NHKの大河ドラマ「西郷どん」が始まった。もしかすると本間群兵衛が出るかもと、酒田生まれの私は期待した。ところが2回目を終了した所で、作者と脚本家の名前も見比べて、このドラマは史実に基づくと言うよりもファンタジー展開するんだろうなと諦めた。まぁ、後半で出てきてくれれば儲けものである。
人間の人生は、100人いれば100人分、10万人いれば10万人分全部違ってそれぞれに面白い。西郷さんの人生も壮絶だが、本間群兵衛も負けてはいないぞと、ドラマにしても面白いだろうなと思うのだが。そんな訳で久しぶりに本間群兵衛さんをググってみた。すると長崎フルベッキ研究会なるものが出てきた。フルベッキは本間群兵衛の英語の先生と言われていたが、これを見ると本間群兵衛が日本語の先生とある。しかも東北訛りでひらがな使いが変で困ったともあると書いてある。それは面白い。
そうか、長崎の人達はフルベッキを研究していたのか。酒田も、もっと群兵衛さんを研究するグループがあれば良いのにと思った。酒田には群兵衛さんの親戚筋の方も残って居られるし、彼は多才な人だから、芸術や語学や経済学からも研究出来るだろうにと思う。もっと詳しく知るにはどうしたら良いだろうと考えていたら、こんな本が目に留まった。
石堂秀夫著の「黎明の人」である。石堂氏はこの本を書き上げる上で、徹底して取材を行ったと書かれている。手っ取り早く群兵衛を知るには持って来いなのだろうと、幾つかの本屋やAmazonを当たったが、出版されたのが1999年と、中古でも見つからない。酒田市出身なら酒田図書館にはあるだろうとこれもググって見た。貸し出し中が1冊。あとは貸し出し不可が2冊あった。うむ、図書館に行かねばならないか。それにしても「黎明の人」とは、上手い題を付けたものだなと感心する。
さて、タイトルの北斎から北曜へだが、北斎とはあの葛飾北斎である。ここ最近の私は北斎づいていてすみだ北斎美術館に行ったのも、西洋美術館で催された「北斎とジャポニズム」もしかり、日本画にあまり興味がなかった私でも「とんでもない天才がいたんだ。」と北斎について思っていた。その北斎の最後の弟子のように言われるのが、北曜つまり本間群兵衛だった。北斎は北曜の才を見込んで可愛がっていたようだ。
公益財団法人佐野美術館所蔵 葛飾北斎画「着衣鬼図」(こちらでもっと大きな画面で見ることが出来ます。)
北斎が亡くなる前年89才の作であるが、これには「嘉永元戊申年(1848年) 六月八日 門人北曜子おくる 齢八十九歳 画狂老人卍筆」と書かれており、北斎が北曜に送った絵画で、北曜は酒田の本間家に薩州商社の設立助成を呼びかける時にも携えていたと言われている。また佐野美術館には北曜が描いた「北曜手控帖」も残っており、彼の才能が偲ばれると言われている。酒田に彼の絵が残っていないのかと心配する事はない。本間美術館には北曜の描いた黒船来港の絵があり、私もなんとか見てみたいと手ぐすね引いて待っているのである。
おまけ:ローマで開催される北斎展のポスター