1月17日、酒田市合併記念式典が行われた。場所は市民会館。通称、希望ホールと呼ばれている。これは酒田市出身のシャンソン歌手、岸洋子を偲んで名付けられた施設だ。近くの市役所の駐車場は満杯で、マリ-ン5の駐車場に廻って欲しいと言われる。駐車場に入ってから断られるものだがら、時間を浪費するばかりだ。市役所へ曲がる道路も駐車場の中も、信号を含めて交通渋滞を引き起こしていた。
走って式典へ向かい、受付を済ませる。私の立場は役職の頭に前が付くので、記念品を受け取ると一般席へ誘導される。空いた席を求めて、階段を4階まで駆け上がる。ゼーゼー。何とか開会までにはこぎ着けた。
酒田市は閉市式も開市式も行っていたので、合併記念式典は想像もしていなかった。式典の始めにテノール歌手の市原多朗と、酒田混声合唱団コーロプリモが、県民歌を披露し、盛大に始まった。壇上には大変な数の来賓が参列していた。残念ながら4階(正確には3階)の最後列からは、殆ど誰か確認出来なかった。市長と来賓6名の祝辞を聞く。祝辞として参考になる話術はなかった。厳かな式典ではユーモアは禁止なのだなと残念に思う。
祝電披露の中で、それまで完璧に司会を行っていた女性がかんだ。酒田市の姉妹都市、ロシアのジェレズノゴルスク・イリムスキー市、これ自体も読むのが難しい。続いての市長の名前も素晴らしく長く難しかった。会場の空気が一瞬凍り、誰もが「気の毒に・・」と思った。この早口言葉の罰ゲームのように聞こえる言葉も、ロシアの人達には平気なんだろうなと、文化の違いを痛感する。
一部の式典の終了後、二部の郷土芸能上演の前に、大方の人が席を立った。この日の為に練習を重ねてきたであろう出演者には気の毒だが、平日の日中でもあるし、なにしろ17日なのだからと、私も大急ぎで抜け出す。しかし事務所にたどり着く頃には、証人喚問は最後の質問者になっていた。
走って式典へ向かい、受付を済ませる。私の立場は役職の頭に前が付くので、記念品を受け取ると一般席へ誘導される。空いた席を求めて、階段を4階まで駆け上がる。ゼーゼー。何とか開会までにはこぎ着けた。
酒田市は閉市式も開市式も行っていたので、合併記念式典は想像もしていなかった。式典の始めにテノール歌手の市原多朗と、酒田混声合唱団コーロプリモが、県民歌を披露し、盛大に始まった。壇上には大変な数の来賓が参列していた。残念ながら4階(正確には3階)の最後列からは、殆ど誰か確認出来なかった。市長と来賓6名の祝辞を聞く。祝辞として参考になる話術はなかった。厳かな式典ではユーモアは禁止なのだなと残念に思う。
祝電披露の中で、それまで完璧に司会を行っていた女性がかんだ。酒田市の姉妹都市、ロシアのジェレズノゴルスク・イリムスキー市、これ自体も読むのが難しい。続いての市長の名前も素晴らしく長く難しかった。会場の空気が一瞬凍り、誰もが「気の毒に・・」と思った。この早口言葉の罰ゲームのように聞こえる言葉も、ロシアの人達には平気なんだろうなと、文化の違いを痛感する。
一部の式典の終了後、二部の郷土芸能上演の前に、大方の人が席を立った。この日の為に練習を重ねてきたであろう出演者には気の毒だが、平日の日中でもあるし、なにしろ17日なのだからと、私も大急ぎで抜け出す。しかし事務所にたどり着く頃には、証人喚問は最後の質問者になっていた。