昔、我が家では共産主義(?)と思える位に食べ物については平等だった。祖父も父も職人の徒弟制度で、イヤと言うほど差別をされてきたので、自分の家については公平に分ける事に決めた様だ。差別は何についても嫌なものだが、取り分け、食べる物が豊かでない頃の、毎日の差別は骨身に染みたのだそうだ。そんな訳で、たった一つのお餅でも糸を使って、家族と大工の弟子達に等分に分けるのが祖父は得意だった。
夏になると西瓜が出た。冷蔵庫の無い頃は、風呂の中に水を張って夕方まで冷やしておいた。水の中で鞠つきのように弾ませると面白かったが、割れると台無しになるので、母の叱咤の声が飛んだ。西瓜も最初は4等分に櫛形に切り、あとはイチョウ切りのように切ってはいたが、端っこは美味しくなかった。それでも「頂きます!」と言っていきなり真ん中を取るのは叱られた。しばらくすると4等分ではない人数分の櫛形に切る様になり、現在では中心に向かって三角錐に、味がなるべく差が出ない様に切り、皮まで剥いて冷蔵庫で冷やす様になった。
こんな風に何事も平等に育てられた筈なのに、人間の欲は深い物で「一度で良いから西瓜を1人で食べてみたい」と、給料が貰える様になってから、1人で丸のままの西瓜に挑戦した事がある。案の定、食べきれなかったし、美味しいものでもなかった。中身をくり抜いて目鼻を造り、丁度ハロウィンのカボチャのようにして遊んでみたが、次の日には乾燥が始まって歪んでしまった。
さて、果物の切り方は案外と面白くて難しい。ホテルのディナーにはカクテルグラスに入ったまん丸の果物が飾られていたりする。綺麗だと思って頬張ると、メロンにあたり、石になってしまったこともある。パイナップルは、皮を皿にして一口大に切った物が並べてあるが、やはり端っこは美味しくない。パイナップルの畑を始めて見たのはハワイだったが、そこでは櫛形に切った大きめの物が出た。櫛形・・・これは良い。薄くても良いから櫛形に切ると、誰でも万遍なく美味しい所が当たる。是非ともお試しあれ。
夏になると西瓜が出た。冷蔵庫の無い頃は、風呂の中に水を張って夕方まで冷やしておいた。水の中で鞠つきのように弾ませると面白かったが、割れると台無しになるので、母の叱咤の声が飛んだ。西瓜も最初は4等分に櫛形に切り、あとはイチョウ切りのように切ってはいたが、端っこは美味しくなかった。それでも「頂きます!」と言っていきなり真ん中を取るのは叱られた。しばらくすると4等分ではない人数分の櫛形に切る様になり、現在では中心に向かって三角錐に、味がなるべく差が出ない様に切り、皮まで剥いて冷蔵庫で冷やす様になった。
こんな風に何事も平等に育てられた筈なのに、人間の欲は深い物で「一度で良いから西瓜を1人で食べてみたい」と、給料が貰える様になってから、1人で丸のままの西瓜に挑戦した事がある。案の定、食べきれなかったし、美味しいものでもなかった。中身をくり抜いて目鼻を造り、丁度ハロウィンのカボチャのようにして遊んでみたが、次の日には乾燥が始まって歪んでしまった。
さて、果物の切り方は案外と面白くて難しい。ホテルのディナーにはカクテルグラスに入ったまん丸の果物が飾られていたりする。綺麗だと思って頬張ると、メロンにあたり、石になってしまったこともある。パイナップルは、皮を皿にして一口大に切った物が並べてあるが、やはり端っこは美味しくない。パイナップルの畑を始めて見たのはハワイだったが、そこでは櫛形に切った大きめの物が出た。櫛形・・・これは良い。薄くても良いから櫛形に切ると、誰でも万遍なく美味しい所が当たる。是非ともお試しあれ。