間寛平ちゃんが、ウズベキスタンのタシケントで、カザフスタンへの入国の為、足止めを食らっている。ビザが出るのに時間が掛かっているのだろう。それにアースマラソン最大のピンチが起きたんだそうで、10kmほど走ってはいけない地域があるのだと言う。考えてみると、ここはキルギスの隣で、政治的にも色々と問題があるのかも知れない。危ない地域と言われれば、その通りなのだろう。
足止めの時間を利用して、寛平ちゃんはタシケントの観光に出かけた。ここにはナヴォイ劇場と言う石造りの建物がある。1946-47年頃に建設され、そのあとの66年頃の地震にも耐えたのだが、なんとそれは日本人達が建てた物だった。(同じ頃に建てた建物が、軒並み潰れたらしい。)
寛平ちゃんの映像・ナヴォイ劇場
第2次世界大戦の後、満州から旧ソ連に抑留された日本兵の手によって、建設されたのだと言う。旧ソ連の抑留と言うと、シベリアを真っ先に思い出す。捕虜となって過酷な重労働と粗末な食事で、大方が栄養失調になって倒れていった。そんな話は沢山聞いてきた。まさか、ウズベキスタンでもそれが行われていたとは知らなかった。このナヴォイ劇場の建設途中に亡くなられた人達の墓地も、残っていると言う。他の国の捕虜達が不平不満を言う中、日本人捕虜は黙々と作業を続け、地震に耐える立派な建物を建設した。たとえ捕虜になっても、日本人としての誇りを失わなかったと言う話なのだ。
タシケントの人達は、日本人の建築技術の確かさ、勤勉さ、その労苦を讃え、記念碑に残した。(それにしても、旧ソ連って、何て国なんだろう!我が家のハヤブサ飛行兵も、ロシアが最もやり方が汚いと今でも言っている。)
足止めの時間を利用して、寛平ちゃんはタシケントの観光に出かけた。ここにはナヴォイ劇場と言う石造りの建物がある。1946-47年頃に建設され、そのあとの66年頃の地震にも耐えたのだが、なんとそれは日本人達が建てた物だった。(同じ頃に建てた建物が、軒並み潰れたらしい。)
寛平ちゃんの映像・ナヴォイ劇場
第2次世界大戦の後、満州から旧ソ連に抑留された日本兵の手によって、建設されたのだと言う。旧ソ連の抑留と言うと、シベリアを真っ先に思い出す。捕虜となって過酷な重労働と粗末な食事で、大方が栄養失調になって倒れていった。そんな話は沢山聞いてきた。まさか、ウズベキスタンでもそれが行われていたとは知らなかった。このナヴォイ劇場の建設途中に亡くなられた人達の墓地も、残っていると言う。他の国の捕虜達が不平不満を言う中、日本人捕虜は黙々と作業を続け、地震に耐える立派な建物を建設した。たとえ捕虜になっても、日本人としての誇りを失わなかったと言う話なのだ。
タシケントの人達は、日本人の建築技術の確かさ、勤勉さ、その労苦を讃え、記念碑に残した。(それにしても、旧ソ連って、何て国なんだろう!我が家のハヤブサ飛行兵も、ロシアが最もやり方が汚いと今でも言っている。)