無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

熊本・阿蘇山

2010-10-27 23:04:27 | 


バスは阿蘇山に向かう。頂上のロープウエイで火口を覗くんだと張り切っていたが、ご覧の通りの雨で、ロープウエイは動かず、昼食の焼き肉を食べて降りることにした。



一口に阿蘇山と言っても、1つの山があるわけではない。マグマを噴き出しすぎて、中央部が陥没して、外輪だけが残った。バスはその中央の窪地(カルデラ)を走っている。そこにはきちんと村や町が出来て、普通に人々は生活をしていた。



一際高く見えるのが、阿蘇五岳である高岳(1,592.3m)を最高峰に、中岳(1,506m)、根子岳(1,408m)、烏帽子岳(1,337.2m)、杵島岳(1,270m)のどれかであろうと思われる。噴火口があるのは中岳だそうだ。



早めに熊本空港に着く。ここでお世話になった鶴岡のSさんご夫婦と別れた。



搭乗口が7番まであるのかと感心する。
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熊本・水前寺公園

2010-10-27 22:54:42 | 


熊本城から帰る辺りで、雨が降ってきた。天気予報だと傘の心配はないと踏んで、荷物にもなるしと雨具の用意はして来なかった。水前寺公園では、その名の通り、すっかり水の精励を受けた。水前寺公園は正式名称が「水前寺成就園・すいぜんじじょうじゅえん」だそうだ。



客引きの声も高らかな門前町。



人の来るのが判って、まるで第7艦隊のように進んでくる水鳥達。
池には大きな鯉が泳いでいたが、熊本城の堀や太宰府天満宮の池とは大違いで、こんなに澄んだ綺麗な池は見たことがなかった。桃山式池泉回遊庭園で、東海道53次を模した作りになっている。



公園の中に、神社があった。



その名も、出水神社(いずみじんじゃ)。湧き水もあり、美味しかった。



急いで池の周りを一週する。能舞台や新しい茅に葺き替えられた「古今伝授の間」も、この程公開されるようになったのだと言う。



茶室の造りになっているのだが、取り立てて記すべき所がない。
奥にある襖が、年代を経て、ちょっと素敵だったので写真に写すが、ピントが甘くてうまく映らなかった。
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熊本・熊本城

2010-10-27 21:48:50 | 
九州にいた3日は暑かった。メンバーが最終日に半袖で現れても、何ら不思議はなかった。少し歩いただけで、汗ばんでしまう。九州と東北の差は、勿論気温の差もあるのだが、夜が明けるのが遅いことだった。冬至になりつつあるこの時期でも、明るくなるはずの時間でも薄暗いままだった。
3日目も元気に起きて、ホテルで朝食を取る。牛乳がと~っても美味しかった。



朝一番に熊本城へ向かう。駐車場から歩いて、西大手門に出る。
昨日、カメラのデータが満杯になったと表示が出た。比較的いらない写真を消しては消して、空きを作ってケチケチと撮影している。熊本城は、どうしても撮らなければ、熊本に来た価値がない。



城は見事だった。石垣も美しい。城の壁が黒いので、烏城かと思っていたら、銀杏城と呼ばれているらしい。最初に築城したのが、あの虎退治の加藤清正だ。時は安土桃山時代、まだまだ戦いが続いている時代だ。戦を想定して、広大な敷地に二重の堀と数々の石垣、頂上に天守閣を造った。しかし、実際には明治になるまで戦が起きてはいない。西南戦争開戦3日前に、不審火で天守閣や本丸御殿は焼失する。

加藤清正が死後、嫡子の加藤忠広が、徳川家康より言われ無き理由で熊本54万石から扶持1万石にて庄内酒井藩に預けとなった。ガイドさんに「加藤清正のお墓が庄内にあるのですよ。」と説明を受け、驚いてしまった。うっすらと清正の墓の事は聞いた覚えがあったが、世界中にあるキリストの墓のように、根拠のないものだと思っていたのだ。



天守閣まで、ひたすら階段を登る。残念ながらエレベーターはなく、自らの足が頼りだ。
大天守閣は地下1階地上6階だ。小天守閣は地上4階になっている。
遙か彼方に見える山が、阿蘇山だ。



次に小天守閣に登り、大天守閣を撮す。
あんな所に唐破風も着いている。



鬼瓦、軒瓦とも美しい。



西南戦争前に焼失した本丸御殿を復元した物。一番奥の大広間が豪華だった。



座が一段高くなっているのは、殿様の座る席なのだろう。廊下を挟んで反対側に、茶室もあったが、入れなかった。



これは展示されていた板戸。一枚板の上に絵が描かれている。
玄関付近にあった板戸は一枚板だったが、奥の方の板戸は2枚接ぎだった。予算がなくなったのかなと冗談を飛ばす。妙な所をけちったものだ。



ここは本丸御殿の下の通路と思われる。ここは本来真っ暗にしておくのだそうだ。ここを通らないと本丸や天守閣には行けない。敵が攻めてきた時には、入り口と出口を塞いで、一網打尽にする。ここの何が凄いかと言うと、この列柱に使われている欅の太さだ。全部国産の物を使ったと言う。



城の脇に忍者が立っていた。「人形だよ。」「いいや、動いている。やっぱり人間だ!」そう言いながら降りてくると、今度は甲冑を着た侍がいた。侍と一緒に記念写真を写す。
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