無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

夢幻(ゆめまぼろし)

2024-12-01 22:40:01 | 自己紹介
病室の中で、妹が言った。
「あのね、家に帰った夢を見た。」
ただし、その家は現在の家ではない。
子供の頃、上台町(現町名日吉町)に住んでいた。元々住宅だったが、父の仕事(建築業)が住宅を侵食して仕事場が広がった。
それでも仕事場が狭いと、もっと広い所へと現在の場所へ移る。
台町の家は、祖父と父母と叔母と我々姉妹と父の弟子達がひしめきあって暮らしていた。
妹はその頃の家に戻っていた。
大人達は苦労もあったろうが、我々姉妹には何の苦労も無く、大人達取り分け父母が大きな慈愛で守ってくれていた「最も幸せな時代」だったのである。
近くにある寺院や神社で、暗くなるまで近所の子供達と遊びほうけていた所に「ご飯だよ~~。」と母親が呼びに来てくれる。
一番幸せな時代に、妹は戻っていたと言うわけだ。
「それは良かったね。」と言う反面、妹の記憶の欠落が痴呆の方に進むのではと危惧もしている。入院時のことは覚えていないそうだ。
「おじいちゃんもお父ちゃんも母ちゃんも皆んなもいたよ。」でも、そこには夫も自分の子供達もいなかった。
現在の家に帰ってくれば、苦労だけが残っている。そんな所に誰が帰ってきたいものか。


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クリスマス

2011-12-24 23:35:41 | 自己紹介
私は、爺ちゃん子だった。父は仕事で忙しく、私たち子供が寝る時間になっても、こうこうと明かりの着いた下で、木材に墨付けをしていた。母は母で家事や妹達と弟子の世話で大忙しだった。長女として生まればかりの私を、「ずっと見ていても見飽きないものだったよ。」とは、随分おとなになって聞いた母の言葉で、本人は可愛がられてないと思っていた。記憶に残る母の廻りはいつも妹たちが占領していて、叱られる時だけ「アンタは姉ちゃんだから、妹が真似するからちゃんとしなさい。」と、頭にゴンと一発食らう時だけ覚えている。

私は寝る時になると、爺ちゃんの寝床で、毎日毎日「昔話」を語って貰っていた。ラジオしかない時代の頃、飽きもせず「桃太郎」も「金太郎」も「浦島太郎」も「山王さんの猿と蛙」の話も「民話」も、しつこくせがんでいた。「きんの(昨日)の話ど、今日の話は、あそこが違う。」などと、生意気に言う私に「ほうが、ほうが」と祖父は笑うだけで、襖一枚外から聞いていた母は、もっけだごどと思っていたらしい。

昔の冬は、今よりもずっと寒かった。祖父の布団の中で、冷たい私の手足を「はっこちゃ、はこちゃ」と言いながら、自分の体温で暖めてくれた。自分の身体がぬくぬくとなる頃には、昔話は地球を半廻りし、シンデレラや白雪姫の未来と共に・・。すでに聴き手は轟沈していた。


クリスマスの朝、目が覚めると、枕元に白い袋に包まれたお菓子が置いてあった。生まれて始めて受け取るサンタのプレゼントだった。本当は田中菓子補さんのお菓子だったんだけどね。有り難い話だよね。貰った本人は、「なんで1日限りなの、次の日はないの?」と言う現実的なことだったのだが


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幸か不幸か

2011-12-13 15:36:47 | 自己紹介
昨日、一番幸せだったのは、「財布を盗まれた!」のが、明け方にみた夢だったこと。

一番不幸だったのは、駐車場に自動車をバックして入れたら、ブロック塀にぶつかって、塀の一部が隣にはじき飛ばされたこと。ドカンと音がして、粉々さ!(なんだ、補強鉄筋が入っていないんだ。)
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石鹸と化粧品

2011-12-11 15:57:01 | 自己紹介



私の顔のカイカイが治ったのは、この石鹸と化粧品。
本当は化粧水もあったのだけど、今回はパス。
ともかく、石鹸は、そんなに高くはない。4等分にして泡立てると長持ちするよと教えて貰った。
主成分はSHEA BUTTERと言う植物の実らしい。
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2011-12-08 16:57:57 | 自己紹介
私の髪は、ちょっと癖っ毛で、ちょっと太くて、ちょっと量が多い。美容院の方に聞いても、自分の髪が気に入っている人の割合は少なく、どこかに不満を持っているのだそうだ。ご多分にもれず、私も自分の髪が気に入らない。ストレートヘアに憧れて、軽くストパをかけてみたが、その後の毎日のメンテナンスと費用を考えても、満足したのは1週間だろうと思う。髪を洗って乾かして、アイロンをかけてと手間ひまかけても、妙な癖に悩まされた。両サイドの髪が同じ側に跳ね上がるのである。顔もバタ臭いのに(東南アジア系)、髪もうっとうしくて、ついにはゴムで束ね、生活に疲れた女のようになった。我慢が一気に爆発した頃には、ショートヘアになっていた。

生活に疲れた風といえば、随分と前から白髪が見えてきた。鏡を覗き込まないと見えないし、気にするほどでもないので、放っておいた。うんと増えたら染めるんだと期待したのだけど、それほど増えてもくれない。ともかく中途半端なので、踏ん切りがつかない。と言いながら、実は心の中では染めることにびびっている。

面の皮は厚いが、肌は弱い。過去に一度パーマ液でハゲになったことがある。最近では化粧品でかぶれた。(何ヶ月もボロボロの肌(顔)をしていたが、某エステに化粧品を買いに行って変えるように薦められ、2-3日もしない内に治ったのには驚いた。考えてみたら、店の彼女は元看護婦さんだった。)おっと、話が脱線した。髪の話だった。髪を染めるのに、肌のバッチテストをしなければならないんだそうだ。これがうっとうしい。もし駄目だったら、次々と別の製品を買って試して見なければならないのか。禿げるのも嫌だし。

と、まぁ、こんな愚痴を某忘年会で話したら、それは悩みになっていないと突っぱねられた。とっくの昔に、皆さん経験済みなのだそうだ。色黒の私が足踏みしているだけらしい。
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眼鏡

2011-10-12 01:56:16 | 自己紹介
図面を描くのが苦痛になるくらいに、視力が落ちてしまい、ついに眼鏡を買い換えることにした。近視に老眼に乱視の三重苦である。おまけに左右の差が大きく、乱視が酷い。それなのに、仕事以外は裸眼でいることが多い。特にTVは、字幕が上下にだぶって良く読めない。難しい漢字はさらに読めない。(それは漢字を知らないだけだろう。)



眼鏡を掛けて2日間は、慣れないせいか頭がズキズキしたが、今は平気になった。眼鏡の焦点距離が厳しくなり、図面や書類とPCの画面迄の距離が同じ位でないと疲れる。それで机の上のディスプレイを引き寄せる事になった。いやはや、老化と言うものは・・・以下愚痴は省略。

この丸い陰は私の頭か?遠近法が滅茶滅茶効いてて、手前のチョコが大きく見える。このチョコは久々のヒットだったので、この写真みたいに大きければ良いのにと思う。
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バレンタイン・ディ

2011-02-19 13:56:42 | 自己紹介
2月14日未明、私の母が逝去した。よろけて転んでからは、起きているのが嫌になってしまったようだ。ラジオを聴きながら、食事も食べさせて貰って、「アイスクリーム、んめの!」と言っていたのに、日増しに食が細くなり、眠ったままの永眠だった。夜中に息をしていないと妹に起こされて、2人でパニックになった。結局は病院に電話し、救急車を呼んだりしたのだが、心臓が動き出すことはなかった。

来年はチョコレートのプレゼントではなく、桜餅かうぐいす餅を仏壇にあげる事になるのかなと思う。あ、でもチョコも好きだった。特に冬限定のラミーチョコとバッカスチョコを、袋に入れて持たせてみた。慌ただしく通夜葬儀、初七日までを済ませたが、急な事にも関わらず、多くの方々に参列を頂いた。心からお礼を申し上げたい。有り難うございました。
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謹賀新年

2011-01-01 13:43:19 | 自己紹介
新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様のご健康とご繁栄をお祈りいたします。


平成23年元旦
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2010-11-03 23:14:54 | 自己紹介
中学の修学旅行は、東京と鎌倉だった。残念ながら鎌倉の方は、まったく記憶に残っていない。バスの中で眠っていたのを起こされたのだろう、大仏の前で集合写真を撮ったのが証拠として残っているだけだ。初めての東京は、都会だなと思った。高いビルがあったとか、人が多いからではなくて、宿泊先にたどり着く迄の細い小路も、アスファルト舗装されていたからである。その頃の酒田は、主要な道路以外は、雨が降れば水たまりが出来、晴れれば土埃の舞い上がる道が多かったのだ。

旧西高前の道路も砂利道だった記憶は、私が小学生の頃のものと思われる。ついでにその時は側溝もきちんと造られてなくて、道路の端には白獨したような水が溜まっているドブがあり、ボウフラやイトミミズが盛んに活動をしていた。

西高の前にはT眼科があった。こう見えても小さい頃の私は身体が弱く、始終、医者通いをしていた。ちょっと目を擦っただけで、すぐに結膜炎をも起こし、T眼科にもお世話になっていた。T先生は、他の人にはおっかない先生だったらしい。大人の患者をバシバシ怒っていたのを見たことがある。私には優しかった。いつものように目の洗浄をし、ネットリした薬を塗られ、カット綿を渡され、目に薬が充分に行き渡るよう揉むようにと言われていた。

いつもは待合室でそれを終えてから、ゴミ箱に綿を捨てて帰るのだが、その日に限って綿を目にくっつけたまま玄関を出た。両手で揉みながら歩いていると、目の前でゴンと大きな音がした。電柱にぶつかったのだった。ぶつかった勢いで、身体は後ろに、はじき飛ばされた。着地したのはドブの中だった。どっかのおばちゃんが「大丈夫か」と声をかけてくれ、急いで起き上がったが、恥ずかしいやら痛いやらで、後ろ半分を真っ黒の泥を着けたまま、わんわん泣きながら家に帰った。泣いている私を見て、母は叱らなかった。着いた泥の中にはミミズやボウフラもいただろう。想像は出来ても、自分で自分の後ろ姿を見ることが出来ないのが幸いだった。

どんな不幸にも、少しの幸いはあるものだ。
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はぴば

2010-01-31 19:54:01 | 自己紹介
1月生まれの水瓶座
プレゼントに貰った大吟醸で乾杯!

く~~~~。う、うめ~~!

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私は馬鹿ね♪

2008-08-17 11:09:08 | 自己紹介
ただいま夏風邪の真っ最中!風邪なんて、冬に罹るものだと思っていたから、さー大変。クシャミ、鼻水、咳が止まらず、ティッシュの山が見る間に出来ていく。何処にも行かず、引きこもりの夏休みだったような気がする。暑いからと油断したのがいけなかった。皆様も気をつけて!

ブファ~クション!!ゲホンゲホン!!CRTに飛沫がかかって、水玉がキラキラしてます。綺麗だわ!←汚いに決まってるだろ。
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猫の話

2006-03-15 00:00:31 | 自己紹介
私のprofileに出てくる、オセロの駒のようなクロ子は、普通の野良猫だ。目つきの悪い小柄な母猫(通称乳母)の子で、父猫は知らない。様々な模様の兄弟のうち、黒白なのは2匹で、利口そうな片方は、さっさと貰われていった。

我が家の前は公園になっていて、猫を捨てに来る人が非常に多い。猫は猫で、自由恋愛をし、子猫が増える。さらに、どこかで産んだ子猫達が歩ける様になると、集団で移住して来て、子猫だけ置いて消える母猫もいる。そんなこんなで、一時もの凄い数の猫がいた。クロ子がいたのは、そんな時期だった。

ある時、子猫がクシャミをした。鼻水をたらし、目が目やにでふさがっていた。しまいにはゼーゼーと喉を鳴らし、幼い猫からバタバタと倒れて死んでいった。猫のインフルエンザのようだった。数はみるみる少なくなっていった。クロ子が消えたのは、そんな時だった。死んだのを確かめた訳ではない。クロ子が、公園の散歩道の石段を登りながら、一度、私の方を振り返った、のが最後の姿だった。

それ以来ずっと行方不明のままで、私の胸の中には、ぽっかりと穴が開いてしまった。死んだかな、いや戻ってくるかもと、気持ちは揺れ動いたまま、寂しさは変わらなかった。あんなに、えこひいきしてたのに!


1年も過ぎただろうか、ちょっと離れた料亭街を、夕方歩いていると、見たことのある猫がいた。料亭の台所から、美味しそうなご馳走を貰っている。あ、クロ子だ!クロ子がいる!!他にも見覚えのある猫達がいた。この子達は集団疎開してきたのか、こちらのご馳走の方が美味いってでも言うのかと、半ばあきれながら、ほっとしていた。

早速次の日、妹と姪と3人で確かめに行った。でぶニイもいる。モヒカンの兄弟もいる。クロ子もそっくりだ。チーズを見せると、ほーら跳んできた。でも・・・これはクロ子じゃない。右肩と腕の模様が違うと言われた。顔も目つきも同じなのに、模様が変わることがあるだろうか。写真と較べてみると、確かに違っていた。だから私は、本当のクロ子には逢えてはいないと言うことになる。
こんな風に、どこかで、きっと生きているだろう。可愛がられていますように。そう思うと、寂しさはいくらか薄らいでくるように思えた。
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