My Movie(JUL 27, 2013 14:54 - 14:57)
今年生まれた白メダカの稚魚は保育水槽に、昨年生まれた親メダカはアカヒレやエビと一緒に泳ぎ回っているが、こんな風に撮ると、空中を魚が泳いでいるように見えるんだ。
RoadMoviesを使って作成できた。
My Movie(JUL 27, 2013 14:54 - 14:57)
今年生まれた白メダカの稚魚は保育水槽に、昨年生まれた親メダカはアカヒレやエビと一緒に泳ぎ回っているが、こんな風に撮ると、空中を魚が泳いでいるように見えるんだ。
RoadMoviesを使って作成できた。
肝心な期日が過ぎてから書くのが、私のブログの悪い所である。今回の話も、もう間に合わない。何故なら参議院選挙の投票日はすでに過ぎているからである。私は比例区の投票で、どうしても落としてはならない人物に投票した。それは、中山恭子氏だった。
中山氏の存在を初めて知ったのは、北朝鮮の拉致被害者達と一緒に飛行機から降りてくる映像からだった。温和しそうで控えめで、大声を張り上げるでもなく、何故この方が拉致担当参与になるのだろうかと不思議だった。威圧的な北朝鮮には、こちらも冷静かつ強靱な男性の方が似合うと思っていたからである。祖国の土を踏んで1週間、拉致被害者達は家族を残しての帰国だから、誰もが北朝鮮へ帰るとばかり思っていた。それに異を唱えて実行に移したのが、この中山恭子さんだった。山形県第3区の某代議士は、TVのニュース番組にゲストで出演して「約束なのだから、北朝鮮へ返すべきだ。」とのたまった。
中山恭子氏の強い信念と実行力はどこから来るのだろうか。実はマスコミが表立って報道していない別の拉致事件に深く関わり合っていたのである。それが、キルギスの日本人鉱山技師拉致事件だった。1999年当時、キルギスとウズベキスタンの特命全権大使として任務していた時、日本人4名を含む7人がウズベキスタンの反政府武装ゲリラに誘拐されてしまった。中山大使は外務省へ支持を仰ぐも、キルギス政府に任せよが返答だった。日本大使館として動くなと言うことである。大使は夫である中山成彬氏に電話で相談すると、「全力で助けるのが、貴女の仕事だよ」と言われ、通訳と2人で武器を持たずにゲリラの元へ向かったという。
武器を持った男性でさえおじけづく交渉で、現れた女性を見て相手も驚く。丸腰の中山氏はゲリラのリーダーと交渉を始めたが、リーダーは日本を知っていると言う。日本のTV番組の「おしん」のDVDを全部見ていて、それが切っ掛けで話は進み、人質を解放して貰う事が出来た。日本ではこの事実が報道されず、金で解決しただの、外務省のお手柄だのとと言う話しになっていた。残念ながら、私の記憶にも残っていない。詳しい内容は、ねずさんのひとりごとや、中山恭子著の「ウズベキスタンの桜」に載っている。
中山恭子氏は、日本人としての生き方を学びたい人物である。