九州にいた3日は暑かった。メンバーが最終日に半袖で現れても、何ら不思議はなかった。少し歩いただけで、汗ばんでしまう。九州と東北の差は、勿論気温の差もあるのだが、夜が明けるのが遅いことだった。冬至になりつつあるこの時期でも、明るくなるはずの時間でも薄暗いままだった。
3日目も元気に起きて、ホテルで朝食を取る。牛乳がと~っても美味しかった。
朝一番に熊本城へ向かう。駐車場から歩いて、西大手門に出る。
昨日、カメラのデータが満杯になったと表示が出た。比較的いらない写真を消しては消して、空きを作ってケチケチと撮影している。熊本城は、どうしても撮らなければ、熊本に来た価値がない。
城は見事だった。石垣も美しい。城の壁が黒いので、烏城かと思っていたら、銀杏城と呼ばれているらしい。最初に築城したのが、あの虎退治の加藤清正だ。時は安土桃山時代、まだまだ戦いが続いている時代だ。戦を想定して、広大な敷地に二重の堀と数々の石垣、頂上に天守閣を造った。しかし、実際には明治になるまで戦が起きてはいない。西南戦争開戦3日前に、不審火で天守閣や本丸御殿は焼失する。
加藤清正が死後、嫡子の加藤忠広が、徳川家康より言われ無き理由で熊本54万石から扶持1万石にて庄内酒井藩に預けとなった。ガイドさんに「加藤清正のお墓が庄内にあるのですよ。」と説明を受け、驚いてしまった。うっすらと清正の墓の事は聞いた覚えがあったが、世界中にあるキリストの墓のように、根拠のないものだと思っていたのだ。
天守閣まで、ひたすら階段を登る。残念ながらエレベーターはなく、自らの足が頼りだ。
大天守閣は地下1階地上6階だ。小天守閣は地上4階になっている。
遙か彼方に見える山が、阿蘇山だ。
次に小天守閣に登り、大天守閣を撮す。
あんな所に唐破風も着いている。
鬼瓦、軒瓦とも美しい。
西南戦争前に焼失した本丸御殿を復元した物。一番奥の大広間が豪華だった。
座が一段高くなっているのは、殿様の座る席なのだろう。廊下を挟んで反対側に、茶室もあったが、入れなかった。
これは展示されていた板戸。一枚板の上に絵が描かれている。
玄関付近にあった板戸は一枚板だったが、奥の方の板戸は2枚接ぎだった。予算がなくなったのかなと冗談を飛ばす。妙な所をけちったものだ。
ここは本丸御殿の下の通路と思われる。ここは本来真っ暗にしておくのだそうだ。ここを通らないと本丸や天守閣には行けない。敵が攻めてきた時には、入り口と出口を塞いで、一網打尽にする。ここの何が凄いかと言うと、この列柱に使われている欅の太さだ。全部国産の物を使ったと言う。
城の脇に忍者が立っていた。「人形だよ。」「いいや、動いている。やっぱり人間だ!」そう言いながら降りてくると、今度は甲冑を着た侍がいた。侍と一緒に記念写真を写す。