-2℃の気温表示の中、アイスバーンの道路を急ぐ。出がけに車庫の戸締まり用のブロックが凍っていて、開けるのに手間取った。こんな時に限って、前の車がチンタラ走る。遅れたら大変だ。駐車場の空きがなかったら、もっと大変だ。ようやく庄内空港に辿り着く。冬の防寒用ではない靴のまま、雪の中をズボズボ走ってロビーに着くと、待ちわびた3人が立っていた。
定時より少し遅れて2便が飛び立つ。雪が舞い、辺りは厚い雲が漂っている。飛行機はその雲を突き抜けて青空の中を飛んだ。当たり前なのだが、この雲一つで上下の明暗が分かれている。雲が切れた辺りで、ガクガクと揺れた。見れば奥羽山脈を飛び越している。本当に飛行は一時(いっとき)だ。視線を南にそらすと、雲の上に真っ白の富士山が見えた。
あっと言う間に東京湾が見えた。さてこれからが長い。ルートのせいなのか、風の向きのせいか、飛行機は機首を左に向け、東京湾を一周するかのような進路を辿った。やっと着陸したと思ったら、今度はバスで移動。第2ターミナルが大きくなってからもバスなのと聞いたら、そうなのだと言う。庄内空港からの離発着ゲートは、ターミナルの中でも一番遠い位置にある為、バスの方が早いのだとも言う。なるほどと納得する。
--中略:この部分はいずれ--
夕飯が済んで浜松町へ着いた。時刻表の画面には、富山、秋田、庄内便は、雪の為調整中だと表示されている。先日の爆弾低気圧で、軒並み運航中止になっていた事もあって、ちょっと嫌な気がした。東京にいては、日本海側の苦労など、判らない。19:30には、運航の決定がされると表示が出ていたが、時間を過ぎても調整中の中身は変わらなかった。荷物検査も済み、待合いの椅子の上で、連れの2人は携帯で情報を集めている。空港職員に聞けば答えは出るのだろうが、庄内空港からの最終便は遅れたがこちらへ向かったと言う。ネットの情報の方が早い。
秋田便が飛び立つ段になって、天候のせいで羽田へ引き返す事もあり得る。その場合は代わりの飛行機も電車もホテルも用意されていない条件付きだとアナウンスがあった。庄内へも同じ内容だった。これが最終便でなければ、移動の手段もあるだろうに、戻ってきたんでは空港内での宿泊になるのか、それとも近場のホテルへ泊まるのかと廻りの客とも話題になった。
有り難い事に、30分程遅れて飛行機は飛ぶと言う。妹に電話を入れて天候を聞くと、雪は降っており、雷も鳴っていると言う。自分が操縦出来る訳がなく、運を天に任せて乗り込む。心なしかいつもより乗客が少ない。飲物の提供はなく、飴だけが配られた。これは余程の悪天候に違いない。機長の命令により、客室乗務員も早々と席に着いてシートベルトを締めた。
私は過去に一度、低気圧の中での飛行に遭遇した事がある。ピコンピコンのシートベルト着用の音が絶え間なく、「この飛行機は安全に飛行していますから、ご安心下さい。」との度重なるアナウンスにも負けず、ジェットコースターのような急降下が何度も続くと言う、スリル満点の飛行だった。まだ若かったから、うんと面白がって乗っていたものだった。
今回はそれに滑走路の雪の問題もあったが、さほど驚くほどの揺れもなく、ただ怯えていた幼い女の子がずっと泣き叫んでいた位で、地上の街の灯りが見えてきた時には、すっかり安心していた。機長の操縦も上手かったのだろう。いつものガツンとするショックも少なく、無事に着陸を果たす。乗務員との別れの挨拶も、助かった分だけいつもよりも大目の笑顔で「良かったね。」と声が出た。帰って来られる家があるのは有り難いものだ。自分の町があるのは良いものだと、今更ながらに思える旅だった。
定時より少し遅れて2便が飛び立つ。雪が舞い、辺りは厚い雲が漂っている。飛行機はその雲を突き抜けて青空の中を飛んだ。当たり前なのだが、この雲一つで上下の明暗が分かれている。雲が切れた辺りで、ガクガクと揺れた。見れば奥羽山脈を飛び越している。本当に飛行は一時(いっとき)だ。視線を南にそらすと、雲の上に真っ白の富士山が見えた。
あっと言う間に東京湾が見えた。さてこれからが長い。ルートのせいなのか、風の向きのせいか、飛行機は機首を左に向け、東京湾を一周するかのような進路を辿った。やっと着陸したと思ったら、今度はバスで移動。第2ターミナルが大きくなってからもバスなのと聞いたら、そうなのだと言う。庄内空港からの離発着ゲートは、ターミナルの中でも一番遠い位置にある為、バスの方が早いのだとも言う。なるほどと納得する。
--中略:この部分はいずれ--
夕飯が済んで浜松町へ着いた。時刻表の画面には、富山、秋田、庄内便は、雪の為調整中だと表示されている。先日の爆弾低気圧で、軒並み運航中止になっていた事もあって、ちょっと嫌な気がした。東京にいては、日本海側の苦労など、判らない。19:30には、運航の決定がされると表示が出ていたが、時間を過ぎても調整中の中身は変わらなかった。荷物検査も済み、待合いの椅子の上で、連れの2人は携帯で情報を集めている。空港職員に聞けば答えは出るのだろうが、庄内空港からの最終便は遅れたがこちらへ向かったと言う。ネットの情報の方が早い。
秋田便が飛び立つ段になって、天候のせいで羽田へ引き返す事もあり得る。その場合は代わりの飛行機も電車もホテルも用意されていない条件付きだとアナウンスがあった。庄内へも同じ内容だった。これが最終便でなければ、移動の手段もあるだろうに、戻ってきたんでは空港内での宿泊になるのか、それとも近場のホテルへ泊まるのかと廻りの客とも話題になった。
有り難い事に、30分程遅れて飛行機は飛ぶと言う。妹に電話を入れて天候を聞くと、雪は降っており、雷も鳴っていると言う。自分が操縦出来る訳がなく、運を天に任せて乗り込む。心なしかいつもより乗客が少ない。飲物の提供はなく、飴だけが配られた。これは余程の悪天候に違いない。機長の命令により、客室乗務員も早々と席に着いてシートベルトを締めた。
私は過去に一度、低気圧の中での飛行に遭遇した事がある。ピコンピコンのシートベルト着用の音が絶え間なく、「この飛行機は安全に飛行していますから、ご安心下さい。」との度重なるアナウンスにも負けず、ジェットコースターのような急降下が何度も続くと言う、スリル満点の飛行だった。まだ若かったから、うんと面白がって乗っていたものだった。
今回はそれに滑走路の雪の問題もあったが、さほど驚くほどの揺れもなく、ただ怯えていた幼い女の子がずっと泣き叫んでいた位で、地上の街の灯りが見えてきた時には、すっかり安心していた。機長の操縦も上手かったのだろう。いつものガツンとするショックも少なく、無事に着陸を果たす。乗務員との別れの挨拶も、助かった分だけいつもよりも大目の笑顔で「良かったね。」と声が出た。帰って来られる家があるのは有り難いものだ。自分の町があるのは良いものだと、今更ながらに思える旅だった。