無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

想像する伝統芸能

2013-09-16 12:12:57 | 音楽・芸術・文学

朝から公益研修センターへ向かう。会場は満員だった。私は有り難いことに前列の関係者席に通されたが、受付で「予約してないんですけど、入れますか。」と言う声を聞いた。彼らはどうなっただろう。

今年は会場を分けずに、酒田だけになった為か、観客の数は多かった。年齢層少し高めで、全員が座れていなかったのではないか。天候は雨で、野外で計画されていた催し(岡野さんが関わった音楽と舞踏の協奏・出羽マンダラ)も同じホールで演ずることになり、長時間+濃い内容になったと思う。(ただし、昨年羽黒山の五重塔で演じされたコラボの方が良かったけど。)

残念な事に、公演中の写真撮影が禁止され、とても素敵なシーンがあったのに、脳裏に焼き付けるだけになる。午後から一番前に座っていた女性が撮影していたけど、ど~なのさ

今回披露された伝統芸能は4つで、それらの解説を重要無形文化財「黒川能」の下座太夫の上野由部氏が詳しく話された。

庄内に於ける国指定の重要無形文化財の伝統芸能は5つあるそうだ。元々の日本の芸能は神事や仏事にまつわることが多く、祭りは祀りに繋がっている。ただし、国指定になるには寺社との関係が深過ぎると選ばれないと言う原則がある。このため、残しておきたい芸能は県指定や市町村指定の文化財として保存されている。ともかく、東北には多いとのこと。

杉沢比山は山岳信仰のよりどころである鳥海山の大物忌神社に関わりがある。吹浦に残る田楽など山をとりまく繋がりで、羽黒の高寺八講の花笠舞も存在する。山伏神楽は東北に多く、それが番楽から能へと少しづつ変化し、庶民が演ずる物へとして受け継がれていった。この杉沢比山が国の重要無形民俗文化財に指定されているのは、能以前の古い様式を残していることがあげられる。

今回演じられたのは「翁」だった。動きは緩やかで素朴だ。手に持った扇の中央にあるのは月、裏面(表面)には太陽が描かれていた。後ろの幕にも、月と太陽が描かれていた。

庄内には3つの能がある。黒川能、温海の山戸能、そして松山能だ。江戸時代、能は武家の習い事として習得されたが、紀元は室町幕府の足利氏に遡ると言う。松山藩は、酒井家の分家であり、江戸から舞手を連れてきて作られ、酒井藩の加護を受けて発展したが、明治以後町民へと舞手が移る。世阿弥の形も残っているが、金春流(聞き間違いがあるかも知れない)や泉流からも教わったようである。

演目は「羽衣」。天の松原の松の木に掛けてあった羽衣を漁師が見つけ家宝にしようと持ち帰ろうとする。天女はそれがないと天に帰れず返して欲しいと願う。漁師は天の舞を舞ってくれたら返すと約束し、天女は羽衣をつけ舞を舞いながら天に帰ると言うおなじみの演目である。

羽衣と言うとクモの糸のような薄い絹織物を連想していたのだが、その松に掛けられていたのは、帯の布地かとも見間違うようなごっつい錦織りの衣だった。(本当は薄かったけど)おいおい、これじゃ羽衣と言うより、布製の重力制御装置か!と黒い私がささやく。謡いのおじさんが完璧に緊張していて手の震えが止まらず気の毒だった。これは私にも覚えがある。声がうわずり手に持った原稿が小刻みに揺れ、止めようにも止まらないのだ。

どの伝統芸能も少子化の折、後継者に苦労すると言う。今回の演者達は高齢の方が多かった。羽衣の天女の面は素晴らしく美しい。少しの角度で表情が変わり、ぞくぞくするほどの美人だ。羽衣の下の衣装も見事で踊りも良いが、演者が高齢・・・以下自粛。ああ、何だか自分のことを言っているようだ。

この画像は、休憩の時に流れたもので、若者達が演ずるようになると、もっと美しいかなと思った。

歌舞伎は江戸時代に庶民の中で生まれた。出雲の阿国やかぶくもの、河原ものと言われた立場から、現在は大手を振って格式高い芸能と呼ばれる。でもね、本当は能の方が格式が高いのよね。

300年ほど前に生まれた歌舞伎は、地方に巡業するようになって各地に広まっていった。この歌舞伎が伝わる山五十川は珍しい地区で、歌舞伎の他に山戸能も存在する。

私は素人なので、能は謡も何を言っているのかよく判らないが、歌舞伎は決まり事が判ると楽しく観ることが出来る。今回の演目は「菅原伝授手習鑑」で、あらすじと役者の化粧(くまどりなど)を見るだけで、全部判った気になる舞台が楽しかった。

黒川能がどのような紀元で作られたか、諸説が8つもあるそうだ。未だに謎だそうだが、室町時代に庄内を治めていた武藤家(公家筋)が1460年頃に能を上演したと言う記録が残っている。江戸時代には酒井家の加護の元に発展したが、酒井家に内緒で酒田や河北町や新潟、果ては比叡山の近くまで巡業したらしく、後にばれてお咎めを受けたらしい。巡業ではなく神事で出かけたと難を逃れたようだが、黒川の春日神社の神事能として、年に何回か舞われている。早春に行われるのが最も有名だ。私も1度は現地で見てみたいと願う。

今回の4つの伝統芸能は、どれも素晴らしく、甲乙つけ・・・・ついちゃうのは、この黒川能のお蔭かと思う。鼓の音からちょいと違う。舞手の型も動きも鳴り物もどんどんグレードアップしているように思える。日々の練習だけでなく、しっかりと本物や良い物を観て研究し、単なる地元有志の芸能に留まっていないのではと思えるのだ。

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第15回日沿道建設促進フォーラム

2013-09-16 11:13:30 | 建築・都市・港

朝、9時半に産業会館前からバスに乗り、新潟へ向けて出発する。第15回日沿道建設促進フォーラムに参加する為である。温海ICから一般道に降りて、日本海を見ながら国道7号線を南下する。

片側交互通行の箇所では、待たされずに順調に走る。この工事は、日本海の高波防止の為の工事である。国道7号線は、ちょっとした高波で通行止めになる道路なのである。ここが通行止めになると迂回路は遠く、不便を強いられている。

高速道路のミッシングリンク(繋がれていない道路)は、山形県の温海から新潟県の村上までの県境付近である。峠があり、狭い耕地は秋の色に染まっていた。

朝日まほろばの道の駅でトイレタイム。そのトイレでみかけたでかいスーイッチョン。ウマオイだろうと思われる。実はウマオイはトイレの壁(ブース)に逆さまにしがみついていた。それを横に回転させた為、脚のふんばりがおかしい。

朝日から高速に乗る。豊栄ICで降りて新潟市中央区に向かう。

これの写真は万代橋を渡っている途中である。橋の向こうは川に見えるが新潟港の一部でもある。

会場は西堀通りに面したイタリア軒。多分ホテルなのだと思う。

会議に入る前の腹ごしらえは、イタリア軒の小路を挟んで向かいの割烹「蛍」だった。ちょっと綺麗!

2002年の都市景観賞を貰った建物のようである。

アプローチも、店内も綺麗だった。部屋は掘りごたつ風の和室に通される。

ご飯は15穀米だそうだ。左上の器は山芋と昆布のトロロで、ご飯にかけると麦飯のように美味しかったそうだが、私はトロロはご飯にかけない派なのだ。食事はこの他にデザートとコーヒーがついた。

会場のイタリア軒に入る。このホテルのある西堀通りは寺町で、驚くほどの寺が並んでいた。

本会場は異国情緒たっぷりの壁画が張られていた。

いつものフォーラムでは各県からの意見発表4名と、記念講演に神戸製鋼ラグビー部総監督の平尾誠二氏の「ラグビーに学ぶリーダーシップと強い組織づくり」を拝聴することになる。平尾氏本人は自分の中学から高校時代のラグビーと恩師の話を中心に語られた。「理不尽な話」として毎日のように体罰される内容だったが、現在問題になっている桜ヶ丘高校の体罰にちょっとは触れた。氏の青春時代はなぐられるのが当たり前の頃だったので、その模様を面白おかしく聞くことにはなるのだが。同じように指導して行くには難しいのではと思う。

酒田-新潟市間は、鶴岡-温海が開通し、県境を除き村上から新潟市まで繋がった為に、所要時間が短くなったとはいえ、会場までに3時間かかった。日中だからなのだろう。

帰りの三面川では、魚釣り(鮎釣りにしては海に近い?)の人が随分といた。海側はもっと凄かった。

遠くにいくほど霞む山々は、本当に美しいかった。やがて夕焼けを浴び薔薇色に染まるようになる。

 

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