酒田の旧市内から北へ7km程の本楯には、城輪柵遺跡がある。
道路を走っていると、平野の真ん中に、突如として白壁に朱塗りの柱の平安時代の建物が現れる。現代の日本に、この配色が馴染むかは判らないが、平安時代にはまったく普通の美しい建物だったに違いない。
この遺跡は、昭和6年頃に発見された。調べていくと、約400年も続いた平安時代の出羽国の国府の跡らしい。出羽国は、現在の山形県と秋田県を足したものに相当する国だったようだ。道理で文化圏が似ている筈だ。地名でも、羽前、羽後が付く物が多いなと思っていたら、明治元年に羽前国は山形県、羽後国は秋田県と分けられてしまったようだ。しかも、羽前国は山形に県庁所在地を取られ、県内2番目だった酒田市が、市町村の合併で3番目に落ちた。平安の国府の役人がこれを聞いたら「おろかものめ」と言ったかも知れない。
酒田は、冬の季節風が強いのと、飛砂がなければ、住みよい地域だ。昔から人は住んでいた様で、平安時代のさらに先の時代の遺跡も、どんどん出てくる。田んぼの基盤整備をしても、縄文土器や木の船など、仕事にならないほど、出てくる所でもある。お陰で、東平田のコミュニティセンターの工事の時など、発掘で1ヶ月も費やされた事があった。
建築士会のYさんが、城輪柵跡から、鳥海山の初冠雪を望んだ写真を送ってくれた。支部長のAさんがそれを見て、千年もの昔、出羽国の人が同じような光景を見ていたかもと、悠久の時を超えた風景に感心していた。出羽国が出来たのが708年頃だと言われているから、1300年から900年前になる。その間に、何度か鳥海山は噴火している筈だから、ちょっとは姿が違うかも知れない。タイムマシーンに乗って、過去の酒田も見てみたい。どんな人に巡り会えるだろうか。
道路を走っていると、平野の真ん中に、突如として白壁に朱塗りの柱の平安時代の建物が現れる。現代の日本に、この配色が馴染むかは判らないが、平安時代にはまったく普通の美しい建物だったに違いない。
この遺跡は、昭和6年頃に発見された。調べていくと、約400年も続いた平安時代の出羽国の国府の跡らしい。出羽国は、現在の山形県と秋田県を足したものに相当する国だったようだ。道理で文化圏が似ている筈だ。地名でも、羽前、羽後が付く物が多いなと思っていたら、明治元年に羽前国は山形県、羽後国は秋田県と分けられてしまったようだ。しかも、羽前国は山形に県庁所在地を取られ、県内2番目だった酒田市が、市町村の合併で3番目に落ちた。平安の国府の役人がこれを聞いたら「おろかものめ」と言ったかも知れない。
酒田は、冬の季節風が強いのと、飛砂がなければ、住みよい地域だ。昔から人は住んでいた様で、平安時代のさらに先の時代の遺跡も、どんどん出てくる。田んぼの基盤整備をしても、縄文土器や木の船など、仕事にならないほど、出てくる所でもある。お陰で、東平田のコミュニティセンターの工事の時など、発掘で1ヶ月も費やされた事があった。
建築士会のYさんが、城輪柵跡から、鳥海山の初冠雪を望んだ写真を送ってくれた。支部長のAさんがそれを見て、千年もの昔、出羽国の人が同じような光景を見ていたかもと、悠久の時を超えた風景に感心していた。出羽国が出来たのが708年頃だと言われているから、1300年から900年前になる。その間に、何度か鳥海山は噴火している筈だから、ちょっとは姿が違うかも知れない。タイムマシーンに乗って、過去の酒田も見てみたい。どんな人に巡り会えるだろうか。