無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

南三陸仮設住宅(長いから注意してね)

2012-11-26 11:53:28 | 建築・都市・港

(社)山形県建築士会女性部の主催で、南三陸の被災と復興の状況見学と買い物ツアーの盛り沢山を企画した。仙台の針生先生のご厚意で、南三陸の木造で造られた仮設住宅の見学会を行うことになったのだ。

まずは、防災センター前で集合し、亡くなられた方々へのお参りをした。Kさんが大きな花束を用意してくれていた。



針生先生の道案内で、前回は見ることが出来なかった地域に寄ってみた。
写真は6月の物であるが、位置関係が判る。中央に見えるのが高校、右が高齢者施設、左が先生設計の共同住宅だ。



この建物に住んでいた人達は、いち早く高台に逃れ、無事だったらしい。
建物は屋上まで津波をかぶり、開口部は破損したが、躯体は無傷だった。
建具と設備を取り付け内装を変えると使える状態なので、取り壊しをするのか、まだ検討中なのだそうだ。



こちらは、同じような状態の高齢者施設。玄関には祭壇らしき跡があった。
躯体は大丈夫だったが、ここでは死者が出たので、このまま使用するには抵抗があるのだと言う。
上の高校の校舎まで、避難者を上げて助けたが、多くの方々は津波にさらわれていった。



この施設のあった高台は、町内を一望でき、こんなに高い所まで津波が来るとは想像できなかったと言うのが本音だろう。



向かいに半島か島があるので、水平線は確認出来ないが、これほどの高さにあったのだ。

針生先生は、津波と堤防の高さの話をされた。各地で問題が起きている堤防だが、今回の津波の高さを考えると現在の7m-10mの堤防など何の役にも立たない。それが判っているのに、土建国家の日本では税金を使って金儲けに走る人間が主導しているとのこと。スペインで震災の事を発表されたが、各国の方々から、「日本は民主主義ではないね。」と言われたそうだ。



潮水をかぶって枯れた杉の伐採も進んでいた。
今回の針生先生のツアーには、地元の森林組合と県森連の元理事さんも加わって、伐採や木材の話しを伺うことが出来た。杉は潮水がかぶる程度なら枯れないが、潮が引かず根から吸い上げた時点で枯れてしまうと言う。黒松などに比べると、塩分には弱い樹木である。枯れた杉の行き先は、住宅などの木材には使えず、燃料としても塩分が含まれているのでストーブなどの器具を傷める。紙の原料などのチップにするのだそうだ。



さんさん商店街に寄って、少しの間買い物をする。時間が全然足りないと、帰りにもう一度寄ることにした。
今日は復興市の日なので、仏壇のさとうさんの姿を探した。見つからないので電話をすると、今日の会場はアリーナの方だと聞いた。



昼食会場へ向かう道すがら、若いボランティアの皆さんが片付けをしていた。



ヤマウチ本店の静江館に着いた。津波にあわれ高台に仮設の店舗を作り、さんさん商店街の皆さん同様と一緒に、元気な南三陸町を取り戻すために頑張っている。



店先ではこんな光景が。



イカも皮を剥かれて干されていた。



その下の青いBOXの中には、鮭がゴロゴロ



昼食はキラキラ海鮮丼。(丼の向きを正さずに撮影してしまった。)



予定を変えて、アリーナ近くの手塚建築研究所設計の幼稚園を先に観る。



ふんだんに木材を使っている。



園庭には恐竜もいた。



アリーナ近くのこの幼稚園に入るのにも交通規制が引かれていた。
復興市が大にぎわいだったが、中に入る時間がなかった。



少し下って、従来の仮設住宅を見る。大手の建設会社によるプレハブの仮設住宅は断熱が悪く、寒いし結露が耐えないと後に断熱材を補強するなど大幅に予算を超過した。



役場のある志津川から北へ20分ほど、歌津に入る。東南の方向に海が見える高台に、木造の仮設住宅は建てられていた。



1戸だけ空いている内部を見せて頂いた。
テラスがあり、横に風よけが付いた玄関がある。



入ると床と天井に杉板が張られたダイニングキッチンがあり、そこを中心に田の字型に3つの居室と浴室やWCの水回りが設けられている。壁は化粧ボードのようだが、ジョイントを気にした大工さんがこまかく化粧の木材で継ぎ目を隠す。コレと廻縁を回したのが針生先生は気に入らないらしい。出来れば壁も木材にしたかったようだ。



キッチンには調理台の他に冷蔵庫もあり、電化製品が床に置かれていた。
別の部屋には布団も準備されており、すぐに生活が出来るようになっていた。



TVにも、日本赤十字のシールが貼られている。義援金はこんな風に姿を変えて被災者へ届けられている。



住宅とは別棟の集会所があった。ここの内部は畳敷きだった。
この敷地は民間の物で、地主さんのご厚意で建てることが出来た。仮設住宅は3年でその役目を終える。プレハブの仮設は解体される。この木造で造られた住宅は、そのまま使用できる。ただ、基礎は布基礎ではなかったので、一度かさ上げをする必要がある。3棟建っている内1棟は解体するが、そのまま皆さんに使ってもらえるのではと、地主さんは考えている。

この仮設住宅は地元の木材を使い、地元の大工さんの手によって建築されたので、断熱材などは通常の住宅と同様に最初から入っている。建具のガラスも複層ガラスで、バスユニットも少し大きめなのだそうだ。広さも住み心地もよいのに工事金額もプレハブに比べるとずっと安い。地元に雇用の生まれるような事を、行政はなぜもっと考えないのか。



ゴミステーションも同じような外観と色で仕上げられている。実はこの黄色は針生先生は気に入らなかったらしい。「黄色は元気が出る色じゃないですか。」と私は横やりを入れた。
長屋建ての仮設住宅では、両端の部屋が寒いのだそうだ。床下に冷たい空気を入れない工夫がしてあった。それがユニークで、この黄色とも結びついている。



そこからまた少し北へ、産直のみなさん館でコーヒーをご馳走して貰った。
記念写真も撮る。西日がまぶしかった。



ここは民間が寄付してくれて建てられた施設だそうだ。
先生達とは、ここで解散になった。



道すがら、志津川では見られなかった所を撮す。
これは三陸鉄道の列橋。



橋の上に人が立っているように見えてならなかった。



近くの神社に遠くからお参りする。
こんな階段が近くにあれば、避難するのは容易だと考える。



仮設の商店街は、ここにも建てられていた。



「鮭が川を泳いでる!」との私の話を信じなかった面々が、川底を覗くと、ほら、いたでしょう。



少しでも気持ちが届けられますように。



仮設のコンビニの横から撮った三陸鉄道の駅



堤防が破壊された志津川の港
コンクリートで造る堤防を、もう一度考え直す時期に来ている。



この辺りの地盤も、1m程下がり、大潮では水が漬くそうだ。



左手奥の白い建物は、ホテル観洋。
海面の少し前方には浮き桟橋も造られており、少しづつ港にも手は加えられている。



堤防と水門。右手は水に浸っていても、ここは地面。



さんさん商店街に戻り、急いで買い物をする。
大型バスが着き、団体客でごったがえす。



帰途中に寄ったあら伊達の道の駅は、クリスマスのイルミネーションで飾られていた。

コメント (8)
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