無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

初日の夜

2017-01-30 11:49:08 | 

国交省から有楽町へ出て、出光美術館で時間を潰し、有楽町駅前でホテル泊まり組と親戚泊まり組に別れる。私達ホテル泊まり組は、夕食をとあこがれのガード下の居酒屋を探した。サラリーマンの後を追って、とある居酒屋に入る。

2時間飲み放題らしい。料理を豆腐を中心にワシワシ注文して食べる。

高野豆腐のラザニアが絶品だった。そうか、肉無しでも高野豆腐で代用できる。

一品だけ、焼き鳥を注文する。酒田では、焼き鳥と言えば鳥も豚も串に刺さった物が出てくるのが常識だが、ここは焼いた鳥が出てきて、最後までは食べられなかった。

それから電車に乗り換えて、ホテルへ着いた。最近話題のAPAホテルである。ここ麹町のホテルは山形県人だと安く泊まられる。ロビーで身分証明書の提示が必要であるが、詳しくは山形県のHPから入って予約を入れるようだ。

ロビーで、「これはプレゼントです。」と黄色の箱を貰った。荷物になるのは大変だと思ったが、部屋に入って開けて見て、早速頂くことにする。

引き出しの中はご覧の通り、新しい本が2冊入っていた。

鏡の脇には、別の書籍やマガジン、それと山形県の観光ガイドブックがあった。

さて、どれから読もうか。

と、マガジンから先に読んだ。疲れているのと、アルコールが入っているので、合計2冊しか読めなかった。著者の藤誠志氏は、APAホテル代表の元谷氏のペンネームである。

書籍の方の内容は、大方私が知っている内容だった。少し掘り下げた箇所もあったが、南京大虐殺が取りたてて大きく書かれている訳でもないし、中途半端でもあった。私のブログの方が、もっと突っ込んで書かれている。ただ書籍には、日本語以外に半分ほどが英訳で書かれていたので、海外のお客にも知って貰えるメリットがあるだろうと思った。ロビーに書籍販売のコーナーは見当たらなかった。

過去に書いた南京大虐殺の話

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歌舞伎座に行く

2017-01-30 11:12:25 | 

時間は前後するが、空き時間を利用して歌舞伎座へ行った。

歌舞伎座は、地下鉄の東銀座駅と直結しており、外へ出なくとも地下で繋がっている。駅への案内の文字も、優しく明朝体で書かれており、雰囲気は抜群だ。

改札を抜けて入った所は、歌舞伎座のお土産店が無数に並んでいた。

1月27日の事である。

そこそこ、良いお値段の品物を観ながら、1本千円のかんざし売り場にかじりついた。

歌舞伎を堪能する時間も懐のゆとりもないので、歌舞伎座ギャラリーに向かう。

ここは歌舞伎の小道具や大道具が見学出来る空間だ。フラッシュ無しなら写真を撮るのも、品々に触ってみるのもOKなのだ。馬にも乗れる。

ザルの中には小豆が入っており、揺らすと波の音になる昔から伝統の音だしの技術である。

色々観て触って、一番奥には映像を見るスペースがあった。赤い毛氈の長いすに座り、役者が化粧の隈取りをして衣装を着けて舞台に上がるまでが流れていた。化粧は各自個性的に行うが、衣装は何人もの力の強い男手がいないと装着出来ない。衣装も鬘も、どれだけ重いのか想像が出来ない。

三味線を弾いても良いのだそうだ。

舞台左手奥には、鳴り物(太鼓や鐘)が置いてあり、これも自由に叩いて観ることが出来る。この小さな舞台にも上ってみた。

暖簾をくぐって、舞台裏にも潜入する。

大道具の図面が貼ってあった。

机の上のお手本を広げる。

一通り見終わって、屋上庭園に出る。ここから赤い階段を使って、降りるのだが。

階段途中で見た瓦が綺麗だった。

軒瓦は鳳凰か。

ここも廊下が展示室になっていて、歴代の歌舞伎役者の写真が展示してあった。

記憶にも新しい、歌舞伎界にあって惜しい役者さんの写真が並んでいる。廊下には、写真が残っている時代まで遡って、歌舞伎役者が並んでいる。子から親、祖父、曾祖父と、顔がそっくりなのに歴史を感じた。

これも写真に残っている歌舞伎座の模型が展示されてあった。

立ち入り禁止の立て札の達筆さに惚れ惚れする。

その立て札の下には、申し訳ないと頭を下げた人形があった。

随分と古いものらしい。

歌舞伎座の前には、小さな神社があった。

御朱印を貰うには、5階まで上らねばならないらしい。

近くの店で、歌舞伎役者達にも評判の、フワフワオムレツを昼食に摂る。

Iさんは、煮込みハンバーグを注文する。これもお裾分けを貰ったが、美味しかった。

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国交省へ

2017-01-30 10:38:01 | 建築・都市・港

庄内空港から羽田へ、この時期のフライトは天候に大きく左右される。過去に2度ほど、雪の為に飛ばないことがあった。東京での会合に参加するのも、雪国からでは大変なのである。

朝一番の飛行機だったので、風の影響も受けずに、スムーズに羽田へ着いた。この日は都市圏で、だんだん強風になったようで、成田空港では離着陸に支障も出たようだ。

東京は暑い。なんでも3月頃の気温だったようで、防寒具着用で歩くには大変だった。

国交省へ着く。待ち合わせの時間に1時間ほど早く着いたが、もう関係者はロビーで準備していた。

庁内に入るにも、所属を根掘り葉掘り聞かれ、証明書を提示して、通行証を受ける。玄関を入ると、駅の改札のような機械が並んでいて、通行証をスイカのようにパネルにタッチさせ、「リン」の音と共にロビーへと進むことになる。何をしに国交省へ来たのかと言うと、酒田みちみらい女性の会として、日沿道と酒田-塩竃のウエストラインの早期完成への陳情に訪れたのだ。

時間に余裕があったので、1回のロビー付近をウロウロする。ロビーは、各課への陳状部隊がひしめいている。女性の姿は以外に少ない。キリッと背広の男性が大多数を占める。

その一角で、パネル展示があった。水の里の旅コンテストと題した表彰のようだ。その最優秀賞に遊佐町が選ばれていて驚く。

1階の小さな会議室に通されて、国交省側を待つ陳情者達。北は青森の下北から、九州の宮崎熊本までの11団体45名が集結した。時間になっても、九州勢が集まらない。

各自、持ち時間3分で、思いの丈をこめて陳情する。今回は北の方から順に行う。下北は19年ほど前から繰り返していたが、数キロが出来ただけだと言う。

皆さんの切羽詰まった願いの発言が続く中、我々は綺麗に纏めすぎたかなとの感あり、次回に期待しよう。

国交省側からの回答がある。

名刺を配り、顔を覚えて貰うように尽力する。

 

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