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684年(天武13年)天武天皇の時代に、八色の姓(やくさのかばね)が制定された。
上位から順に真人(マヒト)・朝臣(アソミ)・宿禰(スクネ)・忌寸(イミキ)・道師(ミチノシ)・臣(オミ)・連(ムラジ)・稲置(イナギ)の8種である。
朝臣は八色の姓の第2位であり、初めは、皇族から降下した有力氏族に与えられたが、平安時代以後は皇子・皇孫にも与えられ、姓の第一位となった 。
平(池田)彦太郎秀盛ら兄弟5名が船にて庄内に入る。
時は流れて、池田讃岐守は平田郷漆曽根北沢朝日山にて城主となり、武藤義氏むとうよしうじ)に仕える。
武藤義氏(大宝寺義氏とも呼ばれる)は、初めて庄内を統一した武将である。