても「どうにかなる」という楽観性と。「自分でどうにかする」という強い決意があれば、そこを切り抜けていくことができる」という塩月弥栄子さんの言葉から。生きているとさまざまな難局に出会うものである。その難局との出会いでどのような行動をするかで人間性が表れたりするもの。多くの難局との出会いが人間性を高め、難局に対して的確に処する術が身についていくのではないだろうか。そういう意味においては、難局は歓迎すべきものであると捉えることもできるだろう。難局に対しては楽観性と強い決意を持って臨むことが肝要ではないだろうか。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


柿がある 歩き疲れた 遍路道

2015年10月27日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は寒冷前線の接近や湿った空気の影響で雲が広がり、夜は雨や雷雨となる見込みなのだとか。気温は8度から26度、湿度は70%から52%、風は1mから3mの北北西の風が少しばかり。明日の28日は、寒冷前線の影響により未明まで雨や雷雨となるらしい。その後は、高気圧に覆われてくるため、次第に晴れてくる見込みなのだとか。

 

 火曜日はさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」にご出勤。今日も勤務表にサインをしておいた。季候がいいからか、歩き遍路の方が二名・三名と休んでは「花折峠」への道を上っていく。

 

 昨夜・・というか、今朝方は、事故に遭って側溝に落ち込んでいるのに、「右側駐車」だと反則切符を切られる夢を見た。「事故に遭っているのに駐車違反なんておかしいやろ・・」と抗議したが、「はいはい。振り込みで結構ですから心配なさらないように・・」という婦警さんに呆れていた・・・という夢だった。おかげで少しばかり寝不足気味・・・。

 

 ということで、今日も「納め札」のデータ整理と入力作業。もう、作業は大詰めになったらしく、ご婦人の作業にも余裕が出ている。しかしのかかし、私の仕事は「解読」に時間が掛かってあんまり進まない。「もちぃと、きれいな字を書いてくれやぁぁ・・」という溜息吐息。

 

 こういう字ならば読みやすいのだが、明治42年頃の女性は字の書けない人がいたのだろうか、まるで字になっていないものが幾つかあった。そんなこんなで、今日は75件ほどしか入力できなかった。地名や人名は読みにくいものが多い。

 

 この人は、「愛媛県北宇和郡日吉村」を「北宇知郡」と書いてある。こんなものはザラにある。

 

 こういう色刷りの納め札を使うようになったのは戦後のことだろうか。ほとんどが半紙を切って自作したものばかりである。たまに木版による「版刷り」や「印刷」を見かけるし、ほんのたまに、赤字印刷の納め札も見るが、全面赤というものには、まだ、お目にかかったことがない。

 

 いつものように、11時半で作業はおしまいにして荷物を片付けて、45分からは反省会というかお茶会。今後の予定やお遍路に関する情報交換。この日曜日、11月1日は、86番志度寺さんで、「おへんろつかさ養成講座・志度寺実地研修」があるので、そのサポート体制の確認など。

 

 「アカン・・」と思いつつ、情報交換も大事だからと、飲めないコーヒーをいただいて、あまり好みではないお菓子やケーキをいただくと、もう、お昼ご飯は入らない・・・。

 

 そのまま走って、高松市香南町にある「高松市香南歴史民俗郷土館」に行ってきた。ご案内の通りの「日本刀と刀装具展」を見るためである。

 

 ここは、その昔に「由佐城」というお城があったらしいが、このような立派なお城ではなくて、単なる土塁を巡らせた「お館」だったようである。この建物の中には「農具」や「民具」などが収納されている。

 

 ということで、本館の二階では、こうした日本刀展が開かれていて、18振の日本刀や脇差しが展示されていた。

 

 でも、銘とか寸法だとか制作年月日なんぞの記録だけでは、何が何だかわからない。「ふぅぅん・・・」と眺めて見て通っておしまい。何の感激も感動も思い浮かばない。

 

 全体に江戸時代初期のものが多いが、鎌倉時代とか南北朝時代のものとかも並んでいたし、現代の作とか昭和の作も並んでいたが、どこがどう違うのかはわからない。でも、こうした日本刀を収集したり、抜刀術とか居合い術とかをたしなむ人がいるらしい。この日曜日には抜刀術とか火縄銃の実演も行われるのだとか・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「今から一年も経てば、私の現在のなやみなど、およそくだらないものに見えることだろう」というサミュエル・ジョンソンさんの言葉から。1年前に悩んでいたことって何だろう・・・と、自分自身を振り返って考えてみたが、何があったか、何に悩んでいたのか思い出せない。10年日記を開いても、そんな悩みのことなんぞは書いてない。今回の言葉を読んでみて、「ああ、なるほどなぁ」と感心した。本当にくだらないものだったのであろう。悩みとはそのときの状況によって変わり、他人からすればどうでも良いような悩みもあれば、深刻で大きな悩みもある。一人ではどうすることもできず相談できないとか、悩み過ぎて食事も摂れない、夜に眠れないといったようなことは誰もが一度は経験してきたはずだ。でも、1年もすれば、そんなことなぞ、すっかりと忘れているから大丈夫なんだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


山寺の 上に陽の来て 秋もみじ

2015年10月26日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は8度から18度、朝夕はめっきりと冷え込むようになった。湿度は76%から58%、風は1mから2mの南南西の風が少しばかり。明日の27日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるらしいが、気圧の谷の接近で次第に雲が広がり、夜遅くには寒冷前線の通過により雨が降る見込みなのだとか。

 

 これは江戸時代の元禄年間の大窪寺の絵図で、高野山のエリート学僧寂本が執筆した霊場誌の中にあるものである。ここも何度か火災に遭っており、現在の建物などは明治期のものだと言われるが、全く、そのイメージはない。

 

 ということで、今日も大窪寺の紅葉を見るためにお山にやってきた。月曜日はどうにも退屈で行く場所に困る。図書館や資料館や博物館がお休みになるので、気分的に窮屈になってしまう。

 

 一昨日についでの今日だから、そんなに一気に紅葉が進むわけではないし、それほどの変化があるわけでもないのだけれど。

 

 こうして見れば、お山はすっかりと紅葉が進んでいるかのようにも見えるけれど、実際にはこれはホンの一部でしかない。多くは右上のように緑の葉っぱがそのまんま・・・。

 

 今日は月曜日の平日とあって、お遍路さんの姿は案外と少ない。一般のお参りの方や紅葉目当てのカメラマンがうろうろとするばかり。いや、普通のマイカーを使ってのお遍路さんは金剛杖や白衣を着用しないことが多い。バスツアーのお遍路さんは制服のように白衣姿で菅笠から金剛杖をきちんと持って、お勤めもフル勤行となる。ま、お先達さんがそうするように指導するのだけれど。ところが個人でお参りする人は白衣も着なければお経も読まない。で、納経帳だけには御朱印を頂いて、そそくさと札所を後にする。

 

 境内のイチョウさんもまだまだ黄色くならない。この銀杏の木、私たちは、樹齢650年と習ったのだけれど、ある人は700年だといい、先日には800年だという人があった。そうかと思えば、「イチョウがそんなに長生きするはずがない。400年でも長生きの方だ」という人まであった。どなたか、ご存じの方があれば教えていただきたい物である。

 

 これは大窪寺の旧山門、今の二天門であるが、文字が右から左に書いてあるので戦前のものだと思われる。外灯がモダンであるからそんなに古い写真ではなさそうだ。

 

 これは、先日の研修で見せていただいた「三国伝来の錫杖」である。案外と細いものであるが、この写真も同時代のもので、同じ「セット」になっていたものと思われる。

 

 この納経帳は文政8年(1825)の『神社仏閣順拝帳』で、四国88番 医王山 遍照光院 大窪寺のもの。この頃は、讃岐国寒川郡奥山村と言っていたらしい。(現香川県さぬき市多和兼割)である。

 

 なんだかんだと言いながら、それでも、10月は今週でおしまい。来週からは11月になる。ここのところの朝夕の冷え込みで、紅葉は一気に進むかも知れない。

 

 で、来年度用の「島四国調査」の資料作成をやっていた。今年は小豆島の島四国を有志がやっているが、それが終われば、瀬戸内海の海域にある島々での「お大師参り」の調査に入るのだとか。で、島々の「おせったい」とか「お大師まいり」と言われるものをまとめてみた。これを、明日の会合で皆さんに紹介することにしている。

 

 鬼が笑うかも知れないのだが、過去を見て、明日を見据えて、今日を成すのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「何もかもは出来なくても 何かひとつは きっと出来る。」という岡本肇さんの言葉から。普段まったく運動していない人が、「マラソンに興味があってやってみたいけど、とても出来そうにない」と言う人がいた。そりゃ、いきなりフルマラソンとかは無理だろう。でも何もしなければいつまでたっても出来ないままで終わってしまう。30分のウォーキングから初めて、時間や距離を伸ばしていく。つぎは歩いたり走ったりを繰り返してみる。慣れてきたらゆっくりとジョギングをしてみる。さらに時間や距離を伸ばしていく。こうやって段階を踏むことで、誰でも(運動が大の苦手の私でさえ)走れるようになれるもの。まず、今すぐにできる何か小さなことを見つけることが大事。夢や目標に近づくために、今日できるほんの小さなことから始めよう。それをコツコツと積み重ねていきたいもの。毎日やることはたくさんあるだろうが、ほんの小さなひとつのことなら出来るはず。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


いわし雲 魚嫌いの 峰がある

2015年10月25日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から22度、湿度は72%から44%、風は2mから5mの北北西の風が少しばかり。明日の26日は、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は秋晴れのいい天気になったが、少しばかり休養と言うことでわが家でのんびりとしていた。ところが、貧乏性というのか、少しもじっとしていられない性分だからあれこれと手仕事を少しばかり・・・。

 

 県立図書館で借りてきたこの本を少しばかり読み込んでいたらば・・・。

 

 2005年のアンケート調査の結果であるが、四国遍路の宗派別の数字である。ここで「真宗」が二位を占めていることに着目した。

 

 これもその頃のものだが、同じような並びになっている。

 

 これは「西国33観音霊場」の巡拝者数だが、ここでは「真宗」がトップにいる。数字だけを眺めていると、そんなにも気にはならないのだが、こうしてグラフ化して並べてみると、意外な姿が見えてくる。

 

 これは、四国霊場会公認先達さんへのアンケート調査からのデータであるが、ここでも「真宗」の方がお先達さんになっていて、その数が二割にも達している。

 

 この方は「おへんろつかさの会」の専属大先達の櫻谷さんで、この方の指導で、先達を目指している人が何人かいるが、その中のお二人も真宗の方だそうだ。ま、ご趣味といえばご趣味かもしれないのだが・・・。ちなみに全国の宗派別の信者さんの数をしらべてみると・・・。

 

 やはり、同じような姿が見えてくる。ということは、四国のお遍路さんに見る真宗の門徒さんの数は全国の仏教者の姿をそのまんま投影しているということになりそうだ。

 

 そういうことで、こういう白衣も売っているのだが、こういう白衣や笈摺(おいずる)を着ているお遍路さんは見かけたことがない。「白衣」は袖のあるもの。「笈摺」は袖無しのもの。

 

 これは集印用の白衣で、

 

 こういう、納経用のお軸まで用意されているのは納得できる。ただ、納経帳は霊場会指定のようで真宗用は見かけたことがない。

 

 ということで、午後からは宿題となっていた、「古川阪次郎さんと山口嘉次郎さん」について資料を見つけ出してきて整理をした。11月7日の「歴史研究会」用の講演用資料も整理できた。島の文化祭「ふれ愛まつり」の準備もできたし・・・。あとは11月を待つばかり。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きていれば立ち止まることもある そんなときは進みすぎたと思えばいい」という植西聰さんの言葉から。植西聰(うえにし あきら、1947年-)は、東京都出身の日本の著述家、産業カウンセラー、心理カウンセラー。学習院大学卒業後、資生堂に就職。退職後、心理学・東洋思想・ニューソートなどに基づいた人生論の研究に従事する。1986年、研究成果を体系化した「成心学」理論を確立した。1995年、「産業カウンセラー」(労働大臣認定)を取得する。著書多数。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


線香の 煙振り分け 秋の風

2015年10月24日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14度から24度、湿度は75%から54%、風は1mから3mの北西の風が少しばかり。明日の25日は、寒気の影響で朝まで雲が広がるけれど、昼前からは概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は快晴の秋のさわやかな朝になった。ご案内の通り、今日はさぬき市観光協会による「おへんろつかさ養成講座」の第四回目、大窪寺実地研修の日である。スタッフは8時15分集合ということで、8時前には大窪寺前の駐車場に着いた。まずは駐車場案内係から。

 

 会場は大師堂であるが、入り口はこの「お砂踏み場」から。普段には入れない場所からである。

 

 お大師堂の地下はこういう風になっていて、ミニ四国霊場のお砂踏み場となっている。ここから階段を昇るとお大師堂に上がるようになっている。

 

 お大師堂の中である。この赤いカーペットの敷いてある部分の左側が一般の方がお参りする場所で、右側が内陣になっている。

 

 1コマ目は市原信夫先生による「四国遍路における『修験』」というテーマで講義があった。日本に伝えられた仏教は自然と同化し、核となって阿弥陀信仰となり、聖化して修験道から民間信仰と細分化されてきた。大窪寺もまた、山岳修験と結びつき、炎童坊らの伝説が残されている・・・みたいなお話だった。

 

 これが大窪寺の大師堂で、この中で、今回の研修が行われているという訳である。

 

 これが私たちの制服というかユニフォーム。

 

 2コマ目は、大窪寺住職の槇野恵純師。大窪寺の概要や縁起などについての講義があった。例年、行われてきた8月20日の柴灯大護摩(さいとう・おおごま)は、来年からは8月11日の「山の日」に変更されたことなどもお話されていた。

 

 11時半からの境内案内というか、実地研修は2班に分かれてのお勉強になった。リーダーは昨日と同じ前田先輩。お寺は、1に檀家さんのもの、2にお遍路さんのもの、3に私たち一般のもの。だから、境内では左側通行でお遍路さんの邪魔をしないこと・・・などを徹底的に説明される。来年からは、私たちがそれを教えることになる。

 

 境内のイチョウの葉っぱが少しずつ黄色くなってきている。この木の下で「落ち葉切り」の遊びも体験する。

 

 今日はお天気もいいし、土曜日と言うこともあってお遍路さんのお参りも多い。その隙間を縫っての研修になる。

 

 ここでは全員が揃って、観音様やお地蔵さんなどのお話をおもしろおかしくお話してくれる。「仏頂面」とはどういうことか、お地蔵さんのよだれかけの由来とかではみんなの笑いを誘う。ここで研修はおしまいになって解散する。

 

 大窪寺の紅葉は日増しに赤みを増してくる。でも、本格的な紅葉はまだまだ・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人生に確かなこなんてない。それだけが確かなことなんだ」という「ビューティフル・マインド」からのことばである。最近は日本国中、大雨が降ったり、土石流が起こったり、「竜巻が起こったり、東南海大地震が起きるとか・・・。日本全国どこで大災害が起こってもおかしくないんだと常に警戒されている。地震でなくても事件、事故の報道は毎日絶える事なく流されている。そんな事件、事故に巻き込まれた人は、その瞬間まで自分にそんな事が起こるとは考えもしなかっただろうに・・・。人生に確かなことはない。その確かな事実をしっかり踏まえて、慎重に・・・、臨機応変に・・・人生を歩まねば・・・と考えることである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


紅葉見て 手持ちぶさたの 昼下がり

2015年10月23日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14度から21度、湿度は88%から62%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の24日も引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 かねてからの宿題であった、咸臨丸乗り組み水夫の名簿も出来上がったし、11月上旬の「英国士官レキの墓講演会」のパワーポイント資料の修正も出来上がったし、古川阪次郎さんや山口嘉次郎さんの資料も出てきたし・・・ということで、今日は香川県立図書館に出向いて来た。

 

 ここで借りていた歎異抄の本、8冊を返却しておかねば・・・ということでやってきたのだが、

 

 いつものクセで、こういう讃岐の有名人の本を5冊ほど借りてしまった。歎異抄ばかりでも同じような内容ばかりで飽きてしまったこともあるし、気分転換の意味もあったりして・・・。

 

 で、お昼前にはここに着いた。四国霊場88番札所大窪寺の門前にある八十八庵(やそばあん)であるが、歯を傷めているもので、おうどんが食べられないのでは仕方がない。今日も昨日に引き続いてお昼ご飯はなし。

 

 大窪寺の境内は紅葉が始まったばかり。先端部分だけが紅葉している。本当に先っぽだけ・・・。

 

 今日は、全国女性校長会の全国大会の流れで、その先生方を大窪寺にご案内するというお役目を仰せつかっている。それが、午後2時からだという。それまでの3時間ほどを境内の散歩で過ごすことになった。

 

 それまでに、車椅子のご老人のお世話や、足の悪い方の介助やらで時間つぶし。ま、それもお勉強だと思えば苦にも成らない。

 

 で、バスが着いたのが14時20分過ぎ。全国から集まった女性校長さんやそのOGさん方が45名。3班に分けてのご案内になった。私はお年寄りの多い3班の担当になった。

 

 こうしてみると年代もさまざま・・という感じ。もう既に退職をなさってる方と思われる方もいるし、まだ、現役かなぁと思われる方もおいでになる。ま、そのあたりは詳しく聞かないことになっている。この後ろ姿の方が大先輩の前田さん。今回のリーダーである。

 

 所要時間は1時間。そのうちに、お買い物の時間を取って欲しいというので45分で境内やお寺の概要をお話するのだが、足の不自由な方もおいでになるし、俳句の好きな方もおいでになるし、納経をしたいという方もおいでになるし・・・。あっという間の45分間・・・。

 

 その足でお土産売り場に直行・・・。それとおトイレ・・・。

 

 ようやく紅葉を始めたもみじとイチョウが印象に残った様子。15時15分には、皆さん、バスに乗り込んで高松空港を目指してお帰りになって行った。

 

 続いて、明日は、「おへんろつかさ養成講座」の大窪寺実地研修。私たちのような「おへんろ文化ボランティアガイド」の養成講座の9期生の4回目の講座である。明日もここに出勤(?)する予定。

 

 今日の掲示板はこれ。「いつかできることは、すべて今日でもできる。」というモンテニューのことばから。ミシェル・エケム・ド・モンテーニュ(1533年2月28日~1592年9月13日)は、16世紀ルネサンス期のフランスを代表する哲学者でモラリスト、懐疑論者、人文主義者。主著『エセー(随想録)』は、フランスのみならず、各国に影響を与え、後のデカルトやパスカルにも多大な影響を与えた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


散る落ち葉 戻らぬ今日の いとおしさ

2015年10月22日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は13度から24度、湿度は98%から62%、風は1mから3mの北北西の風がすこしばかり・・・。明日の23日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 朝の間は、11月7~8日に行われる「しわく広島のふれ愛まつり」=文化祭に掲示する資料の作成。咸臨丸に乗り組んだしわく広島の11人の水夫の名簿である。

 

 相変わらずセンスはないが、一応、目的は果たしているように思う・・・。

 

 で、10時半からは隣町の歯医者さんへ。11時前においでてください・・・というので行ってきた。

 

 というのも、昨日の合唱コンクールのお昼休み、お弁当を食べていたのだが、最後のデザートの柿を食べた時なのだろうと思うのだが、柿と一緒に前歯まで食べてしまったらしい・・。下の前歯一本が折れてしまったらしいのだが、本人は全く気づいていないのだ。トイレに行って、洗面台で口をすすいでいて気が付いた・・・というお粗末さ。

 

 この23日の金曜日には、全国校長会女性部会の大窪寺研修のガイド役が決まっているし、24日の土曜日にはおへんろつかさ養成講座・大窪寺実地研修のサポート係にもなっている。前歯がなくても支障はないが、ちと、空気が漏れて話しにくい・・・ということで、掛かり付けの歯医者さんにお願いに行ってきた。おかげで、秀吉の一夜城・・・みたいに、とりあえずは前歯が補修できた。

 

 今日の予定は「空き瓶の回収日」、11時前からの歯医者さん、咸臨丸の資料作成、レキ墓研究のパワポ修正、古川阪次郎・山口嘉次郎資料探しなどを予定していたが、咸臨丸の資料作成まで。

 

 昨日のことだが、本島の和尚さんから、「本島の先生が『本島の歴史と民俗』という本を探して居るが在庫はあるか」という問合せに続いて、広島のみちこ先生から「丸亀の木下さんという人から、古川阪次郎さんと山口嘉次郎さんについての資料が欲しいと言うてるので手配して欲しい・・」という電話連絡が相次いで・・・。さらに、「九州の岡田さんという方が先祖捜しをしているので、『咸臨丸と塩飽諸島』という本をさがしているんだけれど・・」というお話も・・・。あららら・・・。盆と正月とお彼岸とお祭りがいっぺんに来たようなめまぐるしさ・・・。わて、ほんまによういわんわ・・・。

 

 ということで、古川さんと山口さんの件は来週の宿題にして、レキ墓講演会のリハーサルも来週に持ち越しにして、今日の午後はこちらのデータ整理・・・。エクセル・シートのデータを並べ替えて整理をしてみた。

 

 データ1500件中、香川県人の納め札は276枚、約20%である。あくまで住所が記載されていた物の中からである。大内郡・寒川郡・大川郡を含めて大川郡としてカウントしている。木田郡・三木郡・山田郡も木田郡としてカウントするなど少し乱暴な数字ではあるのだが。

 

 こういう納め札は、札所に納められた物は「お焚き上げ」ということで燃やされてしまって記録には残らない。そこで、農家や商店などの屋根裏に保管されていた「俵札」による他ないのである。今年末か来年頭あたりに、展示会を開いて公開するのだが、現在はその準備段階。

 

 これで気づくのは、都市部からのお遍路さんが少ないこと。女性のお遍路さんが多いこと。期待していた、娘遍路で有名な伊吹島からのお遍路さんのものが見えなかったことなどがあった。この調査はあくまでも「中間報告」みたいな数字ではある。

 

 広島の「ふれ愛まつり」は11月の7日と8日。その7日の午後から丸亀市内で「英国士官レキの墓」についての講演会が予定されていて、その講演を行う予定。だから、6日に広島に帰り、準備をしつつ、7日の昼前に広島から丸亀に出て講演をこなし、夕方には広島に戻るという、これまた慌ただしいことになりそう・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「待ったなし やり直しなしに 木葉散る」というもの。鬼倉興龍先生のことばであるらしい。次に生まれる若芽にいのちを託して、古い葉は散ってゆくもの。しかも散りぎわに、『裏をみせ表を見せて散る紅葉』と永遠の生命の縦承のために静かに散り、 譲り受けた生命は大地に立って長い冬の寒さを忍びながら、新たな春の新芽となっていく。思うままにならない人生であり、予期せぬことに出合ったとき、戸惑 い、うちひしがれていくこともあり、辛い道のりだけれども、たしかな人生を強く歩めたらと、感じる今日このごろ。私も一度しかない人生を美しく歩み、美しく散って行きたいと思うばかりである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋一つ 越えて明日が 見えてくる

2015年10月21日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から22度、湿度は82%から60%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の22日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 今日は孫のなぎちゃんたちの中学校の音楽コンクールだというので、奥方の運転手ということで、高松にやって来た。玉藻城横にある「アルファあなぶきホール」、いわゆる「香川県民ホール」である。

 

 高松市立屋島中学校は毎年、この時期に、この県民ホールで音楽コンクールをやっている。昨年までははやて君の応援というか写真撮影でここに来ていたのだが、今年からは、なぎちゃんの番になった。

 

 大きな声では言えないが小さな声では聞こえない。本音のところを言えば、なぎちゃんの出るところだけを見ればいいと思うのだけれど、奥方は全部を見たいということで、10時開場なのに、8時過ぎからわが家を出て、ホールに着いたのは9時過ぎ・・・。

 

 少子化だ少子化だと言われながらも、ここの中学校にはわんさかと子供達がいる。1学級を40人としても6クラスあれば240人か・・。それの三学年というと720人。あくまでも概算の話しなんだけれど・・。

 

 これは1年団の合唱だった筈。保護者席は四階だから、誰が誰だかわからない。分からなくてはちっとも楽しくもない。

 

 これがなぎちゃんかなぁ・・という程度。

 

 保護者席からはこういう感じ。何がなんだか、ちっともわからん・・・。でも、親御さん達はしっかりと我が子を認識しとるようで、盛んにビデオやスマホで我が子を追いかけ回している。

 

 1年生の合唱が終わったもので、私は玉藻公園に行ってみた。旧高松城址である。万葉集で柿本人麻呂が讃岐の国の枕詞に「玉藻よし」と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するとされている。高松城は、豊臣秀吉の四国制圧の後、天正15年(1587)、讃岐1国の領主となった生駒親正によって、「野原」と呼ばれた港町に築かれた城である。

 

 現在見られる遺構は、江戸初期に、徳川光圀の兄の松平重によって改修されたものである。近世城郭の海城としては、最初で最大の例で、「讃州さぬきは高松さまの城が見えます波の上」と謡われている。現在は、三重櫓や門など一部の建物と一部の石垣、堀が現存し、城跡は「玉藻公園」として整備されている。ここで、菊花展が開かれているというのでやってきたのだが・・・。

 

 数といい、質といい、先日に見た「公淵公園菊花展」とは雲泥の差があった。うろ覚えなのだが、ここはなんとかの競技会とか聞いたけれど、全くの見当外れなのかも知れない・・・。全く、「お年ですなぁ・・」。

 

 やはり、ここも、「大輪」というか「厚物」は元気がいいが、

 

 小菊の方になるとまだまだ・・というところ。

 

 お昼休みには、こういう管弦楽団の演奏会とか合唱部のコーラスとかも披露されたり、ゲスト演奏ということでプロの方のコーラスなんかも披露してくれた。

 

 今日の掲示板はこれ。「ほんものは続く 続けるとほんものになる!」という東井義雄先生の言葉から。私たちの生きる道は、一度しかない人生なのだから自分と向き合い、自分を高めていくのが人生の醍醐味なのかも知れない。色々と誘惑や欲望が多いのはどの時代でも同じようで、 その自分の誘惑や欲望の種類は人それぞれに異なるが、小さな勇気を発揮してそれを凌駕するような本物の勇気の心、本物の実践を積み上げていきたいと思うことである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


足早に 晩秋が来る 風も来る

2015年10月20日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は14度から23度、湿度は80%から60%、風は1mから3mの南南西の風が少しばかり。明日の21日は、引き続き、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今日は全国一斉の恒例の火曜日ということで、いつものようにさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」にご出勤。ここには、ちゃんと出勤簿が置いてある。

 

 で、いつものように、「俵札」、いわゆる「納め札」のデーター投入作業。今、作業しているのは、さぬき市志度の「田淵家」にあった「俵札」で、A-1345番からA-1530番までの185件のデーター投入になった。で、このあたりは明治41年から明治43年のものばかり。

 

 今日、印象に残ったのは、仲多度郡佐柳島村のお遍路さんが18名、本浦と長崎浦の方々や、三豊郡粟島村の36人、志々島の6人などの瀬戸内海の島々のお遍路さんであった。前回には仲多度郡広島村の市井浦や立石浦のお遍路さんを見つけた。

 

 これらのことから、来年には、塩飽本島、しわく広島、粟島などの島四国遍路をやりたいものだということで、日程を調べなくてはいけなくなった。私んちの広島はわかるのだが、本島さんや粟島あたりの来年の予定がわかるだろうか・・・。

 

 来年の話をすれば鬼が笑うらしいが、鬼が笑おうと牛が怒ろうと、別にどうということはない。鬼が笑ったら笑ったでブログのネタにしてしまうつもりだから、どんどんと笑ってもらいたいもんだ。どんな顔をして笑うもんだか。

 

 調べてみたら、本島は旧暦3月4日で、来年は4月10日の日曜日、広島は、旧暦4月21日で5月27日の金曜日、粟島は4月29日昭和の日の金曜日の祝日。そのほかの島々も調べておかねば・・・。高見島、佐柳島のお大師まいりの日程が分かれば教えて欲しいもの。

 

 さて、反省会で、コーヒーと甘いお菓子をいただいたもので、お昼はパス。どうにも胃の具合がよくない。コーヒーやお菓子はどうにも身体に合わないのだが、お付き合い上仕方なく・・・。で、秋を探して大窪寺までやってきた。朝方におへんろ交流サロンでお会いした「歩き」のお遍路さんが、大窪寺のお大師堂前でスマホをいじっていた。

 

 二天門あたりのもみじの先端が少しばかり紅葉していた。まだまだ、ほんの一部・・・というところ。

 

 本格的な紅葉は11月に入ってからになるだろうか。

 

 境内のイチョウも少しばかり黄色くなってきたところ。

 

 11月初旬に行われる、しわく広島の文化祭「ふれ愛まつり」用の資料を作れ・・・と言われていて、少しずつ準備をしているのだが、どうにも格好にならない。スタイルが定まらない・・・というところ。

 

 で、ワードを使って大きなフォントで印刷して、それを切り貼りすることにした。不格好にはなるのだが、一日ほどの文化祭だから、それでもいいか・・ということでやってみたりするのだけれど・・・。

 

 どんなものになるのだろうかねぇ・・・。

 

 この続きは、明日・・・ということで・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「人に世には道は一つということはない。道は百も千もある。」という坂本龍馬のことばから。目標を達成するための方法、手段は一つだけとは限らない。人生において、この道しかないということはない。いくつかの選択肢をいつも持っていられることで、心のゆとりも生まれる。視野が狭くなりすぎている時は、もっと別の視点から現状を見てみることも大切なことではあるが、この私が歩んでいく道、歩き続けていく道は一つしかない。その選択を誤らないことだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


白菊に 明日の装いを 聞いてみる

2015年10月19日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は18度から23度、湿度は88%から62%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の20日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れるらしいが、昼過ぎからは気圧の谷の影響で雲が広がりやすい見込みなのだとか。

 

 昨日の続きが50mほど残っていたので、朝の涼しい間に雑草や雑木を片付けた。今朝は気温が18度と高かったせいもあって、たちまちにして汗まみれになってしまった。

 

 これですっきりとしてお正月を迎えることができそうだ。ここは、幅が2mほど、長さは130mほどあるが・・・。

 

 でも、県道からみたら、わずかな面積でしかない。まるでお釈迦様の手のひらの上で遊んでいる孫悟空みたいなものだなぁと感じた。

 

 9時になったからお出かけをしてみた。今日は高松市東植田町にある「公淵(きんぶち)森林公園」で行われている菊花展の様子をのぞいてきた。ここも早くから見て来たが、菊の愛好者が減ったものか、少しずつだが内容がさみしくなってきている。若い方の菊作りが普及していないのか、高齢者が減少してきているのか、力作というものが目に見えて減ってきている。

 

 菊作りを始めると旅行には行けないと聞いた。菊のために家を空けることはできないのだそうだ。そういう事情ならば若者には我慢ができない。菊作りは土作りからと言われて、菊の季節が終われば、早速に土作りから始めるのだから、よほどの好き者でないと菊は作れない。

 

 このように、ここでも「厚物(あつもの)」は花が開いてきれいなのだが、

 

 小菊になるとまだまだ・・・。これは小学生の栽培する菊らしい。

 

 やはり、菊の見頃は11月に入ってからになるらしい。

 

 通りかかった中年のご夫婦が、「これ、みてみて。これって、一本の菊なんだって・・・。どうなってんの??」と大げさに驚いている。まさしくまさしく我慢我慢の連続の作品なのである。これが咲いたらまたしても不思議不思議の世界に見えるのだ。

 

 この富士山は、8分割かに分かれていて、個別に運び込んで組み立ててあるらしい。これが咲いたら・・・

 

 こんなふうになるらしい。これまた、我慢我慢の菊愛好家生活。よほどのマニアでないとできまへん・・・。

 

 これも、同じ人の作品で、こちらは香川の名園「栗林(りつりん)公園」の風景。

 

最終的にはこういう風景になるらしい。これは昨年の画像からである。泳いでいる魚までが菊で出来ているのだからびっくりぽん!である。

 

 覚えたばかりの言葉で、これは「厚物」。

 

 こちらは「管物(くだもの)」。昨年に覚えたばかり。

 

 で、こちらは「一文字」で、天皇家の御紋になっている菊ということである。

 

 これでも、よく分からないのか・・・。

 

 今日の掲示板は意味もなくこれ。「見てくればかりを気にしても 人の値打ちは中身で決まる」というもの。原典を探してみたけれどわからない。確かに、若いうちはみてくればかりを気にして 髪型を変えてみたり、服装をいろいろと変えてみたりしたけれど、所詮は中身の問題だなぁと諦めたことがあった。しかしのかかし、中身を変えようとしても変 わることがないのだから、やはり、見てくればかりを気にせざるを得ないというのも事実なのではあるまいか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


菊花展 我慢我慢の 日々ばかり

2015年10月18日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は16度から24度、湿度は94%から64%、風は1mから3mの北北東の風が少しばかり。明日の19日は、引き続き、高気圧に覆われて晴れる見込みらしい。

 

 秋らしい一日になったが、昨日も一昨日もよく働いたのだから、今日はゆっくりと日曜日を過ごそうかと考えていたのだが、ぼんやりするのもつまらないからと、11月のイベントの準備でも・・・ということで。

 

 こういう、町あるき探検隊の資料の準備をすることにした。今回の町あるきは、さぬき市の津田の松原、大川町の弥勒池隧道、寒川町の真嶋正市先生の足跡の三ヶ所。

 

 その肝心な場所などの写真を印刷して・・・。

 

 それを並べてみて、ストーリーを考えて並べ直し・・・、

 

 ファイルに物語ができるように並べて整理した。

 

 すると、下の弟の「たっくん」がやってきて、「庭の植木の剪定をしたのでどこかで燃やしたい」というので、これ幸いとばかりに、昨日に草刈りをした旧道部分の草も一緒に燃やすことにした。

 

 午前10時から11時ごろになると気温もあがってきて熱い熱い・・。じいさん二人の燻製ができそう。ま、おかげで少しはさっぱりとすることができた。

 

 この頃は、どこでもこのような蜘蛛の巣が多い。昨日、蜘蛛の巣を払い落としたと思ったら、今朝には元通りの蜘蛛の巣が復元されている。でも、一生のうちで、どれだけの獲物がかかるものなんだろうか・・・。中には一匹もヒットしないままで冬を迎える蜘蛛もいるに違いないと思う、今日この頃。

 

 こういう本を買ったのだけれど、どちらも「1円」だった。送料が257円で、合計258円の本になった。でも、これを売った人はただだったのだろうか。1円の本・・・というのは何か気に掛かるお値段ではあった。

 

 で、昨日、一昨日あたりから準備が進んでいた「さぬき市みろく菊花展」をのぞいてみた。どこの花もまだまだで、ようやくに花を開いたばかりか蕾の状態。小菊なんかはまだまだ・・・。

 

 こういう「厚物」は花が開いている物もあるけれど、多くがまだまだ・・・。

 

 時期的には11月に入ってからになるだろうか。

 

 こういう「管物(くだもの)」はきれいに開いている物が目立っていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「吐いた言葉を呑み込めば 辛さ苦さが喉を刺す」というもの。一度、口から出た言葉は二度と戻っては来ないし、取り戻すこともできない。口に出す寸前で呑み込んでみたら、どんなにか辛くて苦くて、そのひどさが喉を刺すようだというたとえ話であろう。よくよく、言葉の使い方には気をつけなさい・・・という教えでもあろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


早い秋 遅い秋あり 風の道

2015年10月17日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、寒気を伴った気圧の谷や東からの湿った空気の影響で、雨や雷雨となる所がある見込みらしい。気温は12度から22度、湿度は96%から61%、風は1mから2mの南西の風が少しばかり。明日の18日は高気圧に覆われて晴れるらしい。

 

 今日は奥方がお休みなもので外出はできない。どこかに行こうとすると、一緒に行くと言うのだから面倒だ。そこで何をしようかと考えたが、無難なところで、わが家の草刈りをすることにした。

 

 わが家の西側の水路部分や北側は少し前に刈り払ったのだけれど、東側部分がすっかりとそのまんまになっていた。ここは、戦後の昭和30年代40年代あたりまでは旧道であった所。

 

 それがいつの頃からか、赤字のように町道になって、ここは廃道になった。で、わが家の物だと仰るので、仕方なく、わが家が草刈りをすることになっている。赤の太字の区間である。

 

 8時半から1時間、9時半までは、ここの草刈りをした。

 

 こうしてみると、旧道部分がよくわかる。ここを自転車を押して通ったものだった。まさか、ここがわが家のものになるなんて、小学生の頃には想像だにしなかった。

 

 県道からみれば、こういう感じ。朝方は肌寒いくらいだったが、9時半あたりではうっすらと汗がにじんでいた。これで来年の春までは大丈夫だ。

 

 明日用の草刈り機の燃料を仕入れに出たついでに、東かがわ市小砂(こざれ)にある「小砂説教所跡」に寄ってみた。庄松同行は寛政11年(1799年)に讃岐国大内郡丹生村土居に生まれて、真宗興正派の海暁山勝覚寺の門徒であった。世にも稀な信者で、頑愚無欲で一生涯を独身で暮らし通した。

 

 これが庄松同行のお墓で、「釋正真信士墓」と刻まれている。「正真」という法名は「庄松(しょうま)」という俗名と音は同じであるが、法名の場合は「しょうしん」と読むのだろうか。没年は明治四年三月四日と刻まれており、他面には、大同行 俗称 谷口庄松 丹生村 と刻まれている。と言うことは、今年が144周年ということになるのか・・・。

 

 ここが「小砂(こざれ)説教所跡」で、この地区の真宗の道場であり、少し前まではこの集落の集会所でもあった。ここが、今では「正真講本部」となっていて、庄松同行の情報発信源ともなっている。

 

  これが、小砂説教所の内部。やはり、中央にあるのは「阿弥陀さま」。戸帖の奥には正面に阿弥陀立像や庄松同行の絵像や人形、掛け軸などが安置されている。

 

 時々、「これは何歳の時の肖像か」と尋ねられるのだが、はてさて、何歳くらいのものだろうか。ま、晩年の物ではあろうかと思うのだが。

 

 少しばかり、庭木の剪定をやってみたが、日中は暑くなっていてだめだ。明日の朝の涼しい間あたりにでもやらなくては・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「亀は亀のままでいい 兎にならなくていいのだよ」というもの。亀は亀のままでいるしかないし、うさぎはウサギでいるしかない。私は私でしかないし、キムタクは私にはなれない。だから、「私は私のまま」でいいのだし、「あなたはあなたのままでいい」のだし。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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