7月28日、山形市の山形県産業創造支援センター多目的ホールで、茅葺きのシンポジウムが開催された。主催は一般社団法人山形県建築士会である。実は半月ほど前に事務局から電話を受けていた。茅葺きのシンポジウムを行うので、パネラーをして貰えないかと言う相談だった。私は一度も茅葺きに携わった事がなく、その役には向いていないと断ったのだが、「まぁ、いいから、いいから。」と言われ、誰といつどんな話で行うのかも知らず、約束通りに1時間前に現場に着いたのである。こんなに不安なシンポジウムは初めてである。
時間通りに事務局は到着せず、参加者だろう人がホールで待ってはいるのだが、彼らも内容を知らないと言う。開始15分ほど前になって全員が集まり、それから段取りを決める。時間の配分は2時間程度の予定だったが、実際は時間が押してしまい、45分ほどになった。黒い私はほくそ笑む。
基調講演は文化財建造物修復技術者 日塔 和彦氏である。様々な大学の客員教授をやっておられて、出身が山形県の河北町だそうだ。
主に世界各地を渡って茅葺きの研究をされていて、国ごとに使う材料も作業方法も異なっていたのが面白かった。東南アジアやアフリカでは、現在も現役として茅葺きが使われている。
ヨーロッパでは、茅葺きがステイタスとして大規模な住宅でも、マンションの屋上や劇場にも使用されている。
もっとも憂慮する火災においては、下地に耐火板を敷くことによって可能にしている。ただ、これは日本の法律には則っていない。
高断熱高気密も可能だそうだが、ヨーロッパの気候と、日本の高温多湿の気候では、呼吸できない茅葺きは問題が残るのだろう。
火災の実験の様子である。この野地板方式も、日本では用いない。
茅葺きで一度火災実験をしてみたら、なかなか消防の放水が茅の中に入らず(茅の表面が雨を流す為)、少しの種火が残っていても、数時間後に再度発火し全焼に至る事が多いそうだ。
全ての映像を撮っておきたかったが、そうも行かず出来るだけ落書きをしてみる。
頂いたレジメには載っていない各国の茅葺きの映像は、大変に興味深かった。特に住宅は住む場所によって姿が変わる。建築は住宅から始まり住宅に終わるとは、名言である。
帰りに見た大きな赤い太陽が印象的だった。
土曜日は外に出ると熱中症になるくらいの暑い日だった。酒田本港では、「港オアシス祭」が開催されていた。
本港の岸壁には、海上保安庁の船が多く停泊していた。
参加した人は、暑い暑いで日陰に入ることも出来るが、着ぐるみさん2人は気の毒だった。中は暑いだろうに、子供達に囲まれていじられて、大変だったろうなと思う。
屋台では、今回はカレー特集が組まれていた。午後から出かけた私はおみやげを買ったが、お店で食事の出来る店の殆どは売り切れになっていた。
海洋センターの1階の倉庫には、酒田祭りの山鉾が置いてある。ここでは一般の子供達を対象に、針金と和紙を使った山鉾作りがお子なられていた。
これは今年の祭りに使った山鉾の龍、実際に近くで見てみると、その大きさに驚く。
土台つくり
出来上がった物に絵を描く。
これも完成品らしい。
作品が飾られていた。
「食べていって!」と呼ばれたコンニャク。あ、玉こんじゃないのか。
「これ何?ワサビ?」「いいや、特性辛子だよ。」 何でこんな緑色なの!
他のテントではイカ焼きやかき氷が。
サンダル飛ばし競技
競技の景品。
会場ではアナウンスで「ああ、惜しい、参加賞です。」「今、新記録が達成されました。」など、随時結果が公表される。小さな子供達が真剣なのが可愛い買った。何度やっても後ろにしか飛ばせない天才もいた。
加茂水産高校の実習船「鳥海丸」、今回も大きめのタッチプールを準備してくれていた。
海上保安庁の船、べにばな
東京都所属のつるぎも来ていた。
はまなすが、いつもよりもずっと赤く熟れていた。今年の梅雨は空梅雨に近く、暑い日が続いたせいだろう。
7月25日封切りのアメリカ版ゴジラのお陰で、もう一度ゴジラにスポットが当たり、NHKBSでも、CSでもゴジラ特集が組まれている。
初代のゴジラの監督の本多猪四郎さん、ゴジラのスーツアクターの中島春雄さんは、共に山形県の出身である。山形新聞でも3回に渡り記事が出されている。その中で、第1作で主演を演じた宝田明さんのコメントも載せてあるが、実際には「主演は僕だ」と宝田さんが言った時に、彼に向けて監督さんが仰った「いいや、主演はゴジラだよ。」の言葉が重い。円谷英二監督は福島県の出身だ。音楽を担当した伊福部昭さんの才能も素晴らしい。凄い才能のメンバーが集まった映画だと思う。だから、今でも続いているのだと思う。
酒田のラーメンの歴史が判る1冊だった。父が子供の頃、チャルメラを吹きながら屋台がやってきた。夜になると港座の前に屋台が出て、映画帰りの人達が寄って繁盛したそうだ。そこで食べる支那そばは美味かったそうだ。
この本に依ると、酒田で最初にラーメンを出したのは中国人だったようで、その様子が表紙に載っている。三日月軒、大丸も大来軒の流れで、満月、降月、新月系は、荒町にあった港月が元だそうだ。
酒田人にとって、ラーメンはご馳走だった。家に訪れたお客様に出す為にの、ラーメンの出前は、本当に羨ましかった。酒田は食材が新鮮で豊富な為、料理に手間暇を掛けない。そんな中で何時間も煮込むスープと、自家製麺で作った麺を寝かせて置かねばならないラーメンは、贅沢なご馳走だった。昆布とトビウオのだしが聞いたスープは、酒田のラーメンの特徴である。それと、透き通るほど薄いワンタンの皮の、ツルッと口の中で溶ける感覚は、他の地域のワンタンにはない。特に中町の来々軒のワンタン麺は、幻のご馳走になってしまった。懐かしさだけがこみ上げる。
インターネットで、鼠ヶ関港鮮魚センターに可愛いけど大きな看板犬が3匹いると言うので、観に行ってみた。
でかい、可愛い。白い子がちょっと愛想を振りまいて、何度かナデナデ出来たが、どうやら昼寝の時間らしく、3匹とも床に寝そべって動かなくなった。
ここは、鼠ヶ関港に面した鮮魚センターである。
カレイ
イカの口
一夜干しイカ
ホッケ
イカ
絶好の乾燥日和りで、網の上に加工した魚介類を並べていた。
港の先には、弁天島があり、お参りをする。
神社の建物はそんなに古くない。
スクリューの上に載っていた小さな龍。おみくじのサイズと比較すると判るかと思う。
神社の左側から遊歩道と鳥居が見えた。
鼠ヶ関のマリーナと海水浴場が見える。
海は紺碧で、波も穏やかである。
水平線に粟島も見えた。
灯台の脇に、金刀比羅神社があった。
人々が磯場で遊んでいる。
こちら側の遊歩道がゆったりとしていた。海の中ではクラゲも泳いでいた。
弁天島をぐるりと回るコースのようだ。ここは、頼朝に追われた義経が上陸してきた所でもある。
鼠ヶ関港では、漁船によるクルーズが出来るそうだ。
漁船とハマナス
おばちゃん達は忙しそうである。
帰りに栄螺の串焼きを買って帰った。
行きは高速道路を使って温海で降りたが、帰りは海辺の国道を走りたいと言う。このまま海岸通りを走っても、加茂水族館の辺りは混雑してるだろうと判断し、由良坂から大山を目指す。途中で新しい加茂坂の道を発見。NHK・BSの火野正平のこころ旅で、この加茂坂を走った事を思い出し、方向を変えた。思ったよりも勾配はきつくなく、ゆったりとしたトンネルを抜けると左手に大きな駐車場が見えた。こんな所に何故と思ったら、加茂水族館の駐車場だった。ここからバスでピストン輸送をするらしい。駐車場は殆どが埋まっている。これは大変な人出なんだろうと想像出来た。加茂港から右に降りて、湯野浜に向かう。道路は駐車場と化していた。殆どが海水浴客だと思われる。湯野浜の浜辺は沢山の人でごった返していた。なかなか車も進まない。空き地に露天駐車1日800円の看板が見えた。海から遠い人達は可哀想だなと思った。道路を日に焼けた若者達が横断していた。
酒田市庁舎の免震工事見学会が開催された。7/20と7/31に分かれて見学会が行われるのだが、7/31は建築士会や建築関係の人々の見学だと言う。7/31は月末であり、午後から別の講習会が行われるので、今回はパスだなと思っていたら、20日の一般の人向けの見学会に、建築士会女性部会員でもあり、市役所の職員でこの建築に直接関わっているHさんからの連絡で入り込む事が出来た。当日集まった人達の過半数が女性だったのにも驚いた。
建築工事は2期に分けて行われる。1期目は現庁舎を残し、駐車場だった所の地盤改良と、西側に寄せて高層の事務棟を建てる。その後に引っ越しし、現庁舎を解体して低層部分の工事を行う。予定では平成29年の3月に完成予定だと言う。順調に進んでくれればいいがと願う。工事は3社によるJVである。
これが免震部分
現場事務所で、一応の説明を受けた後、ヘルメットに軍手の出で立ちで現場に入る。連休のせいか、現場は綺麗に片付いていた。
」
いつもは現場の中央に存在感を出している大型のクレーンだが、この日は綺麗に寝かせてあった。奥の紫色の部分がオペレータルームで、操作中には目視で現場の様子は見えない。クレーンの先にカメラがあってそれで操作すると言う。、このシルバーの部分がそうである。ちなみに、この操縦席は冷暖房完備なんだと監督は羨ましそうに言った。いやいや、そうでもなければ仕事など出来ないだろう。
多分、カメラのレンズは現在下向きになっているだろうと思われる。
現場の中央に設置してある桟橋の上でちょっとジャンプしてみる。揺れない。耐久性はあると言う。
北側の工事現場である。
説明を受けながら南側の現場を見る。
基礎工事と、免震の工事が進行中である。
みんなで覗き込む。
これは免震が終わった柱脚部分。この下にゴムの何層にも渡った免震装置が施してある。
この赤くコーティングされた棒が4本筒出ている装置も、また免震の為である。引っ張りを利用しているらしい。
このスラブ鉄筋の多いこと! それに並んでいる青いチューブは、地熱利用の採熱管である。58mほどの杭と一緒に入れたようだ。公共施設での地熱利用も、今回が初めてである。
この辺りは地下水位が高く、住宅の工事でも水が出る。この現場でも同じで、2箇所の井戸を設置し、側溝を巡らしているそうだ。施設の地階部分に駐車場が計画されていて、その排水の為にも側溝が用意されている
さて、7/31の見学会にはない物が今回は準備されていた。
東日本大震災の時の揺れ(ただし、12-3階建ての耐震マンションの8階を想定した)を体験する事が出来る。同時に免震にした時の揺れも続いて体験する。また、阪神淡路大震災も体験出来た。
テーブルの上には、青い水の入った蓋付きの水槽が置いてある。テーブルは固定されており、手すりもついて身体を支える事が出来る。椅子はキャスター無しのパイプで出来た椅子である。これが揺れが始まると滑って移動する。キャスター付きだったら、吹っ飛んでいたことだろう。揺れの長さは東日本大震災が長く、揺れの激しさは阪神淡路だった。大人げもなく楽しんだ。同じ震度の免震の揺れでは、耐えられる動きだった。耐震ゴムの寿命は60年だと言うが、30年ごとに取り替えやメンテが必要だそうだ。それもちょっと面倒だと思う。住宅なら簡単だが、高層ビルはどうだろう。業者の人はさほど難しいことではないと言う。
せっかくの日曜日の免震体験車、中町モールで子供達に体験させたら面白いと思った。
JIA山形の「さくらますの学校」に参加する為、3人で出かける。「さくらますの学校」と言うのは、公益法人であるJIA(日本建築家協会)が、自分たちの研修だけでなく、一般人向けの建築に関する講習を目的とした物で、山形県の県魚の名前を取って作られた。学校が始まる前の腹ごしらえで、七日町の紅の蔵でお蕎麦を食べた。久しぶりの美味しいお蕎麦だった。
先日の建築士会女性部のふるさと探検で出会った「聴雪窯」の作品が、大堰の小間物屋さんに飾られていると言うので、寄ってみた。半地下のような一角に、素敵に飾られていた。個数は少なかった。
柳の下では、浴衣の美人が2人、雑誌の撮影だとスタンバイしていた。大堰の水は綺麗で涼しげである。
会場まで歩く。その通り道に屋台村を見つける。
わ~い、楽しそうだ!
ほっとなる横丁。酒田の中町にもあれば良いのにと、運動をした人達がいたが、実現出来ずにいる。町作りの話し合いは、10人いれば20通りの意見が出て、「何をするにも反対」の頑固者がいる。町作りは本当に大変なのだ。
さくらますの学校が開かれる会場に着いた。山形は大火に遭わなかったのか、古い蔵が多い町である。その蔵を使った町作りも行われているが、今回の会場も蔵の中だった。路地を通って、奥へ奥へと進む。
一部2階が載ってはいるが、殆ど吹き抜けで構成されていた。
グランドピアノも置かれている。本棚もあり、様々な事に使われている様子だった。
岩手のPSの会社を訪問した時に、その建物がドイツのバウハウスを彷彿とさせるのに驚いた。その建物を設計したのが、女性建築家の彦根アンドレアさんだ。ドイツ生まれで、大学を卒業して日本で最初に設計したのが、このPSの建物である。建築に関する想いが伝わってくる講演だった。
岩手のPSとは何ぞやとお判りにならない方もおられよう。岩手県八幡平市にあるパネル式暖冷房のピーエス株式会社のことである。東北自動車道路の松尾八幡平で降りると、すぐにこの会社がある。広大な敷地(森)の中に社屋と研修棟2棟が配置されており、その大きな会社に似つかわしくない、気をつけないと見落としてしまうゲートと看板が立っている。
舗装されていない林道のような道を走り、開けた場所に来ると、この社屋が見えてくる。鉄筋コンクリートの2階建てで、手前が事務所で奥は吹き抜けの工場になっている。建設してから22年が経ち、事務所の前に植えた木々は大きく育ち、夏には日光を遮り、冬は葉を落として日光を取り入れると言う、自然を使った室温のコントロールも行っている。
室内の事務所側も吹き抜けがあり、世界中の植物や木々が育っている。窓枠が青いのは、空と調和を取る為で、大きな窓の下には、PSの製品のパネルがあり、室温を快適に保っている。
2階の吹き抜けの回りの手すりにも、このパネルが使用されている。
植物たちは、育ちに育ち、毎年天辺をカットしなければならないそうである。何故室内でも根腐れを起こさずに成長するかと言うと、植栽部分の土が外部と繋がっているからだそうで、恐らく根の部分はすでに外部にも侵出しているだろうと考えられる。
この青いパネルもまた冷暖房用のパネルである。
この可愛いパイプも、暖房パネルである。タオルを乾かす為と、コーヒーカップの保温にも利用されている。暖める為にわざわざ作ったのではなく、室内の熱交換で出た余熱を利用するためだそうだ。
このパネルの熱源は、地中熱を利用している。パネルの冷房時には空気中に含まれた水蒸気が水となる。その水はビオトープを作って自然に還元している。この自然と環境を考慮した建物の設計は、アンドレアさんが大学を卒業し、日本に来て最初のプロジェクトだったそうだ。
講演会では、このPSの他、今まで手がけられた住宅を見せて頂いたが、基本的には高断熱住宅だった。ただ、日本のハウスメーカーの面白くも何ともない立方体ではなく、開口部は大きく、外壁が入り組んでいたり、局面を帯びたりと、まったく自由に設計されていた。木材の使い方も外観も、我々よりも和式ではと思えるほど、日本にマッチした住宅が多かった。これで良いんだと、ちょっと安堵した。
講演はアンドレアさんの人柄が良く出ていて、非常に面白かった。先日の東京での3人の講師達の講演よりも面白かったのではと言うのは、今回参加した我々の意見である。
時々、甘い物が欲しくなる。以前は洋菓子かチョコレートに走ることが多かったが、最近は生菓子が良い。
東根菓子舗に限らず夏場の暑い日は、食べるまでの時間を聞かれ、保冷剤を入れてくれる。
話は変わって、鶴岡のお盆は終わった。鶴岡のスーパーで、お盆のお供え物をみて季節感がグルグルした私だが、酒田のお盆は旧暦で行うので、8月13日である。我が家のお盆は、仏壇にも墓にも、おはぎをお供えする。暑いさなかのおばぎは、一晩で味が変わる。最近は自分の家で作らなくなり、店で買ってくるものは特にそうである。冷蔵庫に入れておけば良いのだが、仏壇に一日お供えすると、夕飯の時には「ちょっと無理かも」になる時がある。食べ物は生ものである証拠だ。
先日、お菓子屋に行く時間がなくて、某スーパーで8個入りの最中を買った。生ものであるはずの小豆が入っているのだが、袋の裏に書いてある賞味期限は長い。袋から出して菓子器に入れた。8個なんて、すぐに食べられる数ではない。袋から出さねば保つのかなとおもったが、数日経って中身を確かめてみたら、まったく変質していなかった。これを大丈夫と見るのか、保存料がしこたま入っているのかと考えるのかで、扱いは変わってくる。私は後者の方だったらしく、そっと捨てた。
現在、地震対策としては、本市の建物ではじめて採用する免震装置の取り付け工
事を行っています。今回の見学会では、地震体験車を使って、新庁舎に設置する免
震装置の効果を体験できます。
興味のある方はお誘いあわせのうえ、是非ご参加ください。
◆日時
◆場所
◆対象
※小学生は保護者同伴
◆定員①②各30名(先着順)
◆内容・工事の進捗状況の説明(30分程度)
・現場見学(30分程度)
・免震装置体験(希望者のみ)(1時間程度)
◆費用無料
◆申込7月18日(金)まで市建築課新庁舎建設室(26-6250)へ
7月20日(日)
①午前10時~正午
②午後1時30分~3時30分 ←この時間だけ、まだ空きがあります。
工事現場内
市庁舎改築工事に興味のある市内在住の方(小学4年生以上)
まだ空きあります !!
工事現場の様子(平成 26年 7月撮影) ←チラシの写真が貼れなかったので、私の写真でご勘弁を
台風の影響を心配したが、太平洋で温帯低気圧に変わったら、台風一過と思えるほどの好天に恵まれた。
今年は、初めて山形県の港湾事務所とのコラボレーションで、例年とは違い午後3時から始まった。
大きく2班に分かれて、海洋ゴミの説明や海洋センター内を探検する。
それが終わると、加茂水産高校の先生が準備してくれたタッチプールで、海の生き物達に触る。これが一番人気があった。前日まで海が荒れていて、思うように魚が捕れなかったそうで、それでも子供達は魚や蟹、ナマコを捕まえて喜んでいた。災難なのは生き物達(特にナマコ)である。
いつもは、国交省酒田港湾事務所の「みずほ」に乗船して酒田港内を回るのだが、今回は定期船とびしまで回る事になった。ここからは一般募集の人々と一緒の行動である。
夕焼けを目指して、とびしまは出航して行った。