走る車の中からの撮影がイマイチだったので、理事会の帰りに天童へ寄った。それなのに、カメラを忘れる。
この通りの景観はどうやって造られたのか知りたくて、お店に入る。行政が主導だったのかを聞くと民間が主導だと言う。お店のご主人は詳しいことは相澤さんに聞いてみてと、場所を教えてくれた。事務所かと思ったら、住宅だった。彼が中心になり、このまち作りを行ったそうだが、せっかく教えて貰ったので、お邪魔してみた。突然現れた不審な女を前に、玄関にどっぷりと座って詳しく教えて下さった。
山形県で国体が開催された頃、天皇陛下がお出でになると一部の道路が綺麗になった。この通りは旧国道で現在は県道に格下げされているが「羽州街道」である。この通りはその計画から外れ、なおざりにされた。山形市と天童市は近い。天童から山形への通勤客も多い中、交通量は増えるばかりで、道路を拡張して欲しいと山形県に陳情する。国体が終わると、その運動は一度下火になったが、ますます交通量は増えるばかり。再度、協議会を立ち上げる。天童市役所にもノウハウを聞きながら、住民達が立ち上がる。道路を中心に各々5mづつ後退し道路を拡張する。単に道路が広がり家を曳き屋や改築するのでは芸が無い。天童の古城西と言う独自の地域を生かしたまち作りが必要では無いかと、芸工大の山畑先生を中心に植物の専門家も交えて協議会を作った。そして勝手に改築しないことを住民達に条件付けた。
このまち作りの目途として平成29年に道路工事は終わる。その頃まで町としての形は着くのではないかと考えている。実は同じ時期に寒河江でも道路の拡張工事が行われている。そちらはまち作りとして、あまり私の記憶にない。
仲野商店の蔵
こちらも出羽桜の美術館である。
出羽桜の住宅を活かした美術館である。
髪結い処。山形市では夏になると冷やしシャンプーが流行する。
旧東村山郡役所の建物は、現在資料館になっている。