少し涼しくなって、薔薇が咲き始めた。
栄養が足りないのか、小さめな花である。同じ株から八重ではなく、まるでハマナスのような花も咲いた。どうなっているんだろう。
紫蘇の葉の上で遊ぶ赤い虫。
少し涼しくなって、薔薇が咲き始めた。
栄養が足りないのか、小さめな花である。同じ株から八重ではなく、まるでハマナスのような花も咲いた。どうなっているんだろう。
紫蘇の葉の上で遊ぶ赤い虫。
国から、日本海側で津波が発生した時の、津波の高さと到達時間が発表された。今まで県の基準でファザードマップ等を作成していたが、大幅に変更される。と、言うよりも危険区域が広がった。
ここは酒田市役所前の道路。街を歩くと、電柱に海抜が載っている。新築する市役所も1階は完全に飲み込まれる事になる。
自分の命は自分で守る。余裕があれば、他の人を助ける。「てんでんこ」を忘れずに行動しよう。
FLood Map は、浸水する高さを入れると一目で状況が判る。左上に数値を入力する。丁度11.5mに設定は出来ないが、9mでも庄内平野はほぼ水に浸かる。地盤としては庄内砂丘と東の丘陵まで逃げないと行けない。動けないとすれば、近くの高い建物に逃げるのが良い。
小学生の頃、夏休み前の生活の注意に、早寝早起きや規則正しい生活等に混じって、生水を飲まないようにと言うのがあったと思う。「生水って何だ?」と私は考えていた。水と言えば水道水だったからだ。生水が井戸水だと判っても、注意はしたことがなかった。学校帰りに友達と近所の井戸で、ポンプを押しながら水を飲んだ。手を洗ってからでないと、水は汗でしょっぱかった。「はっこ!(冷たい)」と歓声を上げながら飲んだものだった。
夏になると時々は断水になることはあっても、水を飲めるのは当たり前だった。遠い外国では水道水は飲めなくて、飲み水は買うのだとと教えられても、まさか日本で水を買うようになるなんて想像もしていなかった。
時は巡って、スーパーで売られている水の値段が、牛乳よりも高いと酪農家を嘆かせる時代が来た。牛を育て飼料をやって牛乳を採取するのに、一年中休みなく働いても水以下なのかと、採れた牛乳を捨てて問題になった事もあり、本当に気の毒だった。頑張って買ってゴクゴク飲んだ。(注:太った。)現在、値段の釣り合いは少しまともになって来たかと思う。それにしても売っている水の種類は増えた。
先日、羽黒山に登るので水分の補給用にと自動販売機に寄ると、表示してある値段がすこぶる高い。消費税が上がって以来、3%なんで差ではなく、なんでもかんでも物価が跳ね上がっている。(この問題は後でじっくり書こうと思う。)ならばと、通りがけの砂越のスーパーへ寄った。ここでは見事に水は売られてなかった。飲み水は買うものではないとの昔の日本に戻ったようだった。甘い飲み物は嫌だったので、某メーカーのいろ●●を買った。ペットボトルの裏表示を読むと、水に香料や添加物だった。何だかな、水だけで良いのに。ハーブの香りが必要なら、ペパーミントを摘んできて、葉を水に入れると良い。ハーブティにして水で薄めても美味いのに。
鶴岡のNさんからメールを頂いた。鶴岡市内の料亭文化を留めている「割烹・三浦屋」が一般公開されると言う。期限は9-10月の数日に渡るようで、各々の申し込みが必要だ。荘内日報にも参加応募の記事がさらに詳しく載っている。
しかし、なんだねぇ。どちらにも住所が載っていない。荘内日報には本町2丁目までは記載されてあるのだが、これは鶴岡市に住む人なら誰でも知っている場所で、鶴岡市民だけの見学会なのだろうか。まぁ、ググれば出てくる世の中なので、自分で探すことは可能なのだが。そのググりで見かけた昨年の見学会では、室内の撮影が不可能だと書いてあった。これはちょっと残念だ。
8月19日の夕日は大きかった。庄内砂丘に落ちていく夕日は、赤くならずに、いつまでも光ったままスピードを上げていった。
国道7号線(バイパスではない方)を走っている時に見かけたのだが、丁度赤川の河口が砂丘を分かつ場所では、砂丘と砂丘の間に引っかかってしまうのではと思うほどの大きさだった。地球の位置やスーパームーンと関係があるのかしら。
こんなに夕日が綺麗だもの、明日の天気は良いに違いないと思ったのだが、翌日の未明には広島で豪雨による土砂崩れの大災害が起きた。酒田でも午後から酷い雨になった。植木に水を掛けないで済むのは有り難いけど、想像を絶する天気が日本を襲っている。古来、日本では天気の様子が挨拶の言葉になっている。100年に一度200年に一度の雨だと天気予報士は言うけど、過去の個々の地域の災害は忘れ去られているのではないだろうか。
三の坂からは頂上は近い。ただし石段の勾配はきつい。昨年の夏に訪れた時には、距離感も判らずにがむしゃらに登ったせいか、身体中の水分が消失し、えらい辛い思いをした。今回は目的が南谷だったせいと、草花を撮す為に、小刻みに止まった事が幸いして、驚くほど疲れなかった。これだとダイエットにはならないな。
この向かい合わせの神社を過ぎると、道はL字に折れる。
すると道の勾配は緩やかになり、奥に赤い鳥居が見えてくる。鳥居をくぐると頂上である。
夏休みも手伝って、参拝客が多かった。石段を登るのは、若い家族連れが大半である。
今年限りの蜂子皇子像の拝観の為、この辺りも賑やかである。
三神合祭殿にお参りして、広場の方へ回ってみた。
広場には、舞台が作られていた。
今日はやっていないようだ。残念!
奉納舞台は、庄内だけでなく内陸からも参加されている。
さて、帰るとするか。ちなみに登りは南谷経由だったにもかかわらず、所要時間は1時間40分ほどだった。
石の継ぎ目も綺麗だと思う。石段は確かに登るのはきついのだが、これを並べて造ってくれた方々がいたこと、どんなに重労働だったろうと思うと、感謝の気持ちでいっぱいになる。自分が造れと言われたら・・・ばったり。
フランスのミシュラン三つ星の杉並木である。
この2本の杉は、かなりの老木だ。確か、名前がついていたように思える。
濃い紫の実も実っていた。触ってみたいけど、ちょっと遠い。
紫陽花も、花の時期が過ぎ、実を付けて
今頃になって、蕾をつけているのもいた。どこにでも天の邪鬼はいる。
ウバユリ系の実だと思う。
林の隙間からは庄内平野が・・・霞んでいる。
左手から水音が聞こえるようになると、五重塔は近くである。
いつもは素通りしている滝の近くに寄ってみた。
不動明王さんかなと思う。心なしか蜂子皇子に似ていると思った。
修験の為の滝だそうだ。お参りする。ただし、この滝は人工的に造られた物。水を止めることも出来るのだと言う。
赤い橋を渡って随審門へ向かう。随審門に登る手前の階段が、精神的には一番きつい。帰りは滝へ寄り道したり植物を撮ったりしても、40分はかからなかった。真面目に降りたら30分だろうと思う。だんだん羽黒山へ来るのが楽になってきた。
松尾芭蕉が羽黒で逗留したと言う南谷。昨年以来、気にかかっていた。
南谷への入り口は、石段の三の坂の手前にあり、ここへ行くにはどうしても石段を登るか、頂上から石段を降りるかしなければならない。ならばと登る方を選んだ。
昨年来、3度目の石段登りである。3度目ともなると距離感が掴めてきて、体力を配分することが出来るのだろうか、さほど苦しい思いもせずに入り口まで着いた。ふむふむ、南谷までは片道15分なのね。
道はぬかるんでいた。中央に丸い石が埋め込まれているが、これが全ての山道になされている訳でもなく、登山靴を履いてくればと思うようなズブズブな所もあった。それに、湿気が多いのだろう。夥しい数の蚊やブヨ、蜂も一緒になって着いてくる。虫除けスプレーを浴びるほどかけても、ひるむ様子もない。
こんな碑や
あんな碑も、虫たちのせいで、立ち止まってカメラを向けるのが精一杯、ゆっくりと読むゆとりさえない。 って、何と書いてあるのか、読めないし。
道はまだまだ続く。ちょっと不安になってきた。右側は谷で水音がした。
はいはい、まだまだ先なのね。
この辺りから、何かは判らないが音色が聞こえてきた。案外頂上と近く、茶店でながす音楽かも知れない。すると近道が出来るかななどと考えていた。
木立を抜けると、一気に開けてきた。音楽はクラシックだった。この先から聞こえてくる。もしかして岡野さん達が来ているのかもと、淡い期待をして向かってみた。
東屋の中で、若い女性がバイオリン(ビオラではないと思うのだが、私には区別が付かない)を演奏していた。普通、音は林の木が邪魔をして、途中で消えてしまうものだが、いやいやかなりの距離をカバーするのだと驚いた。
演奏する曲も手伝って、南谷は素敵だった。池は現在も残されており、オニヤンマが低空飛行していた。
地面のあちこちから茸が見えた。
名前の通りに、明るい南谷で、長逗留したい気持ちも分かるような気がした。
回りは杉林に囲まれていて、以前あっただろう建物と庭が想像された。この下に見える草は、実は水草である。池の中央は歩いて向こうに行けるようだが、左右に振れると見事に泥の中に沈む。
こんなに広い場所だと思わなかった。この演奏している女性と付き添いの女性の他、数名が辺りを散策していた。
思わぬ音楽の贈り物のお陰で、気分も上々に歩きまわる事が出来た。
せっかくの演奏をなんとか携帯で録画出来ないかとやってみたが、見事に失敗した。
帰りは、タオルをブンブン振り回しながら帰ってきた。少しでも虫が来ないようにする為である。
石段まで戻ると、不思議に虫たちは帰って行った。
他の地域の道の駅の産直は面白い。象潟のねむの丘でも産直が別棟であり、おもしろい果物が並んでいた。
これは秋田市の帰りに寄った岩城の道の駅である。普段見かける長細い夕顔に混じって、丸いのが売られていた。これは何だと見たら、丸い夕顔だそうだ。西日本では長いのが珍しい地域もあると言う。干瓢にも出来るようだ。
値段は、長いのも、丸いのも150円。欲しかったけど、バスのキチキチの座席では積み込むのは無理だろう。
ヒメマクラとは何?珍しい物があったので、お店の人に断って撮影させて貰った。
メロンだって!まさか、このまま食べるのだろうか。私は食べないけど。もしかして漬け物用かな。
やけに細長いとうがらしがあった。
辛いのかと聞くと、まったく辛くなく、そのまま炒め物にして食べると美味しいそうだ。その隣にはハラペーニョが。ハラペーニョは遠慮して、ひもとうがらしを買った。
これは、西目の道の駅の前のひまわり畑。この先にはハーブランドがある。
女鹿の辺りで酒田港が見えた。
秋田県は、本当に風力発電の施設が多い。山の稜線にも海側にも、その数は多い。しかも秋田県には自社で風車を作っている工場もある。別の意味合いからも先進地なのだろう。
秋田市新屋に到着する。小雨の中、説明を受ける。
洋上風車かなと期待して行ったが、陸上のしかも随分と古い風車だった。聞けば日本の風車の先駆けである山形県立川町の翌年に、2基の実験用の風車を建てたのが始まりらしい。
この場所には大小併せて10基の風車があった。
管理者は秋田ウィンドパワー研究所である。
・補助金もない時代に設置し、古い物は16年を経過した。
・震災前の売電価格は9円/kwhで、経営は苦しかったが、東日本大震災後には22円/kwhになり、安定する。
・故障も多い。一番危険なのは雷被害。落雷を直接受けることもあり、避雷の流れが計画通りなら良いが、ずれた場合はブレードが裂けたり、ローターが壊れたりする。ローター部分は修理で4~5000万円かかったが、国内の業者が行えるようになり2000万円台で済むようになった。大型のクレーンも費用も大きい。修理が高額な為、あらかじめ予算を計上し積立金によりメンテも行う。落雷は直接だけでなく、近くに落ちた雷が地面を伝わって被害を受ける場合もある。秋田市の別の風車では、通常の電線で送電をしていたら落雷に遭い、水道管などを伝わり被害が増大した。
・砂による被害も大きい。飛び砂によりブレードの先端がボロボロになる。ボックスの中に砂が入りブレードを風向きに合わせるギアボックスの摩耗も多い。ヨーロッパの風車は一定方向から風が吹くのが多いが、秋田では少なくても3回/日~5回/日と、頻繁に向きが変わる。
・当初の計画は日本での資料が不足していた為にデンマークのを参考にした。最近のデンマークでの情勢は、大型の地上設置の風車を廃止し、洋上に切り替える傾向にあり、現在41%になっている。個人経営の農場脇に設置する75kw程度の風車には制限はない。大型の風車も地域を限定してまとめてきているようだ。
・計画する時に注意しなければならないのは、コンサルタントが出した数値である。そのままでは経営は成り立たない。もっとも有効な風速は7m/hだそうで、それに近い数値を提出してくる。実際は振り幅が大きく、風が弱くても回らないし、強ければ回転を中止させねばならない。7.1m/hで提出されたものを6.9m/hに打ち直して経営に取り組んだが、なかなか軌道には乗らなかった。年々風が異常になっている。強風も多い。不安定要素を元に計画しなければならない。
・鳥獣のアセスは、現状が判らずに想像で打ち出している所が多い。2年間に渡り、週1の割合で調査した。結果は2羽の事故があった。カラスとノスリだそうだ。
設置当初は物珍しさもあって、風車をライトアップした時期もあった。最近は風車の数が増え、照らすことはないそうだ。風車のフェンスの隣に秋田市の都市景観賞の記念碑があったが、これはどうなんだろう。酒田市でも山形県でも、これは選ばれないと思う。
ブレードのさきと中央が赤くペイントされていた。見学者達は可愛いと、酒田でランドマーク代わりに色を付けたらと言っていたが、恐らく景観審議会で許可が下りないだろう。
秋田市の年間の雷注意報は、100件を超えると言う。1年の1/3は雷に注意と言うことだ。酒田も同様に雷は多い。最近の新しい風車は避雷針の箇所が増えていて、上手に落雷を逃がすことが増えているそうだ。風車の開発も日進月歩である。
山形県では震災以来、知事の肝いりで「再生可能エネルギー」に取り込んでいる。単に風力発電を設置するだけでなく、風車の開発も県内の企業がやっていけたら良いのにと思う。海外の製品はメンテや故障で倍以上の経費がかさむ。地元でそれが行えれば、一石二鳥だと思うのだが。
ぬかるみに足を取られ転びそうになること1回、ヤブ蚊に襲われること2回。途中まで雨に濡れたが、親切な方に傘をかして貰う。そして貴重な意見が聞けたと感謝する。
風車の耐用年数は、EUでは16年ほど、日本ではFIT(再生エネルギー固定買い取り価格)に併せて20年と見込んでいる。この秋田ウィンドパワー研究所でも、そろそろ新しい設備を導入する計画を立てている。現在よりも大規模な大型風車を検討しているそうだ。洋上も検討するのかしら。
予定時間を20分遅れて、昼食会場の象潟の道の駅「ねむの丘」に着いた。
3階の会議室のような部屋で食事を頂いた。その窓から見えた飛島。ここからは御積島が本島に隠れて見えない。
この道の駅は度々入った事もあり、美味しい秋田のお土産やお酒などを買っているが、1階しか探索をした事がなかった。エレベーターで6階まで上り、展望台で海や象潟の町を眺める事にする。町の方向には象潟の昔の絵地図を拡大した物が飾られていた。
松尾芭蕉が訪れ、奥の細道に書いた頃の象潟は、海の上に点々と松島が並んでおり、太平洋側の松島にも匹敵する風景だった。
それが地震で地面が隆起し、海に浮かぶはずの島が地面に浮く島へと変化するのである。地震の力はさほどに巨大だ。
あいにくと鳥海山を始め、稜線が見えないが、これは北側よりである。
これは中央。平野の中に松島が浮いている。
これは南側。象潟の町並みが見える。この左側に鳥海山が本当は見えるのだが。
米が日本の経済の根幹であった江戸時代において、隆起した島を削ったら、もっと平野部が広がるのに、このままの景観を保持した佐竹藩も凄いかなと思う。
この展望台は誰でも上れるので、今度ねむの丘に寄られた時にはぜひ上って欲しい。