無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

建築士会青年大会

2010-02-15 12:30:59 | 社会
2月13日、酒田市で建築士会青年大会が開催された。今回で第22回だそうで、第1回の時には私も青年部の1人として出席していた。その頃にはまだ女性部は誕生していなかった事になる。今回は、勿論年齢制限のある青年部としてではなく、来賓扱いになっていた。



これは最後のパネルディスカッションの様子で、基調講演を頂いた国交省の菊地氏は、平成14年度に河川国道事務所の所長として2年間酒田で勤務されていた方で、久しぶりにお会いした。現在は国交省の港湾振興課の民間連携推進室の室長になっておられた。

懇親会が始まり、酒田ならではの酒田舞娘が登場すると、あたりは一斉に明るく華やかになった。



酒田舞娘は、舞妓ではない。きちんとしたサラリーウーマンとしての位置づけがされている。年齢もある程度上がると、舞娘は卒業してしまう。その都度補充するので、人数は一定していない。現在は4名ほどはいると思うが、今回は智弥さん(左)小春さん(右)とが踊ってくれた。



その舞娘を陰で支えるのが、力弥(りきや)姐さんだ。舞娘の復活にも、欠かせなかった人で、歌や踊り、立ち振る舞いから、言葉の使い方まで、厳しく優しい教育係として、酒田湊の料亭文化を伝えてくれている。



私がまだ子供だった頃の台町は、料亭や見板が立ち並び、日中から唄や三味線の練習の音が盛んに聞こえていた。夜の遊びが料亭からキャバレーやクラブに変化していくと、お座敷に声が掛からなくなり、芸妓さんが消えていった。そんな中で、一番若かった力弥姐さんが、舞娘復活に一役も二役もかう事になる。

♪今町、船場町、高野の浜
♪毎晩お客はどんどんしゃんしゃん
♪本当に酒田は良い湊
♪繁盛やおまへんか~♪ 

酒田甚句の歌詞にある通り、湊と共に繁栄して来た酒田の文化があったのだと思う。酒田の言葉に関西弁が入っているのも、北前船文化の影響だ。




舞娘さんから名刺代わりの千社札を頂いた。力弥姐さんからも、無理矢理千社札を頂いた。サバサバした気質の力弥姐さんを、以前から追っかけのようにしていた私だが、千社札を貰ったのは初めてだった。「滅多に上げないのだよ。」と言う貴重な品らしい。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする