無題・休題-ハバネロ風味-

私の視線で捉えた世の中の出来事を、無駄口、辛口、様々な切り口から書いてみました。

クリスマス

2011-12-24 23:35:41 | 自己紹介
私は、爺ちゃん子だった。父は仕事で忙しく、私たち子供が寝る時間になっても、こうこうと明かりの着いた下で、木材に墨付けをしていた。母は母で家事や妹達と弟子の世話で大忙しだった。長女として生まればかりの私を、「ずっと見ていても見飽きないものだったよ。」とは、随分おとなになって聞いた母の言葉で、本人は可愛がられてないと思っていた。記憶に残る母の廻りはいつも妹たちが占領していて、叱られる時だけ「アンタは姉ちゃんだから、妹が真似するからちゃんとしなさい。」と、頭にゴンと一発食らう時だけ覚えている。

私は寝る時になると、爺ちゃんの寝床で、毎日毎日「昔話」を語って貰っていた。ラジオしかない時代の頃、飽きもせず「桃太郎」も「金太郎」も「浦島太郎」も「山王さんの猿と蛙」の話も「民話」も、しつこくせがんでいた。「きんの(昨日)の話ど、今日の話は、あそこが違う。」などと、生意気に言う私に「ほうが、ほうが」と祖父は笑うだけで、襖一枚外から聞いていた母は、もっけだごどと思っていたらしい。

昔の冬は、今よりもずっと寒かった。祖父の布団の中で、冷たい私の手足を「はっこちゃ、はこちゃ」と言いながら、自分の体温で暖めてくれた。自分の身体がぬくぬくとなる頃には、昔話は地球を半廻りし、シンデレラや白雪姫の未来と共に・・。すでに聴き手は轟沈していた。


クリスマスの朝、目が覚めると、枕元に白い袋に包まれたお菓子が置いてあった。生まれて始めて受け取るサンタのプレゼントだった。本当は田中菓子補さんのお菓子だったんだけどね。有り難い話だよね。貰った本人は、「なんで1日限りなの、次の日はないの?」と言う現実的なことだったのだが


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庄内平野 風の中

2011-12-23 16:33:59 | 音楽・芸術・文学
今年の大晦日の紅白歌合戦、出場者と選曲が発表になった。そうかガガも出るのか。平井堅も今年は辞退しなかったのかと、つらつら見ていたら、「庄内平野・風の中♪」で水森かおりが初出場とあった。どんな歌なのか、どんな歌手なのか、まったく知らなかった。youtubeで聴いたら演歌だった。
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思うこと

2011-12-23 15:17:06 | 社会
隣の国の誰かが亡くなったからって、政府の情報収集がどうの危機管理がどうのとマスコミは騒いでいる。本当の危機管理てのは「原発の放射能の降り方逃れ方・被災者の暮らし」をどうするかが重要なんじゃないのと私は思う。マスコミの連日の北朝鮮関連のくだらない番組の多さも、ここは日本なんだから日本の事を伝えるべきだと私は思う。今のテレビに何を言っても無駄なだけなんだろうな。

中国が北朝鮮を日韓米からの緩衝地帯にしたいと思っている内は、日本に火の粉は降らないだろう。朝鮮半島統一の動きが見られたら、これこそ危機管理をしっかりしなければならない。まぁ、今の政府では、それも無理だろう。政府の中にもマスコミにも、日本中に半島の息のかかっった人間がわんさといて、震災の被害で困り果てている日本から、金を持ち出そうとしているのが見えるからである。半島統一の時には、日本の財源をアテにするんだと言う噂が、まことしやかに伝わっている。外国人の投票権なんて、その第一歩だろう。そう言うことをきちんと伝えるべきだと思う。

そんな中で、こんな読売新聞の記事があった。これは実際にやれるなら有意義だと思う。どちらに忠誠を誓うのか。まぁ偽造パスポートで再来日することは目に見えているのだけど、日本としての姿勢をきちんと示すことは重要だと思う。
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酒田の方言かるた

2011-12-22 14:04:20 | 社会
仏壇のさとうさんに、酒田の方言かるたが入荷したと知らせを頂いたので、出かけたついでに寄ってみた。「何度も足を運ばせで、もっけだの。」と、カルタの他にこれでもかとオマケを頂いてきた。

酒田の方言かるたは、作ったメンバーを知っていて、お披露目会にも出席するつもりだった。そこで買うつもりだったのだか、不義理をしてしまっていた。仏壇のさとうさんの所にもかるたが置いてあると、ブログで見たので買いに言ったのだが、入荷するとすぐに売り切れになってしまうのだそうだ。



袋の中からかるたの箱を出してみる。



中には、かるたの他に、CDが入っていた。そうか音がないと酒田弁は読んでも分からないからなんだ。聞くのを楽しみにしてしておこう。さて、私の酒田弁とどっちが本物らしいかな。
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ついにここまで

2011-12-22 13:44:56 | 震災東日本大震災
私はツイッターで原発関係にアンテナを巡らしている。前から噂では聞いていたが、福島に住む方のブログが色々な角度から情報として流れてきた。ブログ主と家族の放射能に因るだろう身体的な症状を見て、ついにここまで来たかと言う想いにとらわれた。あの時、風の向きが違えば、雨の降り方が違えば、東日本は同じことになっていただろう。辛うじて免れただけと思っていたから、とても他人事には思えなかった。

被災した人達の為、子供達の為、残された動物の為に、自ら避難することを止めたようだが、心ない荒らしがコメント欄に残っている。彼女のブログを前から通して読んでいたのだろうか、それでも工作員らしき人間は言いたい放題だ。真実を語る人にデマを飛ばすなと言い、首相や細野大臣の言葉を信じろと言うのか。日本はここまで落ちぶれたのか。

何が真実か、判断するのは自分である。 ぬまゆのブログ
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もうすぐクリスマス

2011-12-22 13:37:15 | 建築・都市・港
世の中は師走で、クリスマスも近い。
大人になると、子供の頃のドキドキ感もない。
しかも、この歳になると子供達にプレゼントをしなければと思うハラハラ感もない。
普通の日常が続いていく。



先日、ある忘年会の帰りに雪道を駅前から歩いて来たので、旧国道の十字路近くにイルミネーションで飾った家を隠し撮り(?)した。酒田市民には有名で、毎年毎年バージョンアップするこの家は、ただ感心するばかりだ。災害のあった年だからこそ、飾ってくれてありがとうと言いたい。でも携帯で撮影するのも、何だか恥ずかしいのはどうしてだろう
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幸か不幸か

2011-12-13 15:36:47 | 自己紹介
昨日、一番幸せだったのは、「財布を盗まれた!」のが、明け方にみた夢だったこと。

一番不幸だったのは、駐車場に自動車をバックして入れたら、ブロック塀にぶつかって、塀の一部が隣にはじき飛ばされたこと。ドカンと音がして、粉々さ!(なんだ、補強鉄筋が入っていないんだ。)
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ぼうぼうねんかい

2011-12-11 16:06:30 | 食べ物
某忘年会は、きーぷらんの望年会だった。きーぷらんとは、庄内地区の建築を勉強したい女性達の集まり。活動は20年以上は続いている。年に1度(当たり前だけど)忘年会を行う。それも年を忘れるのではなくて、希望の望年会と言う名前だった。宴会に入る前に、今年はリース作りを行った。残念ながら、それには不参加だった。宴会から参入する。



場所は、鶴岡市の湯野浜温泉いさごや。昔は、みんな浴びるほど飲んで二日酔いになったけど、最近は前日の酒でも飲酒運転に引っかかるので、皆さんのセーブが半端ではない。



宴会の席も、足が痺れないようにと、和室に椅子テーブルだった。おお、まるで明治時代みたい。
前菜にアビオスの揚げ物がついてきた。「これ何?」と言う疑問に、とくとくと説明する私。でも、きっとみんな覚えてないと思う。



土鍋の蓋を開けると、小さなアワビがうごめいていた。わかめに絡みつこうとする。酒蒸しになるらしい。わぁー、なんて豪華なんだろう。でも刺身の方が良いのに。



そして刺身の皿。え~と、その他にも出てきたけど、乾杯が始まると、もう撮してはいられない。ご馳走だけで満腹になり、ご飯までは頂けなかった。

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新聞記事2題

2011-12-11 16:01:29 | 建築・都市・港


建築士会女性部の研修会の様子が山形新聞の記事になった。
写真を見て、自分の所で切れている。自分の前で切れていると大賑わい。



これは酒田港が日本海側拠点港になったとお祝いの会の様子。
どちらも写真が小さくて、記事が読めないじゃないかとの批判もあろうが、まぁこんな感じで載った証拠写真だと受け取って欲しい。これで安心して古新聞に出せる。←こらこら
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石鹸と化粧品

2011-12-11 15:57:01 | 自己紹介



私の顔のカイカイが治ったのは、この石鹸と化粧品。
本当は化粧水もあったのだけど、今回はパス。
ともかく、石鹸は、そんなに高くはない。4等分にして泡立てると長持ちするよと教えて貰った。
主成分はSHEA BUTTERと言う植物の実らしい。
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2011-12-08 16:57:57 | 自己紹介
私の髪は、ちょっと癖っ毛で、ちょっと太くて、ちょっと量が多い。美容院の方に聞いても、自分の髪が気に入っている人の割合は少なく、どこかに不満を持っているのだそうだ。ご多分にもれず、私も自分の髪が気に入らない。ストレートヘアに憧れて、軽くストパをかけてみたが、その後の毎日のメンテナンスと費用を考えても、満足したのは1週間だろうと思う。髪を洗って乾かして、アイロンをかけてと手間ひまかけても、妙な癖に悩まされた。両サイドの髪が同じ側に跳ね上がるのである。顔もバタ臭いのに(東南アジア系)、髪もうっとうしくて、ついにはゴムで束ね、生活に疲れた女のようになった。我慢が一気に爆発した頃には、ショートヘアになっていた。

生活に疲れた風といえば、随分と前から白髪が見えてきた。鏡を覗き込まないと見えないし、気にするほどでもないので、放っておいた。うんと増えたら染めるんだと期待したのだけど、それほど増えてもくれない。ともかく中途半端なので、踏ん切りがつかない。と言いながら、実は心の中では染めることにびびっている。

面の皮は厚いが、肌は弱い。過去に一度パーマ液でハゲになったことがある。最近では化粧品でかぶれた。(何ヶ月もボロボロの肌(顔)をしていたが、某エステに化粧品を買いに行って変えるように薦められ、2-3日もしない内に治ったのには驚いた。考えてみたら、店の彼女は元看護婦さんだった。)おっと、話が脱線した。髪の話だった。髪を染めるのに、肌のバッチテストをしなければならないんだそうだ。これがうっとうしい。もし駄目だったら、次々と別の製品を買って試して見なければならないのか。禿げるのも嫌だし。

と、まぁ、こんな愚痴を某忘年会で話したら、それは悩みになっていないと突っぱねられた。とっくの昔に、皆さん経験済みなのだそうだ。色黒の私が足踏みしているだけらしい。
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日本海側拠点港に選定

2011-12-06 10:40:12 | 建築・都市・港
酒田港が昨年の重要港湾の認定と引き続き、今年は日本海側拠点港に選定された。リサイクル部門として、また今後の伸びしろを考慮しての選定らしい。



12月4日、急遽この祝賀会が行われた。県知事を始め、東北整備局からも来賓を頂いた。が、いつもの通り酒田市長は欠席した。会場から笑い声があがる。
この日本海側拠点港と言う制度も目新しく、急いで自薦しないと間に合わないと慌ただしかったし、まさか選定されるとは手を挙げた本人達も確率は低かったと思っていただろう。酒田港は震災前から貨物量が増えていた。震災後は被災地への物資の輸送で、驚くほどの増加ともなった。地理的なこと、酒田港の重要性に国が気づいたのだろう。県知事を筆頭に、県民が動いた。酒田市長の動きの悪さをカバーするごとく、山形市、鶴岡市のトップが動いた。それに一番動いたのは、新田会長と前酒田市議会議長だろう。



さて、話は変わって、先日のTV番組の「羽州街道」に出ていた力弥姐さんだが、酒田湊の料亭文化の説明の中で、舞妓や芸子が150名も揃っていたこと、自分がこの道に入った時には、朝の10時から宴会が行われていたことを話していた。「旦那衆は、朝仕事を終えると、宴会にやってくる。朝の10時にはお座敷がかかったものだった。」と、賑やかだった昔を振り返るのだが、力弥姐さんは一体何歳なの!?この写真では厳しいお師匠さんにしか見えないが、そんなに歳を取っているとは思えない。私となんぼも違わない気がするのだが。



酒田の舞妓さんの踊りである。カメラを持っていかなかったので、iPhoneで撮ったがズームも何も使えず、いやはや難しいものだと思った。
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日本海沿岸自動車道アンケートのお願い

2011-12-03 11:49:31 | 建築・都市・港
私たちは、日本海沿岸自動車道路の山形県-新潟県、山形県-秋田県の県境を繋いで、一日も早い全線開通を願っている。計画は地元住民や県知事の働きで、今の所順調に進んでいるようだ。
数ヶ月前に、双方のアンケート調査があったが、巷の噂では新潟の県境が、新潟県知事の肝煎りで、事が早く運べそうだと言われている。温和しくしていては、過去のように何十年もなおざりにされる。地元が一番元気で応援しないと、動かないといけないよと、何処へ行っても言われるが、その通りなのだろう。

前回のアンケートを受けて、遊佐-象潟間では、防災面に優れる全線新設案が社会資本整備審議会道路分科会東北小委員会で了承されたそうだ。素早い結果だと思う。既存の道路を一部使う案もあったのだが、防災の面で考えると、1本だと逃げ道が塞がれる結果になる。圧倒的に別の路線で考える回答が多かった。これを踏まえて、沿線自治体の市町村長からの同意と秋田県山形県知事からの意見で、この案で進めることになった。

引き続き、アンケートの第2弾を「日沿道(遊佐-象潟)のご意見募集」で、皆さんの意見を求めている。多ければ多いほど良い、関心が高ければそれが応援になる。

と言うことで、アンケートの「日沿道(遊佐-象潟)のご意見募集」は、12月11日までになっている。住民の意見がそのまま届くので、ぜひ参加して欲しい。
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重文・旧米沢工業高等学校

2011-12-02 19:57:03 | 建築・都市・港
重要文化財の旧米沢工業高等学校は、山形大学工学部の敷地内にあった。山大の工学部を米沢に誘致する段階で、この工業高校の存在は大きかったのかとの私の問いに、城戸教授を含む学校関係者の方々は、おおいにあったろうと答えた。米沢の産業が絹織物や染色だった為に、その技術を後世に伝え新たな教育をする目的で、工業高校が作られた。繊維や化学を中心に教育されたようだが、その創立は明治43年だそうだ。随分と早い。最も、米沢(上杉藩)の藩校から受け継がれた米沢興譲館も歴史が古いし、女性の教育をばかりしていた酒田とは、やはり二味も違うようである。


 敷地を横切って玄関へと向かう。



洋館の屋根も美しい。



その塔の基礎の金物も、石の張り方も、贅沢で美しい。



残念ながら、全景を撮すことが出来なかった。無情にも足場や仮設で、せっかくの玄関が覆われていた。東日本大震災での影響もあり、現在は一般には公開していないのだそうだ。我々が専門家集団だったので、特別に見学を許されたらしい。



玄関の柱は、震災の影響と同時に、白蟻の被害にも遭っていた。大きな揺れが来ると危険かも知れない。



天井や壁を白壁にし、木部の塗装もグレーの入った萌葱色で、コントラストが美しかった。照明も古い物が残っており、窓ガラスも手作りの歪んだガラスがはめ込まれていた。



赤毛のアンが飛び出してきそうな色合いの廊下である。



現在の学校建築には見られない細工である。昔は教育の場は特別だと言う自負があったのだろうと思う。現在のように、人数に合わせて箱物を造れば良いとする考え方ではない。




手摺の細工も、腰のボーダーの止めの細工も見事である。



手摺のエンド部分。



こんな素敵な階段室がそこここにある。



教室も階段状になっていた。



部屋の空気を天井に逃がす換気の細工も凝っている。



ここは特別の部屋らしかった。普段は進入禁止だが、特別に入って見ても良いとの許可を得た。奥に縦型のピアノもあった。



基本的に、教室は展示室になっており、米沢の織物の歴史から織機の数々、化学の実験室、そしてこんな美しい被り物も展示してあった。広い教室の奥に飾ってあったが、私が写真を撮っている内に一人二人減り、ついに誰もいなくなった。お~い、1人にしないで~~。ちょっぴり恐いじゃないか。



誰かさんが見たら、気も狂わんばかりに喜ぶ一品もあった。



何という大胆な柄なのだろう。粋に着こなしてみたいものだ。
この学校の卒業生には、驚くほど有名な人もいた。日本の繊維の世界になくてはならない人達がいた。

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羽州街道

2011-12-02 19:14:16 | 建築・都市・港
TVの向こう側から鶴岡弁が聞こえた。同じような庄内弁でも、おっとりした城下町の鶴岡弁と、港町の酒田弁では勢いも違う。どこのチャンネルかは分からなかったが、BSで中村勘太郎がナレーションの羽州街道が流れていた。鶴岡の老舗のお菓子屋さんでは、今でも酒井の殿様が好物の菓子を買いに来るのだと言う。現代の酒井の殿様は鶴岡の地道博物館の館長をしておられた。庄内竿のコレクションを前に、江戸の平和の世にあって、武士の武芸の一つとして庄内では釣りを奨励したと説明があった。釣った魚を魚拓にし競い合ったのも、鶴岡が始めてらしい。庄内藩を一括りにしての番組構成に、初耳の事もあったし、あれ?と解せない事もあったが、まぁ番組造りとはそう言うものだろうと見ていた。



鶴岡の大山地区が写った。米造りが主体の庄内において、冬の農閑期に地元の米や水を使っての酒造りが盛んになり、一時期には何十もの造り酒屋が立ち並んでいたと、富士酒造の当主が説明していた。それに大山は羽州街道の宿場町として栄えたから、酒の消費も多かったらしい。当主は「我が家の先祖は、大変に有名な方なのです。」と、代々伝わる宝物を見せてくれた。当主の名字は加藤で、先祖は清正だと言う。加藤清正公の墓の時にも書いたが、正式には息子の加藤忠広公には跡継ぎがいなくて、彼の代に取りつぶしになっている。風の噂で酒田の新堀地区にも、末裔の加藤家が多いとも聞いてはいたが、こんな幕府直轄の地に、純然たる加藤家が存在していたとは思わなかった。加藤家の紋も、被せ紋にして密かに代を繋いでいたらしい。酒井藩と徳川家の繋がりから考えると、豊臣側の加藤家の存在は両者とも大変なことだったろうと思う。

羽州街道は、鶴岡を抜けて酒田へ入る。酒田の説明は、平安時代の国府跡と平泉からの36人衆に始まった。本間家では、あれだけの大富豪であるにもかかわらず、本間光丘の質素な暮らしぶりが、彼のたった5畳の御部屋と共に説明された。湊の賑わい、料亭文化、相馬楼での舞妓さんの踊りと続く。さらっとした旅番組として見るには、勿体ないなと思う作り方だった。
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