無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

山王クラブと傘福

2008-03-31 14:42:55 | 音楽・芸術・文学
以前料亭だった山王クラブに、傘福が飾られてから3年ほどになる。今年も4月3日までの期限付きで、傘福の会場になった。その最後の日曜日なので、会場は酒田らしくない程の人人人である。今年から会場の近くに専用の大きな駐車場が設けられた事も良かったのだと思う。この山王クラブは、佐藤泰太郎の作った建物であり、文化財にも指定されている。ここのオーナーは、料亭を辞めた後、酒田市に建物を寄贈した。酒田市はどんな使用方法があるかを市民を交えて検討した。その席に、私も呼ばれている。専門家としての意見を聞かせて下さいって言われたのに、日当も出なかった。しくしく←オイ



玄関の所に足場が掛けてあるのは、屋根の銅板葺きの修理中のためである。外壁の塗装も所々塗られていなかった。工事の時期と傘福の展示が重なってしまった為、難儀していると思う。耐震改修も含めた工事が終わると、4月28日から本格的に山王クラブは開館する予定になっている。



ちょっと建築の一口メモになるが、後ろの場違いのような絵のついた建具は、料亭の決まり事であり、この先はプライベートな部屋になっている。最近の建物だと、無粋にもドアに「関係者以外立ち入り禁止」のプレートが着いているだけだが、昔料亭で遊ぶにも、こんな決まり事を知っているのが、客だったのだ。



料亭の大広間だった会場には、舞台が設けられており、その上に並べられたディスプレイである。傘福は雛飾りの意味と、寺社に奉納の物もあったと聞く。











人を入れないで写真を撮るのも大変だった。傘福の展示は4月3日で一応終了するが、4月28日の開館からは、別の部屋に移して、常設もされるようだ。この料亭には竹久夢二も泊まったようで、夢二のゆかりの部屋もある。また、北前船の湊町としての栄光を展示している部屋もある。新たな観光の拠点として、第一歩を踏み出す事になる。
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傘福

2008-03-31 13:08:56 | 音楽・芸術・文学
日本の現存する下げ物の雛飾りは、3箇所にあるのだそうだ。酒田の小野家でも古い傘福が見つかった。
荘内日報には、修復された傘福が飾られている写真が載っている。

酒田の傘福



福岡柳川のさげもん



静岡のつるし飾り


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小物と傘福

2008-03-31 12:58:26 | 音楽・芸術・文学
傘福小物の由来一覧表



傘福の会場の中には、傘福の他に小物が並んでいた。下の写真は、蓮の花と実のディスプレイである。どちらも縮緬(ちりめん)で作られている。蓮の花が綺麗なのは当たり前だが、私は実の方が可愛くて微笑んでしまった。



布遊びとして並べられている。写真を写すのに気を取られ、後ろの屏風が何で出来ていたのか、きちんと見てこなかった。可愛いウサギがいるのに、今頃気が着いた。


傘福にぶら下がった小物達



紬の柄を生かしたカレイ
(カレイなのか、ヒラメなのか判らなくて図鑑で調べてみた。)
後ろには人参や大根、茄子にカボチャ、椎茸までぶら下がっている。







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小物の使い方

2008-03-30 22:48:08 | 音楽・芸術・文学
古い着物をどうしよう。親から買って貰った子供の着物をどうしよう。その再利用の方法がここにもあった。着物そのものを飾って置く事も一つの方法だが、思い切って暖簾を作ってみたのがこれだった。中央の暖簾がそれだが、本当に思いきりが必要だと思う。まず最初に、親を説得せねばならない。



思い切りも何も、切り刻んで作ったのがこれ、かなりの大きな作品である。ま、これに関しては何も言うまい。玄関ホールの傘福とは無縁のコーナーに置かれていた作品である。素晴らしく美しく実用的でもある。


もう一つ、もっと簡単に布の良さを伝えられないかと考えたのがこれである。



そのまんまの美しさかもしれないね。配色と配置が難しいかもね。
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何処から来たのか、何処へ行くのか

2008-03-28 12:39:52 | 動物・自然
「生命の誕生から進化まで、広大な時の流れを超えたロマンを追う一大スペクタクル」と言うのは冗談で、何の話かと言うと、水槽の中に突然発生した生命体の事である。

金魚の引っ越しの際、メダカも陽の当たる窓辺の水槽へ引っ越しさせた。随分と元気が無く、数も減ってしまっていた。やはり健康に育つには、太陽の光は不可欠なのだと、判ってはいたのだが、部屋の仕切の為に長い間ドアの横に置かれていた。主のいなくなった水槽には、水草のバイカモに着いてきただろうと思われる、小さな巻き貝が入っていた。大目に買ってきたバイカモも、2つの水槽だけにいれるのでは多すぎたので、巻き貝と水草だけの為に、濾過器のゴポゴポも入れて置いた。

牛渡川

たとえ、水草だけとは言っても、この濾過器は伊達ではない。以前、牛渡川から貰ってきたバイカモも、バケツの中に入れて置いただけでは、すぐに腐ってしまった。丁度知り合いがいて、「そんなに沢山いらない。」といったのに、どっさり刈って渡してくれたのだ。バイカモは食用にもなるのだと聞いていたが、食べる勇気はなかった。バイカモと一緒に水中昆虫も着いてきた。水の中をビビビビッと泳ぐ昆虫に、金魚たちは大喜びして追いかけ、パクッと食べた。危険を察知して何匹かは、砂の中に潜って姿を消した。それはもう随分と前の話で、牛渡川にも行かなくなったし、水槽も根こそぎ洗ったりで、巻き貝しかいなくなった。魚のような動く物がいないと、水槽を覗き込んだりしない。時々水を換えたり、水槽の側面を雑巾で擦るくらいで、まったく気にも止めていなかった。



ある日、電話をしながら何気なく水槽を見ると、硝子に白い茎のようなものが着いていた。目を凝らして見ると、そいつが動いたではないか。トビケラのような虫が這っている。形はエビフライのようで、尻尾の先がピンと2本伸びている。水槽の底を見渡すと、1匹2匹ではなさそうだ。「何処から来たのか。」これがタイトルの最初の部分である。考えられるのは、バイカモを買った時に、卵が着いて来たのではないか。これは証拠写真を撮らねばと思い、近づいてシャッターを切ったが、小さすぎて何度やってもピンボケになった。

ついに、今日網ですくって、薄底の皿に入れてみた。私は昆虫の事はわからない。トンボのヤゴに似ている気もするのだが、さっぱりだ。釣りをするS氏もフライが専門じゃないから判らないのだと言った。ヤゴだったら良いな。羽化して空を飛んだら良いな。青くて細い糸トンボだったら良いな。それにしても、君たちは「何処へ行くのか」これがタイトルの最後の部分になったのだ。



↑「知ってるよ。」と言う方、是非教えて下さい。
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岡田芳郎氏講演会

2008-03-27 14:57:39 | 社会
岡田氏は、著書の発売を記念して、東北公益大研修センターにて講演会を開催することになった。その著書のタイトルが長い。

「世界一の映画館と日本一のフランス料理店を山形県酒田につくった男はなぜわすれられたのか」である。世界一の映画館とは、「グリーンハウス」の事であり、日本一のフランス料理店とは、「欅」と「ルポットフー」である。作った男の名は、佐藤久一氏であった。



グリーンハウスは、漏電の為、酒田大火の発火元になった映画館である。その為再建されず、人々の記憶だけに残った。あの細長いエントランスを歩く時、映画を鑑賞するオトナの気分を味わえた。これから映画を見るのだと云う気分の高鳴りを演出する、素敵なエントランスだった。映画館の中ではコーヒーの香りが漂っていた。子供にとっては禁断の香りだった。幕開けの際に流れる「ムーンライトセレナーデ」は、曲を聞く度に、この洋画専門の映画館を思い出した。シネサロンと言う、少人数で見られる名画を映す小部屋もあった。質の高い、酒田の文化の中心でもあったのだ。
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続き

2008-03-27 13:50:40 | 社会
動物を処分せよと云う施策が決して良いとは思えない。自分の家で飼わなければ良いのか。野良猫に餌をやるような方法なら良いのかと、逆に野良猫などが増えそうな気がする。市のスローガンが「優しい街や、教育に熱心な」だったら、笑えるかなと思って三笠市のHPを覗いてみた。トップページの新着情報には「猫の飼い主募集中」と「犬の飼い主募集中」が建設管理課住宅係の問い合わせ先で載っていた。市役所は市役所なりに考えているのだろう。

三笠市のHP

しかし「これから新たに飼ってはいけません。今いる動物は最後まで面倒見ましょう。」と、何故言えないのかな。新しい飼い主は次々と現れているようだが、残った動物はどうするのだろう。
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三笠市営住宅

2008-03-26 12:04:17 | 動物・自然
昨日の夕方のニュースで、こんな問題が取り上げられていた。
北海道の三笠市では、3年前に市営住宅に住む人々にアンケートを行った。その中に、「動物を飼っているか。飼わない方が良いか。飼っているとすれば、どんな動物か。」だった。犬猫に限らず、金魚やその他モロモロの生き物が上げられていた。その時の回答の数が1042戸、市営住宅で動物を飼う事に反対したのが683戸、賛成の262戸を大きく上回る結果が出た。そこで三笠市は、3年の猶予期間を設けて、市営住宅に住み続けたければ動物を手放すか、処分する事。飼うなら市営住宅を出る事の二者選択を言い渡した。その期限が、今年の3月31日に迫っている。

市営住宅に住む人は、所得の少ない人や、高齢者が多い。中には18年間を共にしてきた家族同様の猫を飼っている人もいた。どうしようと迷っている内に、3年はあっと言う間に過ぎた。飼ってくれる人は見つかるのか、高い民間のアパートに引っ越しするのか。時間は迫ってきた。今になって、市側に考えを直すように求めようかとの声も上がったが、先に処分した人はどうするのかと云う問題も出て来た。

三笠市は昔炭坑で栄えた街で、社宅だった所がそのまま市営住宅に変わった所もあるようだ。当初は生き物を飼っても、問題はなかったのだそうだ。どうする三笠市、どうする市民。
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門前の小僧

2008-03-25 16:53:28 | 動物・自然
CNNのニュースから、可愛い小坊さんの話が見つかった。取り立てて教えた訳でもないのに、自分から始めたのだそうだ。これからは座禅を教えようとしているようだが、お経はどうだろう。この真剣な目つき、可愛くて、お利口さんだなと思う。何を祈っているのか、ちょっと聞いてみたい。CNNのニュース

---こぼれ話---
住職と一緒にチワワも「合掌」 那覇の寺



副住職と一緒に合掌する愛犬のコナン那覇――お寺の愛犬も左右の前脚を合わせて、「合掌」。那覇市の首里観音堂で、チワワの「コナン」の愛らしいポーズが話題を呼んでいる。

コナンは、黒と白の毛並みが光る1歳半のオス。朝晩の食事前など1日に何度も、後ろ足で立って合掌のポーズを取る。善國乗栄副住職は、「いつも私がやっているのを見て、自分もやってみようと思ったのでしょう」と、目を細める。ポーズを覚えるのに、数日もかからなかったという。今では地域の人気者で、うわさを聞きつけた観光客も訪れるようになった。

次は座禅を教えるつもり、と善國さんは笑う。「後ろ脚を組んで座るというのは無理ですから、私の座禅の間、じっとしていられるようになるのが目標」だという。



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三つ編み

2008-03-25 13:07:24 | 社会
子供の頃、私達三姉妹の髪型は、サザエさんちのワカメちゃんと同じだった。我が家ではその髪型を「刈り上げ」と言った。前から見ると、短めのおかっぱ頭だが、後ろはバリカンで刈り上げられていた。子供達の世話をし、家族や弟子達の面倒を見ていた母には、毎朝子供達の髪をとかす時間はなかった。少しでも髪が伸びると、めいめいにお金を持たせ、町内の床屋さんに行かされた。行きたくないと駄々をこねても駄目だった。街中の小学校に通っていたので、同級生には金持ちの子も多かった。長い髪を束ねたり、リボンを着けたりと、綺麗な姿で登校してくる同級生もいた。長い髪には、憧れがあったのだ。

自分で髪を整える年代になっても、妹達が姉の真似をするからと、短いままだった。せめて高校ではと考えたが、入学の条件が短髪だった。機械などに髪が巻き込まれる危険を考えての事だったが、実際に学校へ入ってみると、髪の長い上級生がいた。2年生の後半から、私も髪を伸ばした。妹たちも同様に伸ばし始めた。ところがヨーイドンで伸ばしたのに、時間の経過と共に髪の長さに違いが出た。一番早く伸びたのは真ん中の妹だった。癖ッ毛で髪の量の多い私は、妹の半分も長さは伸びなかった。妹が三つ編みをしているのは綺麗だった。私の三つ編みは、丸太ん棒がドーンと2本着いているような物だった。それで、真ん中から真っ直ぐ2つに分けず、一度頂上でゴムひもで止めてから、2つ分けにした。それでも太い三つ編みだった。

去年の春に思い立って、髪を伸ばしてみる事にした。相変わらずなかなか伸びない。癖ッ毛で、1本1本が自由に飛び跳ねている。我慢に我慢を重ねて、ようやく後ろで結べるようになった。夢は、バイクから降りて、ヘルメットを脱いで、頭を振ると長い髪がサラッと・・・。実際は、バイクも捨てた。ヘルメットは工事現場用のものだ。ヘルメットを取った時の頭は、汗で髪型がヘルメットの形にへばり付き、毛先がライオン丸のように跳ねている。あああ・・・。

春先になって暖かくなると、この中途半端な髪の長さが鬱陶しく思えてきた。これは困ったぞ。
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はた織り

2008-03-24 10:23:06 | 社会
チベット問題が巻き起こっている時勢なので、台湾総統の選挙にも大いに影響があるのではと思われたが、中国との関係と経済を中心に訴えた馬氏が当選した。他国の流れを気にする程、こちらもゆとりはないので、「ま」いいんですけどね。←こらこら

と、話はまったく変わって、日曜日に建築士会酒田支部女性部の今年度最後の催しに参加してきた。役員会の重要な議題は、来年度の委員長を誰にするかであった。本来なら選挙が望ましいのだが、誰も立候補しないし、なかなかやれる立場の人がいないのが現状だ。酒田支部は、仕事を分担させて自分達のやりたい事を行っているので、取り分け委員長にだけ責任を押しつける事はない。と、まぁそれで無事に決まって、昼食を終えた後に、黒森の十川さんのアトリエに行き、作品を見せて貰ってから、自分達でもはた織り体験をする事になった。



アトリエは、昔の郵便局の建物を手に入れて、はた織り機を並べている。大きなはた織り機は、スエーデン製とノルウェー製のがあった。それぞれに違いがあって、スエーデン製の方が優れていると言う話だった。このはた織り機は、船便で日本に着き、横浜の港まで取りに行ったものだそうだ。十川眞紀さんは、織り作家で大きなタペストリーから日用の小物まで作っている 。以前作品展を拝見したが、立体的な素敵な作品が多かった。私達は素人なので、小さなコースターに挑戦した。今回の参加者は6名、はたは織るよりも準備の方が大変なのだそうだが、人数分の準備がすでに出来ていた。

めいめいが好きな色の糸を2色選び、横糸にして縦糸に織り込んでいく。毎度の事ながら、この建築の仲間は誰1人同じ物を選ばない。こうして出来た作品が上の写真である。



私が作った作品は、同じ彩度のピンクと緑を選んだ。コースター用に縦糸の始末を終えた他の人と違って、少しの間壁に飾っても良いように、端糸を三つ編みにして、毛糸のボンボンを付けた。淡い色を選んだせいか、随分とくすんで見える。布を作るという事は、根気と時間、それに才能も必要のようだ。私の作品名は「インデアン嘘つかない」。端糸の三つ編みの時に思いついた。ドアップは下の写真、緑色の糸は色むらあり、単なる平織りだが、糸の掛け方で模様は違ってくる。あー、目がチカチカする。


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捕ったど~~!

2008-03-22 16:30:40 | 食べ物
「捕ったど~~!」と、電話が掛かってきた。酒田北港で春の名物のコアミが上がった情報が入って、Aさん達が向かっていた。充分にお裾分け出来るほど捕れたから、取りにお出でと言う有り難い電話だった。早速ビニール袋と、ザルを持って出かける事にした。何故ザルなのかと言うと、コアミは海水に入れて持ってきても窒息するし、下手にビニール袋に詰めても、すぐに鮮度が落ちる。かなりデリケートな生き物なのだ。勿論、店で売っている物はこれに近い。私が言う鮮度とは、生きたまま食卓に載せる事である。ザルに上げて水気を切ると、生きたまま運べる。すると、何とも言えない甘味があって、全然生臭くない。一度この味を覚えると、店からは買えなくなる。こんな時、海のそばに住んでいて良かったなと思えるのだ。



酒田北港へ向かうと、凄い車の数である。天気の良さと休日が重なって、コアミを捕る人や釣り人が岸壁に並んでいた。待ち合わせ場所は、いつもの離岸堤風力発電の風車が並ぶ北の辺りである。



ここは足場も良く、水面にも近い。楽に網を投げられる場所でもある。中央の白い魚箱の前にいるおじさんは、今朝の8時半から始めて、魚箱に3つ捕ったと言う。凄いねぇと言ったら、私のザルにガバッと分けてくれた。うぉっ、こんなに沢山ありがとう。



これは、我々の隣で頑張っていたおばさん。鮭川村から来たのだそうだ。こんな網を投げてコアミをすくう。採れたコアミを網の中央に寄せて、小さなザルですくってバケツに入れる。こんな風にしてコアミを捕るのだ。




これがコアミのドアップ。ピチピチ音がするくらい、跳ねている。右側に少し緑色のグネッとした物はナマコである。「ナマコも食べるんすか?」どうやら、そうらしい。
コアミは刺身が一番だ。ワサビでも生姜でも美味しいらしい。それでも少量しか食べられない。余った物は炒めたり、塩からにして魚醤(ぎょしょう)にしても利用できる。



北港の北の砂浜に立つ風車の向こうに、輪郭だけの鳥海山が見えた。春霞なのだろう。穏やかな休日だった。
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レタス

2008-03-21 13:43:22 | 食べ物
NHKの「試してガッテ○」で、レタスを特集していた。水分の抜けてへなへなになったレタスを甦えさせる裏技と言うのがあったので、これは覚えておかないとと思って書き留める事にした。私は冷水に浸けておくのが一番だと思っていたので、その方法には驚いた。

以前、O-157が流行って、学校の給食で生野菜を出せなくなった時期に、消毒の意味で行って、偶然に発見された技なのだそうだ。レタスの切り口を再度切り、50℃のお湯に2分間浸けて、あとは水洗いするだけで蘇るのだと言う。一度この処理をした物は、普通に水洗いしたレタスと違って、長時間シャキシャキのままだとも言う。何でも、お湯を使う事によって、急激に水が浸透し、細胞が半死するらしい。これは、一度実験せねばならぬと思っている。その前にしなしなのレタスを買わねばならない。←おい

ちなみに、この方法は人間には向かないらしい。スタッフをレタスの入った50℃のお湯に飛び込ませていたが、50℃は熱いんだよ~!
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精進日

2008-03-20 21:06:06 | 食べ物
我が家には昔から精進日と言うのがあった。お盆とお彼岸、先祖の命日は精進日と呼んで、1日魚や肉を食べない日だった。家長であった祖父が厳しく戒めていた。学校で給食を食べる子供達には令が及ばなかったが、その精進日を破ったのは誰あろう祖父だった。お彼岸の手伝いに寺へ出かけて「お昼はいらない。」と言った祖父に母が「寺で何をご馳走になってきたの。」と聞いたら返ってきた答えが「カツ丼」だった。こんな風にあっけなく我が家の歴史から精進日はうすれて行った。

本来ならお彼岸の今日は精進日の筈である。午前中にお墓参りを済ませ、高見台のト一屋で昼食を買って帰るのが、ここ数年毎の流れになっている。いつもは母も墓参りに一緒に行くのだが、車から墓までの距離が歩けない。ゆっくりと時間をかかるのを待つ余裕もなく、しかも立ち止まったり眺めたりと、歩く以外にも時間を取られるので、今日は子供達だけで行く事にした。少し遅めに出かけ、急ピッチでお墓参りのかけ持ちを行い。いつものように昼食を買った。

我が家では家族で外食に出かける事は滅多にない。祖父は1人でも何処までも食べに行ける人間だったが、父は何を食べるのか考えるのも面倒で、自宅で食事をするのが一番としている。母の痴呆もあり、普段は家庭料理の出来たてを時間通りに食べる。外でお弁当のような物を買って来て食べるのは、年に数回なのだ。その数回の中にお盆とお彼岸も入っている。

ト一屋へ到着した11時半頃は、お弁当などの総菜の出来たてが並ぶ丁度良い時間でもある。私はまっすぐ魚売り場に行き、買うはずのないカニの値段を確認しただけで、総菜売り場に向かった。頭の中には「美味しいお鮨」が浮かんでおり、目の前にウニの軍艦巻きの入ったチョイ高めの寿司セットが並んでいるのを眺めた。ウニが好きなのは我が家で3人、1個だけなどとなると戦争が起きそうなので3セットをゲットした。他は納豆巻きやネギトロ巻き、あんかけ焼きそばなど色取り取りに買いそろえ、家族の待つ家に12時前に着く事が出来た。

素早く食卓に並べ全員が集まると「なんだ、誰かの誕生日か!」と言われる程の量である。お腹のすいた時に買い物をすると、いらない物まで買ってくるの例え通りだ。「おお、ウニがある。」と寿司セットを自分の前に置いた家族を脇にして、いの一番に私もウニを口に入れた。だって、食べられてしまうもの。←こらこら
普段は美味しい物は最後に取っておく私だが、今回は逆で最後に好きではない穴子を食べてお終いにした。どこか具合が悪かった。本当にとんだ精進日である。
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あっちとこっち

2008-03-19 19:12:11 | 音楽・芸術・文学
鎌倉時代の仏師、運慶の作ではないかとされている「木造大日如来座像」が、ニューヨークの競売にかけられ、三越が12億5000万円で落札した。国宝級の文化財だと言う。勿論三越がそれを保有し飾るのではなく、きっと誰かお金持ちの代理で落札したのだろうとの、もっぱらの噂である。日本では、文化財の国外流出を懸念していたが、これで一安心したことだろう。懸念するのだったら、国がお金を出して保有すれば良いのにと思うのは、私だけだろうか。それとも、この12億5000万円は、一般財源化して有効に使った方が良い時勢なのかも知れない。

さて話は変わって、4月27日から、東京都現代美術館で公開される岡本太郎の幻の名作「明日の神話」が東京都の渋谷区に寄贈されることになった。渋谷駅の渡り廊下に展示して、一般の人に見て貰うのだそうだ。この作品は岡本太郎が原爆の悲惨さと未来を同じ画面に描き入れたもので、縦5.5m横30mと、とにかく巨大だ。メキシコの実業家に依頼されてホテルに飾る予定で描かれたが、メキシコに着いてから行方不明になった。岡本太郎の死後、ようやく見つかったと言う曰くがついている。寄贈の話を受けて、数カ所の自治体が名乗りをあげ、渋谷区に決まったらしい。売買となったら、とんでもない金額が着いたと思う。多くの人に見て貰いたいからと言う、太っ腹な企画だった。
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