今日はクリスマス・イブです。
今年のクリスマスは例年に増して、実感のないものになりそうです。
なので、今日は敢えて服装をクリスマス・カラーにして出勤してきました。
赤のTシャツに、グリーンのカーディガン。
白の代わりに、薄いベージュのコーデュロイのパンツを履きました。
自分なりにクリスマスのイメージのつもりです
私のクリスマス・イブの思い出って何かあるだろうか?と考えました。
58回目のクリスマス・イブを迎えた私ですが、いくら考えてもクリスマス・イブのロマンティックな思い出がありません
でも、楽しかった思い出はあります。
それは子供の頃のことです。
当時、発展途上の日本経済の中で、父と伯父たちが共同経営する会社が順調な伸びを示し、両親の仕事は忙しく、あまりかまってはもらえない毎日でしたが、クリスマス・イブは、楽しい行事でした。
イブの日は、父のすぐ上の兄の家に親戚みんなが集まりました。
叔父の家には、きれいに飾り付けられた天井まで届きそうな大きなもみの木が置かれていました。
昭和30年代の頃ですから、当時、個人の家にそんなに大きなツリーを飾り付ける家は少なかったと思います。
そこに、父の兄弟、その子供たちが集まり、大人たちは宴会、子供たちは男女に分かれてそれぞれの遊びをしたり、合同でトランプをしたりしました。
そして、お開きになる頃は、プレゼントの抽選会です。
クジを引いて、その番号のプレゼントがもらえるという仕組みです。
父のすぐ上の叔父は、自分の子供以上に私と弟のことを可愛がってくれたような節があり、その抽選のプレゼントの他に、みんなには内緒で、私に豪華なものをくれたりしました。
そして、帰りはタクシーを呼んで、酔っ払った父に閉口しながら帰るのが常でした。
私としては、酔った父が一番嫌でした。
楽しいクリスマス・イブの締めくくりは、酔った父に閉口するという図式ができてしまうのがイマイチでした。
我が家の華やかなりし時代のクリスマス・イブは数年続きましたが、私が小学校高学年になる頃は、なくなっていました。
叔父たちの子供が大きくなってそんな子供じみた遊びに興味を示さなくなったのもあるかもしれませんし、叔父と父たちの事情もあったのかもしれません。
そして、もう一つ思い出すクリスマス・イブは私にとって、苦い思い出です。
あまり思い出したくないような事なので、今まで書かなかったのですが、今日は書いてみようという気になっています。
私の青春時代のことです。
私は何故か、いつもクリスマスシーズンはフリーでした。
その頃になると、いつも相手がいないんです。
ということは、いかに早く別れてしまうかということにもなるのですが、誰かとお付き合いしても一年以上付き合いが続くことはなく、終わってしまいます。
そして、不思議とクリスマスシーズンはいつも相手がいませんでした。
そんなある年のクリスマスのことです。
周りはクリスマスムードで楽しそうなのに、私は一人で暇でした。
地方から出てきている友達はすでに実家に帰ってしまっている人もいました。
そこで私は、同じようにフリーで暇そうでちょっと誘えばつきあってくれそうな同級生に声をかけました。
「クリスマスイブにどこかへ行かない?」
すると、思った通り同級生はすぐに「良いよ。」ということで、当時流行りだったディスコティックへ行こうということになりました。
池袋にあるその店は、それまでも何度か行ったことのある店で、勝手は分かっていました。
いつも通りちょっと踊って帰れば良いやというくらいの気持ちで出かけていきました。
その日はクリスマス・イブでした。
行ってみると、その店はいつもとは、ずいぶん違っていました。
店内もいつもとは違った装飾が施されていて、まるで別の店のようでした。
クリスマス・イブなので特別なイベントになっていたようです。
そんなこととは知らない私たちは、店の中に入っていつもとは違う雰囲気にただ戸惑うばかりでした。
いつもは開放されたフロアに人が集まって勝手に踊るようになっているのに、その日は、店の中は椅子が置かれていて、踊るスペースはほとんどありません。
踊るというより、座ってショーを見るような形になっているようでした。
そして、生バンドの演奏が始まり、そこに出てきたのはタンクトップの水着の胸の部分からヒラヒラが垂れ下がったものにショートパンツを履いた女性でした。
こんな感じ
しわがれた声で下手な歌を歌います。
まともに声も出ずに、歌になっていないような下手な歌でした。
水着のような服から見える体つきはぶよぶよしていて、見苦しいくらいでした。
濃い化粧の顔は、とても若そうには見えませんでした。
その女性は何曲か歌を歌ったと思いますが、歌が終わった後、バンドの演奏に合わせて、服を脱ぎ始めました。
最初から水着のような格好なので、脱ぐと言っても、ほとんど脱ぐものなどありません。
そして、全裸になったのです。
びっくりしました。
この日のディスコのショーはストリップがメインだったようです。
きれいな身体の女性が脱ぐならまだしも、あんなに贅肉だらけの垂れ下がったおっぱいの女性の裸など同じ女性として見るに耐えませんでした。
一緒に来た同級生も私を気遣ってか
「出ようか?」
と言ってくれました。
私たちは、途中で店を出ることにしました。
ところが、お店を出るときに請求された金額に二度びっくり。
いつもの金額の倍以上だったのです。
二人で持ち合わせのお金を全部出し合いましたが、それでも足りません。
そこで、お店の人から
「明日にでも残りのお金を持ってきてくれれば良いですよ。ただし、代わりに学生証を預からせてください。」
と言われました。
同級生は翌日はバイトが入っていたか何かで、私が残りの代金を払いに行くことになりました。
私の学生証を預けて、翌日、残りのお金を支払い、学生証を返してもらいました。
今考えると、よくそれだけで済んだなと思ったりします。
それ以来、私の中には、
「クリスマス・イブには、店には入るな!」
という教訓ができました。
「普段より高い!」
それは、今でも同じなのかもしれません。
そして、この話の苦い思い出にはまだ続きがあります。
その後、その同級生に
「ねぇ、オレと暇つぶしで付き合っているわけじゃないよね?暇つぶしで会うのならごめんだよ。」
と言われてしまいました。
図星でした。
その人には、特に何の興味も感情もなかったし、誘えば付き合ってくれるのでちょうど良かった。
ただそれだけでした。
返す言葉もなく黙り込んだ私を後にして、彼は怒って去っていきました。
あ~あ、
後味の悪い、苦い思い出のクリスマス・イブでしたけど、これも人生勉強ですかね?
今年のクリスマスは例年に増して、実感のないものになりそうです。
なので、今日は敢えて服装をクリスマス・カラーにして出勤してきました。
赤のTシャツに、グリーンのカーディガン。
白の代わりに、薄いベージュのコーデュロイのパンツを履きました。
自分なりにクリスマスのイメージのつもりです
私のクリスマス・イブの思い出って何かあるだろうか?と考えました。
58回目のクリスマス・イブを迎えた私ですが、いくら考えてもクリスマス・イブのロマンティックな思い出がありません
でも、楽しかった思い出はあります。
それは子供の頃のことです。
当時、発展途上の日本経済の中で、父と伯父たちが共同経営する会社が順調な伸びを示し、両親の仕事は忙しく、あまりかまってはもらえない毎日でしたが、クリスマス・イブは、楽しい行事でした。
イブの日は、父のすぐ上の兄の家に親戚みんなが集まりました。
叔父の家には、きれいに飾り付けられた天井まで届きそうな大きなもみの木が置かれていました。
昭和30年代の頃ですから、当時、個人の家にそんなに大きなツリーを飾り付ける家は少なかったと思います。
そこに、父の兄弟、その子供たちが集まり、大人たちは宴会、子供たちは男女に分かれてそれぞれの遊びをしたり、合同でトランプをしたりしました。
そして、お開きになる頃は、プレゼントの抽選会です。
クジを引いて、その番号のプレゼントがもらえるという仕組みです。
父のすぐ上の叔父は、自分の子供以上に私と弟のことを可愛がってくれたような節があり、その抽選のプレゼントの他に、みんなには内緒で、私に豪華なものをくれたりしました。
そして、帰りはタクシーを呼んで、酔っ払った父に閉口しながら帰るのが常でした。
私としては、酔った父が一番嫌でした。
楽しいクリスマス・イブの締めくくりは、酔った父に閉口するという図式ができてしまうのがイマイチでした。
我が家の華やかなりし時代のクリスマス・イブは数年続きましたが、私が小学校高学年になる頃は、なくなっていました。
叔父たちの子供が大きくなってそんな子供じみた遊びに興味を示さなくなったのもあるかもしれませんし、叔父と父たちの事情もあったのかもしれません。
そして、もう一つ思い出すクリスマス・イブは私にとって、苦い思い出です。
あまり思い出したくないような事なので、今まで書かなかったのですが、今日は書いてみようという気になっています。
私の青春時代のことです。
私は何故か、いつもクリスマスシーズンはフリーでした。
その頃になると、いつも相手がいないんです。
ということは、いかに早く別れてしまうかということにもなるのですが、誰かとお付き合いしても一年以上付き合いが続くことはなく、終わってしまいます。
そして、不思議とクリスマスシーズンはいつも相手がいませんでした。
そんなある年のクリスマスのことです。
周りはクリスマスムードで楽しそうなのに、私は一人で暇でした。
地方から出てきている友達はすでに実家に帰ってしまっている人もいました。
そこで私は、同じようにフリーで暇そうでちょっと誘えばつきあってくれそうな同級生に声をかけました。
「クリスマスイブにどこかへ行かない?」
すると、思った通り同級生はすぐに「良いよ。」ということで、当時流行りだったディスコティックへ行こうということになりました。
池袋にあるその店は、それまでも何度か行ったことのある店で、勝手は分かっていました。
いつも通りちょっと踊って帰れば良いやというくらいの気持ちで出かけていきました。
その日はクリスマス・イブでした。
行ってみると、その店はいつもとは、ずいぶん違っていました。
店内もいつもとは違った装飾が施されていて、まるで別の店のようでした。
クリスマス・イブなので特別なイベントになっていたようです。
そんなこととは知らない私たちは、店の中に入っていつもとは違う雰囲気にただ戸惑うばかりでした。
いつもは開放されたフロアに人が集まって勝手に踊るようになっているのに、その日は、店の中は椅子が置かれていて、踊るスペースはほとんどありません。
踊るというより、座ってショーを見るような形になっているようでした。
そして、生バンドの演奏が始まり、そこに出てきたのはタンクトップの水着の胸の部分からヒラヒラが垂れ下がったものにショートパンツを履いた女性でした。
しわがれた声で下手な歌を歌います。
まともに声も出ずに、歌になっていないような下手な歌でした。
水着のような服から見える体つきはぶよぶよしていて、見苦しいくらいでした。
濃い化粧の顔は、とても若そうには見えませんでした。
その女性は何曲か歌を歌ったと思いますが、歌が終わった後、バンドの演奏に合わせて、服を脱ぎ始めました。
最初から水着のような格好なので、脱ぐと言っても、ほとんど脱ぐものなどありません。
そして、全裸になったのです。
びっくりしました。
この日のディスコのショーはストリップがメインだったようです。
きれいな身体の女性が脱ぐならまだしも、あんなに贅肉だらけの垂れ下がったおっぱいの女性の裸など同じ女性として見るに耐えませんでした。
一緒に来た同級生も私を気遣ってか
「出ようか?」
と言ってくれました。
私たちは、途中で店を出ることにしました。
ところが、お店を出るときに請求された金額に二度びっくり。
いつもの金額の倍以上だったのです。
二人で持ち合わせのお金を全部出し合いましたが、それでも足りません。
そこで、お店の人から
「明日にでも残りのお金を持ってきてくれれば良いですよ。ただし、代わりに学生証を預からせてください。」
と言われました。
同級生は翌日はバイトが入っていたか何かで、私が残りの代金を払いに行くことになりました。
私の学生証を預けて、翌日、残りのお金を支払い、学生証を返してもらいました。
今考えると、よくそれだけで済んだなと思ったりします。
それ以来、私の中には、
「クリスマス・イブには、店には入るな!」
という教訓ができました。
「普段より高い!」
それは、今でも同じなのかもしれません。
そして、この話の苦い思い出にはまだ続きがあります。
その後、その同級生に
「ねぇ、オレと暇つぶしで付き合っているわけじゃないよね?暇つぶしで会うのならごめんだよ。」
と言われてしまいました。
図星でした。
その人には、特に何の興味も感情もなかったし、誘えば付き合ってくれるのでちょうど良かった。
ただそれだけでした。
返す言葉もなく黙り込んだ私を後にして、彼は怒って去っていきました。
あ~あ、
後味の悪い、苦い思い出のクリスマス・イブでしたけど、これも人生勉強ですかね?