国道47号線を走り抜ける度に、清川の辺りで「清河八郎記念館」の標識を横目で見ていた。詳しくは判らないが、幕末の志士としてこの地で生誕している。記念館に一度は行ってみたいと思っていた。思いこみとは不思議なもので、国道から見える大きな門構えの、これも大きな家屋敷が記念館だとずっと思っていた。
国道は最上川の土手の上を走っている。清川の町に入るには、下り坂を下りてメイン道路(駅前)を走る。小さな駅を右手に見て、そろそろ記念館かなと思ったら旧役場に突き当たった。記念館はそこから右に折れてもうじき国道へ突き抜けるかと思われた時に、左手に現れた。想像していた古い屋敷ではなく、RC造の建物だった。
いつも展示している資料の他に、今回は京都あたりからも取り寄せたと言う「庄内清川展」が開催されている。内部は撮影禁止だった。
豪農と造り酒屋の長男として生まれ、8歳で学問の為江戸に行く。文武ともに優れ、千葉周作道場の北辰一刀流の免許皆伝の使い手でもあった。幕末の時代、どちらに身を置くかで運命は決まるが、新撰組との関係も深く、牢に入れられたり、日本中を長く逃げ回ったりした。暗殺されるまでの32年の人生をめまぐるしく生きたが、彼の生き方を社会は誤解しているようだと、記念館の方が説明してくれた。実は私もよく判らない。それを知るのに私はまだ若いのだろう。(清河八郎は満32歳没だと言うのに)
隣接する清河神社にあった立て札。
ここには、ここの歴史がある。すぐ近くに芭蕉が上陸した記念碑があった。
清河神社。家に帰ってこの神社の話をしたら、私の祖父の弟(宮大工)、父から見るとおじさんが建てた神社だそうだ。