無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

第16回 酒田っ子俳壇作品

2025-02-09 11:24:54 | 音楽・芸術・文学

酒田市総合文化センターに、酒田っ子俳壇の「空に向かって一句」の短冊が展示されていた。
大人顔負けの句が勢揃いであり、その前で写真撮影している親子連れが微笑ましい。












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米粒写経 談話室 2024.12.19 ~能古島探訪記~

2024-12-21 13:00:55 | 音楽・芸術・文学
米粒写経 談話室 2024.12.19 ~能古島探訪記~


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【井川意高】ついに真犯人が判明・・山上の単独犯行ではなく黒幕がいたんです・・・こんなのが許されていいわけがありません

2024-12-19 11:08:16 | 音楽・芸術・文学
【井川意高】ついに真犯人が判明・・山上の単独犯行ではなく黒幕がいたんです・・・こんなのが許されていいわけがありません


面白そうだなと、この本を注文した。
ノンフィクションではないそうだが、かなり重要な事が書かれているらしい。
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米粒写経 談話室 2024.10.19 ~東京注意報~

2024-10-20 18:18:21 | 音楽・芸術・文学
 


米粒写経 談話室 2024.10.19 ~東京注意報~


 



米粒写経×松崎健夫 映画談話室2024.10.19 ~犯罪都市 PUNISHMENT/ぼくが生きてる、ふたつの世界/サウンド・オブ・フリーダム ほか~


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米津玄師 - さよーならまたいつか!「虎に翼」OPタイトルバック・フル Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka !

2024-10-01 08:45:43 | 音楽・芸術・文学


米津玄師 - さよーならまたいつか!「虎に翼」OPタイトルバック・フル Kenshi Yonezu - Sayonara, Mata Itsuka !

半年続いた朝ドラ「虎に翼」が終わった。
途中、中だるみがあったが、後半はアレもコレも詰め込むだけ詰め込んだ内容になった。
シングルマサー、LGBTに夫婦別姓、痴呆高齢者問題、尊属殺重罰規定違憲判決に少年法の改正などなど。
ちょっと目を離すと、あらぬ方向に筋が変わってしまう。
それでも、個性的な配役のお陰で無事に最終回に行き着いた。主役が亡くなっていたけれど。

虎に翼ロスではないけれど、もう暫く朝ドラはいいかな。
面白かったのに、観るのに疲れるドラマもあったのだ。
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米粒写経 談話室 2024.8.20

2024-08-21 08:02:14 | 音楽・芸術・文学
米粒写経 談話室 2024.8.20


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松山薪能

2024-06-10 12:12:54 | 音楽・芸術・文学


晴天に恵まれた土曜日、松山の薪能を観に向かう。
城跡には、数々の幟が旗めいていた。
時間に余裕が無いわけではないが、駐車場は前回同様に随分と遠くに誘導される。


能舞台を収容する松山城址館に入ると、呈茶が振る舞われていた。
最後尾の椅子に座るも取り残され、「空いている前にどうぞ!」の掛け声で客が進み、お茶が運ばれるまでじっと待つことになる。



久しぶりの野外での薪能である。
太陽が燦然と輝き暑い日だった。



幟に書かれている人名は、能に纏わる人達だと思う。
酒井家の面々は代々続く酒井家の当主達。松平三郎信康は家康と築山殿の間に生まれた長子で、二十歳で自害させられた御方である。



舞台を清め


ご奉行と副奉行が僉議(せんぎ)を行う。


狂言「附子・ぶす」が始まった。
附子とはトリカブトから作られた猛毒のこと。主人は太郎冠者次郎冠者に留守を申し付ける。
附子には触ったりしないように、風下にいても危ないと告げるが。

主人は斉藤則子氏、二人の若手は中学二年生の女生徒である。


本当は容器には附子ではなく、黒砂糖が入っている。
それを取られないようにと申し付けたのだが。


興味津々の両冠者は、扇で風を送りながら、容器の蓋を開ける。
良い匂いの黒糖に、堪らず舐めて、食べてみる。
気がついた時には、空になっている始末。
さてどうしよう。



主人が帰ってくる前に、太郎冠者は次郎冠者をそそのかして、大事な掛け軸や天目茶碗などを粉々にする。


主人に申し訳ないことをしたと、死んでお詫びをするとて、附子を食す。


食べても食べても死ねなかったと主人に言い訳を申すのだが。
主人は怒るも、自ら招いた結果に・・・・・。

狂言の古典でもある。


休憩を挟んで、火入れの儀が始まる。


打ち鳴らされる太鼓と共に。


松明を持った二人がやってきた。








さぁ、薪能らしくなってきたぞと喜ぶも、突風のような風が吹く。


わらわらと、俄に集まる消防署員達。
燃える薪の量を減らせと注意を促される。
近くにあった薪は片付けられ、バケツに入った水は準備され、物々しい様となる。



能 「船弁慶」が始まる。


平家との戦で大功を上げた義経は、戯言によって源頼朝に不信を買い、逃げ延びることになる。


義経役は中学二年生。初々しい義経である。


弁慶は舞台を圧倒するほど大きい。



都から西国へ海路を取るために、尼崎大物の浦から船出をしようとする。


そこへ義経の側室の静御前が、一緒に行きたいと追って来る。



時の白拍子(現在で言うところの宝塚歌劇の男役)で美しい静御前に。


義経は一緒には行けないと告げる。




弁慶からも諭され、静は都へ帰ることにする。


静は別れの舞を舞うのだが。


風はますます強くなり、静が被る筈だった烏帽子は吹っ飛び、静自体もヨロヨロと・・・。



大丈夫か、中の人!
踏ん張りが効かないとみた。














別れを告げて静は旅立つ。


船主に船を所望する。


義経主従は船に乗る。


船頭が漕ぎ出すと、見る見るうちに暗雲がせり出し、風は強まり、海はあれ出す。


そこに勢いよく現れたのは、義経に滅ぼされた平家の怨霊。


壇ノ浦での合戦で義経と戦い、海の藻屑となった平知盛は、怒りを漲らせて義経に挑む。

















義経は刀を抜き応戦し、弁慶は念仏にて怨霊を鎮めようと祈祷を繰り返す。








弁慶の祈りで友盛の亡霊も引き、海は穏やかになる。


幕に描かれた家紋は、酒井家のかたばみの紋。




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米粒写経 談話室 2024.5.20 ~居島親方/パの器~ ※冒頭40秒のみ音量小

2024-05-22 22:10:55 | 音楽・芸術・文学
 


米粒写経 談話室 2024.5.20 ~居島親方/パの器~ ※冒頭40秒のみ音量小

最初の何十秒かは音がへんですわん。しばし勘弁!


米粒写経×松崎健夫 映画談話室2024.05.20 ~アイアンクロー/辰巳 /ほか~
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山戸能と山五十川歌舞伎

2024-05-07 09:50:29 | 音楽・芸術・文学


5月3日、鶴岡市山五十川で「山戸能」と「山五十川歌舞伎」が上演された。共に山形県指定無形民俗文化財である。




鶴岡市長挨拶。


温海小学校でインフルエンザが流行し、出演する筈だった座揃囃子の恋慕の舞(大地踏舞)が中止となった。
座揃の後、式三番が始まった。











続いて番能「羽衣」である。


松の枝にかけられた羽衣を漁夫が家に持ち帰えようとする。








そこに天女が現れ、返してくれるようにと頼む
漁夫は天女の舞を見せてくれたら返すと言う。


天女の舞が始まった。














能が終わり、一度幕が降ろされる。


山五十川歌舞伎「仮名手本忠臣蔵・大序・鶴ケ岡社頭兜改めの場」が始まった。


能の時には客席の後部で宴会が催され、能の謡が聞こえない。
歌舞伎が始まると、一斉に舞台に集中する。


鎌倉の八幡宮に足利直義公が将軍足利利尊氏の名代として、新田義貞の遺品の兜を奉納しようとしていた。
後ろの葛籠には色々な兜が入っており、その都度遺品かどうかを確かめる。


悪役商会。



兜の見聞役として、美人の誉れ高い塩治判官の妻の顔世御前が呼ばれる。

















高師直が御前に懸想の恋文を渡すも、捨てられる。


若狭の助が間に入り、御前を逃がす。


艶やかなる御前。


大見得を切る大会の始まり。







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米粒写経 談話室 2024.3.21 ~この顔がほしい~

2024-03-23 14:34:30 | 音楽・芸術・文学
米粒写経 談話室 2024.3.21 ~この顔がほしい~


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女神と龍と天使のまんとら展

2024-02-29 11:25:34 | 音楽・芸術・文学




この地図に載っている久村酒店(別名久村の酒場)は酒田で有名な居酒屋である。
もともと酒屋だったのが、店の中で一杯飲む客が増えて、居酒屋を開業。
その内に座敷も和室も店の一部になってしまった。常連も多い。
〆鯖とゲソと厚揚げは、定番メニュー。

久村酒店から北へ行くと、中島精肉店がある。
あなたの知らない過去の酒田さんによると、酒田で最も古い精肉店だそうである。
1階が精肉店(現在も営業中)で2階は居酒屋(昔は通ったのに)だったのだが。
何を隠そう、初代ゴジラのスーツアクターの中島春雄さんの生家である。
ここではゴジラ肉を売っている(嘘)かも知れない。



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米粒写経 談話室 2024.2.21 ~晴れのちカミナリ~

2024-02-23 14:28:24 | 音楽・芸術・文学
米粒写経 談話室 2024.2.21 ~晴れのちカミナリ~


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南洲会

2024-02-14 15:18:34 | 音楽・芸術・文学


南洲会の今回の研修は、神武天皇だ。
2月11日が建国記念日(紀元節)なので、それに併せたようだ。
難しい内容ではなく、子供向けの紙芝居で進めて行く。
題が「神武東征」とあるが、これらの紙芝居は「古事記」の子供版で、従って閲覧禁止の部分は省いてある。
デジタル紙芝居は「古事記」に限らず、You Tubeでも多々探す事が出来る。
音だけ聴いても、睡眠導入用に持ってこいだ。←こらこら


後半は、西郷隆盛の南州訓の解説と詠みを教わった。


会場は南洲神社の境内にある南洲会館である。
飯盛山を隔てて、土門拳写真記念館と隣接している。
南洲会の研修が終わり、その足で土門拳写真記念館に向かう。
記念館では、「絵画と巡る土門拳ー生誕120年・棟方志功とともにー」が開催されていて、青森県立美術館で観た数々の棟方作品を思い出す。
土門拳と棟方志功は仲の良い友人だったようだ。お互いへの作品もある。
棟方を撮す土門拳や、二人で同じ題材に挑む様子、それに土門拳さんへと題された自筆の絵も2枚展示されていた。
記念館所蔵で、なかなか表に出してくれない作品だが、今回は2枚並べて展示されたいた。

展示物を真剣に眺めていたら「お客さん、閉館時間を過ぎています。」と、途中で退出させられた。
南洲会館を出たのが4時ごろだったから、仕方がない。
ちなみに土門拳写真記念館は、午後5時までである。
続きは別の日に見に行こう。

尚、来る2月16日(金)NHK山形で「鬼たちの風景・絵画と巡る土門拳」が放映される。


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黒川能・王祇祭

2024-02-08 20:55:14 | 音楽・芸術・文学


建築士会酒田支部女性委員会の研修として、鶴岡市黒川の春日神社に500年に渡って継承されてきた「神事能」を観に行くことになった。
黒川能は山形県内に伝わる能としては、ちょっとレベルは高く、昭和51年に国指定重要無形民俗文化財に指定されている。



この王祇祭を鑑賞するには、申込みと抽選の壁を突破しなければならない。
なかなかその壁はきつく、誰でも簡単に鑑賞出来るとは言い切れないようだ。
受付で会費を納入すると、同じ部屋の床の間の前に長老が居並び、お神酒を受けるようにと促される。
大きめの赤漆の杯にお神酒をトクトクと注ぎながら「もう良いですか?」と聞いてくる。
「もう良いです。」と応えない内は、波々と注ぎ続けるのが掟だとか。

お神酒を頂くと、「お膳をどうぞ」と促される。
左が上座の豆腐、右が下座の豆腐料理だ。
何故に豆腐?と長老に問うと、王祇祭は別名「豆腐祭り」と称して、黒川の名産品である豆腐を焼き一晩雪と寒さに晒して高野豆腐にし、調理をするのだそうだ。
確かに王祇祭近くになるとローカルTVニュースで大量の豆腐を焼く様子を流している。その準備なのだ。

上座と下座とは、調理の味付けが異なっている。
見た目に小さなお椀の豆腐でも、ガッチリとお腹が一杯になった。


王祇祭の前に、元々の春日神社をお参りすることにした。
春日神社の近くに、下座の当家があった。
下座の能と狂言は、この個人宅で行われる為に、さらに人数制限がかかっている。
我々は公民館で行われる上座を観に行くことになっている。



春日神社は黒川の中央、少し高台に存在している。
石段を登る。




龍のお出迎え


お祭りの日だと言うのに、本殿は静かだった。



お賽銭を上げてお参りするも、「御神体は出張してて、中は空なんじゃないの。」と言われる。
空っぽを拝んできたことになる。



奈良の春日大社も、神の使いの鹿が多かった。


王祇会館に戻り、王祇祭のDVDや能の衣装の展示やらを見終わって、あたりが薄暗くなった頃、会場の公民館に向けて皆で雪道を歩く。
気温が下がり、アイスバーンの道路をヨチヨチ歩きで15-20分。使い慣れない筋肉が痛い。


大広間に陣取るが結構狭い。
舞台を取り囲んで奉納された品々の目録が掲げられている。
山菜沢山や山椒沢山などもあり面白い。


これも奉納された一貫目蠟燭に火が灯り、王祇祭の幕開けとなった。



挨拶の後、後方から春日神社御神体の王祇を背負った男達が現れ、舞台の上に立つ。
王祇を広げて、大地踏(だいちふみ)の子の登場を待つ。
大地踏とは黒川能独自の演目で、稚児が足拍子を踏んで大地の悪霊を鎮め、新年の安穏と繁栄を祈るものだ。
めちゃめちゃ可愛いお稚児さんが出てきて、こんなに幼いのに難しい長台詞と舞に、すっかり驚いてしまった。覚えるのも大変なのだと思う。


「式三番」である。翁が天下泰平と三番叟では黒いお面を付けて三番を踏む。
観客の後ろで見にくいのと、カメラマンの腕がすこぶる悪く、ブレブレばかりである。



「難波」では、翁と梅の神霊の他は、次世代を担う子供達と若者達が舞台を務めた。


梅の神霊は迫力満点である。



狂言は「靭猿・うつぼざる」である。
猿役の子供を含めて、全員が顔出ししているので、写真は省く。
基本的に、王祇祭は撮影許可(有料)を貰って撮すが、SNSなどの無断転載は不可なので、許可を貰った。
その際、個人を特定できる顔が映っている物は駄目だと念を押される。
木華咲揶姫の演者もしかり、イケメン揃いなのに残念ではある。
実物は実際に観に来なければならないのだと思う。



御神体の王祇は、献能の一部始終を、広間の奥で見てなさる。


春日神社の祭殿も用意されている。
春日神社の大本は、奈良の春日大社だ。

途中休憩が入る。下座から暁の使いがやってきて、上座の面々に挨拶をする。
きっと下座でもお互いに同じことがなされているのだと思う。
王祇祭では、同日に上座と下座が別々の演目を行っている。
500年の歴史と共に、演目数が能では500点以上、狂言は50番、演者数は150名。能面250点、能衣裳500点以上と、民芸芸能の域を超えている。


「道成寺」では、釣り鐘も登場する。紀伊の国道成寺の釣り鐘が奪われて再建の日に、白拍子が現れる。
舞を見せることで寺の境内に入れて貰い、釣り鐘に近づくと鐘は落下する。



僧侶達の祈りの力が功を奏し、白拍子は鬼女に变化する。


鬼女は僧たちに掴みかかるが、祈りに負けて逃げ去っていく。

1つの演目が長い。正座しても足を伸ばしても、足が痛い。
この辺りで、観客の数が少しづつ減っていく。身体が痛くて堪らないのだ。
本来の王祇祭では、夜通し演目が続けられ、翌日は春日神社の祭事に加え、神社で一連の演目が行われる。
今年は夜中の3時ごろに初日の行事は終わり、仮眠を取って朝を迎える。
この時点で12時近くになっていたと思われる。



「こんかい」は狐が出てくる狂言である。
漁師に一族を次々と釣り殺された老狐が、老婆に化けて漁師に狐狩りをやめて欲しいとやってくる。
一応約束はするのだが、罠に掛けられた餌があまりに美味しそうで、狐は化身を解いてしまう。

先の演目といい、狂言は普通に我々が知っている狂言より、かなり古い言葉で演じられている。
能の謡は難しくとも、狂言くらいは判るだろうと思ったが、さにあらず。
すこぶる難しかった。それに加えて鶴岡(旧櫛引町)特有の訛りもあって、益々難しかった。



「羅生門」は源頼光や渡部綱が出てくる有名な羅生門である。
この前に演じられた狂言の辺りで、そろそろ体力が付きかけ、「どうする帰る?」と弱音を吐く私。「せっかく来たのだもの、全部観る。」との返答に、席を立ったり移動したりする。

観客たちの心を知ってか、羅生門も前半を大幅に削り、最も見せ場となる後半だけを演じてくれた。
渡部綱と鬼の戦い、綱は兜の緒を引き千切り、大太刀で鬼の腕を切り落とす。
大立ち回りが繰り広げられた。

小休憩では、黒川の関係者が日本酒一升瓶に熱燗を入れて、観客たちに配って回る。熱燗も熱燗で香りに咽ぶほどだ。
上座の豆腐料理も配られた。ふうふう言いながら熱燗を口に含むと、今までの疲れもすっかり消えてしまうほど・・美味しい!



「淡路」最終の演目である。これも後半の見せ場だけを演じてくれる。
松山の大寒能の高砂でも同じことを思ったが、能の演目は名前と場所と配役が異なるだけで、ストーリーが同じ物が多いと思う。
それにしても、王祇祭の解説書に書かれていた能番組一覧は、天保10年から演じられていた演目が須らく載っている。
凄い歴史だなと改めて思う。年々黒川の住民の数は減ってはいるそうだが、若者や子供達への伝承も素晴らしい。



黒川能は年間を通じて、上記のように一般でも観る機会がある。
公益財団法人黒川能保存会のHPでも詳しく、お勧めである。
「黒川能」で検索すると、You Tubeなどで少しだけ能を観ることが出来るかも知れない。




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本間美術館へ行く。

2024-02-03 12:09:53 | 音楽・芸術・文学


本間美術館の年間チケットが1月で切れる為、更新の手続きをと美術館へ向かう。





館内では堀内則次のパステル画が展示されていた。少し暗いなるほどパステル画だった。


私の今回の目標は、パステル画ではなく、清遠閣の古文書である。


所々に残雪を見ながら、庭を歩く。


残念ながら、鳥海山は雲に覆われていた。
池に水紋が広がっているが、鳥か鯉かが動いているのだろう。


清遠閣では、建物も古文書も撮影が可である。


これは一階奥にあった本居宣長の書。
本間家では宝物がザクザクである。


その床の間の隣の違い棚。ツバメの絵が描かれていた。


冬季間のみ障子が立て掛けてある。障子戸のデザインも面白い。



素晴らしく美しい文字だと思ったのが、上杉鷹山の書だった。


よし、ワンタン麺を食べようと、美術館から東軒へ向かう。
あら残念! 定休日だった。


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