無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

本間郡兵衛(ぐんべえ)

2010-08-21 16:06:31 | 社会
萬谷の女将さんから電話があった。「貴方に会わせたい人が来ているから。」すぐに、私は飛んで行った。九州からのお客様で経済学博士の長谷川洋史さんだった。萬谷さんの先祖も私の先祖も、共に近江の出身と言う話から、私の出番になったらしい。ひとしきり、山形での近江の縁を話した後、今回の酒田を訪れた目的の「薩州商社」から、酒田の歴史が迸るように溢れ出たのである。長谷川さんは、集めた資料を、酒田の田村寛三さんと読み合わせをする為、数日間酒田に滞在している。田村さんとは、昨年建築士会の全国大会でも、講師をして頂いた歴史家だ。

江戸時代、日本に株式会社と言う概念はなかった。文久元年、福沢諭吉が外遊した後、文久2年に「西航記」の中で株式会社の制度を書いている。郡兵衛は遅れること文久3年、西欧の株式会社そのものではなく、近江商人の商法を取り入れた日本に馴染みやすい方法での株式会社「薩州商社」の構想を立ち上げた。

荘内日報社-郷土の先人・本間郡兵衛 写真有り
多才な才能を持つ郡兵衛は、蘭学者、英語教師でもあり、浮世絵師として本間北曜-Wikipediaの号を持ち、「黒船」等を描いている。現在「黒船」の1枚は、酒田市の本間美術館に所蔵されている。


本間郡兵衛が活躍したのは、幕末の黒船来航で、幕府が開国を攻められていた頃である。郡兵衛は自ら浦賀で、黒船を写生している。海外に興味を持ち、蘭学講師の傍らオランダ人宣教師フルベッキから英語を学んでいる。文久2年、通訳として外遊し、西欧の経済や会社組織を目のあたりにする。このままでは日本が危ないと、西欧に打ち勝つために、巨大な株式会社を作り、産業を興す事が大事だと悟る。その頃、薩摩藩主・島津斉彬の家老・小松帯刀(NHK大河ドラマ篤姫でも有名)が、郡兵衛を英語教師として薩摩に招き入れる。薩摩と言えば、英国の艦隊と直接戦闘を繰り広げた事も有名だ。外国の実力をまざまざと見せつけられ、先んじて社会を変える手段として、この「薩州商社」を後押しした。

「薩州商社」に薩摩藩から資金は入れる。但し、利益は摂らない。商税(しょうぜい・あきないうんじょう)として2割を徴収するが、「薩州商社」の保護目的や、社会への還元へと使う。会社の名前が薩州商社なのは、社章も丸に十字の薩摩藩と同じくして、海賊からの被害を受けないようにする為だ。株は一株5千両、民間から、他の藩から、沢山の個人が集まって一株を持っても良いと、ジョイントストック(バラバラな金を集めて資本にする)で大きな力となる会社構想を、大和の石河確太郎と共に立ち上げた。本拠地を堺(大阪)、薩摩、大和(奈良)、酒田(山形)とし、定款を作り、資金調達に奔走する。

郡兵衛は、自分の故郷でもある酒田へ、本間家に参加を呼びかける為に帰郷する。それが戊辰戦争との時期と重なり、薩摩のスパイと見なされ幽閉され、最期を迎えることとなる。彼の残した「薩州商社発端」や草案は、今でも本間家に原本が残されている。彼の死んだ2ヶ月後、庄内藩は西郷隆盛に屈服する。彼が生きていて「薩州商社」を立ち上げていたら、酒田の町と港は、現在のように寂れていなかったかも知れない。

また、戊辰戦争の後、明治政府は東北を黙殺する。県令は薩摩や長州で占め、負ければ賊軍の扱いを受ける。そんな中にあって、庄内藩だけは別格の扱いを受けた。庄内藩の武士達が、薩摩の江戸屋敷を焼き討ちを行ってでもである。西郷隆盛の見せた温情は、この本間郡兵衛の存在があったのではないのか。また、酒田の言葉の中に、鹿児島弁に似ているものがあるが、古くから交易などの結びつきがあったのだろう。ほんの少し、謎が解けたような気がする。

田村寛三さんは、本間家に詳しい。他にも、本間家の経済学にとても詳しい方がおられた。
庄内情報プラザの初代プラザ長の林さんだ。この方が生きておられたら、喜んで資料を提供してくれただろう。


☆過去記事 南州神社
庄内藩と薩摩藩を繋ぐ西郷隆盛について、表向きの美談のように書かれているが、庄内藩からは本間郡兵衛について、一言も触れられていない。触れられると困る事があるからなのだろう。歴史には、表と裏がある一例だと思う。

☆過去記事田村寛三さんの話
明治以後の本間家当主と山形県令のエピソードが面白い。明治政府は東北を賊軍として扱ったが、本間様は特別扱いだったようだ。
コメント (8)
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シックスクール・締めくくり

2010-08-21 09:06:42 | 建築・都市・港
内分泌攪乱物質が環境ホルモンと呼ばれる訳は、プール1杯分の水に目薬の1滴でも、充分に作用を及ぼす点だ。人間が作った様々な化学物質が流れる先は、大気であり、海洋である。海では海洋生物が汚染され、食物連鎖の末に、人間の口に入る。人体の中で最も化学物質を貯めておく場所が髪の毛と言われている。女性からは、出産や授乳で、子供に移行する。高濃度なら化学兵器、微量でも影響を及ぼす物を、人間が作ったのだ。

過去に起きた大きな事件「地下鉄サリン事件」は、記憶にあると思う。あの時のサリンの被害者は、何年経っても完治せず苦しんでいる。目の瞳孔が開いて・・と言う症状も、未だに治らない。眼科のドクターがシックスクールによる過敏症を最初に気づいたのは、子供達にその症状がみられたからだ。子供の仮病などでは決してない。学校に大変な事が起こっていると警鐘を鳴らした。

化学物質過敏症は、このような公の施設、特に一定の人が常時使用している建物で発見した時はニュースに取り上げられる。個人の住宅では、なかなか表沙汰にならない。長い間、子供のアトピーで苦しんでいたら、過敏症だったケースも多い。無垢材に自然塗料を用いた空間に住むのが良い。人間の知恵なんて、やはり自然にはかなわないと知ることになるのだ。


過去記事

高橋 元先生を偲んで
郡山の土壁
珪藻土
エコロジー的生き方
なんだかな~
シックハウス
シックスクール
シックスクール・対処法

おまけ:部屋に炭を置くのも良いよ。
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