無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

南極観測船砕氷船しらせ

2017-09-09 15:26:51 | 建築・都市・港

南極観測船砕氷船しらせが酒田北港小湊埠頭に入港した。

「しらせ」は、海上自衛隊の管轄である。

8時半から歓迎式典が行われた。

砕氷船と言うから、船首が鋭く造られているのかと思ったら、逆に丸い形だった。

9時からは内部の見学が出来る。行列は3重にも折れ曲がって続いていた。行列に慣れていない酒田の人間は、後ろのじいちゃんが文句の言いっ放しだったし、前の子供達は待つのに飽きてしまって騒いでいた。付き添いのお母さんは大変だ。

来賓と、先ほど歓迎の踊りを踊ってくれた幼稚園児達が、別のタラップで先に入っていた。

 

 

行列が動き始めた。2箇所のタラップを使って、大勢の人を乗船させる。

最初の甲板は、船尾のヘリコプター格納庫前だった。所属のヘリコプター2機は、現在岩国にいるそうだ。

雪上車

 

 

格納庫内。

左舷から移動する。

船体が一体に見えなくて、前方部分と後方部分が鉄骨の骨組みで繋がっているように見える。

廊下部分に写真が掲げてあった。

船首には入れなかった。この右の柱とワイヤーが着いた物は、クレーンだ。

 

 

この油圧ジャッキのついた黒い物は何かと尋ねたら、この下が倉庫になっていて、クレーンで品物を納入する。黒いのは倉庫の蓋だそうだ。その大きさと仰々しさに驚く。

 

注意事項がプレートになっている。

 

医務室入り口だった。

 

タラップをどんどん上り、高さを稼ぐ。

こちら側にも車の数が増えてきた。

 

 

 

操舵室に入る。

双眼鏡とキャップのどちらが欲しいかを問われれば(問われないけど)やっぱり双眼鏡だろうなと思う。あんな所にも桜に錨のマークが付いている。

 

 

 

 

 

船首に向かって左が副長。右が艦長席のようだ。

艦長席には艦長帽を被り、誰もが座ることが出来る。記念写真も撮れる。撮ってくれるのは女性の自衛艦。

もう、人がぐちゃぐちゃ。

一度外に出たが、出口が判らずに、操舵室に戻る。中央部分の廊下を通って出口に出るようだ。

 

 

食堂。

床屋

 床屋前の廊下のハッチ。

 自衛隊員が消えて行った。

このブースには、沢山の賞状や盾が並んでいた。

 

 

 

 

廊下を通って、内部階段を降りた。

船尾の方に回る。船内の舫い。

ロープは白色だった。雪の上だったら、他の色つきの方が目立つのにと思う。ちなみに船体はオレンジと山吹色。

 

下船する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大泉さんが手を振っている。

コメント (7)
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旧友再開

2017-09-09 15:26:22 | 音楽・芸術・文学

建築士理事会は、何の問題も無くとはいかなかったが、そこそこ時間内に終わった。

お昼に、事務局長手作りの薄皮ナスの瓶詰めをご馳走になる。とても一口で頬張ることが難しい大きさだった。味も色も良い。あとでこっそりと漬け汁のレシピを教えて貰う。水2L、砂糖180g、塩135G、ミョウバン6g(5gでも良いそうだ)

会議の資料に紛れて、詩と言うか、歌詞カードが入っていた。見れば河島英五とアナム&マキの「旧友再開」だった。河島英五は好きだが、この曲の記憶はない。何だろうと考えていると、今月の末に行われる会長の表彰祝賀会で、皆で歌って欲しいとのリクエストだった。練習してきてね。だそうだが、河島英五の最後の曲、各自練習ぶっつけ本番で、うまく行くかな。

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陰謀論

2017-09-09 15:19:51 | 社会

米粒写経 & 春日太一『陰謀史で読み解く八甲田山』 

博識な米粒写経の居島一平さんと春日太一氏の対談映像は、軽い気持ちで見ていても面白かったのだが、要所要所で話している内容が、幕末明治以降現代に至るまで、「これは!」と考えさせられることに突き当たる。普段、腑に落ちなかった世の中が、そうなのかそうだったのかと納得が行く。八甲田山の遭難が、誰かによって仕組まれていたのではと言う内容も凄い。伊藤博文を暗殺した安重根が裁判で述べた言葉も興味深い。

歴史は勝者によって書かれてきた。150年前の明治維新でさえも、薩長による勝者の歴史である。日清戦争と朝鮮併合も何故進めたのか、あの頃の東北は飢饉などが続いて、娘を身売りしなければならないほど疲弊していた。東北を救うでもなくインフラを整えるでもなく、何故朝鮮に膨大な金をつぎ込まねばならなかったのか。感謝さえされず、植民地支配だとごねる民族だと、伊藤博文もや福沢諭吉などの日本国民の一部は知っていただろうに。

さて、ここに東洋経済ONLINE なぜいま、反「薩長史観」本がブームなのか が興味深い。歴史は一つでは無い。さまざまな角度から見た歴史がある筈だ。私もそう思う。何故に東北は見捨てられるのか、東日本大震災の復興よりも東京オリンピックが先なのか。靖国神社は明治以降の戦死者を祀ってあると言うが、幕末の幕府側の戦死者は除外されているのは何故か。東北は尊皇攘夷、朝敵といつまで呼ばれなければならないのか。陰謀論としてひとくくりにしてみたが、その元凶は誰なのかが知りたい。

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