無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

飽海地域史研究会 暁部隊

2025-02-12 11:32:26 | 酒田

1月18日、飽海地域史研究会の講座前半で、「酒田空襲と暁部隊」への情報提供のお願いについて、小田先生からのお話があった。


最初に数分だけ、DVDの一部を観ることが出来たが、酒田に駐留していた陸軍の「暁部隊」については、名前すらも知らなかった。
彼らはひたすら庄内浜に流れ着くドラム缶の回収を行っていた。
満州から食料物資を日本に輸送するのに、船も不足していた為にドラム缶に食料を詰めて海に流し、
海流によって酒田海岸に流れ着く設定で行われたが、殆ど効果はなかったのではと言われている。



建物疎開の際に、この暁部隊が公会堂を倒したと、佐藤三郎氏が「酒田よもやま話」に載せている。


詳しくは堀川惠子著の「暁の字品」が詳しいようだ。


また、12月5日にEテレで放映された「破綻の航跡-暁部隊と字品」が面白かったようだ。
日本陸軍の揚陸艦に必要だった大発同艇の設計に当たった人物が、酒田の人間だったと言うので、酒田に情報収集と収録に訪れたようだ。
その人物は、あまりに身近だったので驚いた。我が家でも長年使っている「市原の味噌」の市原さんがそうだった。
彼は非常に優秀で、ドイツからロータリーエンジンを伝えたし、様々な発明をしたようだが、途中から戦争の為の武器になることを拒んで軍から離れる。
戦時中から一般人として過ごし、酒田に帰ってきてからも一切の事を話さなかった。
トランクに一つの書類や日記は、口に出さなかった諸々が詰まっている。

何故、広島に原爆が落とされたのか。それには暁部隊や市原さんなどの動きが狙われたともされている。




堀川惠子さんの「暁の字品」は、Amazonでは見つからなかった。
酒田市の図書館には有ったが、目下貸し出し中であった。
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日枝神社のどんど焼き

2025-01-16 13:37:21 | 酒田

1月16日は下の日枝神社のどんど焼きの日
日和山公園は駐車する車でいっぱいだったそうだ。




辺りは煙とプラスチックを燃やすツンとした臭いで満ちている。
火の周りは暖かい。


今朝降った雪も黒くなった。


光丘神社にお参りする。


防風網の色が青で無ければ良かったな。


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謹賀新年

2025-01-01 15:01:54 | 酒田
明けましておめでとうございます
今年もよろしくお願い申し上げます

令和7年1月1日




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10月22日は

2024-10-20 18:19:23 | 酒田


日和山公園の入り口には、日枝神社への鳥居と随神門がある。
(この鳥居に掲げられている「日枝神社」は西郷隆盛の書である。)



随神門の左側の斜面を登ると、石碑が立っている。


これは、明治27年10月22日に発生した庄内大地震の慰霊碑である。
丁度、発生した時間が夕げの支度で、今どきの耐震設計のガスコンロなどない時代で、カマドや七輪など火を使っての炊事の為、またたく間に火の手が町のあちこちから発生した。
地震と津波の被害もさることながら、大火での被害も多かった。

明日の22日には130年前の庄内大地震を題材にしてシンポジウムが開催される。
その下見で、写真を撮りに行ったのだが。
説明文の句読点が、枠外にはみ出ているのが面白かった。



慰霊碑からは、随神門がこのように見える。


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幕末三舟の一人 高橋泥舟

2024-09-12 09:51:47 | 酒田

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新町界隈

2024-09-09 11:21:20 | 酒田


庄内の芋煮もどきを作っている最中に、油揚げ(庄内では厚揚げを油揚げと呼ぶ)とこんにゃくと長ネギが足りないと、リュックを背負ってト一屋へ向かう。
前回、ここを歩いている時に、泊り客が家族で旅館の前で写真を撮っていたのを思い出す。
旅館の松美屋さんは健在だ。内部もさぞかし立派なのだろうと思う。


表の破風には「海望楼」の看板があり、よく見ると大正十二年8月に竣工と書かれてある。
そうか、大正生まれなのね。



夏から秋へと変わる季節、暑い日が続いて花の少ない季節でもある。


緑も良いが、花があるのもホッとさせてくれる。


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道草

2024-08-15 18:32:44 | 酒田


お盆前にちょっと階段花壇の草取りをしようと動いたら、瞬く間に疲れてゼーゼーになった。
自分が歳をとったせいだろうが、どうもコロナ以来体力の衰えが夥しい。
少し筋力をつけたらいいだろうと、出かける。
我が家は高台にあり、何処へ行くにも最初は下り坂最高で、帰りは足が上がらないと吠えるのである。
海の見える坂を下る。


歩くと車で走るのとは違う視界に気がつく。


この2枚のたんぽぽに見える植物は、大きさも花の付き方も違うように見える。どうせ外来種だろうとほっておく。


同じく雑草と呼ばれるガガイモ。花は小粒で綺麗なのだが。


子供の頃に、よく摘んで遊んだ。色がオレンジやピンクに変わるヤブガラシである。
コイツが生えるとヤブが出来る。従ってヤブガラシではなくヤブツクリではないかと思うのだが。



暑い暑いと言う割には、徐々に秋が近づいている。


ほら、こんなに秋が近づいた。


目的地。ト一屋新町店は、この地域の人達と港湾で働く人には、なくてはならない店なのである。
清水屋が撤退し、ト一屋中町店が閉店し、酒田の中央市街地は買い物難民が出ている。
中町で頑張っている仏壇の佐藤の女将さんが、ここまで買い物に来ていて驚いた。
もう少し足を延ばせば、A・COOPだのヤマザワだのがあるにはあるのだが、ト一屋のお惣菜の味に慣れている人間だと、そうも行かない。


買った水物をリュックに詰めて、ゼーゼーと言いながら坂道を登る。
ようやく我が家へと続く道では、カラスが2羽何かを探していた。
この2羽は大きさが違う。親子には見えない。仲良しである。


坂道と対面する場所は、日枝神社へ上る階段と斜面が繋がっている。
涼しい朝方は散歩する人も多いが、日中の暑い最中動き回るのは・・まぁゼロではない。


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2024年07月28日撮影 酒田市・大沢地区の豪雨被害状況(山形県酒田市八幡地域)吉野沢・青沢を中心に、南野前田・二タ子・上黒沢・古升田など

2024-07-29 13:27:31 | 酒田
2024年07月28日撮影 酒田市・大沢地区の豪雨被害状況(山形県酒田市八幡地域)吉野沢・青沢を中心に、南野前田・二タ子・上黒沢・古升田など




2024年07月27日撮影 酒田市・大沢地区の豪雨災害状況(山形県酒田市八幡地域)上青沢〜北青沢、後ロ山、大沢コミセン




2024年07月26日撮影 酒田市・大沢地区の豪雨災害状況(山形県酒田市八幡地域)


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北村くらた農園

2024-07-22 10:32:07 | 酒田


北村くらた農園のHPを時々チェックして、今年の枝豆販売は何時なのかと心待ちにしていた。
今年は新たに駐車場を大きくして、お客さんが混み合わないようにと配慮してくれていたが、初日は本当に凄かった。
駐車場に入られない車が道路に並び、ようやく車を止めて店に向かうも、出口専用の方向の建物の角からはみ出て行列が繋がっていた。



コロナ過から店に入るのは5人づつと、人数制限をしている。
店に入れた人たちも、後ろの行列の人数を知っているので、ゆっくり店内を回るのではなく、サッサと自分の欲しい物をかごに入れてレジへ並ぶ。


お陰で思ったよりもスムーズに買うことが出来たのだが、それでも1時間はかかった。
せっかく店の前の駐車場に入れた庄内ナンバーが、行列の人数を見て帰っていった。
行列が嫌いな庄内人の気持ちもわかる。
それでも初日の枝豆は手に入れたい。


家に帰って早速茹でた。今回はネットで見つけた「少ない湯で蒸し湯でする方法」を使った。
「味風香」甘みの強い美味しい豆だった。


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土門拳写真記念館と紫陽花

2024-07-09 09:37:45 | 酒田


朝、雨が降った。これは紫陽花を撮すのに絶好だと雨傘持参で出かける。
家族連れが多く、子供達が池の鯉にパンをちぎって与えている。
そのパンが目当てで2羽のカラスがやってきたが、1羽は餌を取れない内に逃げていった。
記念館のテラスには白鷺が羽根の繕いをしている。





7月15日まで特別展「植田正治と土門拳-巡りあう砂丘-」が開催されている。


土門拳と植田正治の作品が向かい合わせに並んでいる。
ちなみに私は土門拳の写真が好きだ。


こちらの展示室では女優の写真が並んでいる。


玄関前のアプローチ、壁には四角に切り取られた壁があり、それぞれに景色を映している。





段々に置かれた岩の作品はイサムノグチの「土門さん」
さて、紫陽花を観に行こう。





















小雨は良いが、風が強いのは不利だ。

































































































































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酒田港第1回漁火祭

2024-06-14 13:24:00 | 酒田




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青原寺文化祭

2024-06-10 11:23:27 | 酒田


酒田市亀ケ崎にある青原寺は、酒田の亀ヶ崎初代城主の志村伊豆守の菩提寺である。
庄内では上杉勢を蹴散らした最上義光の家来で、長谷堂の戦いでも活躍した志村伊豆守が町政を担い、酒井家が入城するまでの間酒田を統治した。
現在も続いている「酒田祭」は、志村伊豆守が最初に行ったものである。



13:30から「やまがた愛の武将隊・志村伊豆守」が見参する。
青原寺には、志村伊豆守の遺品(鎧兜を含む)が保管されている。
当日はそれらもお目見えする。




16日、羽黒山の五重塔から急いで青原寺に向かう。


羽黒山を降りている最中から雨がポツポツ降ってきた。
酒田方面は空と地面が雲で繋がって見える。
しかし、青原寺の本堂には沢山の人が集まっていた。


丁度三味線のお披露目が終わって、皆で記念撮影をしているところに出会う。
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近火御見舞に感謝です。

2024-06-02 22:32:10 | 酒田


近所で火事があった。場所は普段人が居ずに、時々集会場や選挙の投票所となる日和山公園の会館だ。
我が家から、確かに近いは近いが、消火も公園の入口から行ったようで、夕方の7時の事だと云うのに、家人の誰も気が付かなかった。



会館の右手には木造の招魂社があり。


左手には、これまた木造の旧白崎医院が建っている。
そのどちらにも延焼せず、強風も吹かず、山王森に飛び火もせず、不幸中の幸いだったと思っている。


会館も古い木造で、外壁も木板よろい張だったので、点火させ易かったのかなと思う。先日に見た寿町の建物もそうだった。
今回の火事も放火だろうなと思っていて、段々家に近くなるのは嫌だなとも思っていたら、犯人が捕まったようだ。




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5月20日酒田山王祭

2024-05-21 12:33:21 | 酒田


5月19日は晴れ、21日も晴れだったのに、本祭の20日は朝から雨が降っていた。


飽海地域史研究会の小野寺先生が監修した時代行列を見るために、会場の旧資料館前広場に向かう。
ここの大通りは、酒田大火で防火帯としての広さのある路が欲しいと作られたもの。





稚児さん達の乗る屋台。昔は上と下の2台はあったものだが、旧市内に住む子供たちの数が減り、親戚縁者から集めても1台にしかならない。
乗っている人達には良い思い出になったと思う。


日枝神社には3台の神輿があるという。
皆さん雨の中大変ですね。


下の日枝神社の宮司さん


酒田市長を中心に市議会議員の方々が続く。


神輿担ぎの八波会と獅子の会。
提灯を掲げる粋なお姉さん。



木遣り保存会


全体のMCはKさん(若い頃にはキティちゃんの声も担当されていた。)


酒田の歴史を語る時代行列の
要の羽黒山の山伏さんが劇をリードしていく。
(山伏や弁慶の衣装や着付けの為に、鶴岡市羽黒町からわざわざ来て頂いた方が私の隣に座っておられた。)


義経主従は、鎌倉殿の追手を逃れて、鼠ヶ関(関所)から酒田を目指す。


源九郎義経。


弁慶が杖で地面を突いた所、そこに湧き水が出た。(歴史にあり)
その湧き水を義経に差し上げた。


追手を気にして2手に別れたが、弁慶は羽黒山に上り、義経の正室郷御前(さとごぜん)の安産祈願を願って、羽黒山の鏡池に鏡を投げ入れる。

郷御前は義経と共に平泉に逃げ落ちたが、義経と共に命を落とす。(平泉に小さな墓あり)
ちなみに美人で有名な静御前は義経の側室で白拍子であった。

 

変わって2幕目、鎌倉殿に滅ぼされた奥州平泉の藤原氏滅亡の折、藤原秀衡の妹の徳尼公が36人衆のお供を連れて酒田の宮野浦に逃げ延びた。
途中、様々な場所で隠れながら逃亡(?)を続け、一度は羽黒山の東側の立谷沢にも隠れ住んだが、源頼朝が羽黒山に祈祷にやって来る事を知り、酒田に向かった。






舞台の上には、36人が載るのは少々無理があったのだが。


徳の舞(徳尼公)のお出まし。
あれ?見たことのある人だが。





 

白崎映美さんだった。まぁなんて似合うこと。
(ただ、あの頃の女性の着物としては、帯は半幅でウエストではない位置に絞めていたのではと思えるのだが。どうだろ。)
そして酒田の歴史を語りだすのだが。


もうね、彼女の独壇場。
歌あり、踊りはしなかったが。


「いいが、おめさんがだ、よく聞げの。まぐまぐでぅでら・・・。」さがた弁トークが始まった。観客からはヤイのヤイの!! 拍手喝采!


オールキャスト登場で2幕が降りる。


3幕は時代パレードで現在へと続く。


日吉丸の山車がやって来た。



先頭に乗るのは松尾芭蕉と曽良
ここで一句を詠む。


若者たちが大活躍。











酒田大火の後に作られた大獅子
この子はさくらちゃん


この子は男の子。名前は忘れた。
この大きな口の中に、幼児達を入れて口パックンすると、元気に育つと云う。
勿論、泣き叫ぶ子供多々。親たちは笑う。



花魁道中が始まった頃には、雨が上がっていた。
良かった良かった。


可愛い三人の禿達。


放蕩息子の旦那と花魁の悲恋を舞う。


今年の花魁は女子高校生。


花魁は体力勝負。重いカツラと衣装。それに独特の歩き方で筋肉痛は必死。
この花魁道中は、酒田花魁の会の皆さんが演じてくれている。
小中学校生も参加していると聞く。今年の花魁は過去に禿を演じていたそうだ。




























猿回しもやってきた。


人混みを歩くのは疲れるので、脇道に逸れる。
最上屋旅館の軒先には、酒田祭の提灯が下がっていた。
また雨が降ってきた。


下の日枝神社に着く。



神宿に寄るのを忘れたことに気がつく。


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酒田総合文化センターから料亭香梅咲へ

2024-05-13 14:08:36 | 酒田


5月11日、飽海地域史研究会が酒田市総合文化センターで行われたのだが、建築士会支部総会が同日に時差有りで行われるため、途中で抜けて会場の香梅咲に向かう。
昨年も同じように移動した記憶があった。あの日も暑かったので、出来るだけ日陰を求めながら裏道を通った。

寿町を歩いていると、警察の黄色の規制線テープが見えた。数日前の火事の跡かと窺える。


酒田市では、ここ何日も火事が起こっている。5月13日では北目で3棟が焼け怪我人も出た。
ただその前の連続して起こっている火事は、殆どが空き家か留守中で、積んであった丸太の火事も有り、もしかして放火ではと疑心暗鬼になっている。

この道は私が幼稚園と小学校の8年間にも渡って通った道なのである。


子供たちは近道を使う。
ここは厳島神社で、通称弁天さん。子供の頃は毎日のように遊んだ境内だ。



この右側の方にはシーソーなど遊具も設置してあり、子供たちの安全な遊び場だった。
右奥の赤い稲荷さんは、ちょっと恐い。その後ろには雨に濡れた雑誌なども転がっていたものだ。



手水に用いるべき石なのだろうが、私などこの中にトップリと入って砂など持ち込んで遊んでいた。



社務所の後ろは一段高い石垣が積まれており、地持院(後に若草幼稚園も併設)で、現在は酒田大仏が建っておられる。
私達が子供の頃はその姿はなく、大正3年(1914)に建立された1代目の大仏は、戦時中の金属不足の折に軍から摂取されていた。
現在の大仏は平成4年(1992)に新たに建てられたものである。

石垣の高さは3m強。昔は砂の斜面で、小学校の悪ガキ隊は「ここを飛び降りね~と、仲間にしてやらね~。」の掛け声で、ビョンビョン飛んだものだ。
結構小さい子も飛んだと記憶している。
飛び降りた時の足の裏がじ~んと痛かった。



厳島神社の床下は広い。ここに缶からやっこが住んでいた気がする。
日枝神社には記憶がないが、日和山公園の安らぎの塔の近くの招魂社には、総天然色と言うやっこが住んでいた。


厳島神社を抜けて、伝馬町の小松屋さんの角から裁判所へ行く道に出る。
変形の十字路を歩くと庄内三十三観音の光国寺さんへの道につながる。


地持院さんも弁天さんもしかり観音さんも我々の遊び場だった。
なおも進む。


料亭が並ぶ台町に向かう。
左が現在相馬樓(元料亭相馬屋)で、右が料亭香梅咲だ。
この小路に向けて相馬樓に格子の窓が着いている。
その昔、料亭が賑わっていて、外に三味線弾きが現れると、この窓からお客さんが声をかけて、外で弾く三味線の音色を楽しんだ。
昭和の時代なら、ギターの流しと言った所だろう。


台町の通りから観音さん方面を見る。




香梅咲の門に着く。この料亭には梅の木が沢山あって、そこで収穫した梅酒でいつもは乾杯する。


玄関の中から手を降っている人が居た。思わず手を振り返すと、相手は女将さんだった。
女将さんはなかなかの美人だ。


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