戦後、酒田に進駐軍がいた。私は残念ながら見たり逢ったりした事はないが、その場所は光ヶ丘の辺りだと言われ、母にはなるべくそちらへ行かないように言われていた。もしかして、母にかけられた暗示で、私の目には進駐軍は見えなかったのかも知れない。
随分と前に、酒田の進駐軍の写真があると教えられた。合衆国海軍のHPの中に酒田があり、退役軍人達の同窓会のような集まりがあったようだ。
U・S・NAVALのhomepage はこちらだが、入ると迷子になるので、直接には
酒田の写真 をご覧頂きたい。これを見つけた人は偉いと思う。その抜粋。
見たことあるけど、思い出せない。
柳小路のマーケット
これは台町だど思う。
アルファベットのフリガナが振ってあった。
いつもは月曜日に集合して作業を行うのだが、模型が出来そうにもないので、緊急に土曜日の午後に有志(5人)が集まった。いつもは夜間なので、市役所の駐車場に車を停めているのだが、この日は希望ホールで催しがあったらしく満杯。清水屋の駐車場に移動する。かくして、清水屋でセーターを買うことになり、売り上げが少し増える。
前回、作業を停めたのは、敷地の高低差に使用する2m/mのスチレンボードが足りなくなったからで、土曜日までには現場に届いていると言う話だったが、どこを探しても見つからず、手違いがあったと思われた。
このまま解散する訳にはいかず、前回の使用した物の切れ端を集めて、なんとか作業を続行した。
こうして見ると、日和山界隈の高低差が際立っている。敷地が出来たら、建物を取り付けて行く予定なのだが。
模型は、持ち運びしやすいように2枚に別れていて、南半分は高低差も少なく、順調に建物を貼り付けていく。
堤防の道路もきちんと高く造ってある。
まだまだ完成しない。
『ニュース女子』#91 1月2日放送分
現在巷で話題になっている「沖縄の基地反対運動」を報じたDHCシアターの「ニュース女子」である。内容として、そんなに驚くことは載っていない。通常ネットで流れてくるものをあっさりと載せているだけだと思う。もっと酷い反対派達の映像は、YOUTUBE辺りで沢山流れている。
ただ、今回なぜこんなに騒がれたのだろうと思っていたら、いつもはCSのDHCシアターと言う所で流れている番組が、地上波の東京MXテレビで放映され、一般の人達も観ることが出来たとのこと。基地反対派が沖縄県民だけでなく、日本国中や中韓からも集まって騒いでいること、それに交通費や日当まで出ているようだと知られてしまったからだろう。その5万円の交通費を支給すると書かれたパンフレットを撮されたのりこえネットは、偽の情報を流したとか人権侵害だとかで、BPOに告発した。笑えることに、BPOからの回答は「両者で話し合ってください」だったそうだ。DHCシアターでは、ニュース女子に限らず、虎ノ門ニュースでも、討論することを大歓迎している。でも多分逃げるだろう。色々と不利だし、今までがそうだったから。
もう1つ騒いでいるのは、この番組の司会を務めている長谷川氏が東京新聞の論説委員だったことだ。彼は番組の中で右翼的な発言も左翼的な発言もしていない。事実を中心に采配を振るっているし、いつの事だったかコメンテーターの大半が「昔は左翼だった。」と述べたのも知っている。この番組では、各自が自分の専門分野で好きなことを話しているのが面白い。同じような討論番組でも朝生のようなグダグダした番組とはテンポも違うのだが、左翼的思想の東京新聞が新聞紙上で長谷川氏を捉えて詫び文を書いたのも面白い。
この記事はネットで流れてきた赤旗の内容だそうだ。我が家でも赤旗はとっていたから探せば出てくるのだろうが、この記事で注目したいのは17年1月から、地方7局が放映を開始するらしい。この中に山形県のさくらんぼテレビが入っていた。ネットの環境のない人の目にも、この番組が触れることになる。
これに加えて、DHCシアターで、1つ残念なニュースがある。3月末をもって、CSからDHCシアターが放送を中止する。番組はネットのYOUTUBEやニコ生などその他の媒体で観て欲しいそうだ。地上波やCSなど、過去の媒体で放映するのではなく、世界中から同時に観ることが出来る、そんな時代になったのかも知れない。
酒田港が「ポート・オブ・ザ・イヤー2016」で最優秀賞を獲得した。
新聞で知って喜んでいたが、酒田市役所のロビーにガラスケースがあり、その中に賞状や盾、受賞の写真が飾られていた。
盾は何とか撮せたが、賞状と写真は、ガラスに照明が反射したり歪んだりと、画像の出来は良くなかった。
国交省の酒田港湾事務所に、新年(?)のご挨拶に出向いた時、所長さんに賞状と受賞の写真のデータを頂いてきた。丸山市長が受け取っているのは、記念の盾であるが、この時の模様を市長は「いつになく緊張した。」と仰った。
「港湾」と言う雑誌には、この表彰の記事が載っている。
酒田港が選ばれたのは、コンテナ貨物が増加しただけではなく、市民達が中心になって、色々な港の取り組みやイベント活動などを積極的に行ったこと、外国のクルーズ船の誘致を進めたことが、とても大事だったのだそうだ。
2016年度は5港の応募が有り、例年になく得票数が多く、格段の差で優勝したのでもないと言う。酒田港に投票して下さった皆さんに、心からお礼を言いたい。
さて、これは国交省と(公社)日本港湾協会で発行している「数字で見る港湾」だが、これは年に1度の発行である。写真は2016年度のものだが、2017年度は、表の表紙も裏表紙も、酒田港の写真になるそうだ。
酒田市内。ここは何処だ!第3弾。
ヒント、その1
正解です。
あの大浜の人口の山も、子供の頃に「カーバイト山」と呼んでいた気がしたので、ググって見たら、平成20年度庄内海岸松原再生計画策定委員会による「庄内海岸林施業管理指針」と言うPDFを発見した。(長いよ)
その中の13ページに、カーバイト山の話が出てくる。米軍キャンプの跡地だったり、飛砂実験だったりと、ちょっと恐い。酒田に進駐軍がいたなんて話は、若い人達には判らないだろう。(実際には、私は米軍には会った事もなく、母の「連れでいがれっはげ、光ヶ丘には行ぐな。」と言われただけである。)カーバイトにしても、火が付いて燃える物とばかり思っていたので、弁天さんの夜会式の綿飴で使われていた炎の匂いが、記憶として蘇ってくる。
お昼休みに、大工さんと一緒にラーメンを食べることになった。最初に行ったのは、にしきそば屋だったが、張り紙がしてあって店内は工事中のようだ。
時間が惜しいので、酒田の駅裏の三日月軒に走った。何と定休日だった。ならばと、近くの味好に回ると、暖簾が出ているのが見えた。
そこで、マーボーメンを注文した。(ピンぼけや) 美味しいと評判らしい。しかし、量が多い。
大工さんは、大盛りを注文したが、とてつもない大きさだった。写真で見ると、そんなに差が感じられないのだが、さすがに食べきれなかったようだ。
麻婆豆腐だけでも、お腹がいっぱいになるのに、ラーメンの麺の量も多い。私も残念ながら、途中でギブアップする。
確かに美味しいのだが、私には小盛りでも危ない気がする。
日曜日は、きーぷらんの鱈汁会だった。羽黒経由で鶴岡へ向かう。何年も通っているのに、また道を間違える。
せっかくなので、パチリ。
こちらは、月山と金峰山。
テーブルの上は、鱈汁の丼が置けないほどにご馳走で溢れかえっていた。そこに見えるのは蟹じゃないか!
このサラダには果物やサーモンが入っており、手作りの豆腐は大豆の味がして美味しかった。
鱈は、由良産で3匹しか揚がらなかったのを買い占めし、鱈汁、昆布締め、ムニエルと(私以外が)調理をして、ノンアルコールで乾杯した。
蟹味噌を食べながら「最後の晩餐、何食べる?」と言う話になった。意外に皆さん質素である。私は梅干し入りのお握りが良いなぁ。酒田のラーメンでも良い。
ともかく、贅沢な鱈汁会なのである。
東京の東日暮里のホテルラングッドで開催された「全国みちづくり女性団体交流会議2016」に参加する。
この交流会に参加するようになって10年あまり経ったが、当初は大変な参加人数だった。それが各地で高速道路が完成する度に参加者が減る現象が起こり、特に民主党政権の「コンクリ-トから人へ」の時代は、7チームほどに減ってしまった。最近少しづつ新しい道路の要望が出て、参加者は戻りつつある。昨年私は欠席したが(どうやら飛行機が飛ばなくて、酒田勢は不参加だったらしい。この時期はそれが大変だ)今年のこの数には驚いた。
名刺を山ほど持参して、配りまくる。温和しくしていると来た甲斐がない。
法被の後ろを見ると、一目で何処の要望かが分かる。
来賓のこの方は、道路局長さんだった前川氏で、現在はNEXCO西日本の取締役執行役員である。
NEXCO西日本と言えば、SAのトイレで男子用の小便器がエコで賞も獲り、仕事で使えないだろうかとTOTOに問い合わせたら、NEXCO西日本との共同開発で使用許可が下りないので、一般販売は出来ないと聞いていたアレだ。せっかく前川さんに会えたのだものと、懇親会で話をしたら、昨日メールで制作時間に余裕があるなら、使えるように連絡をしてくれるとの、有り難い内容だった。嬉しいよ、え~ん。(でも設計は、もう別の器具で出来上がってしまっている。)
突然、司会者から「ハプニングです。懐かしい方がいらっしゃいました。」と紹介もそこそこに、太田元国交大臣が現れた。彼は大臣の中で、もっともこの会に参加して頂いた方である。
思い起こせば、東日本大震災の後、この会に参加予定の大臣が、復興の会議の為に仙台へ向かわれた事があった。数ヶ月後、私は宮城県選出の国会議員や山形宮城の市長さん、商工会議所会頭、それに佐藤ゆかり議員と共に、太田大臣に酒田-新庄-石巻のウエストラインの陳情に、大臣へ逢いに出かけた。震災の復興予算を使って、他の県は高速道路の新規や延長を行っていた。その時、傍らに道路局長さんを呼んで、国道48号線の調査を開始することを約束してくださった。「すぐに道路を造ることは出来ないが、局長が隣にいることが、どんな大事なことか判るか?」と仰った。帰りがけ、勇ましくも酒田みちみらい女性の会のジャンバーを羽織って「女性の交流会で、皆さん大臣にお会いできなくて、とても残念がっておりました。」と、社交辞令のような事も確かに言ったら、帰りに追いかけてきた秘書の方に名刺を所望された。酒田みちみらい女性の会の名刺である。
太田元大臣は、自分の手がけた道路の事をよく覚えていて、各地の高速道路を順に追って話されたが、「小さい道路だが、酒田-石巻のウエストラインも・・・・。」の名を聞いて、酒田勢は思わず拍手と大きな歓声をあげて、周りの人達に驚かれた。イイダロ、イイダロ、嬉しいもんだね。
さて、もう一方の来賓挨拶後、基調講演の国交省・森昌文技監の講演が始まった。
道路づくりと言うより、地域づくりに重きを置いた話だったが、話の冒頭に先週トルコから帰ってきたばかりで、橋だったかトンネルだったかの工事の入札が、韓国に負けたと悔しがっていた。そうか、民間の仕事でも国が一緒に動いてくれるのかと感心する。
さて、日本の人口が減少する中、地域がどのように変わって行くか、切実な内容が繰り広げられた。
隅が黒く欠けるのは、前の人の頭である。
空き家の数は、東京都も多いとのこと。
住み分けが必要と
人口が少なくとも、観光客の誘致で地域は盛り上がる。特に外国からの観光客の動向が変わってきた。
特に古くからの観光名所でもなく、割と新しかったり、日本人も知らなかったり。
口コミやSNSを通して、観光客が目指すのが、温泉に入る猿を見る為や、鳥居が立ち並ぶ地方の神社、花を一面に植えた場所など、自分たちの手で作り上げることが出来ると言う内容だった。
外国の観光客が選ぶ日本の31選。庄内はまだ入っていないが、山形県の蔵王があった。
道路標識も、正式名称でなくて俗名にすると、判りやすい例として、札幌のすすきのがあった。そうだよね、この方が判りやすい。
休憩を挟んで、参加団体の活動報告が始まった。参加団体が多い為、持ち時間3分で、オーバーするとベルの音付きで厳しい。トップバッターは青森下北半島の女性達である。19年も陳情を続けて、ようやく6km供用されたとの話だった。「私達が生きている内に、道路が出来て欲しい。孫達の為に」と、願いは切実で、ベルを2度も鳴らされていた。
山形県は3番目に発表した。我が方も、早く終われと、2度ベルを鳴らされたが、日沿道もウエストラインについても、地図を参照しながら、話すことが出来た。
一人で参加した人や
団体で壇上に立つ人。
あきらかに美人が一人
とてもとても、全員を載せることは出来なかった。このメンバーは四国。今年度まで事務局をして頂いた。彼女の出で立ちは、天照大神の役を演じている。左は巫女さんの役、この後素戔嗚尊(スサノオノミコト)も登場する。首に掛けた曲玉は、自分であつらえたそうだ。
皆で、全国を高速道路で繋げよう!ではなく、繋がったことにしてヤッターと阿波踊りで盛り上がる。
総評
日本人の寿命はどんどん延びていくから、平均寿命も100歳を超える。きっと皆さんが生きている内に道路は繋がると、元気づけての総評だったが、我々は自分の席でコソコソと「寿命が延びたって、痴呆症のチェックで高齢者は免許を返納しなくちゃならないんでないの」と陰口をたたく。
事務局は来年から下北へ移る。どうか、冬の時期の開催は避けて頂けますように。一番東京へ出てくるのが大変なのは、彼女達なのだ。
懇親会に参加する。基調講演を頂いた国交省の森技監に、酒田へ来てくれるようにと、酒田の女性達は取り囲んで半ば強引に約束を取る。3月に計画を実行する。
懇親会の途中で抜け出して、私は羽田へ急いだ。飛行機は予定よりも5分早く庄内空港へ着陸する。天気が良くて幸いだった。