無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

チリ地震

2010-02-28 23:34:04 | 動物・自然
今日は一日、津波のニュースで沸き返っていた。養殖のホヤや貝の筏が流される被害はあったが、海や川に近い所に住んでいる人達の避難はスムーズに行われ、人的な被害がなかった事は幸いだった。1960年に起こったチリ地震津波は、私の記憶にもハッキリと残っていて、こんな山にも船が登るのかと思った事や、大船渡に行ったときに、かなりの山の上の道路にスケールが立ててあり、この線まで津波が来たと標しが残っていた。この時のチリの地震は、マグニチュードが9.5と言う、とてつもない大きさの地震だった。今回のも大きかったが、その差は歴然としていたと思う。

ニュースで見るチリの被害は、地震の大きさに比べて驚くほどではない。建築基準が高くなり、建物が堅固になったので、先月起きた低いマグニチュードのハイチ地震の悲惨な光景にはなっていなかった。高速道路や橋の崩壊の方が、目をついたほどだ。

しかし、今回も感じたのだが、日本のマスコミの報じ方は、どこかおかしいのではないだろうか。津波の警報を報じるのはもっともな事なのだが、肝心のチリの地震を詳しく伝えようとしない。ほんの少し映像を流して、現在の被災者と死者の数、「邦人には被害はありません。」がついてくる。それに比べて、BBCはワールドニュースで多くをさき、CNNに至っては特別番組を組んで、大統領の談話、専門家の意見、刑務所から多くの囚人が脱走したこと、略奪が多い事、病院の中庭に並べて治療を受けている怪我人達など、細かな情報を延々と流してくれている。勿論津波についても、ニュージーランド、ロビンソンクルーソー島、ハワイ、そして日本の様子も映し出している。この違いは一体何だろう。

日本の首相は、チリには救助隊や医師団を派遣するのではなく、復興支援に重きを置くため、外務省やNPOを中心に、どんな状態なのかを調べる人間を派遣するのだそうだ。
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水の話

2010-02-27 19:37:12 | 


JIAの地域セミナーは、霞城セントラルで行われた。28歳の家具デザイナーの講話は、私たちが忘れていたものを呼び起こしてくれた。家具のデザインもシンプルで素敵な物だった。

セミナーが始まる前に会場に入った私達は、セミナーの開かれる部屋がまだ使用中だったのを幸いに、内部をかっ歩して山形市の歴史のパネルを見ていた。


 ←クリックで拡大

同じフロアに日本語学校の子供達(?)のポネル展が展示されていた。
まずは見ていただこう。

 ←クリックで拡大

エジプトのブース

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フランスのブース

 ←クリックで拡大

イギリスのブース

時間があまり無かったので、中身を詳しく見ることが出来なかった。
帰ってから見てみようと撮してみた。
外務省と環境省が後援をしているようだが、世界の水の問題をどれだけ把握しているのだろうか。水問題は奥が深いので、時間があったら取り組んでみようと思っていた。
水の豊かな日本に住んでいると、水の有り難さが身に染みていない。「21世紀は水で戦争になるよ。」とも言われているほど大事な物だが、少しづつ取り上げてみたい。
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大石田のだんご屋さん

2010-02-27 15:48:47 | 建築・都市・港
数日前に、S氏が天童へ行く途中に大石田で、美味しい団子屋さんを見つけたのだそうだ。山形市で行われるJIAの地域セミナーに参加する前に、その団子屋さんへ行こうと言うことになり、S先生と3人で出かけた。前日の暖かすぎる天気とは打って変わって、朝からシトシトの雨である。雨と霧の中、47号線を走る。



暖かい雨が降れば、一気に雪は溶けてしまうのだろう。最上川沿いの道路を走っても、対岸がよく見えないほど、空気は霞んでいた。



ここは本合海付近の最上川である。



猿羽根のトンネルを抜けると、雨が小降りになってきた。尾花沢の銀山へ向かう道路と反対方向へ曲がって、大石田を目指す。
大石田は、最上川舟運で栄えた町で、今もその名残がそこここに残っている。これは町役場の斜め前に建っていたクロスカルチャープラザで、建物が船の形をしていた。



千本だんご屋さんへ着く。左側が店で、続きの右側は工場のようだ。煙突から煙り(湯気?)が盛んに上がっていた。



下屋のベンチには赤い毛氈が掛かっていた。甘い物の店なので客層は女性が多いだろうと思ったらさにあらず、中年のおじさま達が、1本づつ好きなのを選んで、店でお茶を飲みながら食していた。6-7種類の団子があって、注文すると若い女性が目の前で餡をつけてくれる。なかなか美味しい団子だった。おみやげに買ったら、賞味期限が当日で、なるほど次の日には硬くなっていた。



ベンチのそばにあった福寿草



工場の奥に蔵があって、蔵座敷になっていた。「ご自由にお上がり下さい。」とあったので、中に入ってみる。



扉の枠の漆喰仕上げがとても綺麗だった。



漆喰の扉の他に、木製の戸が2枚着いていたのだが、押しても引いても、ビクともしなかった。1枚は欅の引き戸のようだ。

 長押の金物が綺麗だった。



天井板は玉杢が使われていた。



襖の絵も手描きのようだ。





この襖も面白い造りになっている。



この襖の富士山の絵も手描きのようだ。




床の間を背にしてお雛様が飾られていた。



桃の節句も近く、村山地方の雛のみちが始まろうとしている。この辺りも、北前船からの舟運で京のお雛様が数多く運ばれ、現在も残っている地域だ。
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あちち

2010-02-25 19:05:34 | 動物・自然
今日の最高気温が20℃を超した。5月半ばの気温だそうだ。山形県内でも、酒田だけが異常に高かった。

昼頃、福寿草の上に下げておいた温度計が23℃を差していた。日光が直接当たるので温度が上がったのだとばかり思っていた。ストーブを消した室内でも、同じくらいの温度だった。上着を着ないで、リュックを背負ってト一屋へ買い物にでかけたが、まったく寒くなかった。こんな天気だから、歩いている最中に、花の一つも見られるかなとカメラを抱えて出たが、面白い物は1つも見つからずに、重いおもいをしただけだった。(歩いて買い物に行くのに、重量のある物ばかり買うからだよ。)背骨にグキッと傷みが走るほどだった。

空は青空で、坂道の上から日本海と酒田港がよく見えた。でもカメラを向けると、電柱と電線が邪魔をして、思った通りの構図にはならなかった。ちょっと残念。
そばでおじさんが柿の木の剪定をしていた。長閑な一日だった。
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暑い

2010-02-25 09:16:17 | 動物・自然
良いお天気だった。気温はみるみる上がっていく。これなら楽に福寿草は咲きそうだと思って、写真と一緒に気温もついでに測ってみた。午前10時頃は7℃だった。それでも最近の最高気温ほどもある。



午前中の福寿草



午後になると、ご覧の通りに花びらが反り返るのではと思うほど、バンと咲いた。これから連日のように、むすんでひらいて♪のお遊戯を踊ってくれるだろう。




Andiさんの所は、もう咲いてしまったクロッカス。我が家のはまだこの通りだが、ちゃんと芽は出ている。廻りのチューリップも芽を出してきた。



我が家の庭に20年以上もあるシュンランは、今年は1つしか花芽がついていない。多分、この場所が嫌いなのだろうと思う。日当たりが悪いからだろう。



ヒヨドリにあっと言う間に食べられて、2個しか実が残っていない万両。



さて、これは何だ?
ピントが上の桜の枝に当たっていると言うスグレモノ。



まさかと思ったが、日枝神社境内の紅梅は咲いていた。



軒下に雪が残っていても、梅は咲き始めていた。
前面に見える梅は、肉眼ではピンク色に染まっているのだが。





青空にピンク色が美しい。
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金沢のお土産

2010-02-25 08:32:34 | 食べ物


Sさんから、金沢のお土産を頂いた。
抹茶と一緒に味わってみよう。
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全国大会・解散式

2010-02-24 11:33:48 | 建築・都市・港
建築士の雑誌2月号に、建築士会全国大会やまがた大会の特集が組まれ、あとは建築山形(冊子)での総括で、何年にも渡り準備してきた大会が終わる。一足先に23日、実行委員会解散式が山形のパレスグランデールで行われた。スタッフとして頑張ってくれた会員全員の参加ではなかったし、実行委員であっても欠席も多く見られたが、会長の涙ぐむ挨拶を含め、各部会長や支部会長の報告もあり、盛大に解散式は行われた。今度山形に回ってくるのは47年後になるので、私など当然生きてはいない。この解散式に集まった多くの人の中で、どれだけ次に伝えていけるのかも判らない。その時にはその時代の人達で、好きなようにやって貰いたいと思う。



懇親会後の記念写真。
写真を小さくしてみたが、知っている人の顔は判るのだろうな。



懇親会風景



料理の一部。左のカクテルグラスの中に入っているのが、なんとお刺身だそうだ。醤油味ではない塩味風味だった。



2次会は、千歳館近くの店だそうだ。
この建物は山形でも有名な料亭の千歳館。




ナビゲーターが「この角を曲がると・・。」と言った場所が、花小路だった。
道路は狭く、小さな店がずらっと並んでいる。



まるで、昭和の時代にタイムスリップしたような雰囲気の飲み屋街だった。



路地はくねくねと曲がっている。
車一台がやっと通れるような狭い道だった。



なかなかうまく写せないが、雰囲気だけでも伝わるだろうか。

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月山と七五三掛

2010-02-24 11:09:05 | 映画・TV
山形へ行くのに、Kさんの車に載せていただいた。いつもはチラッと目を向ける程度でしか見ることが出来ない「おくりびと」の舞台になった七五三掛地区を、写真に撮ることが出来るかも知れないと、座席の左側に座った。高速道路を走ると、後ろに鳥海山(あいにく雲がかかって頂上しか見えなかったが)左手に月山が見えた。



鶴岡市の町並みから月山を撮す。天気は良いのだが霞がかかったようで、はっきりとは見えない。月山は出羽三山信仰では、死の山にあたるが、庄内平野から見ると穏やかな形をしている。




櫛引から朝日に向かう頃には、同じ月山も様子を変えてきている。高速道路から月山自動車道路を通りながら、月山の形の変化を見てみようとカメラを向けた。




これは高速道路から撮した七五三掛地区。地滑りが止まらず、大方の家族は移転を強いられている。右奥の集落がそうだと思われる。



除雪作業の為、停止をしていた時に見たブナの森林と宿り木。年々ヤドリギの数は増える一方だ。特に葉を落とした冬には、それがはっきりと見える。



後ろの雪山が月山の頂上付近である。



西川町から見た月山。同じ山でもあちらとこちらでは、その形はまったく異なって見える。月山の西川町側では、夏スキーを楽しむ事が出来る。
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22222

2010-02-22 13:20:57 | 動物・自然
今日は平成22年2月22日で、2が5つ繋がる。平成11年11月11日の6つと比べるとちょっと惜しい。西暦2222年2月22日にもかなわない。もっとも、西暦2222年なんて、冷凍保存でもして貰わないと、お目にかかれない年なのだが。JRの某駅では、この平成22年2月22日22時22分の日付の入った入場券を発売するのだそうだ。2が9個も繋がることになる。記念日好きな人なら、夜になって身近な駅に走るのも良さそうだ。さて、今日はいったい何の日だろう。にーにーと続くから猫の日と言うのを聞いたことがあったが、これだけ沢山並ぶとなると、煩くてしようがない。

福寿草の蕾がフキノトウに見えるので、早めに花を開かせた方が、母に勘違いさせないだろうと、外に並べることにした。ついでに赤い実のついた万両も出してみた。30分も経たないうちに、ピーヨと声が聞こえて、ヒヨドリが赤い実をついばみに来た。そうか、そうか、お腹が空いたのかと思って、グレープフルーツを剥いて万両の実と並べて置いた。ところが、これには見向きもしない。この地域の野生の実で、こんな色をしている果物がないからだろう。ヒヨドリが利巧なのかそうではないのか、今の所わからない。もう少し粘ってみよう。


以下、沖縄タイムスより引用-----

 【宜野座】村特産品加工直売センター未来ぎのざ(伊芸朝健社長)で、珍事が起こった。平成22年2月22日の現金売り上げ金額がなんと、22万2222円になった。

 当日レジ担当の山内章子さんが、閉店後のレジ精算を終えレシートを見ると“2並び”の数字がずらり=上の写真。山内さんは「もう、鳥肌が立ちましたよ」と、そのときの様子を興奮気味に語った。

 所長の具志堅政彦さんは「報告を受けたときはまさかと思った。売り上げとしてはもっと欲しいけど、こればかりはいいかな」と苦笑い。「何分の一の確率かねぇ。こんなときに宝くじ買ったら当たるはず」と、職員同士でも盛り上がった。(新川秀人通信員)
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雨水

2010-02-20 11:23:01 | 動物・自然
最近の暦は二十四節気が書いてある物が少ない。私のような仕事をしている所に集まる暦では、「大安吉日やひらく、たつ」など、建物の地鎮祭や上棟式に適した日を載せている物が多い。その中で、たった1組だけ、この二十四節気が大きく書いてあった。2月19日は雨水で、雪や氷が雨や水に変わる暖かな時期になったと言うことなのだが、ご覧のように夕方から降り始め、次の日の朝には雪かきをしたら良いのかと迷うほど積もっていた。



四季のはっきりしている日本に住んでいると、暦も旧暦の方がずっと馴染みやすい。ちなみに今年の旧暦の正月は、バレンタインデーと同じ2月14日だった。昔は旧暦の正月にも、お雑煮を食べたような気がする。我が家では、一番お餅が大好きな人が糖尿病傾向にあるので、あえてその話題を触れないようにしている。

さて、雪の降った夕べ、季節外れのサンタクロースがやってきて、プレゼントを置いていってくれた。それがこちらだ。







庄内の日本桜草栽培日記のさくらさんが大事に育てた福寿草を3鉢もプレゼントして下さったのだ。この鉢は想像していたのよりもずっと大きかった。さくらさんのブログで咲き始めていた青色の鉢の花も、外だと雪が被るからと玄関に入れたのが気に入らなかったらしく、蕾を閉じてしまっている。
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舞妓はん

2010-02-19 20:27:23 | 社会
新聞の写真に、京都の舞妓はん達が写っていた。上七軒歌舞会の北野をどりが、3月に行われると言うニュースの記事のようだった。先日の酒田の舞娘さん達は可愛らしいが、京都の舞妓はん達は垢抜けしている。化粧一つにしても随分と違うものだと、見比べたりもした。

ならば、もっと見てみたいと、ググッて舞妓さんの画像を流してみた。解像度が荒くてよく見えない物から、お座敷で踊っている様子を撮した物、ため息が出るほど綺麗な容姿の物、これは舞妓ではなく素人が舞妓の格好をしているだけだろうと思われる物もあった。そう言えば京都では、舞妓の道具一式に着付けや化粧までしてくれる商売があるのだとか。一度はやりたかったなと思う反面、お客に年齢制限がないのと美人不美人厭わずなので、げにおぞましき人も混じっていた。実際に道で見かけでもしたならば、さすが京都は千年の都、妖怪変化もまかり通る所だと思うに違いない。

やはり、本物を見てみたい。この北野をどりも、驚くほど高い料金ではない。ただ、京都が遠いだけなのだが。
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頑張れ国母選手・その後

2010-02-19 17:47:05 | 社会
せっかく、国母選手の試合を見たいと思っていたのに、朝から事務所に出たり入ったりで、ちらっと見られたのは予選だけだった。出先でTVのある辺りから「ああ~っ!」と悲鳴が上がるのは、どうやら決勝でミスが出た模様。結局、ちゃんと見たのは夜になって、NHKのダイジェストが始まってからだった。そうか、メダルは獲り損ねてしまったのか。小気味よい技を連発していたのに、最後の大技で着地に失敗したんだ。でも、これで彼の人生が終わったわけではないし、本人もオリンピックは他の世界大会と同列に考えているらしいから、面白いゲームをこれからも見せてくれるだろう。

それにしても、驚いたのが金メダルのショーン・ホワイト選手だった。高さ・華麗さ、難しい大技で、金メダルが確定した後なのに、2回目でもう少しで満点を出そうとする意気込みだ。これは、いくら国母選手がメダルを獲れたにしても、あまりに差があり過ぎる。ショーンホワイト選手に追いつけ追い越せと、他の選手は頑張っているようだが、自分にしか出来ない技を開発してナンボと言う気もする。

BSで夜の夜中に、ボードの試合の中継をする事があっても、スノーボードはまだ見たことがない。ハーフパイプは歴史の浅いスポーツだと思う。しかも、こんなにも毎年技術が進歩して行くのでは、目が離せない。思わぬ所で有名になったけれど、面白さに気づかせてくれた国母選手に、これからも頑張れと言い続けたい。
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頑張れ国母選手

2010-02-17 12:37:18 | 社会
加藤条治選手が銅メダルを獲ったので、私はすっかり腑抜けのようになってしまった。ああ、これで終わっても良いな。トリノの会場に置き忘れてきたメダルが、やっと手元に帰った気分なのである。トリノの時の出番を待つ辛さは、今回の整氷機のアクシデントの比ではない。加藤選手の直前に滑った選手が転倒して、氷面を調整するために数十分待たされた。何時開始されるか分からない。靴を足にきつく固定するので、スケートを履いたままでは20分が限度などと言われていたのに、それ以上は待たされたと思う。一緒に滑る選手も同じ条件であったとしても、オリンピックの大舞台でテンションを下げないで待てるものなのだろうか。でも、あの経験が現在の加藤選手を育てたと思う。長いスランプも克服し、自分では金メダルを獲れる自信があっただけに、口惜しいと言う気持ちも理解できる。それでも、良く頑張ったねと言ってあげたい。

さて、話は変わって、服装がナンタラで非難を浴びている国母選手だが、私はあの映像を見て「おっ、かっこいいじゃない。」と思った側の人間なので、とやかく言える立場ではない。腰パンにしたり、制服を改造したり、そんな若者は一人もいないよと言う日本ではない。ちょい悪親父もあんな服装をしていたので、若者や高校生だけの特権でもない。自分だって学校の制服のスカートのベルトの所をチョイチョイと巻いて、ちょっぴりミニにしてみたではないか。非難を浴びせている人間は、一度もやったことが無い人なのだろう。スノボをしている人のスタイルとしては、何の変わった所がないと思うのだが、マスコミも一緒に寄って集って、国母選手をつるし上げにしている。私にはそれが虐めのように見えるし、これから試合に向かう選手のモチベーションを下げてどうするのか。それこそオトナのすることだろうかと思ってしまう。きちんとした開会式や入村式でもあのスタイルなら、注意すればいい。選手の廻りに張り付いていた関係者は、何をしていたのだろう。

オリンピックに出場するのに、日本の代表とか、国の金で行っているのだからとか、中には召還せよと言う人もいる。ほほう、すると国母選手は、オリンピック強化選手として長年国が面倒見てきたとでも言うのかい。スノボが上手く強い選手がいるってんで、ポイで金魚すくいをするように、選んだだけだろう。4年前の荒川選手の時にも書いたように、家族や廻りの人達、応援する企業がいて、選手は育ってきたのではないのか。どうもJOCやIOCのように、オリンピックを商業化し、自分たちの組織を守ろうとする人間に、最近は嫌気を覚えている。スノボをオリンピック競技に加えたのも、スキー人口がスノボ人口に変わってきているからだろう。

昨日のTVの映像で、加藤選手と中島選手の務めている会社が、「日本電産サンキョー(株)」と同じなのに驚いた。いつまでも学生のわけがないのだが、スキーの火を消してはならないと、部の存続を決めた社長さん(先代も)のような方がいるから、細々と日本のスポーツは成り立っているのだと思う。この不況の折り、名門と言われたスポーツ(例えばアイスホッケーチーム)でも、消えてしまったのが沢山ある中、本当に有り難いことだと思う。


そんな訳で、なるほどと思わせてくれたブログが ひでたんのつぶやき動画ブログである。
もう一つ、選手をかばったら解任させられた元コーチのブログもあるのだが、現在は消されたかアクセス出来なくなっていた。その内容がコピペされたものが 国母問題についてだ。
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オリンピック

2010-02-16 12:58:34 | 社会
男子スピードスケート500mで、日本人選手が銀と銅メダルを獲得。
2回目の長島圭一郎の滑りは本当に速かった。

ああ、結果が1回目と2回目の合計点だってことを忘れていた。
加藤条治選手の最後の滑りが速かったのに、結果は銅メダルだった。
それでも、4年前のトリノの忘れ物(本当は試合を待たせた方が悪いと私は思う)が戻って来た気がする。
良かったなぁ。


おまけ話
昨年、長島圭一郎のサインを抽選で貰った人が近くにいるのだが、「誰、この人!」と家族に言われ捨ててしまったそうだ。注意書きに「オークションには出さないで下さい。」と書いてあったものの、「捨てないで下さい。」とは書いてなかったらしい。
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建築士会青年大会

2010-02-15 12:30:59 | 社会
2月13日、酒田市で建築士会青年大会が開催された。今回で第22回だそうで、第1回の時には私も青年部の1人として出席していた。その頃にはまだ女性部は誕生していなかった事になる。今回は、勿論年齢制限のある青年部としてではなく、来賓扱いになっていた。



これは最後のパネルディスカッションの様子で、基調講演を頂いた国交省の菊地氏は、平成14年度に河川国道事務所の所長として2年間酒田で勤務されていた方で、久しぶりにお会いした。現在は国交省の港湾振興課の民間連携推進室の室長になっておられた。

懇親会が始まり、酒田ならではの酒田舞娘が登場すると、あたりは一斉に明るく華やかになった。



酒田舞娘は、舞妓ではない。きちんとしたサラリーウーマンとしての位置づけがされている。年齢もある程度上がると、舞娘は卒業してしまう。その都度補充するので、人数は一定していない。現在は4名ほどはいると思うが、今回は智弥さん(左)小春さん(右)とが踊ってくれた。



その舞娘を陰で支えるのが、力弥(りきや)姐さんだ。舞娘の復活にも、欠かせなかった人で、歌や踊り、立ち振る舞いから、言葉の使い方まで、厳しく優しい教育係として、酒田湊の料亭文化を伝えてくれている。



私がまだ子供だった頃の台町は、料亭や見板が立ち並び、日中から唄や三味線の練習の音が盛んに聞こえていた。夜の遊びが料亭からキャバレーやクラブに変化していくと、お座敷に声が掛からなくなり、芸妓さんが消えていった。そんな中で、一番若かった力弥姐さんが、舞娘復活に一役も二役もかう事になる。

♪今町、船場町、高野の浜
♪毎晩お客はどんどんしゃんしゃん
♪本当に酒田は良い湊
♪繁盛やおまへんか~♪ 

酒田甚句の歌詞にある通り、湊と共に繁栄して来た酒田の文化があったのだと思う。酒田の言葉に関西弁が入っているのも、北前船文化の影響だ。




舞娘さんから名刺代わりの千社札を頂いた。力弥姐さんからも、無理矢理千社札を頂いた。サバサバした気質の力弥姐さんを、以前から追っかけのようにしていた私だが、千社札を貰ったのは初めてだった。「滅多に上げないのだよ。」と言う貴重な品らしい。





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