無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

オープンセット公開の延期

2009-06-30 13:11:37 | 建築・都市・港
先日の女性部の「おくりびとツアー」では、鶴岡の庄内映画村のオープンセットを見ることが出来なかった。残念がる私たちの為に、庄内映画村を館長さんが直々に案内をして下さったのだった。オープンセットが7月18日から本格的に公開されると、夏休みを楽しみにしていた方々には気の毒だが、9月12日に延長されたようだ。新しい映画を撮ることになったらしい。それはそれでめでたい事だと思う。

庄内映画村

もう一つ、鶴岡市で公開が延びた物がある。藤沢周平記念館だ。私は鶴岡の市民ではないから、詳細は分からないのだけど、設計の当初から摩訶不思議な進め方がされた。途切れ途切れに入ってくる情報も、褒められたものではない。建物はすでに完成したのだが、公開が大幅に延びて来年になるかも知れないと言う。見通しもすぐに変わるので、何とも言い難いのだが、今年の秋の建築士会の全国大会にはここを外す事になるのだろう。遅れる理由も納得のいかない話で、何だかもめている様子が伝わって来る。公式には、館内環境の安定化だそうだが、どんな酸性の物を展示するのだろう。コンクリートのアルカリ分がどーとか、それが問題なのか。藤沢周平氏の遺族の意思確認は取れているのだろうか。
もう一つ、この記念館が建てられる為に、少年時代に藤沢周平が足繁く通った初代の図書館が取り壊されたそうだ。大正時代の建物だったらしい。何故壊したのだろう。文化を誇る鶴岡らしくないなと思う。
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ガスコンロ事情2

2009-06-30 12:49:43 | 建築・都市・港
ガスコンロのグリルに入れる専用のミニダッチオーブンの写真を撮ろうとしたら、バッテリーが切れた。お陰で、その後の酒田天然ガス会社の、ガスタンクの改修工事を撮すことが出来なかった。耐震強化の為の工事なのだそうだが、丁度その見学の途中で、液体ガスの注入風景も見ることが出来た。横付けされたタンクローリーには、2本の管が繋がれ、片方から空気を圧入する事によって、中の液体ガスが貯蔵タンクに入る仕組みだと言う。液体ガスの温度は-162℃、管の廻りから立ち上がる白い煙。廻りの空気が冷やされて、水蒸気が白くなったのだ。
液体ガス貯蔵タンクの構造は、魔法瓶の様になっていると言う。それにしても、-162℃だもの凄いなと、炎天下の元では尚更に感じた。ここのガスは、現在はマレーシアから輸入されたLNGと、地元で採れる天然ガスと混ぜ、能力を上げているそうだ。各家庭に送る前に、わざと付臭剤も添加している。ガスそのものが無臭だから安全を期しているのだ。


ガスコンロに載せる専用の炊飯釜。蓋が硝子になっていて、ご飯の炊ける様子が手に取るように見える。大きさは3合炊き。電気釜しか知らない若い人には、驚きの代物だろうと思う。ご飯なんて、飯ごうでも炊けるのにな。←いつの時代の人間だ!


ビルトインタイプは流石に高いが、案外IHヒーターよりも良いかも知れない。


中には44%OFFなる値段の物が沢山あった。こまめにショールームを覗くと、掘り出し物に当たる。


これは、一緒に参加したKさんからメールで送られてきた、シェリービネガーとノイリープラ、白ワインのラベルを撮した物。私が撮り逃がしていたので、嬉しかった。Kさんは、家に帰ってから、早速1品を作ってみたそうだ。素早い!

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いまどきのガスコンロ事情

2009-06-27 15:57:12 | 建築・都市・港
酒田天然ガス(株)の事務所のクッキングスペース「G-pal)で、最近のガスコンロの研修会が行われた。建築士会酒田支部女性部の主催である。


この写真は、最新式の物ではない。もっと多機能の物も出ているのだと言う。3口コンロで、一番奥が炊飯機能を持っているガスコンロだと言う。右側のコンロでは、ポテトフライを揚げている。自動温度調節がついており、立ち消え防止装置も連動して、揚げ物中の火事を起こすことがない。勿論、タイマーも着いていて、何度で何分揚げると言う職人技がなくても、調理が出来ると言う寸法だ。


中央で、赤いランプが着いているのが、炊飯中の様子である。ご飯、おかゆ、土鍋仕様で、スイッチが着いている。炊飯は20分ほど、初めチョロチョロ中パッパで、炎が自動で調節される。ガスの炊飯器があるので、それのコンロ版と言う事だ。硝子蓋の着いた専用の鍋(釜)があり、これは短時間で美味しく炊けるなと思った。


下のグリルでは、アルミ箔を敷いた上に、餃子の皮をパイ生地代わりにしたミニピザが並べてあった。先のポテトフライ同様、味見をしながら研修が出来る、女性ならずも美味しい研修会である。


グリルのスイッチには、焼き魚の切り身か、姿焼きか、干物かとボタンが幾つも付いていた。さらにタイマーを用いれば、焼き加減はコンロ任せと言う事になる。
冷えてしまった揚げ物も、レンジでチンするより、このグリルで30秒も暖めれば、カリカリの仕上げになるのだそうだ。また、このグリル内の温度は400℃にもなり、前の調理の匂いがしない。魚料理の後に、ちょっと洗って、ピザも焼いても気にならないのだそうだ。コンロの機能は、IHヒーター並にスグレモノになっていた。

炒め物をするときに、ガスコンロだと、フライパン(勿論中華鍋はIHヒーターでは使用できない。)で煽る事が出来る。コンロの中央には、鍋を感知する装置もついており、鍋がコンロから離れると、直に炎が小さくなるが、それでも可能だ。IHだと、鍋がヒーターに接地していないと熱は起きない。そんな所が大きな違いだろうと思う。電磁波を直接浴びない点も見逃せない。しかし、最新式のは、電気がなければ、多機能が使えないと言う事情もあるようだ。
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太田シェフのフランス料理

2009-06-27 14:26:12 | 食べ物

研修後に、会場に現れたのはフランス料理の太田シェフ。TVで見るのと同じ人だ。格好いい~♪
調理する為に我々もエプロンなどを着け、隣の調理室に向かう。
フランス料理と言うと、1品づつ、時間をおいてテーブルに運ばれてくると言うイメージがあったので、レシピに3品あるので、それぞれ作るのだろうと思っていた。ところが、3品同時進行のように作っていった。家庭の主婦なら当たり前の事なのだが、今何をやっているのか、メモを取りながらレシピを探しながら、着いていくのに必死だった。


少し大きめの鍋で、お湯を沸かしトマトの湯むきをする。トマトを熱湯に潜らすのは5秒程度で冷水に入れる。その横でアスパラとミニ大根の下拵えを行う。トマトを入れたお湯に塩を入れ、先にアスパラ、後でミニ大根を入れ茹でる。少し遅れて、ほうれん草と絹さやを入れ茹でる。それらをさます。

別の鍋には、ホタテ貝のヒモ8ヶ分と、ローリエ、水100CC、白ワイン50cc、ノイリープラ(食前酒)50CC、セロリの葉を入れ、アクを取りながら半分の量になるまで煮詰める。このソースの名前はプールプランと言うのだそうだ。


エシャロットを細かくみじん切りにする。


人参とセロリをアリメット(フランス語でマッチ棒)に切り、少量の水と塩胡椒を入れ鍋にかける。茹で上がったらバターを加える。


プールプランソースをシノアで濾し、再度鍋に掛けて暖める。


湯むきしたトマトを横半分に切り、絞って中の種を出す。それを8ミリ程度のさいの目に切る。トマト1/2を上のソースに入れ、暖める。


的鯛100g、ホタテ貝柱1ヶ、むき海老30G、冷たいバター20g、卵1/2、塩胡椒少々をフードプロセッサですり身にして、生クリーム100-120ccを数回に分けて入れ、テリーヌ生地を作る。


真鯛の切り身に、半分の生地を入れて、サンドさせる。残ったテリーヌ生地は、スプーンで形を整え、茹でる。串でさして中央が冷たくなければ出来上がり。


天板に塩と胡椒を均等に降り、魚をのせる。ホタテの貝柱も1人1枚載せる。
その上からも塩胡椒を振る。


フライパンにサラダ油を敷いて、魚のはさみ焼きとホタテを焼く。焼き初めは表面に来る方を先に焼く。
ソースが約お玉2杯分になったら、バターを加えて火を止める。



魚が焼けたら、天板にパラフィン紙を載せ、魚を並べてオーブンで230℃7分焼く。ホタテは別皿にとって置く。


塩胡椒を万遍なく敷いた天板に、ワラサの刺身を1人3枚並べる。1枚づつエシャロットのみじん切りを載せ、その上からも塩胡椒、ワインビネガー(あればシェリービネガー)、オリーブオイルをかけ、冷蔵庫で冷やす。


暖かい皿に、暖めたほうれん草を円形に敷く。その上に魚のはさみ焼き、ホタテのグリル、テリーヌを載せ、人参とセロリの付け合わせを載せる。


ソースをかける。色々な料理に用いられる。さっぱりとしてコクもあるソースだ。


冷たい皿に、アスパラをタテヨコ半分にした物を並べる。ワラサの刺身を3枚並べて、白髪ネギと大葉の千切りを飾り、残った付け汁をかける。ミニ大根も半分に切り並べる。


テリーヌを茹でたお湯を利用してチョコレート70gを湯煎に掛けておく。無塩バター70gと砂糖50gを白くなるまで混ぜチョコレートを入れる。それに卵1.5個を泡立て、少しづつ混ぜる。薄力粉55gとベーキングパウダー1gをふるいに掛け、一緒に混ぜる。


天板にパラフィン紙を敷き、パラフィン紙を入れ撒いた型に絞り袋に入れた生地を押しつけるように入れる。オーブン250℃で5分焼くと、チョコレートフォンダン(ケーキ)が出来る。


皿にチョコレートフォンダンを置き、型から剥がす。粉砂糖をかけ、隣にイチゴを切って並べる。隣にバニラのアイスクリームをスプーンで型取り、並べる。


出来たデザートがこれだ。チョコレートフォンダンに切れ目を入れると、中から溶けたチョコレートが流れてくる。暖かいデザートと冷たいアイスクリームのコラボレーションだ。溶けたアイスクリームをソース代わりにケーキにつけて食べると、何故かさっぱりした。太田シェフは、これにペパーミントの葉を飾りたかったらしい。


わらさの洋風お刺身。そばに置いた塩(個人の好みでつける)は、鳥海山の伏流水から採った遊佐の「鳥海の塩」だそうだ。味わいがある。残念ながら現在は作られていない。シェリーワインのビネガーは、私は始めて使った。白身の魚の時はレモン汁が良いそうだ。


メインディッシュの真鯛のはさみ焼きはこちら。地元で捕れた真鯛で、ふんだんに使え、ボリュームが多かった。テリーヌの生地は、様々に応用が出来そうだった。

本格的なフランス料理だった。この後、3班に分かれて、自分たちも作る。太田シェフは廻りながら教えてくださった。太田シェフの見事な手さばきを見ていると、自分たちも作れる気になる。だけど実際はなかなかタイミングが難しい。1班4人が力を合わせて分業に励む。出来上がった物は美味しかった。「家に帰ったら、数日以内に1度作りなさいよ。でないと忘れるからね。」とシェフは仰った。地産地消でゴミを出さないエコ料理だそうだが、豪華な料理だったと思う。

それでは、自分たちの作った物と比べてみよう。

盛りつけは私。ホタテがちぎれているのは、私が最初に焼く物をテリーヌ用と間違えて千切ってしまったからだ。こんな時は、そっと小脇に置く。


鳥海の塩は、飾りの他に、好みでつけられるように脇に少し置く。


アイスクリームが溶けてしまっている。イチゴソースで廻りを飾ってもいいし、ココアパウダーを敷いた上にアイスを載せても良いと思う。やっぱり、ペパーミントの葉があると生きるかな。
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オリーブ

2009-06-24 13:11:04 | 私はガザを忘れない
いつ頃の放送だったのだろう、パレスチナのオリーブ畑がTVで映っていた。一人の農夫が荷車をロバに引かせて、自分のオリーブ畑の収穫にやってきた。そこにイスラエルの若い兵士がいた。兵士は「ここから立ち去れ。」と銃を向けた。農夫は、ここは先祖伝来の自分の畑である事、オリーブの収穫がなければ一家を養って行けない事を告げたが、兵士は態度を変えなかった。銃を農夫の足下にに向けて撃ったような気がする。農夫は声を上げて泣きながら立ち去って行った。イスラエルは、こんな風にしてパレスチナの土地を侵略して行ったのである。

男の子は良いなぁ。世界中を一人旅出来るし、語学と度胸があれば、何処へだって行ける。と、私は自分の努力の無さを棚にあげて、羨んでいた。ところが、若い女性なのに、一人で世界を飛び回っている人がいた。危ない事に、イスラエルからパレスチナに検問所を超えて入り込んだ強者だった。彼女のブログを読んで、先のオリーブの畑を思い出した。イスラエルもパレスチナも変わっていない。爆撃が酷い時にだけ、世界が注目する。そんな事ではいけないのだけど、確かに伝わる物が少なくなっている。

MESTさんのブログ 世界の笑顔に出会いたい
パレスチナのビリン村に行ってデモに参加した様子も映像で見られる。(YOUTUBE)

江川紹子さんのブログ社会のこといろいろにも、ビリン村の様子が書かれている。
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山形盛り沢山

2009-06-20 11:24:46 | 建築・都市・港
盛り沢山の用事の為に、山形市へ向かう。昼食は以前から憧れていた、寒河江市の福家の海老ワンタン麺を食べることにした。丁度お昼時と重なって、お客さんが多かった。


高速の寒河江のPAで降りて、細い道路をあっちへこっちへと廻り、福家へ着いた。一人で行けるかと言われると自信がない。先に注文して、席が空くのを待っていると言うシステムで、店員さんのキビキビした所に好感を持った。


ここはワンタン麺が有名なのだそうだ。通常の豚肉入りのワンタンの他に、海老入りなる物を注文した。ワンタンは酒田のワンタンに比べると、中身が多く、従って1個が大きい。海老は食感の残るように切ってあり、豚挽き肉とうまく絡み合っている。マニュアル通りに汁から頂いた。獣系の味はしなかった。少し塩辛いかなと感じたが、麺と一緒に頂くと丁度良かった。普通のワンタン麺にはチャーシューが載っているのに、これには無かった。普通盛りでも私には多いと感じたので、食べている分には違和感は無かったが、改めて写真をみると、ちょっと寂しい。私的には海苔とかまぼこはいらない。我が儘な客の独り言である。


村山総合支庁の玄関先に、山形の杉を材料にしたチェンソーアートが飾られていた。山形での第一人者の栗田広行さんの山羊で、丸太がくり抜いて使われている。実際はこの山羊の下にもう1頭の雌山羊(?)もいるのだが、杉の赤身と白身をうまく使ったこの山羊の出来映えが見事だった。


私も、ログハウス製作の手伝いをした時に、チェンソーを使った事がある。(事務所には1台のチェンソーも眠っている。)その時に、短めの丸太を頂いて、馬のロッキングチェアを作った事がある。栗田さんの芸術性とはかけ離れた、丸太をゾリゾリと削った簡単な物だ。実はチェンソーは使い方を間違えると危険が伴う、結構難しい所がある。それを知っているだけに、この作品には驚いた。


次の会議まで時間が空いたので、県民の森に向かった。


道路沿いにホタルブクロを見つけた。


猫が大好きなマタタビが、葉を白くさせていた。全体で撮すと、葉が日の光に光っているだけのように見える。


近づいて撮すと、この通りに葉が白く変色しているのが見える。よく見ると、蕾をつけていた。左側に見える5枚の葉は、山菜でもあるウコギが成長したものである。


最終目的地の霞城セントラルに着く。会議は長引き、宿題が残った。


23階から山形の町並みを撮す。はて、ここはどの辺りだろう。
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常設傘福

2009-06-16 16:11:51 | 音楽・芸術・文学
リクエストにお応えして(誰もしてないけど)、山王くらぶの今年の傘福の常設展の作品を載せようと思う。山王くらぶの一番道路側2階の部屋では、傘福の常設と、傘福教室が毎日のように行われ、当日も2-3名の方が作っている最中だった。建築士会のメンバーは、物作りの上手な人が多く、酒田支部では毎年手作りの研修会も行われているのだが、飾ってある傘福が素晴らしく、出来たての物を何本か直接交渉して買って来た人もいた。

 Kさん撮影

 Kさん撮影

Kさん撮影

↑以上がKさんから頂いた物を3点並べてみた。
↓以下が私の撮した物である。相変わらずのピンぼけである。


これは売店に並んでいた物。酒田の獅子を模っている。雄と雌の耳の立ち方が違うのに気が付いた。顔は可愛いと言うか、志村けんの馬鹿殿に似ているねと笑い合った。


これも売り物だが、ちょっと手の込んだ兜だ。前面に「愛」の文字はないが、色の配色といい見事な出来だった。


常設展示の部屋の床の間に飾られていたもの。真ん中の暖簾のような物も手作りである。


うんと近づいて撮せば良いのだが、全体を撮せば小物も入るだろうと、怠け者の私は考えた。


額の中も布の作品である。


遊んでいるのだそうだ。


大広間の舞台の上にあった屏風。傘福や小物もそうだが、単に裁縫が上手では作ることが出来ない。発想の豊かさや布と色の使い方も、とても難しいのだと思う。出来合の型紙から作成するのではなく、オリジナルをどんどん作っていくのだそうだ。面白いだろうなと思う。

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建築士会・おくりびとツアー2

2009-06-14 19:10:31 | 映画・TV

午後からは、三川町のアトク先生の家に向かった。農家が多い細い道を何台もの車が列を作ってゆるゆると走る。いつもは静かな農村なのだろうに、おくりびとが有名になって以来、このアトク先生の家に多くの観光客が訪れ、迷惑もしているのだろうと思った。



アトク先生の家は、三川町の三本木にある。アトク先生とは、学校の先生を務められた名物先生で、阿部徳三郎氏、ニックネームがアトク先生なのだそうだ。現在は公民館として使用されている。その為、無料で開放されている。


実際に映画で使われた部屋は2カ所あり、この障子が印象的な部屋と、ルーズソックスをお婆ちゃんに履かせた部屋では、地区の方達が10名ほど集まって囲碁か将棋の真っ最中だった。


広間にはおくりびとのパネルや写真が展示してあった。床の間には、ここを訪れたライシャワー元駐日大使の写真が飾られてあった。


三川町がここを譲り受ける迄、名家と言われたこの家は、庭も素晴らしかった。ゆがみを残す古い窓硝子を通して、睡蓮に覆われた池も見えた。今度もう一度ゆっくり来てみたいと思った。


高い天井の広間には、素晴らしい書院がついていた。あまりに綺麗だったので、撮してみる。柱や長押は漆塗りだった。



庄内平野をビュンビュン走って、最後の目的地の鶴岡市の松ヶ岡の庄内映画村に着く。この松ヶ岡は、明治に酒井藩に仕えていた武士達の職業を変える目的で、この地に開墾場を作った。武士が刀を鍬に持ち替えたのである。この建物も当時の物で、築130年は経っている木造3階建てだ。3階部分を養蚕に用いた。現在5棟が残っている。屋根の瓦は、お城の物を解体して運んだそうだ。軒瓦には酒井家の家紋が入っていた。


映画おくりびとに限らず、山田監督の「たそがれ清兵衛」を初めとする一連の藤沢周平作品や、8月に公開される竹中直人監督の「山形スクリーム」香取慎吾主演の「ichi」など、この庄内映画村が受け皿になった作品は多い。


おくりびとの題字の習作


「私がここのナンチャッテ館長です。」と言って、案内をして下さったのは、映画「おくりびと」の題字を書いた平野さん本人だった。後でポストカードにサインをして貰った。彼は絵が得意で、撮影の最中に俳優さん達のクロッキーを描いていたらしい。他の映画では、絵コンテも描いているのだそうだ。


映画制作の仕組みを説明して貰いながら、彼の作品展示を見て歩いた。絵を描くために俳優さんにポーズを取って貰うのではなく、見た瞬間を頭の中にインプットし、筆を走らせる。


これは、アメリカのアカデミー賞受賞の時に、一緒に渡米し、ニュースの場面には流れなかった授賞式後の「さぁ~、みんなで一緒に飲むぞ~!」と滝田監督がトロフィーを上に持ち上げた時の会場の様子だそうだ。

こうして、内容が盛り沢山のツアーは終わった。予定より1時間もオーバーしているのに気が付いた。残念ながら今回は、七五三掛はツアーには入っていない。
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建築士会・おくりびとツアー1

2009-06-14 18:30:33 | 映画・TV
山形県建築士会の女性委員会では、発足以来毎年「ふるさと探検」を行っている。県内にある8支部を、順に回って建物などの見学会を行っている。今年は旬の「おくりびとツアー」にして貰った。小幡の賃貸契約が1年だと言うので、来年には間に合わない。忘れた頃にやっても仕方がないと思ったので、多少強引に酒田に来て貰うことにした。言い出しっぺは私で、走り回ってストーリーを考えてくれたのは、酒田の女性部長さんだ。


10時半に駐車場に集合して、NKエージェントの小幡へ向かう。総勢28名のツアーの始まりだ。


小幡では、ロケーションボックスのIさんが説明をして下さった。何度か訪れる度に、小物などバージョンアップされている。


鶴の湯の女将さんの葬儀に使われた部屋には、布団も敷いてあり、傍らには白い服も置いてあった。白い衣装の両袖に手を入れて、納棺師の仕草を記念に撮す人の為だと言う。


壁のポスターには、酒田祭りの時に記念講演をされた滝田監督のサインがしてあった。


小幡を出て、日枝神社の境内を歩き、舞子坂へ向かう。この建物は光丘図書館の玄関部分で、鬼瓦は申(猿)の顔に見えた。日枝神社は申とも縁が深い。


港座に入る。港座では復活祭2日目で、スタッフの方々が準備に追われていた。


劇場の中で説明をして下さったのは、若草幼稚園の園長先生、持地院の住職でもある。何とか台町に賑わいを取り戻そうと、港座の復活にも力を入れていた一人なのだ。


港座を出て、山王くらぶに向かう。建築士らしく建物の説明を受けた後、傘福の常設展示の部屋で、女性に戻る。


昼食の時間になったので、予約していた志幡へ向かう。志幡は、NKエージェントの場所になった料亭小幡から暖簾分けをして貰った店なのだ。メンバー達は料理を目にして料金を聞いて驚く。食べきれないと言う人もいた。


志幡は中町店とこの山居町店の2店舗がある。山居町店は山居倉庫の南側にあり、倉庫や欅並木を見ながら食事が出来るのだが、一番山居倉庫に近い部屋は、別の団体が予約していた。


食後の短い時間を利用して、山居倉庫の売店に走る。欅の緑が美しい。


山居倉庫の売店の「おくりびとコーナー」
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港座復活

2009-06-12 09:55:11 | 映画・TV


おくりびとのロケ地の一つとなった映画館「港座」では、6月12日から復活祭が始まる。イオンシネマ三川の建設で、閉鎖を余儀なくされていた港座が、関係者の努力で立ち上がる事になった。

昔、酒田の街には、最多で5カ所の映画館があった。東映、松竹、日活、大映、洋画専門等々、映画館は単なる娯楽施設ではなく、文化の発祥の場所ともなっていた。特に港座は、古くは芝居小屋として誕生し、芝居を楽しみながら食事が出来るような出前や、芝居が終わった後の飲食に、廻りの店が繁盛した。旧町名の台町の発展にも、一役買っていたのである。



家庭へのテレビの普及で、映画館は衰退していった。子供の遊びからも紙芝居は廃れ、集団で駆け回る子供達の笑い声も聞こえなくなった。人々は時間に追われ、VTRやDVD、ホームシアターが、ますます映画館への足を遠ざけていった。

おくりびとの影響で、無料開放された港座を訪れた市民は、活気のあった自分たちの良い時代を思い出したようだ。懐かしさが、港座復活を後押する切っ掛けになったのだろう。酒田市の中町では、時々往年の名画を上映していたようだが、これからは港座がその役割を負うに違いない。復活おめでとう。

港座・酒田台町シネマストリートでは、復活祭の詳細が載っている。いっぺんにこれだけ沢山の映画を上映するの?どれを見たら良いのだろうか、どきどきしてしまう。
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日本は広い、関西は遠い

2009-06-12 09:48:12 | 音楽・芸術・文学
私のブックマークにも載せている「くるねこ大和」さんでは、去年あたりからアニメ化の話が出ていた。くるさんの大ファンである私の姪は、「いつになったら始まるの」と楽しみにしていた。それが11日に発表になった。

くるねこ小径を見てみると、アニメが7月から放映されるようだが、その局が関西テレビと東海テレビなのだ。どう逆立ちしても見ることが出来ない。期待はyahoo!の動画になるのだろうが、「私の古いPCでは見られない!」と姪の反撃が始まりそうだ。
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Jamie Oliver(ジェイミー・オリバァー)

2009-06-11 13:59:18 | 食べ物
CSにフーディズTVと言うチャンネルがある。主に料理番組を放送している。時々は過去の紀行番組や、アジアやヨーロッパの食紀行番組も放映している。「まいう~」と言いながら美味しそうに沢山食べる地上波の旅人を見慣れたせいで、食が細く箸の持ち方もアレレと思うような女の子が、見慣れない食材にコメントを絞り出すような番組もあり、行ってみたいな他所の国と思えない微妙な気分になる事もある。料理番組自体は、世界のプロの腕前に、う~~むと唸ったりもする。見ているだけで、自分が料理の達人になったような気にもなる。

そんな中で、ジェイミー・オリバァーと言う若い料理家の番組が面白い。イギリスのBBC放送が主体で流している物が多いが、彼が若かったり、太っていたり、妻と2人の子供がいたりと、何時の時代に作られた物かが分からない。料理は手早い。自分の庭や窓辺のコンテナから、様々なハーブを千切っては料理に加えている。ピザやパンも、強力粉やドライイーストをこねくり回して、あっと言う間にオーブンに入れる。料理の間には、市場へ出かけたり、仲間達とバンド演奏をしたりと、イギリスの若者の生活が少しだけ覗くことが出来る。

場所がロンドンだけに、食材も揃っている。たまに日本食にも挑戦する。通常の料理の味付けは塩胡椒、ハーブにアンチョビなど、日本の料理番組に出てくる「うま味調味料」は登場しない。これは私には大歓迎だ。先日の豆料理の煮込みの時、「ほうれん草の代わりに、トゲイラクサも良いよ。」と字幕が流れた。ああ、やっぱりイギリスでも山菜のアイダケ(イラクサ)が食されているんだと、ちょっぴり嬉しくなった。手の込んだフランス料理よりも、彼の料理の方がずっと美味しそうだと思う。

ジェィミー オリバー←英国政府観光庁公式ホームページから
Jamie Oliver Com(ジェイミーのHP)←バリバリ英語が出来る人の為に
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七五三掛地滑り・その六(?)

2009-06-10 08:59:37 | 建築・都市・港
岩手内陸地震からおよそ1年ぶりに、行方不明の夫婦の遺体が発見された。この地震による地滑りでは、山一つが消えたのを目の当たりにした。震源地が山間部だったので、人的被害は少なかったのだが、穏やかな初夏の山に出かけた方々が被害を受けた。金山町の高校生のご両親は、未だに見つかっていない。

さて、河北新報で、七五三掛の土砂崩れの記事を載せている。私も知らない歴史も含まれていた。どうして、宮城の新聞社が、こんなに山形県を詳しいのだろうと、いつも驚いている。政治面でも社会面でも、的確な記事は、非常に興味深い。

河北新報の記事より。尚この記事には写真も着いている。内容を読んでみると、地滑りが始まったのは、今年に入ってからではないようだ。原因とされている雪解けが早かったからは、土砂崩れの加速度を増しただけで、そもそもの要因で無いことが分かる。

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引き裂かれる集落 鶴岡・地滑り七五三掛地区ルポ

亀裂や段差が走り、ブルーシートで覆われた地区内の道路

 山形県鶴岡市七五三掛(しめかけ)地区で発生した地滑りは、住民が自主避難して約2カ月が経過した今も収まっていない。大地の変動に揺さぶられ、変わり果てた姿となった古里を前に、地元住民は心を痛めている。現場周辺を取材し、住民たちの声に耳を傾けた。(酒田支局・浅井哲朗)

■傾いた棚田
 地区は真言宗注連寺の宿坊街として栄え、中山間の斜面に家々が並ぶ。一家6人で自主避難している農業渡部一雄さん(78)によると、昨年夏ごろから便所の戸が閉まりづらくなり、修理を繰り返した。そのうち敷地内にひびが目立ち始めた。

 「古い家だから柱でも腐ったかと思っていたが、地滑りだったとは」と渡部さん。4月、県の調査で初めて1時間に数ミリという大規模な地滑りが判明し、7戸のうち5戸26人が自主避難した。

 地滑りを起こしている約28ヘクタールのうち、速い場所では24時間で約10センチ動き、2メートルもの段差もできた。地区内を巡る市道に無数の亀裂が入り、雨が染みこまないようブルーシートで覆われた。

 集落の足元に広がる棚田も傾き、水を張れなくなるなど農業も大打撃を受けた。渡部さんも田んぼの3分の1をやられ、収入減は確実だ。「夜、不安で何度も目覚める。もう帰ってこられないのか」と話す。

 農業橘二三男さん(51)方は避難に至っていないが「夜はまったく音がしない。近所の話し相手もいなくなり、気分は沈んでいる」と涙を浮かべた。


■観光にも影
 60里越街道のトレッキングや映画「おくりびと」のロケ地となった古民家などに注目が集まっていた時期だけに、観光面への打撃も心配される。うし年に開山された湯殿山の寺院にとっては、今年は12年に1度のご縁年。注連寺では境内への被害はないが、宮城や福島を中心に参拝客のキャンセルが相次いでいるという。

 住職の男性は「住民が戻ってきてくれればいいが…。先祖伝来の土地を離れるのはつらいだろう」と表情を曇らせる。

 七五三掛地区から約2キロ離れた湯殿山総本寺の大日坊も、1894年の庄内地震(マグニチュード7.0)による地滑りの影響で地盤が緩み、1936年、11戸とともに約500メートル離れた現在の場所に集団移転した過去を持つ。

 この寺でも遠くは茨城からの団体客のキャンセルも発生するなど風評被害に見舞われており、遠藤宥覚(ゆうがく)貫主(62)は「(七五三掛一帯を含む)大網地区全体が地滑り地帯という性質がある。七五三掛はいつ収まるのか」と不安を隠さない。

2009年06月10日水曜日の記事
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七五三掛地滑り・その後

2009-06-08 13:37:18 | 建築・都市・港
6月5-6日、国交省の担当者が、鶴岡市七五三掛の地滑り地区で、現地調査を行った。7日(日)には、県庁へ訪れ県知事に報告を行った模様である。調査した担当員は、国交省と独立行政法人土木研究所の研究員と、県と鶴岡市の担当者併せて28人が、2班に分かれて調査と対策を話し合った。

また、7日には、佐藤勉国家公安・沖縄北方防災担当大臣が、地滑り地区の視察を行った。地元住民との意見交換を含め、佐藤防災担当相は、「防災担当として、省庁間を調整し、1つのプロジェクトとして、対策に取り組む。」と発言した。こんな所にも、日本の縦割り行政がブロックになっていたのである。

さて、現在水抜き工事を実施している七五三掛けの土砂崩れは、残念ながら進行している。多い時には一晩で10cmも滑っているようだ。地滑りの拡大の問題では、、被害が目立つ集落以外は、2次的な地滑り被害の可能性は低いと見られている。対策の記者発表は、8日に行われる予定である。

尚、蛇足として、5期鶴岡市長を務めてきた富塚陽一市長(78)は、高齢と多選非難を考慮して、今回の市長選には出馬せず、引退をする意向を固めたようである。

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8日の記者発表の速報

 農林水産省は8日、鶴岡市大網の七五三掛(しめかけ)地区で発生した地滑り災害の対策として、国直轄で水抜きボーリングの実施などを進めることを明らかにした。地滑りを誘発している地下水を取り除くことで、滑り面を1日も早く止める狙い。県主導の対策工事と並行して行われ、今月中にも工事に着手する見通し。

 農水省防災課の志野尚司災害対策室長らが同日、県庁で会見した。吉村美栄子知事は今月4日、農水省に対して国直轄で調査と対策事業を実施するよう要請した。これを受け、農水省は▽衛星利用測位システム(GPS)による地盤移動状況の観測網の拡大▽ボーリングによる地質調査の追加▽地下水を強制排除する井戸の建設▽地表面に対し斜めにボーリング工事を行い、水を抜く-といった国直轄の調査、工事を行う。

 農水省は今年2月ごろから、県の要請を受け、七五三掛地区周辺で地質専門家による調査や、GPSシステムによる地盤の移動状況の観測、対策工法の検討などを行ってきた。対策工事と位置付ける井戸の建設について県は、3カ所程度を見込んでいる。

 農水省は今後、井戸を35カ所設置し、ボーリングは100本を検討している。
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以上、山形新聞のHPより抜粋より

県の対策工事の井戸と併せて、38箇所設置される。その位は必要なのだろう。国が直轄事業としてOKを出してくれて、本当に良かったと思う。一部の心ないブログの持ち主は、少ない人しか住んでいない所に、大金を注ぎ込むのは止めた方が良い。そんな土地は見捨てるべきだと言う意見を載せていた。確かにダムの底に沈んだり、土砂崩れ危険区域から、集団移転した過去もあった。ただ、この地区が、出羽三山の信仰と深く結びついて来た土地だから、出来ることならば残せる方に努力をして欲しいと思うのだ。
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最近のニュースから

2009-06-08 08:36:46 | 社会
「あ~あ、岡田監督まで退場させられちゃったよ!」と言うのが私のW杯アジア予選の感想である。まずは、本戦出場決定おめでとう。先制点を取れたから良いのだけど、心臓に悪い試合だったね。ロスタイムが、いつまで続くのかと思った。

北朝鮮への国連決議は、なかなか決着をみない。ミサイルから地下核実験への一連の動きは、金政権の三男への世襲の準備だと言われている。子供の頃の顔写真しかない世界の人が知らない20代の若者が、いくら金総書記の息子と言えども、今の北朝鮮を束ねるのに大丈夫か思う一方で、保護者的立場の中国が世襲は認めないと良い顔もしていない。かの息子も長男と同じに、偽造旅券で日本を訪れていたと言う。まったくもって、この国はスパイ大国のような国だ。日本は何処までもコケにされている。

今回のミサイルや地下実験で、北朝鮮は本気だとか戦争になるのかと言われているが、重村教授や青山氏が、「戦争はないよ。」と言い切った。重村教授は、「石油がないから、兵器を動かせない。」と言い、青山氏は「核実験から2週間が過ぎているのに、空気中から放射能の成分が検出されない。あれははったりだったのでは。」とも言っていた。もし、その情報が中国にあるのだとすれば、国連決議を渋っている理由も分かる。北朝鮮が崩壊すると、一番迷惑を受けるのも中国だ。長男の亡命説が出ているが、本人は否定した。もし彼が中国に渡ることになれば、中国が三男の世襲を認めない事になるのだそうだ。三男の政権は軍部の傀儡政権になるだろうとも言っていた。この一連のゴタゴタは、北朝鮮を正常化させる良い機会なのだと思う。でも、北朝鮮国内から見た正常化とは、いったい何なのだろう。「北朝鮮が滅ぶ時は、日本が滅ぶ時だ」と言ってのける北朝鮮脱北軍幹部がいた。日本にも「死刑になりたいから、関係のない人々を殺した。」と平然と言ってのける人間もいる。常識って、いったい何だろう。
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