ちょっと浮き世から数日離れていたら、衆議院は解散しているし、民進党は離散しているし、希望だか野望だか判らない党も出来ているし、何がどうなっているのかさっぱり判らない世の中になっていた。短時間でこんなに世の中が混乱することがあるのだと、蚊帳の外から眺めている。
さて、話は変わって家族の話をしようと思う。数年前、私の母の痴呆が進んだ時、勿論徘徊もあったし、人の見分けも付かなくなってきた。「実家に戻りたい。」と言った時には、「じっちゃんもばっちゃんも、ず~っと昔に亡くなったのだから。」と話すと、少しは判るそぶりを見せた。その内、自分の家に帰るのだと言うようになった。早く帰って自分の夫の夕飯の支度をしなければと言う。「貴女の夫は、さっきまで一緒の部屋にいただろう。」と言うと、「あんな爺さんは、私の夫ではない。知らない人だから、お前達も気を付けろ。」と返した。自らも若い娘の時代に戻り、夫も若いままでいるのなんて、ちょっと素敵ではないだろうか。その若い時の夫がこの人である。
父も母も、痩せたり太ったり、歳を重ねたりしたので、見事に変貌を遂げている。90歳近くになれば、変わらない方がおかしい。
昨日、山形県に父の建築士の免許証を返納した。免許証の用紙の大きさがB4で私のよりも大きい。封筒に入りきれずに端を折り曲げると、ボロボロに紙が崩れてきた。免許の公布日が昭和27年になっている。たしか建築士法が出来たのが昭和25年で、最初の頃に試験は通ったはずだ。発行が遅れたのは、免許の申請料が払えなかったから1年遅れだったと話していた。
父は21歳で復員してきてから、家族の為に働き通しだった。俺が働くからと祖父の仕事を辞めさせた。そんな大正生まれの男が、母の元へ旅立った。