はーちゃんの気晴らし日記

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同時多発テロの翌日

2005年09月12日 | 回顧録
4年前の9月11日。
それは、誰でも忘れることのできない日。
ニューヨークの同時多発テロがあった日。
でも、私にとっては、その前後の3日間の出来事は、別の意味で生涯忘れることのできないものになりました。

4年前の9月10日。
覚えているでしょうか?
大型の台風が日本列島を直撃したのです。

当時、まだバンドを組んでライブ活動をしていた息子はその日、大阪でライブでした。
「台風の中、お客さんが入るのだろうか?」
と心配している私に、
「無事ライブが終わった。明日の朝、帰る」
と連絡が入りました。

翌11日の昼間、今度は
「東名が通行止めになり、浜名湖インターで足止めをくっている」
とのこと。

その後、まる一日が過ぎても息子は帰れず、夜眠れないままにテレビを見ていると、ニューヨークで貿易センタービルに飛行機が突入している画像が何度も流されていました。
そして、次は隣のビルにも飛行機が・・・。
そして、テロということが判明。

息子のことが気になりながらもいつの間にか眠っていました。
息子は、翌日明け方近く帰ってきたようです。
翌朝のテレビで二つのビルが消滅してしまったのを知り、大きな衝撃を受けました。
会社では、当然テロの話でもちきりでした。

そこへ、弟から電話がありました。
「今、病院から連絡があって、おやじが急変したらしい。オレも出張中だけれど、今から急いで帰るから、何かわかったらまた連絡する。」
という内容でした。

仕事も手につかずに待っていると、しばらくしてまた電話があり
「親父が亡くなったらしい。」
呆然としました。
弟も家に帰る途中に家から連絡を受け、全く事情がわからないようでした。

父は、その3ヶ月前、食事中に突然具合が悪くなり、救急車で病院に運ばれ、治療中でした。
一時は危なかった父もだいぶ安定し、食事も摂れるようになっていました。
その日も昼食時に母が病院を訪れ父に食事をさせ、いつもよりたくさん食べたと喜んで家に帰る途中だったのです。

病院から自宅に父の急変の連絡があり、母が家に着いたときは、もう死亡の知らせ。
母もただただ呆然とするばかりだったようです。

その時のことは、断片的な記憶としてよみがえってくるだけで、ほとんど真っ白です。
多分、同時多発テロのことはテレビでも各番組で相当流されていたことと思いますが、私たち家族は、その後のお通夜、葬儀等で、それらの番組を見る余裕はありませんでした。

9月10日から12日にかけての激動の3日間は、私には同時多発テロと共に、忘れられないものになりました。


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