石段を登ろうかと散々迷ったが、有り難いことに時間が無くて(←おい!)車で頂上まで行く。駐車場は第1、第2、それにスキー場の駐車場まで使われて、例のごとくバスでのピストン輸送がされていた。人混みは、初詣と良い勝負だった。しかも冬と違って、石段を登ってくる若者や外人達も多い。車のナンバーを見ても、県外が多い。
車から降り立つと、ひんやりとした空気に包まれる。第2駐車場は霧がかかっていた。これなら玉こんにゃくも売れる筈だ。
参道は蜂子の皇子墓廟の前を行くルートにした。
道が濡れているのは、雨が降ったのか霧のせいなのか、お陰で緑が美しい。
苔の間から茸が生えていた。
第2駐車場との分岐点に来た。こちらの参道は人混みが少なくて良い。ただし団体とすれ違わねばの話だが。
いつもは、上の道路を歩く。今日は蜂子皇子の墓廟にお参りする。
水が冷たい。
鳥居をくぐって境内に入る。
三山神社合祭殿は、鏡池のこちら側からがよく見える。池は水面が見えないほど葉がしげり、コウホネの黄色の花が咲いていた。隣で「あれは睡蓮かしら。」と言う声が聞こえた。知ったかぶりがしたくてウズウズする。
杉の根元に、アカモモが見えた。低くても羽黒山は山だったのだ。
先に蜂子神社に詣でる。
もう少し早く出かければ、石段を上がる時間もあったのに。なぁんて言うのは嘘で、事務所の階段さえ太腿の筋肉に響くので諦めたのだ。ただ、下界とは違い、今日のように涼しい山だったら楽だったかもとも思う。
三山神社合祭殿に参る。
参集殿の前を通り、千佛堂を探す。
今回の真の目的は、佐藤泰太朗が集めた仏像を安置する千佛堂にお参りする為だ。
山形新聞の写真から、赤い御堂だと知ってはいたが、どこに建立されたのか知らずに探すと、さすがに仏像の安置堂だけあって、霊祭澱の隣にあった。ここの奥には墓場もある。明治時代まで羽黒山が神仏混合だった名残だ。
今まで、佐藤コレクションの仏像は、宝物殿の中に陳列され、見るのも有料で冬の間は雪の為に閉鎖になる状態だった。
仏像の本来の目的は、入館料を払って見学するのではなく、誰もが拝むことの出来る像であることだ。ここまでなるのに40年も経ったのかと驚く。ついこの間のような気がするが、あれは祖父が生きていた頃だ。この話を聞いたら、祖父も曾祖父も喜ぶだろう。千佛堂に入る廊下の前に、佐藤コレクションの一覧が書いてある冊子が300円で売られていた。その他は何も説明はない。
千佛堂の顎は酒井のお殿様の手によるものらしい。
内部は撮影禁止だった。千佛堂は神社の参集殿から霊祭澱へ抜ける途中にあり、どちらからも入る事が出来た。堂の両側に、宝物殿の佐藤コレクションの数とは比べものにならない位の数の仏像が並んでいた。江戸、鎌倉、室町、平安時代と造られた時期は幅広く、中には明らかに異国のお顔をされた仏像もあった。よくこんなに集めたものだ。浄財の箱の中をチラッと見ると、硬貨に混じってお札が多かった。壱万円札が見えたのに驚く。私は千円札を滑らしたが、宝物殿に置くよりも良いのではと思った。
内部は、漆の香りがした。そして、天井には佐藤家の蔵の天井を飾っていた龍の絵も、こちらに引っ越ししていた。私は龍の絵は写真でしか見たことがなく、本物に出会うのは初めてだった。この絵の謂われも聞いていたから、目がうるっとなった。
目的を果たしたので、帰途に着く。3時に着付けを頼まれているからだ。売店からの呼び声には反応せずに歩く。
ただ、羽黒の漬け物屋さんには寄った。ここも駐車場に車が入れなくなるほど、客が溢れていた。お蕎麦屋さんは待ち時間が長くて大変だろう。漬け物の支払いをするのも行列だ。
お盆ももうじき終わりを迎える。