無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

靖国神社の月

2015-02-02 12:40:39 | 建築・都市・港

いつもは、会議が終わると、近くの美術館に走り大急ぎで作品を観た後でアメ横に行く。この時期は運悪く、国立西洋美術館は常設展しか行っていないし、時間が無いので遠くまでも行けない。2月1日まで建築展を開催している国立近現代建築資料館は、旧岩崎邸庭園の隣にあったが、閉館時間が午後4時半と、到底間に合いそうもない。ならばと、靖国神社へ向かう。地下鉄の市ヶ谷が良いのか、九段下が便利なのかと迷いながら、市ヶ谷から一直線に靖国神社の南門へ向かう。実は東門から入った事がないのである。

今年は「きのとひつじ」である。今まで自分たちが想像もしていなかった出来事が起こる年だそうだ。お参りを終え、御札を求めてから、少しだけ境内を歩く。

正門の隣に、能舞台があった。

これが戦争の資料を集めた遊就館である。和洋折衷の建物である。

これが入り口。もう閉館時間に迫っていた。

日本酒を奉納した各地の酒蔵。山形県は内陸だけだった。

正門の右上に、月が輝いていた。

私が門をくぐる頃には、扉は半分閉まって「もうじき、閉門です。お急ぎ下さい。」と警備員が声を掛けていた。閉門は5時だそうだ。中に入ったまま、扉を閉められた人達は、どうなるのだろう。係員の通る小さな扉でもあるのだろうか。そこから帰るのも面白そうだ。

 

 

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全国みちづくり女性団体交流会議2014

2015-02-02 11:22:03 | 建築・都市・港

上京の目的は、「全国みちづくり女性団体交流会議2014」に出席する為である。会場は昨年と同じ日暮里の駅近くのホテルだった。

実は、この交流会議には全国65団体が加入している。今年の参加者は15団体だったが、昨年よりは少しだけ多かった。始めた当初の頃の参加人数はこの4倍で、1団体当たりの持ち時間は非常に少なかった。あの頃は公共事業が削られ、道路の計画は軒並みストップし、物流にも生活道路にも事欠く中で立ち上げられた。それから十数年が経つと、各地の高速道路は完成していく。完成した地域の団体は、参加しなくなる。残っているのは未完成の地域なのである。

今年はそれが少し様変わりした。道路は出来ればそれで済む問題ではない。高速道路が出来てから、素通りされずにどうやって街中に人を呼び込めるか、地域と産業、そして人づくりが最も重要だとの視点から、完成した地域ではどのような使い方を始めたかの発表も聴くことになる。

参加人数が少なければ、おのずと顔見知りになり会話も弾む。年を追うごとに発表の仕方も面白いものになる。

まずは腹ごしらえである。「このお弁当なら、酒田で1500円もしないよね。ひそひそ」 お刺身もマグロの赤身2切れとイカ刺しで、締めて2500円なのである。

お土産も頂く。酒田からは何もない。(^^;

「必ず、説明を読んでね。」と言われた「一里玉」。昔懐かしい味だった。飴を1粒頬張ると、1里を歩く時間の目安になったと言われている。ただし、現在よりも昔の一里玉の方が粒が大きかったそうだ。

さて、本会議が始まった。今年から事務局と会長さんが、九州から四国の徳島へと代わった。若い会長さんだし、メンバーも多いので一安心だ。

国土交通省道路局長さんの挨拶。「仕事柄、女性は苦手だが、おばちゃんは好き。」とセクハラぎりぎりの発言で、会場が大いに盛り上がる。どの団体も10年以上の活動経歴を持つ。昔は誰でも若かったのだ。

各団体の発表が始まる。持ち時間3分で容赦なく打ちきりとなる。

以前から、パフォーマンスが上手いアメノウズメノミコトのような女性が大勢いて、場を盛り上げていたのだが、最終兵器は青森県下北の女性達だろう。去年は白波五人男だったが、今年は相撲甚句に挑戦した。この化粧回しも手作りだそうだ。

事務局を担ってくれる徳島の女性達。中には「私、若く見られるけど歳なのよ。南海トラフの地震の時の津波を覚えているわ」と、自称80歳のびっくり仰天の女性も、この中に写っている。津波の被害を受けたとすると、1946年の昭和南海地震か。徳島の太平洋側は、海から切り立った崖までの距離も短く、その間に道路はあるが、高波や津波ですぐに通行止めになる道路だと言う。四国の瀬戸内海側は道路などの整備は順調だが、特に徳島の太平洋側は迂回ルートも少なく、町から一番近い空港まで2時間を要すると言う。病院に行くにも生活の上でも不便を強いられているそうだ。

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悪天候

2015-02-02 10:36:57 | 建築・都市・港

庄内空港から2便で東京へ向かう。庄内空港には無事に時間前に着いたが、今何時?時計の針がない。雪交じりの水溜まりを避けながら、空港ビルへ急ぐ。

朝は良い天気だったのだが、この日は仙台沖に低気圧があり、冬型の気圧配置と共に、日本海側に強風波浪警報が出ていた。お陰で、行きは良い良い帰りは恐いだった。最終便を待つ羽田空港では、日本海側のフライトが軒並み「着陸できない場合は羽田に引き返します。羽田到着時には電車などの交通機関は終わっておりますので、後は自己責任で・・・。」と迄は言わないが、アナウンスが流れる。引き戻った時には、ANAは面倒は見てくれない。財布の中身を見てみると、お土産の買い過ぎで残りが少なかった。JRで帰る羽目になると交通費しかない、空港のベンチで夜明けを待つのか状態で、ビクビクだった。

結果は、腕の良い機長の操縦で、庄内空港に無事に着陸はしたのだが、着陸態勢に入ってからの揺れは酷かった。滑走路に降りてからも、飛行機はザーッと強風で何度も横に引っ張られ、その都度体勢を整える。雷付きの大嵐の最中だったのだ。

空港からの車の運転でも、横風に揺れながらだったから、飛行機なら尚更だろう。少々恐かったが、家に帰れて有り難かった。

 

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