はーちゃんの気晴らし日記

気ままに 楽しく 書きくけこっこ!

日航機墜落事故のこと

2005年08月12日 | 雑談
あれから、もう20年にもなるんですね。
8月12日。私にとっても、かなり印象の深い事故でした。

20年前の8月12日、私達一家は筑波で開かれる科学博に行くために一家で家を出ました。
茨城県の鹿島に義母の実家があり、そこを拠点にして科学博に行くことにしたのです。
そのときが私達にとって、初めての家族旅行でした。
義母の実家へ行く前に鹿島神社に寄りました。
そこには、たくさんの鹿が飼われていて、子供たちはおやつをやったりして、大喜びでした。

鹿におせんべいをあげている子供たち


鹿島神社を出て、義母の実家に向かう途中の車の中で日航機が行方不明になったというニュースを聞きました。
そして、翌朝、行方不明になった飛行機は御巣鷹山に墜落したらしいというニュースでした。
私達は朝のニュースに釘付けになりながらも、予定通り科学博へ行きました。
とても暑い日でした。
お盆休みの真っ最中で、人出も半端ではありませんでした。
「迷子になったときはここで会おう」と大人3人で申し合わせ、人気のパビリオンの整理券を取る為に並ぶ人、整理券の発行のないパビリオンに直接並ぶ人とそれぞれ分担しながら効率よく見学するつもりでいました。
ところが、ある人気のパビリオンで、私一人がみんなとはぐれてしまいました。
その辺のいきさつはあまり覚えていないのですが、とにかく2時間くらい、あちこち歩き回った末、最終的には最初に申し合わせた場所で主人と会えたのですが、その間、子供たちと義母が暑い中、会場に設置された大きな氷の塊にさわって遊びながら待っていたのが印象的でした。
夏休み明けの息子の作文に「お母さんが迷子になりました」と書かれてしまいました。

化学博で、主人と義母と子供たち

私が迷子になったため、パビリオンも少ししか行けず、写真もほとんど撮れませんでした。
これは、やっとみんなと会えた夕方撮ったものです。
後ろの方の大勢の人で、人出のすごさがわかると思います。

日航機の事故のことは、その後、連日テレビやラジオで報道され、そのたびに釘付けになりました。
写真週刊誌などで、事故の悲惨さを見て、改めてショックを受けました。

その後、友達から
「沈まぬ太陽」という山崎豊子の小説を借りました。
日航機事故を書いた本です。
全部で5巻からなるこの本は、日航機事故を題材にして名前こそ架空のものでありながら、実在する企業や人物を連想させるということで物議をかもしたこともありました。
内容の是非はともあれ、企業の体質と労働組合の問題、事故後の企業の接し方など、はらはらどきどきで、読むのに夢中になって電車を乗り過ごしたこともありました。
この本を読んだのは、ずいぶん以前のことだったので、また再度読んでみたいなーと思いました。

今日は朝から日航機墜落事故のことをニュースでも取り上げていました。
そして今晩は、それを題材にしたドキュメンタリーやドラマが放送されるようです。
20年も経ってしまっても、あの御巣鷹山の日航機事故のことを聞くと、科学博でのことが思い出され、あの時のことが鮮明によみがえってくるようです。


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