はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

福島への初日

2014年03月22日 | お出かけ
3月19日、翌日の葬儀に参列するため、私たちは福島へ向かいました。
義妹の話だと、式は、告別式だけの『一日葬』にするということで、お通夜はしないけれど、できれば、前日に来て欲しいということでした。
最初は、身内だけの『家族葬』にすると言っていたのですが、お舅さんの近所付き合いもあり、家族葬は止めて、一日葬にすることにしたようです。

そんなことだったので、夜までに現地に到着すれば良いと思っていたのですが、義妹から電話があり、懇意にしているお寺の住職さんが、お通夜はしなくても、お経をあげてくださるということなので、それまでに来て欲しいということでした。

お経が夕方の5時からということだったので、私たちは、余裕を持って早めに家を出ました。
ところが、何が原因なのか道路の渋滞はひどく、私の家から東名に乗るまでに、普段なら30分弱なのですが、1時間半くらいかかってしまい、その後の首都高の渋滞もひどくて、東京を抜けるまでに3時間以上かかってしまいました。
それでも、東北自動車道は順調だったので、ギリギリ5時のお経に間に合いました。
本当は、義妹の家に寄り、一休みしてから斎場へ行く予定だったのに、そんな時間もなく、直接斎場へ向かうことになってしまいました。
連休前の20日ならわかりますが、その一日前だったので、いったい何が原因であんなに渋滞がひどかったのかなと思います。

東北自動車道で福島に入ったあたりで、80キロ制限の道を90キロくらいで走っていたところ、後ろの車が私たちの車を抜いて、スーッと私たちの車の前に入りました。
その途端、「ウーーー」とパトカーの音。
ドキッとしました。
私たちの車を追い越した車が、パトカーに捕まってしまったようです。
パトカーは、その車の前を走り、「パトカーの後を走ってください」と赤い字で書かれた電光掲示板を出して、誘導しながら走り続けます。
私たちは、ずっとその後を続いて走りました。
私のドキドキは、なかなか治まりませんでした。
後から、車がどんどん来て、私たちを追い抜いて行くのですが、その前にパトカーと捕まった車がいるのに気づいて、当然、それらを追い越すことはできず、車はどんどん連なって行きました。

私は、捕まった車が気の毒でなりませんでした。
私たちだって、たまたまその時は90キロで走っていましたが、そこまでは、渋滞をやっと抜けて、時間のロスを取り戻そうと、結構スピードも出していたし、途中の車を何度も追い抜いてきました。
なので、たまたま捕まってしまったその車は、何と運の悪いことと思いました。
パトカーはどこまで行くんだろうかと思いましたが、次の出口へ誘導して行きました。
出口じゃなくて、パーキングなら良かったのに、出口に誘導されてしまったら、一旦出て、また入りなおさなければならず、余計に気の毒だと思いました。

そんなこんなを目の前で体験した私たちは、その後は、スピードを出すこともなく、スピード違反に捕まることなく、無事に斎場に着きました。
斎場では、近しい人たちだけが集まって、お経を聞きました。
亡くなった義妹の連れ合いは、かなり恰幅の良い人だったのですが、お棺に入った故人は、面影もないくらい痩せていました。
ここ数ヶ月の間に、一気に痩せてしまったそうです。

義妹には、私の息子より2歳下のS君という一人息子がいます。
S君は、中学、高校の頃は、よく私の家に遊びに来て、息子の部屋に寝泊りしながら、息子と遊んでいました。
息子と甥は、見た目がとてもよく似ていて、その当時も兄弟に間違えられていたのですが、大人になった今でも、相変わらずよく似ていて、
「あれ?お前、兄弟がいたのか?」
と近所の人から言われていました。
そして、義妹のお舅さんにいたっては、甥と私の息子の見分けがつかずに、いつも間違えて息子に話しかけるので、その度に、
「おじいちゃん、あれは、S君じゃないよ。」
と。

葬儀は、そのS君が喪主を勤めるということでした。

その後、S君が手配してくれたお店で、みんなで会食。
そのお店は、S君の高校の同級生のお店らしく、私たちが店内に入ると、ここでも、息子を見るなり、
「あれっ!そっくり!」と。

そのお店には、私たち親族と義妹の近所の人で、身内のようなお付き合いをしている人など、全部で11人が集まりました。
故人の思い出話などをしているうちに、最後は、3.11の話になりました。
地震、津波そして原発の話など、実際に体験した人たちの話は、今までニュースなどで見聞きしたもの以上に重いものでした。
中には実家が浪江町だという人もいて、家族の死や実家の廃墟ぶり、動物たちのことなど、心が痛む話ばかりでした。
涙を流しながら、その様子を語る人たちに、私はただ黙って頷くことしかできませんでした。

義妹の家は、以前オーダーメイドの洋服店をやっていたので、お店とミシンがずらっと並んだ縫い子さんたちが働く場所などがあり、広さはあるのですが、特に部屋というものがなく、泊まれる場所がないということで、私たちは、ビジネスホテルに泊まることになりました。
そのホテルは、S君が手配してくれました。
義妹の話だと、
「今回の葬儀に関しては、すべてオレがやる!」
とS君が言ったそうです。
義妹も一切口出しせずに、すべてをS君に任せたようです。

ホテルは、私たち夫婦と息子は別の部屋でした。
私は、ホテルに着くとすぐにベッドに入りました。
何もしたくないと思いました。
息子は、
「これから、Sと出かけてくる」
と言ってきました。
翌日の葬儀のこともあるので、私は、止めたのですが、主人は、
「何年ぶりかに会った従兄弟なんだし、たまにしか会えないんだから、良いんじゃないか?」
と。

疲れているはずなのに、息子の帰りも気になり、1時間おきに目が覚めてしまい、朝を迎えました。
翌朝、息子に聞いたら、2時間くらい一緒にいて、帰ってきたということでした。

つづく


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