無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

全国女性建築士連絡協議会 山形大会準備

2024-11-23 09:37:48 | 
11月2日、全国大会のエクスカーションのリハーサルをかねて、建築女子フォーラムが開催される。
エクスカーションは、大会翌日の見学会で、5つのコースを組んでいる。
その中の銀山温泉コースは、以前に銀山でフォーラムを行った時に体験しているので、今回のコースから省く。
お昼前に集合場所に集まった会員が4つのコースに分かれて、当日と同じ行動をし、不都合な点が無いかを見極める物だ。


最も人気の高かった「上山コース」に潜り込み、最初に丹野こんにゃく番所に到着する。
この日も雨だった。


ここには以前建築士会女性委員会で、訪れた所だ。
暖簾をくぐった先にはカフェがあるそうだ。


こちらがお店側である。


こんにゃく懐石。
運んでくれた女性が料理の説明をしてくれる。



茸と人参は本物だが、他はこんにゃくである。


ホタテの天麩羅もこんにゃくである。


イカ刺しだって、こんにゃくである。


お蕎麦だって、こんにゃくである。


デザートのラ・フランスもこんにゃくだけど。



山形名物玉こんにゃくは、紛れもなくこんにゃくである。


お店でラ・フランスを買う。


買物の時間も必要である。


カフェにこんにゃくソフトクリームを求めて、数人が駆けていった。




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建築士会全国大会 鹿児島 1

2024-11-12 22:53:43 | 

24日、朝6時に庄内空港集合。



羽田空港にて乗り継ぎ、鹿児島空港へ向かう。


多分GPSが作動するから、携帯のマップで機体を追ってみた。ちゃんと機能する。
日本列島の太平洋側を飛んでいて、丁度愛知県から和歌山県を通過中。
天気はどんどん悪くなる。
鹿児島空港へ着陸態勢に入るも、桜島は見えなかった。


鹿児島空港内。


売店では造りたてのさつま揚げが売られている。
普段食べている物とは、明らかに違った。


鹿児島は雨だった。


バスの中で配られた物。ウイスキーのハイボールにはあらず。


空港から知覧に向かう。


知覧桜見亭にて、昼食。


知覧茶が美味しかったので、お土産に買った。


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建築士会全国大会 鹿児島 2

2024-11-11 13:58:18 | 
知覧特攻平和会館へ行く。
私がどうしても行きたいと希望していた場所だ。



最初に我々を迎えてくれたのは、陸軍1式戦闘機「隼」だった。
雨に濡れた日の丸が目を引いた。


「隼」は、私の父も乗っていた。


対面に飾られていたのは、初等練習機「T-3」である。
「T-3」? 大東和戦争時、敵国語であるアルファベットは使わないはずだがと、ネットで検索すると、昭和50年に航空自衛隊の練習機T-34の後続機として使用された物だった。


ちなみに、日本軍には海軍と陸軍はあっても、空軍はない。
昭和の自衛隊の練習機を、何故ここに飾るのかは、解せない。
飛行機であれば、何でも良いものではなかろうに。
意図的に飾られるとしたら問題はあるだろう。




平和会館のホールに入る。内部は殆どが撮影禁止の施設だった。


撮影不可の内部には、特攻に向かう兵士が家族に当てた手紙、残った写真、家族からの手紙などが飾られている。
他には、戦闘に加わった各種の飛行機も飾られている。
時間がたっぷりあれば、事細かに見ることは出来るのだが、内部の広さには勝てなかった。



子供達が群がっている所には、戦闘機の残骸があった。
海底に沈んでいた零式戦闘機を引き上げたが、後部は残っておらず、主翼までの残骸でしかない。


ここは撮影が可だったので、撮してみた。


この機体の状態を見ると、如何に機体の重量を軽くしようとしたのが判る。
海底に沈んでいたからの状況は考慮するも、機体の鉄板の薄さには驚いた。
まるで薄っぺらな紙並みなのである。風圧で鉄板が飛ばないように下地に打ち付けてある鋲の本数にも驚いた。
こんな装備で飛んでいたのか。零戦は攻撃には強いが、防御はからっきしだと言われていた。その通りだと思った。
飛行兵を守らない戦闘機だと、言われる所以をまざまざと見せつけられた。


この知覧特攻平和会館と似た施設で、靖国神社の境内にある遊就館がある。
遊就館には、神社の中だからか、同じ内容でも清々しさがあった。
しかし、知覧は特攻に特化した施設なので、まったく別の雰囲気が漂っていた。



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建築士会全国大会 鹿児島 3

2024-11-10 16:40:00 | 
予定では知覧の武家屋敷を観ることになっていた。
しかしながら羽田空港から鹿児島空港へのフライトの時間が遅れたのと、九州南部の天候(つまり雨)が災いして、パスすることになった。
次回に期待しよう。(って、また来ることが出来るのか!)

次に向かうのは仙厳園である。
薩摩の城には天守閣がない。島津公はこの仙厳園を普段使いの御殿としていた。




丸に十字の家紋は、島津藩の物である。
ここから入場する。ちなみに入場料は大人1600円である。


施設の中は結構広い。
傘を挿すも、パンツの裾が雨に濡れて難儀する。



島津公の御殿と、庭と、神社と、大砲製造の為の反射炉跡が残されている。
詳しくは家に帰ってから読んでみようと手にとった説明の小冊子は、なんと中国語版だったよ~~。読めないよ~~!



お店が続く。


左側には築かれた石垣が、延々と続く。


芙蓉系の花だと思う。
多分鹿児島だとハイビスカスも路地で容易に咲くのだろう。


井戸にしては大きい。用水を溜めておく所なのか。
過去に見た城郭だと、井戸がとても重要なので、気をつけて見ているのだが。



正門を内側から見た所である。
道路を挟んで向かいには鹿児島湾が広がっている。
道路と平行に電車も走っていて、なかなかの景観である。



庭に入る。


御殿前下庭だそうだ。


石段を登っていく。


素敵な石灯籠が現れた。鶴灯籠と呼ぶのだそうだ。
11月になると、菊人形展が開催される。その準備の為、あちこちに下地作りが行われている。
それが庭と重なって、はっきり言うと邪魔なのである。


御殿入り口についた。


「鳳印の間」ここからは御殿の中が続く。
外様大名ではあるが、徳川幕府の御家老職を努めた酒井藩の屋敷よりも、ずっと豪華である。


中庭も大きな物、小さな物、それぞれに美しい。



謁見の間


二部屋続きの謁見の間。
日本人だけでなく、渡来人も客人として多かったのだろう。



御寝所


湯屋、化粧の間と言ったらいいのだろうか。


居間から眺める庭と遠景の桜島(が見えるはずなのだが)


ゆったりとした縁側が続く。



釘隠し金物















島津家の家紋が隙間なく施された御駕籠



この欄間は御寝所の物だった。


時計と思われる。


とうとう目の前に桜島が出現。
この庭はNHKの「篤姫」でも使われたと思う。
それとも西郷隆盛の「てごどん」だったかな。





ついに見つけた井戸


猫神社に向かう道(行かないけど)


薩摩切子の店だった。
お~っとまぁ、高価な切子が沢山並んでいた。


あの時代、もっとも海外に目を向けていたのは、長崎と鹿児島ではないだろうか。


いち早く大砲の需要を見込んで、反射炉が造られた。


反射炉そのものは残っていないが、その跡地と基礎は残っている。


反射炉の記念の碑


薄暗くてよく見えない。
水路も残っていた。


鹿児島世界文化遺産オリエンテーションセンターで、反射炉の模型を見た。









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建築士会全国大会 鹿児島 4

2024-11-09 19:43:29 | 

夜の繁華街へと繰り出す。
目的地は鹿児島駅前付近。
なんと電車での移動である。



通勤通学客にまみれながら、「一人様どこまで行っても170円」を握りしめて電車に乗る。混んでいた。


観覧車がネオンの色を変えながら回っている。


こんな所やあんな所を通り、目的地へ行く。


建物の中なのに、屋台風の設えである。


他と違って、露天の屋台は鹿児島には作れないのかも知れない。
他の地域では、空から降るのは雨や雪だろうが、鹿児島では火山灰が降るのだ。
へぇ、大変だろうなと思うのは余所者。鹿児島人は当たり前なんだそうだ。




















料理が次々と運ばれてくる。

帰りも電車で帰った。
隣の席に座った薩摩のおっちゃんに「170円で電車に乗れるのは安いね。」と話しかけたら、
「ついこの間までは150円だったんだよ。あいつら(電車の会社)はボロ儲けしているんだ。」
と話が弾み、西郷さんに会いに来ただの。庄内藩から来ただの。ほうほう。と。
わたしゃ、このまま一周しようかと思ったよ。(酔っぱらいおばさんは困るね)






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建築士会全国大会 鹿児島 5

2024-11-08 20:22:54 | 


ホテルの朝食レストランからは、桜島が見えた。
何だ、雲がかかってると思ったのは私。
この日の桜島予報は、鹿児島市方面に降灰だそうで、雲に見えるのは火山灰である。


里芋の煮っころがしが美味しかった。
鹿児島のさつま揚げの美味しさは、他と比べられない。


ここは何処?!



ここはフェリー乗り場である。
料金は桜島で支払う仕組みになっている。
令和6年7月1日から値上げになって、それでも片道オトナ250円である。
クゥ~安い。






ケンミンSHOWで見た桜島フェリーのうどんやさん。
混んでいた。


強風に吹き飛ばされながら、デッキ最上階へと繰り出す。


最後尾から船もろとも桜島を撮す。



港に着いたけど、なんだかな~の港


何処に行けば良いのやら。


月読神社だそうだ。




桜島の噴火では、灰だけでなく岩も降ってくる。




ひたすら歩く。


ビジターセンターに到着


映像を見たり、展示物を見たりと桜島に着いての教養(?!)を深める。





こちらのQRコードで、桜島の動画を見ることが出来る。


港に向かって歩く。



普通の野菊と違って、小粒ではあるが秋明菊に近い花だった。



余所んちの敷地を突破したり。


ターミナルへたどり着く。


Kさんの提供の桜島
帰りのフェリーでは、修学旅行中の小学生の一団と同船になる。
やかましいオトナと違って、偉く大人しい小学生たちだったが。



イルカがいる!!の一声に、騒然となった。
担任の先生も一緒になって、「イルカだ!」の掛け声に、子供達は一斉に窓際に。ついで右舷にと集団移動する。


船が傾ぐことはなかったが、子供らしさを存分に味わった。


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建築士会全国大会 鹿児島 6

2024-11-08 10:48:04 | 


桜島フェリー乗り場から、全国大会会場までへの移動は自由行動となった。
女子4人が、少し距離はあるものの、南洲神社へ行こうとタクシーを待つ。
そのタクシーは、朝にホテルからフェリー乗り場まで乗せて貰ったタクシーで、Fさんは運転手さんの携帯番号をゲットしていた。
南洲神社から大会会場へも、お願いすることになるのだが、鹿児島の人は親切だなと思う。

南洲神社を含む施設は、山の高台にあった。
写真の建物は南洲神社の横の西郷南洲顕彰館である。
時間の関係で寄ることはなかった。



西南戦争で戦った役官軍と薩軍の恩讐の彼方にと書かれている。


江戸時代から明治に至る方々の墓所で、遥かに桜島が見える。
階段を降りて墓の並ぶ小道を行くと南洲神社に着く。


南洲神社である。酒田のそれよりも大きい。(当たり前だけど)



まずはお参りする。庄内からお礼に参りました、と
社務所には誰もいなかったので、大声で呼ぶ。
皆は御朱印やお守り。私は御札を求めた。

この辺りで、別行動をする筈だった酒田勢のメンバーが続々とやってきた。
私達の行動が気になったらしい。


墓所の中央に、西郷隆盛の墓があった。
社務所の人の話では、庄内藩士の墓もあると言う。
時間の関係で、そこを回らずに移動する。


猫がいた。


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建築士会全国大会 鹿児島 7

2024-11-07 11:11:11 | 


南洲神社の駐車場から第一タクシーの個人携帯に電話する。5分程で着くと言う。
そこから会場への通り道で、島津藩鶴丸城の御楼門の前の合同庁舎に停車して貰い、写真を撮す。
鶴丸城は天守閣を持たない城だそうだが、明治の火災で消失したのかも知れない。
鶴丸城は、初代薩摩藩主島津家久が,関ヶ原の合戦直後の慶長6(1601)年頃に築城を始めた と言う。
島津藩は織田信長や豊臣秀吉に仕えた、関ヶ原の合戦で言えば西軍である。
それでも徳川家康は鹿児島に領地を預け、琉球をもその配下に置いた。
ちなみに、徳川家を別として、日本で最も金持ちな藩は、前田加賀百万石であり、2番目がこの島津藩である。
譜代大名の酒井藩は名目だけで、なかなかの貧乏藩なのである。


御楼門と同じ並びに、西郷隆盛の大きな銅像が立っている。


全国大会会場へ着いた。ここは第2会場の鹿児島中央公民館。



並んで全体会場の宝山ホールが建っている。
周りは鹿児島県各地のお土産などの露天が取り囲んでいる。

受付を済ませ、お弁当を受け取る。


食事場所は、道路を挟んだ山下町中央公園で、芝生の周りの通路にテントが沢山が設営されていた。
昨日もそうだが、今日も今日とて鹿児島は雨模様なのである。


渡されたお弁当は、鹿児島黒牛(くろうし)弁当だそうだ。


会場の前で、島津藩の野太刀自顕流の稽古を見る。
子供達は勿論、女子も加わっている。



掛け声がすごい。


後ろの銅像は、小松帯刀の像だったらしい。
詳しく見てこなかった。惜しいことをした。




大会記念フォーラムが始まった。
左からコーディネータの鯵坂氏。林望氏。後藤一真氏、大西麻貴氏


林氏のイギリスの住宅から











大西氏は桜島に小学校を計画中だとか。


フォーラムが終わり


大会前の奄美大島の島唄が始まった。
島出身のお二人が着ているのは、大島紬である。
白い大島紬は、初めて見る。
会場でも鹿児島建築士会の女性たちが、華麗に大島紬の着物を着ていた。
綺麗だった。
そして、私達は会場を抜け出す。


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建築士会全国大会 鹿児島 8

2024-11-06 14:26:55 | 
 

全国大会を抜け出して、鹿児島大学キャンパスへ行こうと携帯を取り出した。
第一タクシーに連絡するためである。
「あぁ~、ごめん。今、桜島にいるので行けないわ。」
きっと親切なドライバーさんは、鹿児島旅行には欠かせない案内人でもあるのだと納得する。



国立鹿児島大学キャンパスには、建築家の安藤忠雄作品の「稲村会館」がある。
キャンパス前にタクシーを乗り付けて、簡単にこの稲村会館が見つけられるものだと考えた。
そこにクラブの案内パネルを持って立っていた学生に、会館の位置について聞いてみた。
鹿児島大学にはキャンパスが3箇所あり、最も大きいのがこの郡元キャンパスである。
稲盛会館は、このメインの入口の真反対にあると言うので、シャンパスの中を突っ切って歩くことにした。



この建物は稲盛記念館である。
稲盛氏とは、(株)京セラの元会長で、昭和30年に鹿児島大学工学部を卒業、後に鹿児島大学名誉博士でもあった人物だ。
博士であったのは知らなかったが、経済界ではその名を知らないものはいないほどの有名人である。



稲盛会館の位置がきちんと判っていたなら、反対側の遠い場所に降り立ちはしなかったのにと思いながら歩く。


ただ、雨の中とは言え、大学の様々な建物を見ながら歩くのは楽しい。


見つけた!


安藤忠雄の得意なタマゴが見えている。



玄関の辺りで、見学させて貰って良いか。
撮影も可能かと説いてみた。
容易に許可が取れ、今日は沢山の人が見学に訪れているそうだ。
建築士会の全国大会が開催されていることを納得されていた。



残念ながら、丁度この日は、メインのホールで別の催し物がされていて、内部が披露されないことを告げられた。
その他は、自由に見て撮影も大丈夫とのこと。
応えてくれたのは、スラッとした美人さんだった。


会議室



タマゴの切れ間を歩く。


図面を引くのは容易いが、工事をする側は大変だったろうなと思う曲面。


スロープが空中を交差している。


タマゴの黄身が壁にくっついていた。






2階に上る。


タマゴの先端は外にはみ出ているが、内部はまるでエマニエル夫人の椅子のようである。




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建築士会の全国大会 鹿児島 9

2024-11-05 23:02:38 | 


二日目の鹿児島の夜は、一日目より料理も酒も簡素だったので、割愛する。
最終日の朝は、鹿児島空港よりの霧島アートの森に向けて出発する。
相変わらず桜島は曇っている。


高台の美術館は、現代アートがメインである。
到着した駐車場の中央には、水玉模様のラフレシアもとい草間彌生の大きな作品が陣取っていた。






霧島アートの森へ向かっている。


入り口へ着いた。


受付でチケットが配られる。


草間彌生さんのハイヒールの存在がホールで光っている。


霧島アートの森は、現代アートの宝物殿だ。
特に野外のキャパが広い。
巨大な人物が立っていた。四方から見ても同じ姿である。



ストーンヘンジ?


ストーンヘンジ?から美術館の建物を観る。


鏡の縁のような輪っかが落ちていた。
ここを潜ると別の世界に行くに違いない。


細い人はくぐり抜けられる。


山茶花が咲いていた。


庭から美術館を観る。


風が昆虫の羽根を動かす。



埋もれている羊


子供の遊具ではない。立派な芸術作品なのだが。


女子トイレの中。
近未来のトイレである。


展示室へ入る。


ここでも現代アート。


吹き抜けの上の通路


上部から玄関の受け付けを観る。


歩き疲れた人間達が集まる場所。
カフェと売店にたむろする。


売店のテラスから見た庭のオブジェ。


駐車場の片隅に集まる喫煙者達。
手前の芸術作品は、ホオズキのように見える。


改めて、草間彌生に別れを告げた。


道路はカーブの多い山道を走る。
行く先々に茶畑やお茶の工場が見えた。


昼食に寄った道の駅。
天気が良ければ、桜島や開聞岳が見えるのだそうだ。
開聞岳にお目にかかれなかったのは残念だった。
この山は霧島である。


昼食に、鹿児島ラーメンをチョイスする。
九州は基本的に豚骨なのだそうだ。
鹿児島の黒豚チャーシューは絶品だった。



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建築士会全国大会 鹿児島 10(最終)

2024-11-04 13:05:24 | 


午後一番で霧島神宮に行く。
我々が普通に神社と呼んでいる物の中には、神宮、神社、大社がある。
その違いは何かとググると、神宮はそこに祀られている神様が皇室の祖先であること。
神社は一般的な社。大社は元々大国主命を祀った出雲大社を示すことだったが、明治以来神仏混合から独立して神社になったものを言うそうだ。


広い。まずは本殿に向かう。


樹木で覆われた少し暗がりの参道を行くと、日を浴びた本殿が見えた。


手水舎で身を清める。撮った写真を見てぎょっとする。
右側の黒い物体が人間に見えて、しかも透けている風に見えた。
拡大して確かめると、石に彫った竜の水口だった。


霧島神宮では、何があっても不思議ではない。


唐破風の彫刻の見事なこと。


授与所。



拝殿から本殿に向かう階段。一般人は入れない。


授与所ではおみくじやお守りなどを求める人で賑やかだ。


ご神木の杉(メアサ杉)、樹齢800年、高さ36m、幹周り7.2m(胸高)と書かれている。
確かに大きいけど、羽黒山の爺杉に比べると200年も若いし小さい。




拝殿から本殿への階段が見える。


神楽殿。祈祷をして貰うときには、こちらを利用するらしい。
家族連れが入って行った後に、太鼓の音が鳴り響いた。


神楽殿の前にあった手水舎。


山神社へ行く前の手水舎。
霧島は水の良い所だと思う。
豊富な地下水がそこここに流れていた。


山神社へは、どう行けばと思っていたら、すれ違った女性二人から「もうすぐだよ」と教えられ安堵する。
階段をヨタヨタ上っていたら、Fさんが先に来ていた。


小さな小さな祠だった。脇にそびえる木の方が大きい。


戻りの道は楽しい。


山神社へ行く道しるべの角には、なんや恐い顔をした石像が顔を覗かせていた。


その角を右に行くと立て札があった。
高千穂の文字に心躍る。踊るだけで行く勇気と体力はない。



御祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)で、天照大神の孫だ。
ここには神話が息づいている。


駐車場には季節外れのツツジが咲いていた。ミヤマキリシマではなさそうだ。
ここを出て、鹿児島空港へと向かう。


そうそう、今朝ホテルを出る前にバスを待っている全員を撮したもの。
鹿児島市内の繁華街に近いホテルだった。眺めも良い。



鹿児島空港に到着する。
鹿児島で美味しいと言われたキビナゴを食べることがなかったので、売店にて写真を撮す。


鹿児島の醤油は甘い。甘口なのではなく、甘い。
この甘い醤油で刺身を食べて、ちょっとだけ違和感があったが、すぐに慣れた。
この甘い醤油は、料理をするのに便利なのだそうだ。
大きな物は買いたくないので、卓上瓶を買う。
その他にも焼酎3本がトランクの中に入っていて、なにかと荷物は重い。


ボンタンアメも買った。子供の頃に食べた懐かしい味がした。
飴と言ってもグミのようだが、オブラートに包まれているなんて、今どき珍しい。
誰もが手にいっぱい荷物を持って、空港の手荷物検査を受ける。
と、そこで私が引っかかった。来るときには見逃したのか、生け花用のナイフが筆箱に入っていた。
そこで捨てれば問題はなかったのだが、何としても持ち帰ると言う私に、もう一度手荷物預け場に戻って、単独でナイフを箱に入れて渡してほしいと、走り回ることになった。
鹿児島空港はごった返していた。もう少し時間が掛かれば、飛行機に乗り遅れる所だった。

庄内空港で、小さな箱に収められたナイフが、ベルトコンベアから流れて来た時には、「鹿児島の人達、ありがとう!」と叫びたくなった。
人間は簡単に諦めるものではない。

雨には祟られたけど、面白い旅行だった。


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羽黒山へ行く

2023-01-03 21:09:09 | 


二年ぶりに羽黒山へ向かった。
藤島を走っていると、自衛隊の車両と擦れ違う。車両には「災害派遣」と記してあった。
西目の帰りなのだろう。行方不明の二名が見つかったからだ。
ここから新庄経由で東根の駐屯地へ帰るのだと思う。
お正月も休めなかったのだろうな。お疲れ様、そして心からありがとう。


さて、風こそ吹け雪のない酒田から羽黒山へ向かう。
大きな赤い鳥居をくぐって坂道を走ると、両側にどんどん雪の壁が出来てきた。
これでは我慢が出来ないと、車のギアを4WDに切り替えた。
羽黒山の初詣を終えた車が、連続して降りてきた。除雪車も出ている。
昨年は、あまりの大雪に、来ることを断念した。

手水舎は、雪で入れない。と言うかコロナの影響を心配して、水を停めているようだ。


まずは本殿に向かう。


やはり羽黒山は山なのだと、雪を眺めながら改めて思う。



本殿に詣るには一方通行で進むようだ。



氷柱が落っこちると言うことはないのだろうか。


今年は卯年、月山にはウサギさんがいる。
卯年の御縁年だそうだ。
いつもは三社の扉が開いているのだが、今回は中央の月山神社のみだった。
本殿の中では、多くの参拝者がご祈祷を受けている。


その方達は、ここから入り、内を通って本殿に入る。
とても混んでいた。



この釣り鐘は、元寇の襲来時に、羽黒山から龍が飛び立ち、加勢をした礼に奉納されたとの謂れがある。
鐘楼も古い。


商売繁盛の御札を頂いてきた。古い御札は日枝神社のどんど焼きに出す予定だが、近くにそのような神社がない場合は、ここで受け取ってくれるようだ。


駐車場の近くまでやってきた。
正月の三日日はお店も開いている。
温かい甘酒も良いな。


駐車場が混み合っていて入れない場合は、羽黒山スキー場の第二駐車場に車を置いて、バスで送迎してくれる。
それもなかなか良いのだが、雪道以外でも歩き慣れていない足を労って最短のコースにした。
今日はこれで帰る予定。(本当は羽黒の漬物屋に寄ったが、定休日の立て札が立ててあった。)

地吹雪の中をライトを点けて走った。
羽黒山までの新しい道路のおかげで、今年は県外の参拝客が多いようだ。
コロナが一段落したのも、影響したのだろう。
佳い年になれば良いな。


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まるで映画のエイリアンの様

2022-12-26 17:53:09 | 


CSのヒストリーチャンネルでは、「古代の宇宙人」と言うシリーズを流している。
地球には遠い過去から宇宙人が到来して、人間の文化に影響を与えてきた。
その痕跡が、各地に見られると言うストーリーの元に、それこそ世界各国、日本にも撮影にやって来ていた。

それを頷けさせる写真がある。まるで映画の「エイリアン」のようである。

後でゆっくり読んでみよう。


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2022(公社)建築士会全国大会 あきた大会1

2022-10-23 12:51:52 | 

お隣の県へ行くとて、8時半に建設会館を出発する。
人数の割に大型バスがやってきた。一人4列確保できるかな。


雲ひとつない秋晴れである。
水平線の上には飛島が鎮座しているが、バスのガラスが青色仕様なので、よく見えない。



日本海は、潮の流れで模様が付いていた。


南を見ると、共同火力の煙突が酒田の位置を示している。


男鹿半島の寒風山である。
男鹿半島を含む入り江には、洋上風力が並んでいたが、それもはっきりと撮すことが出来なかった。
洋上風力、酒田でも計画が進められているが、果たして良いものかどうかは判らない。


象潟の道の駅で一時休憩をする。
秋田市内に入り、秋田市民俗芸能伝承館に入る。



竿燈が展示してある。


説明を聞いているらしい。







右の文書は、竿燈のお囃子の楽譜なのだろうと思う。


これだけの揺本があるのは、町内別でお囃子が違うのか。


四季折々の行事の絵巻もあった。


竿燈よりも古くから伝えられている芸能の数々。


実際に飾られているお面がちょっと怖い。



階段の途中に貼ってあったポスターで、稲庭城を知る。
うどんの名前だけではなかった。こちらの方が古いのだろう。
これは、登ってみたいな。




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2022(公社)建築士会全国大会 あきた大会2

2022-10-23 12:51:33 | 
秋田市民俗芸能伝承館は、通称ねぶり流し館と呼ぶらしい。
ねぶるのか、ちょっと怖い名前だわ。
館内を見学して、別口の出口を通ると、隣の旧金子邸土蔵の前に出た。


秋田は黒い土蔵が多い。
白壁よりもはるかに何工程も、左官の手数がかかっている優れものだ。




町家づくりの土間が表玄関までつながっている。






旧金子邸は太物(綿織物・麻織物) を扱っていた商家らしい。
帳簿も保存されているのは有り難い。












表の店側は、2階建てのようで、床組が天井になっている。
座敷周りは天井が高く、なかなかの造りである。
昭和初期の建物らしい。



土間通路の柱の奥行き(狭い)場所に、履物が一列入る下駄箱があった。


蔵の中に入る。


粋な半纏が掛かっていた。


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