今日のGoogleのトップは、ザハ ハディドだった。誕生日でも命日でもないのに、何故なんだろう。思えば、国立競技場の設計は、是非ともザハにやって貰いたかった。凄いのが出来たんだろうなと思う。ただ、建設費は天文学的に上がっただろうとも思う。酒田市の隣の鶴岡市では、現時建築中の妹島和世設計の文化会館が、当初の45億円の予算から、段階を踏んで追加され、現在は96億円だそうだ。鶴岡市は太っ腹だな。税金を払う市民もしかり、酒田では真似が出来ない。
さて、私の尊敬する坂茂氏の本を買った。坂茂写真集などと言うと、ちょっとアレな本かと想像するが、歴とした建築の本である。建築関連の本は押し並べて高い。需要がないからなんだろうなと思う。
アイカのデザインセミナーの講師が坂茂氏の時は、会場が広島だったので行けなかったけど、東京の南青山にある「TOTOギャラリー・間」で、7月14日まで坂茂のプロジェクツ・イン・プログレスが開催されている。東京に用事が起きないかしら。
昼食は、嶋団地にある「ひろ」の冷たい肉蕎麦だった。久しぶりに食べた美味しい肉蕎麦だった。丁度お昼頃に店に着くと、日曜日が災いしてか、客が外まで溢れていた。人数と記名をして順番を待つ。待った甲斐もあり、尚更美味しく感じられた。冷たい肉蕎麦は700円(税込)、ちょっと少なめのレディスが650円。もちろん私は後者。
目的の前に時間があったので、紅の蔵に寄る。鉢に並んでいるのは紅花。風が強かったので、お店の人が支柱を立てるのに大わらわだった。
紅の蔵の裏側に駐車場と一緒に産直があった。この日は山形に着くまでに羽黒で漬け物を買い。(アスパラの漬け物が美味しかった。)寒河江の産直で山菜や野菜と花を買い。まるで買い物ツアーだと揶揄されながらも、この紅の蔵の裏の産直も入って見た。山菜のうるいに似た40-45cmもある伸びた茎が売られていた。「ぎんぼ」と言う名だった。この名前は聞いたことがなかったので、お店の人に尋ねると、やはりうるいの茎で煮物に使うと言う。地域によって山菜も調理も違う物だと感心する。
店の外には鉢に入った花が並べられていたが、その中にサルナシの鉢を見つける。「高いだろうな。」と想像して値段を確かめると、250円とある。これは間違いだろう、普通なら1250円とか、もっとするだろうと、鉢を持ったまま店の中に確かめに入った。250円だった。喜んで2鉢を買う。サルナシはキュウィフルーツと同様の野生種と言うか、雄雌の2本がないと実を付けないからなのだが、雄雄だったら、雌雌だったらとは考えてもいない。ここが私の詰めの甘い所なのである。
豆苗は、消費期限の内に食べないと、とんでもない事になると言う見本がこれだ。支えもないまま、好き勝手に伸びてこんもりとなった。
あら、つぼみがついてるとよく見たら、花が咲いていた。
虫除けの網戸を取り付けた事務所の中では、いくら花が咲いても実は成らないだろうと、外の空いた鉢に植えた。それでもきっと実を結ぶのは無理だろうなと思う。豆苗はエンドウ豆の若芽なのだ。
これは西洋ワサビの花。種が出来れば良いなと思う。
3列に植えた種は、右からバジル。中央がコリアンダー、左がイタリアンパセリだった。バジルは一番最初に芽を出したのに、すぐに抜かれた。それどころか、せっかく出た若芽は虫に喰われる。仕方が無いので、余った種を蒔いて置いた。ちょっと細かい芽が出てきた。
黒松の洞穴に巣を組んだムクドリ。今年もちゃんと雛が大きくなった。
緑が繁り、鳥たちの声はすれども姿が見えずが続く。昨日は「ケキョケキョキョ・・」とへたくそなウグイスの鳴く声が聞こえたと思った。S氏は違うと言う。どうもホトトギスのようだと言う。インターネットでは、ホトトギスの鳴き声もYOUTUBEで沢山見つかる。それでホトトギスが鳴き出したら、PCの音源を最大にして、ネットのホトトギスの鳴き声を聞かせてあげようと企んだ。きっと縄張りに敵が現れたと思うだろう。実際のホトトギスの声は、PCよりも遙かに大きく遠くからも聞こえ、相手にはされなかったようだ。
そうか、ホトトギスはカッコウと同じく托卵する鳥なのか。一番狙われるのはウグイスと言われているが、どっちも大変だなと思う。
パレードの途中、次の行列がなかなか来ないので、(縁石に座っている尻も痛くなり)移動することにした。下の神宿は清水屋の6階で開催されている。
エレベータの前にはベビーカーを押した夫婦や数人が待っていて、これは載れないかなと思い階段で上ることにした。3階辺りで、荷物がこんなに重いと気がついた。
ヘトヘトになりながら到着する。この体力では羽黒山の階段は無理だなと思う。
神宿会場の右側に神棚。前面に見えるのは錦絵だ。明治の頃の女性達の錦絵で、綺麗な状態で保管されている作品だった。
若瀬川の化粧まわしを見て、先に進む。
酒田祭りの山車の絵。印刷ではなさそうだ。
皇紀2600年だとすると、西暦で何時になるのだろう。
昭和がどっさり。
窓から向かいのビルの屋上を見る。あんな特等席で祭りの宴会をしてる。
次は、北里町で開かれている上の神宿を目指す。暑い。荷物が重い。あの男性のいるあたりから左に折れる。
こちらにも、随分とぼんぼりの数が多いなと思った。
到着。
まず、目に付いたのは、グリーンハウスのパンフレットだった。聞く所に拠ると、これで全部ではないらしい。
実物を見るのは何十年ぶりだろう。大火前の話だ。パンフはもっと大きいと記憶していたが、実際は小さなものだった。映画を見る前に、楽しく読んだ覚えがあった。
奥では酒盛りが始まっていた。正確には、来てくれた客に御神酒を振る舞っているのだそうだ。私も仲間に入れて貰った。
その御神酒があの樽酒。枡に注いで、スルメと昆布を頂く。
グリーンハウスの話。柳小路の話で盛り上がった。
さて、酒田囃子保存会を先頭に、山車行列が始まった。
まずは、上の日枝神社の行列である。あら、天狗さんの下駄が2本歯だわ。
最近は街中の過疎化が進み、神宿を受ける地区が少なくなり、合併が進んでいる。その為何十年に一度巡ってきた受神宿が数年に一度となり、負担は広がっている。
さて、これからがお稚児さん。本来は町内の子供達が参加していたが、最近は申請知人から借り集めている。
次は下の日枝神社
こちらの天狗は見事な一本歯。
こちらも3台。
御輿。もう八波会や獅子の会、それに別の法被も入り乱れている。
酒田の要人が続く。
松原小学校の酒田ばやし。子供達に伝承されているのは嬉しい。
リコーダーでの酒田囃子
お待ちかねの酒田花魁道中。花魁には応募した20歳の学生さんが扮装している。
残念ながら、ここできびすを返し、向こう側へと進んで行く。
ここは道中の出発点のようだ。
舞妓さん達。
人混みをかき分けて行くと、式台の儀は始まっていた。
亀ヶ崎は、酒田に亀ヶ崎城があった折りに、武士が住んでいた町である。
すぐ前に人が来た。え~ん なので移動する。
奉行(酒田市長)が赤い布を獅子に渡す。
式台の儀・司会
上の日枝神社の神宿代表
下の日枝神社の神宿代表
奉行が神宿代表に酒樽を渡す。
若衆と巫女が来た。
御神酒を注ぐ。
市議会議員席・暑いのに正装で気の毒だと思う。(雨天よりは良いかな。)
きやり保存会。
平泉町長より、副町長が参加。奉行から記念品を贈呈
奥州平泉では、藤原の文治5年(1189)4代藤原泰衡が倒され、平泉藤原氏は滅亡を迎えた。源頼朝の追ってから逃れた秀衡の妹「徳の前」が、36人の従臣たちを従えて酒田へ落ち延びた。その家来達は後に三十六人衆と呼ばれ、廻船問屋を始め米や衣服問屋を営み、町人自治の町酒田を作った。その末裔は今も酒田に住んでおり、平泉の祭りには招かれると言う。
平泉町副町長挨拶。
司会のKさんも正装だ。
式が終わると、机や椅子は片付けられ、山車行列の準備は完了する。
その間をぬって、素早く着替えを済ませたKさんの行列開始の時を待つ。薄着をしても暑そうだ。