鶴岡市の遊工房にお邪魔していると、外が騒がしかった。
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でかいアメ車が4台並んでいた。
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それはここで、結婚式が行われた為だと分かった。
カメラを持って走った時にはすでに遅く、ライスシャワーも花びらをまき散らすのも終わり、新郎新婦が教会の中に入ってしまうのが見えただけだった。
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ここは明治に造られた鶴岡の天主堂である。酒井忠明公は酒井藩の殿様だと思う。
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自由に誰でも入って良いんだよと聞いて、結婚式が終わった頃を見計らって入ってみた。
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黒い聖母マリア像が有名なのだそうだ。
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結婚式で使われた椅子の後片付けをしていた。披露宴会場から運んだ物らしい。写真を撮っても良いかと尋ねたら、どうぞどうぞとパンフレットを渡してくれた。長崎の大浦天主堂とは大違いだ。
中央通路は赤い絨毯で、両側が畳敷きだったのに驚いた。玄関には下駄箱が設置されていたから、信者達は畳に座ってお祈りをするのだろう。
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この教会が出来たのは明治36年10月。黒い聖母像はフランスのノルマンディ州デリヴランド修道院からやってきたそうだ。聖堂左側の副祭壇に立つのは日本で1体だけだと言う。
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マリア像の前から、祭壇のキリスト像を見る。
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右側の副祭壇には・・・あれ?小さな子がキリストだろうと思うのだが。
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マリア像の前には洗礼の為の聖盤があった。小さなタイルが埋め込まれており、美しかった。
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教会後方には、懺悔室と上部にはパイプオルガンが見えた。どうやって登っていくのかと見たら、ごくごく狭い廻り階段がついていた。
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玄関の廻りには、ステンドグラスが填められていたが、この教会はロマネスク寺院特有の窓絵が陽光を聖堂内に照らしている。硝子と硝子の間に、薄い透明な紙に描いた聖画を挟んである。残念ながら北側の窓絵は残っているが、南側は日焼けして色も飛んでいた。
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リブ・ヴォールト天井も美しかった。
この教会は暖かい雰囲気がした。廻りが幼稚園であったのも一つ、色彩が暖色だったのと、祭壇のイエスキリスト像が十字架でなかったのが、大きな要因だと思う。
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でかいアメ車が4台並んでいた。
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それはここで、結婚式が行われた為だと分かった。
カメラを持って走った時にはすでに遅く、ライスシャワーも花びらをまき散らすのも終わり、新郎新婦が教会の中に入ってしまうのが見えただけだった。
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ここは明治に造られた鶴岡の天主堂である。酒井忠明公は酒井藩の殿様だと思う。
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自由に誰でも入って良いんだよと聞いて、結婚式が終わった頃を見計らって入ってみた。
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黒い聖母マリア像が有名なのだそうだ。
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結婚式で使われた椅子の後片付けをしていた。披露宴会場から運んだ物らしい。写真を撮っても良いかと尋ねたら、どうぞどうぞとパンフレットを渡してくれた。長崎の大浦天主堂とは大違いだ。
中央通路は赤い絨毯で、両側が畳敷きだったのに驚いた。玄関には下駄箱が設置されていたから、信者達は畳に座ってお祈りをするのだろう。
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この教会が出来たのは明治36年10月。黒い聖母像はフランスのノルマンディ州デリヴランド修道院からやってきたそうだ。聖堂左側の副祭壇に立つのは日本で1体だけだと言う。
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マリア像の前から、祭壇のキリスト像を見る。
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右側の副祭壇には・・・あれ?小さな子がキリストだろうと思うのだが。
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マリア像の前には洗礼の為の聖盤があった。小さなタイルが埋め込まれており、美しかった。
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教会後方には、懺悔室と上部にはパイプオルガンが見えた。どうやって登っていくのかと見たら、ごくごく狭い廻り階段がついていた。
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玄関の廻りには、ステンドグラスが填められていたが、この教会はロマネスク寺院特有の窓絵が陽光を聖堂内に照らしている。硝子と硝子の間に、薄い透明な紙に描いた聖画を挟んである。残念ながら北側の窓絵は残っているが、南側は日焼けして色も飛んでいた。
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リブ・ヴォールト天井も美しかった。
この教会は暖かい雰囲気がした。廻りが幼稚園であったのも一つ、色彩が暖色だったのと、祭壇のイエスキリスト像が十字架でなかったのが、大きな要因だと思う。