朝から公益研修センターへ向かう。会場は満員だった。私は有り難いことに前列の関係者席に通されたが、受付で「予約してないんですけど、入れますか。」と言う声を聞いた。彼らはどうなっただろう。
今年は会場を分けずに、酒田だけになった為か、観客の数は多かった。年齢層少し高めで、全員が座れていなかったのではないか。天候は雨で、野外で計画されていた催し(岡野さんが関わった音楽と舞踏の協奏・出羽マンダラ)も同じホールで演ずることになり、長時間+濃い内容になったと思う。(ただし、昨年羽黒山の五重塔で演じされたコラボの方が良かったけど。)
残念な事に、公演中の写真撮影が禁止され、とても素敵なシーンがあったのに、脳裏に焼き付けるだけになる。午後から一番前に座っていた女性が撮影していたけど、ど~なのさ!
今回披露された伝統芸能は4つで、それらの解説を重要無形文化財「黒川能」の下座太夫の上野由部氏が詳しく話された。
庄内に於ける国指定の重要無形文化財の伝統芸能は5つあるそうだ。元々の日本の芸能は神事や仏事にまつわることが多く、祭りは祀りに繋がっている。ただし、国指定になるには寺社との関係が深過ぎると選ばれないと言う原則がある。このため、残しておきたい芸能は県指定や市町村指定の文化財として保存されている。ともかく、東北には多いとのこと。
杉沢比山は山岳信仰のよりどころである鳥海山の大物忌神社に関わりがある。吹浦に残る田楽など山をとりまく繋がりで、羽黒の高寺八講の花笠舞も存在する。山伏神楽は東北に多く、それが番楽から能へと少しづつ変化し、庶民が演ずる物へとして受け継がれていった。この杉沢比山が国の重要無形民俗文化財に指定されているのは、能以前の古い様式を残していることがあげられる。
今回演じられたのは「翁」だった。動きは緩やかで素朴だ。手に持った扇の中央にあるのは月、裏面(表面)には太陽が描かれていた。後ろの幕にも、月と太陽が描かれていた。
庄内には3つの能がある。黒川能、温海の山戸能、そして松山能だ。江戸時代、能は武家の習い事として習得されたが、紀元は室町幕府の足利氏に遡ると言う。松山藩は、酒井家の分家であり、江戸から舞手を連れてきて作られ、酒井藩の加護を受けて発展したが、明治以後町民へと舞手が移る。世阿弥の形も残っているが、金春流(聞き間違いがあるかも知れない)や泉流からも教わったようである。
演目は「羽衣」。天の松原の松の木に掛けてあった羽衣を漁師が見つけ家宝にしようと持ち帰ろうとする。天女はそれがないと天に帰れず返して欲しいと願う。漁師は天の舞を舞ってくれたら返すと約束し、天女は羽衣をつけ舞を舞いながら天に帰ると言うおなじみの演目である。
羽衣と言うとクモの糸のような薄い絹織物を連想していたのだが、その松に掛けられていたのは、帯の布地かとも見間違うようなごっつい錦織りの衣だった。(本当は薄かったけど)おいおい、これじゃ羽衣と言うより、布製の重力制御装置か!と黒い私がささやく。謡いのおじさんが完璧に緊張していて手の震えが止まらず気の毒だった。これは私にも覚えがある。声がうわずり手に持った原稿が小刻みに揺れ、止めようにも止まらないのだ。
どの伝統芸能も少子化の折、後継者に苦労すると言う。今回の演者達は高齢の方が多かった。羽衣の天女の面は素晴らしく美しい。少しの角度で表情が変わり、ぞくぞくするほどの美人だ。羽衣の下の衣装も見事で踊りも良いが、演者が高齢・・・以下自粛。ああ、何だか自分のことを言っているようだ。
この画像は、休憩の時に流れたもので、若者達が演ずるようになると、もっと美しいかなと思った。
歌舞伎は江戸時代に庶民の中で生まれた。出雲の阿国やかぶくもの、河原ものと言われた立場から、現在は大手を振って格式高い芸能と呼ばれる。でもね、本当は能の方が格式が高いのよね。
300年ほど前に生まれた歌舞伎は、地方に巡業するようになって各地に広まっていった。この歌舞伎が伝わる山五十川は珍しい地区で、歌舞伎の他に山戸能も存在する。
私は素人なので、能は謡も何を言っているのかよく判らないが、歌舞伎は決まり事が判ると楽しく観ることが出来る。今回の演目は「菅原伝授手習鑑」で、あらすじと役者の化粧(くまどりなど)を見るだけで、全部判った気になる舞台が楽しかった。
黒川能がどのような紀元で作られたか、諸説が8つもあるそうだ。未だに謎だそうだが、室町時代に庄内を治めていた武藤家(公家筋)が1460年頃に能を上演したと言う記録が残っている。江戸時代には酒井家の加護の元に発展したが、酒井家に内緒で酒田や河北町や新潟、果ては比叡山の近くまで巡業したらしく、後にばれてお咎めを受けたらしい。巡業ではなく神事で出かけたと難を逃れたようだが、黒川の春日神社の神事能として、年に何回か舞われている。早春に行われるのが最も有名だ。私も1度は現地で見てみたいと願う。
今回の4つの伝統芸能は、どれも素晴らしく、甲乙つけ・・・・ついちゃうのは、この黒川能のお蔭かと思う。鼓の音からちょいと違う。舞手の型も動きも鳴り物もどんどんグレードアップしているように思える。日々の練習だけでなく、しっかりと本物や良い物を観て研究し、単なる地元有志の芸能に留まっていないのではと思えるのだ。